2019年6月1日土曜日

ハプチョン・フォーラムへのお誘い


韓国人被爆者が多く住む地方で開催されるハプチョン・フォーラムに参加しませんか。

 アメリカの広島、長崎での原爆投下による数十万人の犠牲者は日本国民だけではありません。その1割は日本の植民地支配の下で日本に住むようになった朝鮮人でした。その被爆者の多くは韓国に戻り、日本政府、韓国政府からの十分な支援を受けることはありませんでした。今なお、南北の被爆者は癒やされぬ多くの問題を抱えています。朝鮮半島全体に広がる被爆者のうち、その多くは韓国の陜川(ハプチョン)で居住しています。私達、日韓・韓日反核平和連帯が主催するハプチョン・フォラムはまさにその場所で8月5-8日に開催されます。
 韓国人被爆者はいかなる理由によっても原爆投下は許されないという自らの信念から、あえて原爆投下の罪を犯したアメリカ政府と原爆製造社を相手に米国本土において原爆投下の謝罪と賠償を求める闘いを準備しています。
 その闘いはどうして彼らが被爆したのかの根本原因である、日本の植民地支配の歴史を直視するものでもあります。日本社会の戦後の平和と民主主義は植民地支配の徹底した清算の上で築かれ、日韓条約は植民地支配の歴史を踏まえた上で締結されたのでしょうか。 
 韓国人被爆者の問題を取り上げるのは、朝鮮半島全体の平和構築に参加することであり、それは日本をはじめとする東アジア全体の平和に寄与するものです。私達は一国平和主義を乗り越え、国際連帯によるアジアの平和構築(Peace Making)を求めます。8月のハプチョン・フォラムに集い、徹底的な話し合いの中から国民国家の枠を超え、21世紀に生きる私達の今後の生き方を掴み取ろうではありませんか。

集合場所:8月5日午前中に釜山国際空港で集合しバスでハプチョンに向かいます。
(フェリーで釜山に来られる方は釜山国際空港までおいでください。ご案内いたします)
日程:8月5-8日(8日朝食後、現地解散)
参加費:35,000円(大部屋)、二人部屋を希望される方は40,000円
宿舎:海印寺観光ホテル(電話:81-55-933-2000

連絡先:崔勝久(che.kawasaki@gmail.com090-4067-9352
日韓/韓日反核平和連帯事務局長

主催:日韓/韓日反核平和連帯

ハプチョン・フォラムの日程

85

14
001530 映画鑑賞「リトルボーイ12725」(キム・チボム監督)

15:30
18:00非核平和の集い

討論会 「被爆、過去、現在、未来」「加害者の責任糾明」

15
30-1540
開かれた集い:チョン・ギホ(韓日反核平和連帯)の歌2

15
40-1550
挨拶
イ・ナムジェ(陜川平和の家院長)
木村公一(韓日反核平和連帯 共同代表)

15
50-1630
韓国側発表:イ・スンム(韓日反核平和連帯 代表)

16
30-1710
日本側発表:芳賀普子(米国の原爆投下の責任を問う会 共同代表)

17
10-1720
合唱公演

17
30-1830
米国側の発表:Jonathan FrerichsWCC:世界キリスト教協議会 元幹事)

18
30-1900
総合討論

19
002020
パフォーマンスなど公演、夕食、プション

8
6

午前:追悼式に出席(3時開始)
主題:「ハプチョンから核のないアジアに」

挨拶
木村公一(日韓反核平和連帯代表)
イ・スンム(韓日反核平和連帯代表)

主題講演:30-400
キム・ヨンボク(韓日反核平和連帯 顧問) 「アジア反核平和フォラムの必要性」

特別講演400-430
チェ・ボンテ弁護士:「米原爆投下責任訴訟の経過報告と課題」

休憩430-445

韓国側の問題提起445から515
キム・ジュンハン神父:「韓国の脱核運動の現状と反核平和運動の課題」

日本側の問題提起515-545
吉澤文寿教授:「植民地支配責任に触れなかった日韓条約の問題点」

議論545-630

宿泊施設の夕食(海印寺観光ホテル)

8
7

午前:星州訪問(「高高度防衛ミサイル(THAAD)」が設置された韓国慶尚北道南西部に位置する郡庁所在地)での住民の反対運動家たちとの懇談会

午後:居昌良民虐殺記念館訪問(19512月、朝鮮戦争における慶尚南道居昌市民虐殺事件 )

8月8日 
朝食後現地解散(最寄りの駅または空港にお送りします)




2019年3月31日日曜日

3・1独立運動100周年記念集会 「3・1独立運動とはーみ国を来たらせたまえ」澤正幸 牧師

朝鮮の3・1独立運動に対して当時も今も、日本社会は関心を示すことがなかった、その根本原因は日本社会において確固たる存在であり続けている天皇制にあるのではないか、それは戦後社会にあっても植民地支配の清算がなされていないということではないのか、私は澤さんの論文をそのように読みました。
澤正幸さんは牧師であり、天皇制の問題を教会に身を置く者として深く洞察を進めていきます。しかしそれはキリスト者だからということにとどまらず、歴史の中で日本人として存在している者として避けて通ることのできない課題であるはずです。澤さんの承諾を得て、私のブログで澤さんの講演録をご紹介いたします。  崔勝久

        西南KCC主催 3・1独立運動100周年記念集会

               「3・1独立運動とは」
              副題「み国を来らせたまえ」
                 2019年3月3日

            日本キリスト教会福岡城南教会牧師 

                  澤 正幸

 今年は1919年、韓国全土で民衆が韓国独立万歳を叫んだ3・1独立運動から百年の年です。その時のことをわたしの亡くなった兄、澤正彦が記した、「喜びの関門、韓国3・1精神に学んで」という文章は次のように書き出しています。
 「1919年3月1日午後2時、ソウルの中心街にある泰和館という料亭では、民族代表33名が、またパゴダ公園では学生たちが、3・Ⅰ独立宣言文を読み上げた。(中略)
『我らはここに我朝鮮国の独立たることおよび朝鮮人の自由民たることを宣言す。此をもって世界万邦に告ぐ、人道、平等の大義を克明にし、此をもって子孫万代に伝え、民族自存の正権を求有せしむ・・・これは天の明命であり、時代の大勢であり、全人類共存・同生権の正当な発動であって、天下の何物もこれを阻止抑制することはできない・・・。ああ新天地が眼前に展開す、威力の時代が去り道義の時代が来た・・・良心が我とともにあり、真理が我と共に行く・・・。

公約3章
1 今日我らの行動は正義人道生存のためにする民族的要求にして、すなわち自由精神を発揮
するものにして、決して排他的感情に逸走すべからず。
1 最後の一人まで最後の一刻まで民族正当なる意思を快く発表せよ。
1 一切の行動は最も秩序を尊重し、我らの主張と態度をしてあくまで公明正大ならしむべし』」

