2019年7月20日土曜日

韓国慶熙大学、金民雄教授が説く韓日協定の問題点ーその(1)

2017年、金民雄教授を韓国からお呼びして、当時の韓国市民のキャンドル革命、文在寅大統領の誕生、韓国から見た日本社会の問題点について日本の各地で講演をお願いしましました。その金教授から日韓関係が最悪と言われるようになった現在、その日韓関係の
悪化の根本を日韓協定の過程、内容を解いていただきます。 (崔勝久)
  2017531日水曜日
  017911日月曜日
  https://oklos-che.blogspot.com/2017/09/blog-post_12.html

〈韓日協定の何が問題なのか?〉シリーズを始めますーその(1)  金民雄
とても優しい問答形式にして、少しずつ複雑な論議に至る内容を順々に丁寧にお知らせしたいと思います。
〈韓日協定〉は、今日韓国と日本の関係を外交的に発展させるための最も重要な文書です。
この内容とその解釈、論議の視点そしてより大きな脈絡の歴史を合わせて見つめてみようと思います。
(1)〈韓日協定〉はいつ両国間で調印されたのですか?
1965年です。
当時の朴正煕(パクチョンヒ)政権が1961年5.16クーデター以降軍政から民政移譲を約束していたのに結局はこれを覆して、朴正煕(パクチョンフィ)自身が政権の首班になった後、政治的不安定が続く中、かなり切羽詰まった状況で結ばれた条約です。
(1-1)"切羽詰まる"とは?
韓日会談の内容が広がるにつれ、国内では激しい反日運動が起こりました。屈辱的で売国的な交渉というものでした。すると朴正煕(パクチョンヒ)政権は1964年6月3日、非常戒厳令を宣布して、軍まで動員して反対運動を武力で鎮圧しました。
翌年1965年6月22日調印された後、国会では8月14日共和党 1党と無所属2名を抱き込んで、野党が総辞職の決意をして不参加の中、内容検討の時間も充分に無いままに一方的に批准を強行したのです。





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