2016年12月6日火曜日

原発メーカー訴訟原告団・弁護団通信への見解ー朴鐘碩「訴訟の会」事務局長

原発メーカー訴訟の会の朴鐘碩事務局長から、原告団・弁護団通信に対する見解が出されました。通信の中身は「本人訴訟団」や「訴訟の会」を敵対視する内容で、偽りの情報が流されているからです。
9月27日には同事務局長から公開の質問状もだされていますが、無回答です。
なお、原発メーカー訴訟の「混乱」の真実を知りたい人は、島弁護士を提訴した訴状をお読みください。http://oklos-che.blogspot.jp/2016/08/81.html

日頃、皆様からのご支援、協力に感謝申し上げます。
原告団・弁護団通信(第10号 2016.11.30)が、発行されました。
通信は、誤解を与える内容となっていますので、事務局長としての見解を明確にします。
1.「訴訟の会事務局は裁判支援活動を一切せず、「本人訴訟団」の主張にのみ従う組織になってなってしまいました」(「通信」P2)とありますが、「訴訟の会」は弁護団と「本人訴訟団」の両方を支持、支援する立場を表明しています。
弁護団に年間60万円の支援金を予算計上しましたが、弁護団は、訴訟の会事務局と一切話し合いをしない、としてその受け取りを拒否しています。
2.「総会議案書サマリ-」の第3号議案
「訴訟の会事務局は、・・・返答なし」と書かれていますが、これは明らかに虚偽を書いています。
訴訟の会事務局は、2016年6月16日久保田明人弁護士に会計資料を公開しました。
その後、久保田弁護士から質問を受け、8月15日領収書などの資料を提示し明確に回答しています。
また、「事務局関係者が・・会から収入を得てるいるのは倫理的に許されません」と書かれていますが、会計担当および事務所費用の支出として、当時の大久保徹夫会計担当の時から決めていた内容です。この詳細も2016年8月15日、久保田明人弁護士への回答に明記しています。
3、「控訴委任状の提出依頼について」(「通信」P2)
3・1東京高裁は、「弁護士の代理権を明確にするために」「控訴委任状の提出を求めています」と書かれていますが、高裁は弁護団にいつそのような要請をしたのでしょうか?弁護団は、明確に説明していません。
3・2高裁の処置に備えて事前に「控訴審の委任状の提出をお願いしました」とありますが、原告への依頼は、その委任状がなければ控訴できないという内容です。もしそうであれば、約4千名の控訴委任状が必要であり、596名の原告数では、控訴審を進めることはできません。
3・3弁護団は、1審の時の訴訟委任状をそのまま使用して控訴しました。
3・1が本当であれば、訴訟委任状は「審議に入るための確認」と記載されていなければならないのに、新たな訴訟委任状の内容は地裁提出(1審)時と全く変わってい
ません。
尚、2016年9月27日、弁護団に控訴委任状について公開質問状(添付) 提出しましたが、弁護団から回答ありません。
今後とも、皆さんのご理解・支援・協力よろしくお願いします。
原発メ-カ訴訟の会・事務局長 朴鐘碩


原発メーカー訴訟原告団・弁護団  御中

              公 開 質 問 状
2016927
原発メーカー訴訟の会・事務局長 朴鐘碩

弁護団が控訴状を提出されたことをHPで知りました。控訴理由書はまだ拝見していませんが、東京地方裁判所の第一審は「原告唯野ら及び選定当事者らの請求をいずれも棄却する」という判決でした。その判決に対して「不服であるから控訴を提起」されるわけですから、私たちは原発メーカーの責任を法廷の場で追及し、その責任を明らかにすることを共通の目的にしており、みなさんの控訴理由書をよく学ばせていただき、私たちの裁判においてもその主張を活かしていきたいと考えております。私たちの控訴理由書をお送りします。原告弁護団と本人訴訟団とが共通して反論することになる部分も多々あり、その法理論において相互に補完・協力し合い、よりよい主張をできることを願っております。

この公開質問状は、今回の控訴人の確定方法についてみなさんがHPでこれまで公開されていた、新たに控訴委任状を高裁に提出しなければ控訴人になれないという内容と異なるので、事実確認をするためのものです。韓国を含め、原発メーカー訴訟の会が募集した原告から弁護団からなんの連絡もないという問い合わせがありました。できれば直接お会いして話し合いをすれば済むことなのですが、残念ながら、「訴訟の会」と話し合わないということですので、公開質問状を送らせていただきます。