 澤正彦は独立宣言文を紹介した後、さらに3・1運動の展開をつぎのように記しています。「3・1独立宣言文朗読のあと、民族代表はすぐ自首する中で捕らえられ、学生らはソウルの街をデモ行進した。この示威はあちこちで押さえられたが、3月1日に始まり、ほとんど2ヶ月間韓国の南端から北端まで、独立万歳の集会示威があり、3月から4月にかけて全国の万歳集会は、ある統計によると1214件に及んでいる。また満州、中国、ハワイ、アメリカ在住の韓国(朝鮮)人にまでこの運動は波及して行った。(中略)朝鮮半島の隅々にまで、独立、自由万歳の声が波及する間、約7千5百名の死者、約2万人の逮捕者を出し、焼却され、破壊された教会数は50に及ぶといわれる。」 註 阪神淡路大震災の死者は6434名、それを上回る人々が殺された。「民衆は非暴力に精神を掲げて日本軍警に立ち向かった。・・日本軍警の弾圧は苛烈を極めた。『射撃時間約3分・・即死したる者51名』」
「3・1運動は民族代表として、キリスト教、天道教、仏教界の人たちが先頭に立ち、一般の参加者は、農民、商人、労働者、通りがかりの人々、老若男女、あらゆる階層の人たちであった。日本人相手のキーセンといわれる人たちも『万歳』を唱えて行進したことは有名である。

水原の堤岩里教会は水原の市内にあるのではない。水原からバスにゆられて1時間半、2時間も行ったひなびた農村である。ここでも4月に入って青年たちが教会に集まって「万歳」を唱えた。この3・1運動に加わらなかった当時の韓国人と言えば、総督府に仕える官吏と末端の役人、警察官位ではなかろうか。その意味でも、あの独立宣言文はすべての韓国人に理解され、奮い立たせるものをもっていた。3・1精神が韓国の民衆のレヴェルまで届いたといえようか。(略)それこそが、この運動が長期にわたって全国津々浦々まで伝わっていった理由であろう。」

 それから百年がたった今年、韓国では3・1の精神が今日に至るまで、韓国の民主化闘争や、先のパク・クネ大統領を弾劾に追い込んだキャンドル革命に脈々と受け継がれてきたことが記念されています。
 しかし、翻ってこの日本で、3・1運動百年に関心を抱くひとがどれだけいるでしょうか。韓国の民衆にとって非常に大切な歴史であることを、理解し、それに共感を抱く日本の民衆は存在しているでしょうか。そうではないと思います。かえって民衆レベルでの大きな乖離が存在し、それが日韓両国民の連帯を妨げています。民衆レベルで乖離があるだけでなく、両国の教会の間にも溝があるのではないでしょうか。

 朝日新聞に1919年についての特集記事が掲載されました。その記事には、当時、世界のあたらしい潮流のなかにあった韓国の3・1独立運動について、日本がその新潮流を読み間違ったと書かれていました。世界の時代の流れが脱植民地支配の方向に向かおうとしていたときに、日本はそれを抑圧し、自由と独立を否定する側にたってしまった。そして、それから百年がたった今、韓国の民主化、南北統一による朝鮮半島の平和、東アジアの平和に時代の潮流が向かおうとしているときに、再び日本はこの潮流を読み間違おうとしているのではないのか。
 3・1百周年のこの時、日韓両国の関係は戦後最悪の状態にあると言われるのは、元を正せば日本が、1919年から1945年の敗戦にいたるまでたどった道が、自由、独立、民主主義を追い求める世界の流れに逆行するものであったとの反省に立って、戦後新しく歩み始めたはずであったのに、そうではない道に、それとは逆行する道、すなわち日本が過去において歩んだ道に対する反省に立つことをやめて、むしろそれを肯定するような方向に歩み始めているから、それが、1919年以来の歴史を一貫して歩もうとする韓国との間で対立をもたらすからではないのでしょうか。

 3・1運動が直接面と向かってたたかった相手は日本です。しかし、そのメッセージは日本に敵対するのでなくて、「日本を邪悪な路から救い出し、東洋平和の責任を全うさせる」ために、日本にも連帯を呼びかけながら、朝鮮民族の独立を目指すというものでした。あのとき、「朝鮮だけでなく、道を誤った日本をも救う。そのために自分たちは立ち上がるのだ」という韓国の人々の声に耳を貸さず、聞く耳を持たず、共に東洋の平和を!と叫んだ民衆を押さえ込み、その中から多くの犠牲者を生み出した日本は、百年前も百年後の今も、韓国民衆の叫びと願いに共感する心を持っていないようです。その隔たりは、一般の民衆のあいだにあるばかりか、両国の教会の間にもあるように思えます。

 百年前、韓国の民衆を押さえ込んだのは、日本の警察、軍隊、朝鮮総督府、天皇が統治する日本国家でした。そして、百年後の日本はどうかといえば、依然として天皇を中心として国民の統合をはかろうとする国ではないでしょうか。そこでは3・1独立宣言で高らかに謳われている普遍的価値、自由、人権、平和、民主的共和制よりも、外国の人たちにとってはわけのわからない「特殊な、世界に類のない」日本だけに固有な伝統と文化に価値がおかれています。
 両国民の心の隔たりは昨今の韓国国会議長、文喜相氏と日本政府の間のやりとりに典型的にあらわれています。過去の植民地支配と戦争についての最高責任者であった昭和天皇の子息である現天皇が、韓国に対し謝罪して当然ではないかという文氏に対して、日本は天皇に謝らせる気は毛頭ないので、両国は互いに、心とこころが通じ合う真実な和解からはほど遠い状態にあります。

 その間にたって、日本と韓国、両国民の和解のための架け橋になりうるのが両国の教会であり在日の教会です。日本の教会は韓国の3・1精神を、その希求する独立、自由、平和、道義、平等、良心、真理といった価値の普遍性のゆえに受け入れ、自ら3・1の精神に立っていきてゆく可能性をあたえられている貴重な存在です。にもかかわらず、日本の教会は過去においても、現在でも残念ながらその可能性に十分目覚めているとはいいがたいのではないかと思います。ではどうしたら、日本の教会が3・Ⅰ精神を受け入れるようになれるのか、そのためには、単にそれが普遍的であることを認めるだけでなくて、さらに二つのことが必要であるとわたしは考えます。

 一つは、日本の教会が、韓国の民衆や教会と同じく、日本国家を支配する天皇制による抑圧のもとにあって、過去、苦しめられていた被害者であることを自覚し、今もそこからの解放と自由を求めて闘わなければならない存在であることに目を開かれて行くことです。
 そのためには、第二に、日本の教会が、天皇制の抑圧の下で自分たちよりもさらに大きな苦しみを受けていた韓国の教会や民衆の側に共に立とうとせず、その苦しみを見過ごしにしてきた過去の罪を神と人の前で悔い改めなければならないということです。その悔い改めは当然、今なお自分たちよりも日常的に人権を否定され、天皇制社会のもとで差別を受けている隣人とともに立つことにつながらなければなりません。

 ここで一つの文章、これもわたしの亡き兄、澤正彦の文章を引用させていただきたいと思います。「教会の他者性」と題した文章で彼はこう述べます。

「日本がいわゆる朝鮮伝道を行ったという時期に、朝鮮の礼拝堂は焼かれ、牧師、長老、伝道師は獄中で拷問を受け、教会員は礼拝する場所を失った。教会の礼拝の中に、いつのまにか、宮城遥拝、神棚が入って来た。
 このような事態は未だ自分の身に及ばずといえども、キリスト教徒なら誰でも理解でき、共感できる、怒りと悲しみの材料であった。日本の教会は、朝鮮の教会の毎日曜の礼拝が妨げられることを見過ごしにした。見過ごしにした事によって、自らの礼拝も不真実なものになった。隣の教会が自らの意思によらず、他の力によって礼拝が妨げられている状態を、たとえそれが一つでも二つでも多少に関わらず見過ごした瞬間から、その礼拝は偽りの礼拝になった。それはこの地上に見える教会の他にキリストの教会はなく、個々の教会はそれぞれキリストの身体につらなる肢体であるという信仰から当然引き出せる信仰である。『もしひとつの肢体が悩めば、他の肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ』(Ⅰコリント12・26)。

 ところで、105人事件、3・1運動、神社問題を通して、多くの教職者が逮捕され、裁判を受け、教会堂に石油がかけられて焼かれ、信徒が殺され、あらぬ神への礼拝を強制され、教会の信仰告白が曲げられて行った時、日本の教会は全く沈黙した。見知らぬ顔をしたわけではなかったであろうが、その一つ一つを自らのこととして決死の闘いをすることがなかった。一歩遅れ、二歩遅れるうちに、麻痺状態になり、朝鮮の教会が日本の力によって一つ二つと消えてゆくことに、何も感じなくなった。そればかりではない。他人事を装っていたことがわが身にふりかかってきた時、立って闘うときを逸した教会は自らの信仰告白を失い、形骸化した教会を守ることしかできなかった」

 わたしは、この文章をルカ福音書18章9節〜14節の「ファリサイ派と徴税人の祈りのたとえ」に重ね合わせて読みました。このたとえは、ファリサイ派の偽善と独善が、決して主イエスの弟子である教会と無縁ではないこと、わたしたちの教会の礼拝もまた偽りの礼拝になっていることがしばしばあること、それは歴史上、繰り返されて来たことをこのたとえは鏡のように映し出しています。
 たとえば、アフリカの奴隷貿易のためにガーナの海岸に築かれた要塞が今も残っていますが、そこを訪れて驚き、愕然とさせられることは、地下の奴隷を鎖につないでいた牢獄の真上に、プロテスタント教会の礼拝堂が築かれ、そこで神が礼拝されていたということです。そこで礼拝していたのはオランダの改革派教会でした。そのオランダ人の子孫は20世紀、南アフリカで悪名高いアパルトヘイト政策を神学的に支持していた教会です。

 ところで、日本の教会は、自分たちがいかに戦争中、迫害を受けたか、孤立の中で、それでも礼拝を一度も欠かさずに守り抜いたかを誇りとして来ました。特高の監視を受け、空襲警報の鳴り響く中で、それでも礼拝を死守して来たと言われています。けれども、日本の教会が戦争中も礼拝を守り続けたことをもって自己を正当化し、自己義認をはかることはできないと思うのです。なぜなら、その礼拝は偽りの礼拝だったからです。あのファリサイ派の祈りの中に、悲しみ嘆いて神に祈る徴税人のための執り成しの祈りははいっていませんでした。それは十字架上で「父よ、かれらを赦したまえ」と祈り、共に磔になった犯罪人のために祈られる主イエスの祈りとはほど遠い祈りです。日本の教会の祈りと礼拝も、悲しみ嘆く人を覚えて祈る主イエスの祈りとはほど遠い、具体的に韓国で苦しみ叫んでいた隣人を覚えることのない、独善的、偽善的礼拝だったのです。

 李仁夏先生の子息の李省展教授が、日本基督教団の成立を痛烈に批判している文章を最近読みました。それは李光洙という日帝時代の悲劇的人物についての講演の末尾に書かれた文章です。李光洙は3・1独立宣言の下地となった、それに先立って東京YMCAで読み上げられた2・8独立宣言の起草者であり、3・1と深い関わりのあった人ですが、のちに日帝に擦り寄り、節操をまげ、晩節を汚した、韓国人からは恥とされる「親日」の象徴的人物です。李教授は韓国がそのような人を生んだのは、日本による「皇民化政策」が原因であって、彼はその被害者でもあることを述べ、さらにこう続けます。少し長いですが、引用します。

「筆者は南総督着任から始まる『皇民化政策』は朝鮮人のみならず、総動員体制に組み込まれて行く日本人をもより強力に『皇民化』していったものと日頃考えている。それは、朝鮮に於いて統計的に神社参拝をする日本人が朝鮮人同様に増加していることからも言える。総動員体制下の日本におけるキリスト教会やキリスト教学校もまたこのこととは無関係ではなかった。
 長老はミッションスクールの神社参拝問題に見られる用に、植民地において『私学』としての自主的教育権が、国家権力により極端に規制されてゆく中で、帝国本土内では皇紀2千6百年の祝祭に動員され、キリスト教界も独自に青山学院で約2万人を集め、皇紀2千6百年奉祝全国基督伸と大会が40年10月に開催され、多くのキリスト者とキリスト教系の学校が参加し、『全基督教会合同を期す』と宣言したのであった。
 さまざまな団体の統合が『報国』という名の下に国家権力の圧力により推進されて行く中、キリスト教界では、この奉祝の信徒大会における教会合同宣言を経て、翌年には日本基督教団の設立が現実のものとなる。明治学院理事長でもあった富田満日本基督教団統理は、42年1月に伊勢神宮を参拝し、天照大神に教団設立を報告している。また奉祝信徒大会を経て、『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督信徒に送る書翰』が公にされるのであるが、その書翰では、完全なる『外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立』が謳われており、諸教派を打破して『一丸とする一国一教会』となったのは『世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実』であるとした上で、神の導きと、『天業翼賛の皇道倫理を身に体した』日本人キリスト者にして初めてなされたと述べている。このような帝国内の総力戦体制下の民衆を含めた大規模な思想動向は、植民地における『親日』や『転向』の問題に限定されるのではなく、改めて現代日本においてもより広範なアリーナで議論されなければならないのではなかろうか。」

 李光洙という韓国の生んだ優れた知識人が「親日」となり、「転向」したその悲劇に、李教授は日本のキリスト教会の変質を重ねて見ておられます。韓国人が李光洙から目を叛けたくなるように、日本基督教団の設立の歴史から日本のキリスト者は目をそむけたくなるかもしれません。しかし、今年の3・1記念日の文大統領の演説でも強調されていたように、「親日」の歴史の清算はまさに現代の、今日の韓国の課題であり、それと同様、日本基督教団設立の問題は、今日の日本のキリスト教会の緊急の課題です。