1.控訴状に記されている控訴人3,767名は、新たに控訴委任状を原告弁護団に提出したのでしょうか。それとも、最初に弁護団を選出する際に作った、高裁、最高裁まで通用することを前提にした訴訟委任状を弁護団は東京高裁に提出されたのでしょうか。

2.高裁の審議が始まるに際して、「高裁はその審議を進めるための控訴人と代理人との委任状が必要とするかどうかの判断をする」と、私たちは裁判所から伺っておりますが、皆さんが923日発行した第9号通信で高裁から貴弁護団に直接その指示は明確に示されていません。もしそのような指示がある場合、控訴人全員にその意思の確認をされますか。その場合、海外の原告は私たちが募集した経緯もあり、喜んで協力させていただきます。そのための打合わせをしませんか。

3.原発メーカーの責任を追及しながら、法廷外においても国際的な運動が必要であると考えています。皆さんのご協力をお願いできますか。

皆様のますますのご活躍を祈念いたします。

敬具

2016年12月4日日曜日

ソウル100万人デモの現場からの報告 ー韓日反核平和連帯 事務局長のイデス(牧師)よりー

ソウル100万人デモの現場からの報告
ー韓日反核平和連帯 事務局長のイデス(牧師)よりー
なかなか連絡が取れないと思っていたら、日韓/韓日反核平和連帯の事務局長のイデス(牧師)は毎週土曜日、デモの現場に参加していたんですね(納得!)。彼もまた80年代の民主化闘争に学生時代、闘争に参加し投獄された経験を持ちます。私たちの韓国の仲間は(私の知る限り、女性を除いて全員)民主化闘争で長期間、投獄された経験を持つ人たちばかりです。
彼らは勝利した経験を持つが故に、社会は変わるという信念をもっているのです。私はその点が、日本の運動と根底的に違う点だと感じています。日本は敗戦後、安保しかり、運動で勝ったことがなく、せっかくの世界的な新左翼運動で左翼の幅が出てきたにも拘わらず、内ゲバで殺人事件を犯してしまい、今に至るも総括がありません。日本の新左翼運動が装いを新たにしても市民の中で信頼されず、韓国や台湾のような数十万人規模の大規模なデモを起こして社会変革を起こせない原因のひとつになっている、と私は思います。残念!!ここを乗り越えない限り、いくら正論を言っても駄目だと思います。 崔
11月19日(土)
光化門広場でパク・クネ退陣平和集会が開かれている。全国の主要都市でも退陣要求キャンドル集会が行われている。私たちは、市民革命的に新しい国を立てていくだろう。悪徳財閥セヌリ党守旧メディア政治検察高官など共犯集団を運転なければならない。民主主義万歳〜!私たちが勝利するだろう~~!
11月26日(土)
市役所で光化門緩慢世宗路から集まった市民キャンドルの海で平和な市民革命をしている。涙が出る。下野が花より美しいという歌が熱い。このように、私たちはろうそくの革命をしている。新しい国の民主主義が実現されている国の主人になろう。だから、私たちを嘲笑する人々に誇りの民主主義を見せよう。平和な世界を私たちが再び作っていこう。〜!!!
12月4日(土)
大統領府前光化門広場世宗文化会館で平和的な集会と行進、市民革命で朴槿恵退陣させ、新しい国を立てるために150万(7:30現在)が光化門に集まりました。誇らしい韓国市民は決して朴槿恵とセヌリ党の小賢しい言葉ににだまされずに勝利することです。世界各地でキャンドル行進に広がっています。私たちはキャンドルの革命的民主主義と平和を実現することになるでしょう。民主主義は、国境を越えて世界に広がっています。

2016年12月2日金曜日

明治大学の「ヒューマンライブラリ」での発題ー朴鐘碩

HUMAN LIBRARY 明治大学中野キャンパス 20161127】  朴 鐘碩

11:30~始まったHuman Libraryは、参加者(読者)と本(マイノリティ・当事者34)との対話時間30分という制限があります。1700まで7回実施し、合計210分当事者が話しますが、30分毎に15分の休憩があります。

昨年は、10名弱でしたが、今回19(23/)の読者が、私を指名してくれました。高校生、大学生、明治大学生のご両親、企業エンジニア、年配の方々などに30分以内で46年間の日立での生活体験を凝縮して話さなければなりません。読者の感想に書かれていますが、毎回制限時間を超えてしまい、休憩時間は十分取れませんでした。