 かつて、日本の教会が天皇制支配に抵抗できず、かえってそれに擦り寄り、最終的には完全に天皇制と一体となった、その完成形が日本基督教団でした。その日本基督教団がいまなお現存しているという現実を直視しなければなりません。戦後、日本基督教団は戦争中、アジアの諸教会に対して「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督信徒に送る書翰」を送ったことを反省して、1967年に「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を表明して、アジアの諸教会に謝罪し、和解を求めました。しかし、その罪責告白において、戦争に対する反省はつぎのようになされていますが、すなわち「教団の名によってあの戦争を是認し、その勝利のために祈り、努めることを内外に表明しました」と告白しますが、教団設立それ自体については、こう言っています。「わたしたちはこの教団の成立と存続において、わたしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。」1967年の戦争責任告白においても、教団設立自体は「1941年6月24日くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって」日本基督教団が成立した(日本基督教団教憲前文)との立場が保持されています。教団設立それ自体に対する悔い改めと罪の告白はありません。このことが、今日でも、天皇制が国家と社会を支配している中で、教会がその支配に抵抗しようとしない罪と弱さにつながっているのではないでしょうか。そして、天皇制の問題に関わろうとせず、天皇制の支配に抵抗することもない教会とその礼拝は、天皇制の支配に脅え、また天皇制の支配からの自由と解放を叫ぶ民衆、キリスト者、教会が
脅迫されるのを見過ごしにすることによって、神のまえに偽りの礼拝となっていることを、わたしたちは知るべきであると思います。

 わたし自身は1951 年に、教団合同の歴史を悔い改めて、教団を離脱し、新しい信仰告白共同体の形成を目指すべく出発した日本キリスト教会の志を継承しようとする者の一人ですが、その日本キリスト教会にあっても、天皇制支配に対して抵抗しようとせず、天皇制の問題は信仰の問題ではないと考える考えが依然として強いのではないか、それを神学的に掘り下げて、闘う教会となって行くための課題は今なお大きいことを覚えています。

 わたしはこの講演の副題を「み国を来らせ給え」としました。わたしたちが祈り求めている神の国とは何でしょうか。それは終わりの日、終末的な、未来のことでしょうか。主イエスはルカによる福音書17章21節で「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と言われました。
 イエス・キリストは復活され、天に昇られ、全能の父なる神の右の座にあって、天においても地においても一切の権威を授かっておいでになります。その主が「見よ、世の終わりまでわたしはあなたたちと共にいる」と約束された、その主の現臨の約束は、「二人、または三人がわたしの名によって集まるところにわたしもいる」との礼拝における主の現臨の約束に結びついています。この礼拝の主イエス・キリストの現臨をもたらす、「二人、または三人が主の名によって集まる」とはどういうことでしょうか。それはいと小さい者の叫びに耳を傾け、その祈りを父なる神に執り成されるイエス・キリストにならって、わたしたちが互いの声と叫びに耳を傾け、とりわけ小さくされている人、幼子、乳飲み子、孤児、寡婦、寄留の外国人のために祈り、その人たちの叫びをともに叫び祈る、それが主イエスの名によって二人、三人が集まるということです。礼拝に集まっている者の間でそのことがなされない、そのような関係がわたしたちの間に存在しない礼拝は、たとえ、何千人、何万人が集まっていても、そこにイエス・キリストが臨在されない礼拝です。そして、大祭司イエス・キリストがそこで祈っておられない礼拝は礼拝ではないのです。イエス・キリストはご自分の兄弟であるいと小さい者のひとりと共におられるのに、その小さい者を見下し、軽んじ、無視する礼拝にキリストはいまさないからです。

 戦争中の日本の教会の礼拝はそのいみで礼拝でなかったといわなければなりません。教会を守ったかもしれませんが、主は自分の命を守ろうとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者がそれを救うと言われたのです。自己保存を図るだけの教会は、教会としての命を失っている教会なのです。わたしたちは、今こそ、過去の歴史を鏡として自らを顧みて悔い改めたいと思います。

 天皇制に反対の声を上げない教会、声を上げることによって日本社会から孤立し、そこで生きて行けなくなることを恐れて沈黙する教会は、みずからを守ったとしても、命を失います。天皇が人間であるのに、人間としての責任を負わないことをおかしいと言わない。言えば命を狙われる。それで沈黙してしまう。そもそも、人間でしかない天皇を人間以上の神に近い存在、否、現人神とする思想に反対の声を教会が挙げないことは間違いです。本当の人間らしい人間であること、思想、信仰の自由、職業選択の自由、基本的人権を保障された人間であることが許されないひとを、日本の象徴としている憲法は改正すべです。それゆえ、普通の人間であるかどうか曖昧な存在である天皇が、神と人の前で自分の罪を公に認め、謝罪できない制度、謝罪させない天皇制という制度がおかしいことを、おかしいと言わないで、このようなおかしさを、自分には関係のないことといって黙って見過ごしにする信仰はまことの信仰なのでしょうか。教会は上に立つ権威のために執り成して祈ることを神から命じられています。この執り成しの祈りを上に立つ権威としての天皇のためにもささげるなら、わたしたちは、いまの憲法の定める象徴天皇制も、もっと人間らしい、もっと正しく、世界の全ての人に開かれた、普遍性のある制度に変えてくださいと神に祈るべきであると思います。

 神はイエス・キリストをすべての権威にまさる権威としてたて、そのお方を教会の頭としてたててくださいました、教会はその主のみ言葉と聖霊によるご支配に服従し、み言葉を、聖霊による「パレーシア」をもって、大胆に、臆することなく、誰をもはばかることなく、宣べ伝えます。パウロは言います。「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」(2テモテ2:9)これがキリストにおける神の国の一翼です。そして、もう一つ、神は地上に政治的権威を立てて、彼らを通して統治されます。かれらはローマの信徒への手紙13章にあるように、神に仕える神の僕です。彼らは、わたしたちの国の天皇が異教的権威であるように、パウロが服従を勧めているローマ皇帝もまた異教的権威でした。しかし、その異教的権威が神の僕として、神に仕えるのは、教会がみ言葉の宣教によって仕えている教会の主イエス・キリストが政治的権威に対しても主権を持っておいでになり、指導者たち権威を持って支配するその政治的領域に於いても主の戒めに従い、神に仕えて行くよう教会がはっきりと神の戒めを指導者に対して語り、あるときには警告し、かれらのために祈ることによってなのです。
 わたしが祈り求める神の国、神の支配は、イエス・キリストが主としてこの世界を支配されるために、教会と国家が正しくそのつとめを果たす秩序なのです。

 1919年3月、万歳独立運動が澎湃として韓国全土をおおったとき、韓国のキリスト者は韓国人口の1%だったと言われています。でもその少数のキリスト者がパン種のように、韓国全体が神の国にむけて立ち上がるうえで働いたのではないでしょうか。パン種がなければパンはふくれないように、神の国の到来に向けて、少数の韓国キリスト者は欠くことのできないパン種として用いられることが許された、それが3・1の歴史です。その歴史はわたしたちに限りない勇気と希望を与えてくれるのです。
 主よ、みくにを来らせてください。この国に、東アジアに、全世界に!



大韓イエス教長老会(合同派)3・1百周年記念礼拝における挨拶

2019年2月24日
ソウル西大門教会

日本キリスト教会九州中会議長 澤 正幸

3・1の百周年を記念する礼拝にお招きをいただき、日本の牧師としてここでみなさんに挨拶する機会をあたえていただいたことを、神様とみなさまに感謝します。
3・1独立運動が大きな犠牲を伴ったこと、日本の軍隊による鎮圧の犠牲となって7千5百名の方々が殺され、2万人の人が逮捕され、獄につながれたことを思う時、日本人であるわたしの心は、痛みと悲しみで一杯になります。
日本が36年間、韓国朝鮮を植民地支配した歴史、そこで犯された略奪と蛮行の数々、韓国の方々の魂と誇りを傷つけた侮辱の数々を知ろうとしない日本人、その歴史に目を閉ざしている日本人のあまりに多いことを、悲しみをもって覚えます。

今、韓国の国会議長の方が、従軍慰安婦のハルモニに対して、日本の首相や天皇から心からの謝罪があって当然であると発言されたことに対して、日本政府は、謝罪を拒み、かえって反発し、国会議長の方が発言を撤回し、謝罪することを要求しています。
もし、ドイツ政府と、ドイツ国民が、第二次世界大戦においてヒトラーのナチスドイツが行った犯罪の数々について、謝罪を拒んだなら、世界に受け入れられるはずはありません。それなのに、どうして、日本政府が、また日本国の象徴である天皇が、韓国朝鮮に対して犯した罪について謝罪しようとしないのか、謝罪できないのか。謝罪を拒んだまま、アジアにおいて、世界において正しい、国、正しい国民として受け入れられることができるでしょうか。

日本の国が、その政府が、また日本の象徴である天皇が、歴史の審判者であられる神様の前に、歴史の事実を直視する勇気を持ち、罪を認め、謝罪し、和解を求めるようになることを、日本のキリスト教会は祈り、願っています。
しかし、みなさんは、日本のキリスト教徒の数が人口のわずか1%にも満たないことをご存知であられるでしょうか。
日本において絶対的な少数者であるキリスト教会が、日本の国と、日本国民を変えて行く上で、あまりに小さく、弱く、影響力をもてないとしても、わたしたちは、今日、百年前、朝鮮の独立をもとめて叫びを挙げた人々の頭上を覆っていた暗闇の深さは、今、わたしたち日本の教会を覆っている闇の深さよりももっと、暗く、深かったことを思います。にもかかわらず、百年前、韓国朝鮮の人々が、その深く、絶望的な闇の向こうに希望の夜明けと、朝を待ち望んで立ち上がったこと、独立万歳を叫んで立ち上がったことを思って、わたしたち日本のキリスト者も、信仰と希望と愛を持って立ち上がりたいと思います。
そして、3・1独立運動の精神が、決して空しくなく、平和と自由をこの世界にもたらされる神様の歴史支配と摂理に沿うことが、この百年の歴史を通して示されていることから勇気を与えられたいと思います。
それゆえに、3・1百周年のこのとき、みなさんと共に、この東アジアに真実な主なる神による和解と平和、愛と喜び、神への賛美が満ちるときを目指したいと思います。「み国を来らせ

2019年3月25日月曜日

発題ー3・1運動とは何であったのか


発題内容 3・1運動とは何であったのか

発題者 崔 勝久(チェ・スング) 日韓・韓日反核平和連帯 事務局長
日時 2019年3月24日
場所 日本キリスト教会横浜長老教会

発題趣旨
1)自己紹介 
・1945年大阪生まれ
・在日の朴鐘碩(パク・チョンソク)の日立との民族差別闘争を支援
・国際基督教大学(ICU)卒業
・故李仁夏(リ・インハ)牧師と共に川崎の社会福祉法人青丘社主事として国籍条項撤廃    運動に関わる(児童手当など)
・鄭香均(チョン・ヒャンギュン)の東京都の国籍任用差別裁判に関わる
・福島事故以降、原発メーカーの日立・東芝・GEを提訴(原発メーカー訴訟)
・日韓・韓日反核平和連帯 事務局長
・2018年9月 建国70周年で共和国を訪れ父の遺骨を散骨
・3・1運動100周年記念に日本から62名参加

2)日本は植民地支配の清算をしたのか
①「当然の法理」について
参照:「外国人へ「門戸の開放」を実現した「川崎方式」の検証ー多文化共生を考えるー」   https://oklos-che.blogspot.com/2016/08/blog-post_22.html

「当然の法理」は1953年、日本の独立直後の日本籍を喪失した外国籍公務員(台湾人、朝鮮人)の処遇に対する内閣法制局の見解です。「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには日本国籍を必要とする」、これが今日に至るまで全ての地方自治体が従う基準になっています。

②朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問して
・北側から見た板門店ー在日米軍は核兵器所有をしているのか。
・日朝平壌宣言 
   https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html

小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002917日、平壌で出会い会談を行った。
 両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

③韓国大邸(テグ)で出会った高校生
・崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士の発言
・立ち上がった高校生から学ぶ
参照:「3・1運動100周年で出会った韓国の高校生から学ぼう!」
    http://oklos-che.blogspot.com/2019/03/blog-post_23.html

国債報償運動とは1907221日、日本からの借款を韓国の国民自ら返済するために起こった経済主権守護運動である。この日、大東広文会(大邱広文社文会)を中心に、大邱民議所(現大邱商工会議所)が北後亭で大邱郡民大会を開催し、国債報償運動趣旨書を朗読することを起点にして全国的に拡散した。http://www.gukchae.com/jap/
参照:伊藤博文を暗殺した安重根から学ぶ韓国の高校生
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8D%E6%A0%B9

3)最後にーこれから100年、日韓の関係はどのようになるのか
 ・東洋の平和構築への貢献
 ・国債連帯運動の構築


参考資料
(1)3・1運動100周年で出会った韓国の高校生から学ぼう!
(2)ソウルでの3・1運動100周年に参加してーその
(3)Welcome to Seoul3・1運動100周年記念集会
(4)日本企業に植民地時代の賃金未払いの支払いを命じた韓国最高裁判決の意味ー崔鳳泰弁護士
(5)原爆被害者支援と反核平和運動を提案 ー 承 茂(韓日反核平和連帶)  https://oklos-che.blogspot.com/2019/02/blog-post.html
(6)3・1以降の日本社会の問題についてーアジアとの関連において
(7) 3.1独立運動100年宣言を東アジア大平和憲章にー金容福
https://oklos-che.blogspot.com/2019/02/31100.html
(8)鄭香均編著『正義なき国、「当然の法理」を問い続けて』(2006、明石書店)
2011年以降 累計60万人の読者
・崔勝久「「共生の街」川崎を問う」 上野千鶴子、朴鐘碩他共著『日本における多文化共生とはなにか』(2008年、新曜社)
・「東日本大震災を「在日」としてどのように捉えるのかー地域変革の当事者として」 鈴木江里子編著『東日本大震災ト外国人移住者たち』(2012年 明石書店)
「原発体制と多文化共生」(西川長夫編著『戦後史再考』 新曜社)
・「人権の実現ー『在日』の立場から」(斎藤純一編『講座 人権論の再定位』(法律文化社)
個からの出発
「歪められた民族観」(「思想の科学」思想の科学社発行)1976年3月号
・「地域の変革と国際連帯の運動によって日本をよりよい社会へ」 「社会運動」 2013年398号

・「植民地主義に抗する国際連帯を地域から」 『部落解放』2013年 
676号、677号
・「在日朝鮮人に対する同化教育についての考察―解放後における大阪を中心に―」日立就職差別裁判資料集NO2 1972年6月10
・韓国ハンギョレ位新聞「原発メーカー訴訟は資本主義の核心に触れる」
http://oklos-che.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html
・原発メーカーの責任を問うた「在日」の考察(『緑色評論』、韓国)
国際連帯と地域の民主化は同じ根ー川崎の実例は全国の先駆け
・日立が原発をつくり続けるのはなぜかー民族差別についての公式謝罪文書を手掛かりにして



2019年3月23日土曜日

3・1運動100周年で出会った韓国の高校生から学ぼう!

今年は朝鮮の3・1運動100周年にあたる年で、私たちは日本から62名がソウルでの大集会に参加しました。

それは一つのセレモニーでしたが、私はそこに現在の南北朝鮮の分断と在日の一人ひとりの現状に至る歴史の流れを強く意識しました。

しかし今回のプロジェクトはソウルでの大きな行事の参加にとどまらず、私たちは3月2-4日、
韓国第3の都市で最も保守的な地方で生起している、最も革新的な出来事を目にしました。 それはひとつは、植民地支配の清算ができていないことを日本政府や企業に求めるだけでなく、韓国政府の不作為を提訴し勝利してきた崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士のお話を伺ったことです。そしてもう一つは、崔弁護士が支援している大邸の高校生の生の声を聞けたことでした。 

崔弁護士は、慰安婦問題や徴用工訴訟にも関わり、植民地時代に抑圧、差別を受け人権を蹂躙されたまま放置され続けてきた韓国人被害者の立場から20年にわたる活動の末、韓国の最高裁(大法院)で勝利を勝ち取った人物です。

崔弁護士は交流会の席では、自分の業績を誇らず、そのような裁判闘争における勝利は、これまで地道に日本において闘っきた日本の市民から学んだからできたことだと感謝の気持ちを率直に述べられました。韓国の最高裁で勝利したといっても、日本政府は徴用工問題一つとっても韓国政府の対応を公的に批判する始末です。慰安婦問題、徴用工問題、韓国人被爆者問題など、当事者が納得できる状況にするためにはこれから多くのことをしていかなければならないと思います。


左の写真は大邸で立ち上がり「国債報酬運動の精神を引き継ぎ、第2回目平和連帯、歩く大会ーひとつになった南北のために」を進めている高校生の写真です。しかしその隣に写っている女性に注目ください。彼女こそ、大邸では、いや、韓国全土でハルモニ(おばあさん)と愛されている元従軍慰安婦のイ・ヨンス ハルモニです。
安重根の精神から学ぼうとする韓国の高校生はしっかりと革命の伝統を引き継いでおり、その闘いは同じ大邸住民のイ・ヨンス ハルモニともしっかりとつながっているのです。

「国債報償運動」とは、日清戦争以降、大韓帝国政府が荷品から巨額の借款を受け入れて近代化を進めようとしたので、国民の自主的な募金活動によって、日本からの借金を返済し、ひいては経済的独立を守ろうとした運動です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%82%B5%E5%A0%B1%E5%84%9F%E9%81%8B%E5%8B%95

大邱の高校生は、李承晩大統領を倒すべく最初に立ち上がった伝統を持ちます。彼らはマンハッタンで大集会を成功させたアメリカの高校生とも連帯しようとしています。素晴らしい!私は彼らを支援するし、彼らから学びたいと強く願います。


2019年3月6日水曜日

ソウルでの3・1運動100周年に参加して


2月28日から3月4日まで4泊5日のハードなスケジュールでしたが、日本から62名の仲間ととともにソウルの光化門広場で行われた、3・1運動100周年記念の大祭典に参加してきました。


3月2-4日は、ソウルに残った30名が38度線に近いイムジン河周辺の実態を見た後、大邱を訪れ、植民地時代の精算の問題を裁判で取り上げ勝利判決を勝ち取ってきた崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士のお話を伺うことができました。



チェ弁護士がその勝利は地道な裁判をし続けてきた日本の人から学んだからできたと感謝の言葉を述べらたことも忘れることはできません。

イ・ヨンス・ハルモニ、そして大邱での闘いの伝統を継ごうとする女子高校生との交流会をもつことができました。溌剌とした高校生が、勉学と両立させる原動力は何かと尋ねられ、「愛国心」だと応えたことも、韓国の苦難の歴史の伝統を継ぐものだと考えさせられました。




翌日はハムチョンに住む韓国人被爆者との交流会を持ちました。
18歳まで日本で生まれ育った被爆者のハルモニが朴保(パク・ポ)の歌に涙を流しながらも、自分はそのまま日本で住みたかったという言葉の重みに、私はただただハルモニの手を握りることしかできませんでした。




在日歌手の李政美(イ・ジョンミ)と朴保(パク・ポ)は自費で参加し、魂を揺れ動かす歌を披露して多くの人々に感動を与えてくれました。お二人には心からの感謝を申し上げます。

特に、パク・ポは最後まで私たちの企画に参加してくれ、自分の在日として生きてきた思い、アメリカでの生活についてを朝方まで語ってくれました。
私はパク・ポのアーテイストとしての原点に触れた思いで、彼の歌の歌詞、彼の人生に深い共感を覚えました。朴保とすべての段取りをしてくれたマネージャの池(チ)さんに感謝いたします。

何よりも今回の韓国での3・1運動100周年に各地から参加してくださった62名の皆さんに心からお礼をいたします。ここで共に学び、共に感動したことを心に秘め、また新たな地平を切り開くべく皆さんと共に歩みたいと願います。

2019年2月27日水曜日

3・1以降の日本社会の問題についてーアジアとの関連においてーー武市一成


3・1以降の日本社会の問題についてーアジアとの関連において

武市一成
 
 20192月現在、日本の朝鮮半島植民地支配の責任を、加害と収奪という歴史的事実に立って追及している象徴的な存在がふたつある。ひとつは、就学支援金の支給対象から、朝鮮民主主義人民共和国との外交関係を理由に、朝鮮学校を外していることに対して、毎週金曜日に東京の文部科学省前で抗議活動を展開している朝鮮学校の生徒たちである(文科省前金曜行動)。生徒たちは、日本政府を相手取った民事裁判の原告でもある。もうひとつは、ソウル日本大使館前の「平和の碑(少女像)」の横にテントを張り抗議の意思を表明する韓国の大学生たちである。

 前者は、2010年に開始された「高校無償化制度」から、20122月に朝鮮学校が排除されたことを受けて、朝鮮大学校の学生たちが20135月に始めたもので、201812月で250回を数えている。後者は、20151228日に、日本政府と大韓民国政府の間で交わされた「12.28日韓慰安婦合意」において、日本政府が「平和の碑」の撤去を要求したことを受けて、これを守るために韓国の大学生有志が集まり、『日本軍性奴隷制問題への謝罪賠償と売国的な韓・日合意の廃棄に向けた大学生の共同行動』としてテント内での座り込みによる抵抗を始めたものであって、これは昼夜交代で毎日行われ、今日も続いている。「平和の碑」を守るというのは、象徴的な意味においてであって、実質この活動は、日本の朝鮮半島の植民地支配を糾弾するという意味合いを持ち、事実、現在では『反安倍反日青年学生共同行動』と名前を変えて、「『戦争ができる日本』のために平和憲法を戦争憲法へと露骨に改正しようとしている」安倍政権に反対する行動を展開している。

 これら両者の間にはいくつかの共通項が存在している。それは、運動の担い手が外国人-日本人の私から見れば-であり、学生であるということ。そして、いずれも、同様の運動を縦横に広げていく拠点としての持続性と求心力を持っている。さらに、両者が、糾弾の声を、それぞれ文部科学省と日本大使館という公権力に向かって突きつけていることは、植民地支配の責任を負う主体が国家である以上、当然のことである。大学講師として教壇に立つ日本人である私は、外国人と学生によって担われているこれらの行動を、真剣に受け取らざるを得ない立場にある。なぜなら、日本国内において、日本の侵略責任と植民地主義を、公権力に向かって指弾する日本人の動きは、まことに脆弱だからである。

 まず、12.28日韓慰安婦合意」(以下「合意」)が発表されたその日から、日本のメディアは、新聞もテレビも、まるで事前の打ち合わせがあったかのように、199384日の「河野談話」よりも格段に後退した内容であり、事実上日本の植民地支配の問題を不問に付すものと言っても過言ではない「合意」の履行を韓国政府に迫る報道を一切にはじめ、これを批判したり、異論を唱えたりする言論は、大手商業メディアから一切消えて、野党も、「合意」を前提とした元日本軍「慰安婦」問題の解決を主張し始めたのである。「合意」の内容を批判する議論は、私の知る限りでは、私自身の「韓国の少女像撤去には反対」というタイトルの投書が『東京新聞』に掲載された2017111日まで、日本の商業メディアには現れなかったと考えられる。

 「合意」の履行を迫る際に、日本メディアに共通して見られた論調は、「北朝鮮の問題で、日韓が一致団結しなければいけないこの時に、日本との協調を乱すような行為は許されない」という一点に集約されていた。日本メディアのそうした論調は、戦時強制動員(徴用工)の賠償に関する韓国の大法院判決について論じる際にも維持されているが、その際、日本メディアは、韓国と朝鮮民主主義人民共和国との間に結ばれた板門店宣言(2018427日)と平壌共同宣言(2018919日)、及び米朝首脳合意(2018612日)について、まるでそれらが存在していないかのように、全く言及せず、その態度は現在も継続している。さらに、2017年に、朝鮮民主主義人民共和国がミサイル発射実験を頻繁に行い、米朝間の緊張が高まった時には、有事における、韓国からの邦人退避についての議論が、大手メディアによって公然となされ、アメリカによる軍事攻撃の時期を予想する議論が、外務省発行の『外交』誌上にも登場するなど、まるでアメリカによる軍事攻撃を期待するかのような雰囲気さえ醸成された。このような状況を背景に、朝鮮学校差別を巡る一連の裁判も、2017728日に、大阪朝鮮学園が大阪地裁判決において勝利した以外は、これまで全て敗訴となっている。

 以上のことは、一体何を意味しているのであろうか。かつて、日本は、朝鮮半島を植民地化することにより、韓国/朝鮮という存在を抹消しようとしたのであるが、その意識は日本人によって深く内面化され、1945年の敗戦以降も維持されて、今日まで来ていると考えなくてはならない。現在、日本社会が、官民を挙げてやっているのは、日本の植民地支配の痕跡を消すということである。それは、日本の朝鮮半島の植民地支配の責任を、韓国や朝鮮民主主義人民共和国が問題にすることは、いかなる形においても許されないという態度であり、この一点において、日本のメディアは、保守もリベラルも完全に一致している。従って、「平和の碑」は、日本の植民地支配の責任を象徴的に表すものであるがゆえに、その存在自体が許されず、撤去されなくてはならないというのが彼らの論理であり、大阪市の吉村洋文市長は、「合意」ですら言及していない、サンフランシスコの「像」の撤去まで要求し、要求が受け入れられないことをもって、同市との姉妹都市関係を一方的に解消するまでにいたっている。

 これらのことは、結局のところ、日本で「戦後民主主義」と呼ばれるところのものが、何を意味しているのかを示して余りあるものである。日本は、195198日にサンフランシスコ講和条約に署名し、翌1952428日に対日平和条約が発効し、いわゆる国際社会への復帰を果たすが、それと同時に、日本にアメリカ軍の駐留を認める「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」も発効し、沖縄は日本から分離されて米軍の直接統治下に置かれ、1972 515日の返還後も、沖縄は、日米の戦略拠点として軍事要塞化されて今日にいたっている。

また、1947年の外国人登録令を経て、1952419日の法務省人事局長通達「平和条約発効にともなう国籍及び戸籍事務の取扱について」により、在日朝鮮人は、対日平和条約の発効と同時に外国人としてあつかわれることが決定した。さらに、朝鮮戦争において、日本は「国連軍」の後方基地としての役割を担い、事実上朝鮮戦争に参戦し、結果「朝鮮特需」と呼ばれる好景気が日本にもたらされ、戦後の不況に呻吟していた日本経済が高度経済成長の波に乗ることが出来たのは周知のところである。朝鮮半島が冷戦構造の中で分断されることによって、日本は、西側反共陣営の一角として、大韓民国と、政治的妥協の産物である日韓基本条約により、賠償ではなく、経済協力金の拠出をもって国交を結び、朝鮮民主主義人民共和国とは国交を結ばなかった。結果、日本は、植民地支配の責任をとる機会を得ず今日に至っているが、その無反省な態度は、強制動員の結果として生じた在韓被爆者にたいする40億円の支払いを、賠償ではなく「人道支援」という名目で行い、「合意」にもとづき設立された「和解・癒し財団」に10億円のみ拠出し、韓国に丸投げするなどという上から目線の態度に一貫して現れている。また、日本政府は、在日朝鮮人を管理するにあたり、朝鮮半島の分断状況を最大限に活用してきたが、朝鮮学校への弾圧などは、その最もたるもののひとつである。

 このように、朝鮮半島の分断状態は、日本の「戦後民主主義」を規定する重要な要素であり、その構造が失われるのは、日本の権力層には死活的な意味を持ちうる。「合意」以降の展開が明らかにしたものは、いわゆるリベラルと言われるような言論人やメディアも、この構造の受益者であったと言う事実である。そして、そのようなリベラル言論人やメディアが盛んに持ち出したのが、「和解」というテーゼである。それは、日韓国交正常化40周年の2005年に『朝日新聞』が出した次のような社説に如実に表れている。

 「未来に向けて、日本は過去の歴史に謙虚でなければならない。韓国の人々の痛みを思う想像力が大切だ。韓国も、過去の被害ばかりを振りかざさない寛容さがほしい。『東アジア共同体』という夢や北朝鮮という不安、中国の台頭などにどう向き合っていくか。日韓が力を合わせてあたるべき課題は多い。このアジアで最も手を組みやすいのは日本と韓国のはずだ。民主主義や市場経済という価値を共有し、社会の発展レベルも似ている。文化の近さもある。それをうまく生かさない手はない。」

この社説に見えるのは、日本人がなすべきは、精々「韓国の人々の痛みを思う想像力」を持つにとどまるのであり、「過去の被害ばかりを振りかざさない寛容さ」を持てと、被害者に歩み寄りを要求さえする、謙虚からほど遠い姿勢である。結局、「合意」以降、私たちが目にしている状況は、この延長線上にあるものであり、さらに言えば、それは1952年にさかのぼるものだと言える。

 「戦後民主主義」は、日本という国のA面、すなわち公定の「戦後史」であって、朝鮮半島の植民地支配をはじめとした、日本の侵略責任を隠蔽することによって成立してきたものである。そうである以上、日本の教育現場やメディア空間で語られるのも、もっぱらA面の歴史になるのは必然である。従って、隠されたB面を可視化し、学ぶ側に提示することが、今後、日本の教育者が取り組み、実践すべき事柄である。
 冒頭の議論に立ち返れば、現在日本の植民地主義の問題を公権力に突き付けている主体が、何ゆえ朝鮮学校の生徒たちであり、韓国の大学生であるのかと言えば、両者が「戦後民主主義」のA面に隠された部分を知っている存在であり、声を上げなければ、彼らの存在自体が脅かされるような状況が、現在の日本社会に現出しつつあるからである。従って、彼らの運動に、今後、どれだけの日本人が、自分たちを重ね合わせて繋がっていけるかに、東アジアの平和的な共存の可能性がかかっていると言える。

201923



2019年2月26日火曜日

3.1独立運動の100年、韓日中市民フォーラムへの参加案内

3・1運動100周年を記念する韓日中のフォーラムが韓国で開かれます。内容が確定しましたので、事前にお知らせいたします。 崔 勝久

3.1独立運動の100年、韓日中市民フォーラムへの参加案内

趣旨:ろうそく市民革命で文在寅(ムン·ジェイン)政府が発足した後、4·27板門店宣言と米朝会談で韓半島と周辺情勢が急変している。 1919年の3·1運動と5.4運動(1950年)の100年を迎え、韓半島と日本,中国,周辺国の民主主義と平和を愛する人々が出会う機会を設ける。
討論と国民大会への参加、歴史現場の訪問と交流の機会を作り、韓中日市民の相互理解のための機会になるだろう。
3.1運動は100年前の東京2.8宣言で、4月末まで満州と沿海州などで行われた。 民族自主だけでなく、民主主義とアジア平和の世界市民に進もうとした。

日時 : 2019年2月28日 - 3月2日
場所: ソウルユースホステル(http://seoulyh.go.kr/about/map/南山·宿舎と講堂)
行事: 国際フォーラム+参加者交流会+3.1運動100年行事と国民大会+平和旅行参加。
韓国近現代史記念空間とDMZ(臨津閣または板門店) -希望者中心に進行
* 2月28日お昼に到着。 28日前夜祭/ 3月1日午前討論/会議宣言文採択。 午後国民大会と3月2日の歴史と平和ツアー

主催:アジア平和市民ネットワーク / 日韓反核平和連帯
主館:行事準備委員会(連絡010-3819-7219)
後援:3.1運動100周年国民大会準備委



3.1独立運動100年、アジア平和フォーラム、ツアー詳細日程

2月28日
-12時: 仁川空港到着の南山ユースホステル(YH)に移動
-午後2時: アジア平和フォーラム午後6-8時、食事と交流会/宿舎の南山ユースホステル
02-319-1375ソウル中区退溪路(チュング·テゲロ)26街道6。

3月1日
-午前9時: 討論会の結論と整理。
(希望者は韓国キリスト教会の3・1連合礼拝に出席)
-中食後国民大会行事場所に移動。
-午後7時: 世代と国境を越え - 老年、壮年、青年世代間の交流会

3月2日
-午前9時: ソウルYH出発の臨津閣(イムジンガク)とDMZ訪問中、大邱に移動。
-午後6時: 日韓市民交流会 - 3.1運動 1百年、アジア平和と韓日市民の役割:パボテント(大邱驛ニューグランドホテル周辺) / 宿舎ニューグランドホテルNew Grand Hotel:46、Chilseongnam-ro 38-gil,、Buk-gu,、Daegu。 053-424-4114)

3 月 3 日
-午前 9 時: 陜川に移動原爆被害者福祉館に到着。 慰霊閣(ウィリョンガク)原爆資料館、福祉館内の生活館訪問者との公演...。
-中食後: 陜川平和の家を訪問。 釜山へ移動 国立強制動員歴史館 UN 軍墓地訪問後宿舎に移動。
- 後 6 時、夕食と交流会
宿舎ユートピア観光ホテル Utopia Hotel 釜山水営区舞鶴路(スヨング·ムハクロ)9 番路133. 051-757-1100

3 月 4 日
-自由時間と金海空港に移動



3.1独立運動の100年、韓日中市民フォーラム

主題:3.1運動100年とアジア平和
日時 : 2019年2月28日(木)午後2時 - 6時
場所:ソウルユースホステルの宿舎と講堂

司会:全基鎬(チョン·ギホ)統一連帯実行委員
歓迎の辞:イ·デス(アジア平和市民ネットワーク代表)
挨拶: 木村松一(3·1運動100周年日本訪韓団代表/日韓反核平和連帯)
発表1: 3.1運動とロウソク革命,アジア平和のための韓·中·日共同体·金容福(キム·ヨンボク)アジア太平洋生命研究院/ p. 4
参照:http://oklos-che.blogspot.com/2019/02/31100.html

発表2: 中国での3.13運動と記念事業-張京律(チャン·ギョンリュル)論説委員。 三綱フォーラム共同代表)/ p. 11
参照:https://oklos-che.blogspot.com/2019/02/313313.html

発表3: 戦後日本民主主義と平和の実像 - 武市一成大学の歴史社会学 講師/ p. 21
イシュー1:絵本作家の目で見たアジアの中の日本-田島伸二/ p. 26
イシュー2:原爆被害者支援と反核平和運動提案-李承茂(イ·スンム)韓国代表/p.
参照:

原爆被害者支援と反核平和運動を提案 ー李 承 茂(韓日反核平和連帶)