上記のレジメは、準備しましたが、日立闘争、続「日立闘争」、原発メ-カ訴訟、当然の法理について概要を話すしかありませんでしたが、真剣な眼差しで清聴していただきました。読者から以下のような質問が出ました。詳細は、「日本における多文化共生とは何か」「戦後史再考」「在日二世の記憶」を購読していただくようにお願いし、最後は、46年間の締め括りとして日立製作所会長、社長、日立労組委員長に提出した「日立製作所を離れるにあたって」をNetに公開していることを説明しました。

●横浜市内から参加した私立高校2年生の女子2名から
政治・経済の教師が授業で「日立就職差別裁判」を学んだ。裁判で勝利し、日立に入った後、朴さんがどうなったのか?教えてくれなかったので、知りたい。
3冊で書いた内容、日立での職場状況を説明する。」

46年前の日立と現在の日立で何か変わったのか。
「何も変わっていない。職場集会はなくなった。余計、酷くなっている。相変わらずモノが言えない状況である。」

●朴さんの後に入った在日はいるのか。その人たちとの関係というか、交流はあるのか。
「在日はいるが、関係も交流もない。仕事の話はするが、人権・差別問題を話すことはない。私から話しかけても後輩は避ける。私がモノを言うと同僚も私を避ける。後輩は「日立闘争のお陰で門戸は開かれた」と言うが、それ以上話そうとしない。」

●企業は、グローバル化を強調し、多くの外国籍労働者が働いていると思うが、実態はどうなのか。
「外国籍、日本籍関係なく、職場でモノが言えない状況は同じ。企業は、効率・収益につながる個性を持つ学生をリクルートする。人間性を求めず、モノ言わず、黙々と働く青年を採用する。」

●「共生」という言葉があるが、差別・偏見は以前よりなくなっているのではないか。
「内閣法制局の単なる見解である「当然の法理」によって、外国籍住民を2級市民扱いしている。未だに植民地政策は続いている」

●日立闘争勝利は、その後の企業、行政など様々な門戸を拡大する契機となったが、いまだに差別があるのか。
「全国の自治体は、採用した外国籍公務員を「当然の法理」で行政中枢部の職務、管理職への道を閉じ、正式教員として採用されず、教頭、校長などの管理職への道も閉じている。消防職にも就けない。街頭でヘイトスピーチが横行している。」

●朴さんにとってアイデンティティとは何か。
「差別・抑圧を作り出している要因と具体的に対峙すること。国籍・民族関係なくあらゆる人が人間らしく生きることができる、開かれた組織・地域・社会実現に向けて足元で努力することです。」

●職場でモノをいう、そのようなパワーというかエネルギ-がどこから生まれるのか。
「どこから出てくるのか、私もわかりません()。」


【感想】
●朴さん、30分という時間があっという間でした。もっと色々なお話を伺いたかったですし、伺ってみたいこともありました。ネットも検索してみますね。今まで大変だったと思いますが、朴さんのパワーをとても感じました。これからもお身体に気を付けて、お元気で。ありがとうございました。

30分で短いと感じました。ありがとうございました。退職してからやりたいことを伺い忘れました。

●貴重なお話しありがとうございました。現在、私自身が差別や偏見、日韓関係について調べているので、朴さんのお話しは、非常に共感できました。既存の体制を批判できる朴さんの強い姿勢に心打たれました。これからも活動頑張って下さい。

●朴さんの強さと明るさに圧倒されました。22歳の時から今日まで本当にお疲れ様でした。「これしかない」という気持ち、大切なんだと思いました。

●朴さんへ 長い間たくさんの困難に立ち向かってこられたその勇気と努力に感動しました。全ての人が住みやすい日本になることを願っています。

●お話を伺って、モノが言えない日本社会の打破の難しさを感じました。多くの人が企業に入り、生活をしていることを考えると、私もいずれ企業という組織に入らなければならなくなるのかなと思い、そうして企業に都合の良い人にならずに自分を持っていけたらとも思いました。上からの命令に黙って従っていた方が確かに楽ですが、それでは無意識のうちに間違ったことをしてしまうのだと思いました。何よりも自分の頭で考えることを忘れないでいたいと思います。本日はありがとうございました。

●パクさん ありがとうございました!貴重なお話、ありがとうございました。パクさんを突き動かす原動力は何なのか、今度伺いたいです。

●朴さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!朴さんがあらゆる壁をのりこえてきたことは、朴さん自身のお力故だとは思いますが、私も良い意味での「開き直り」ができる人間になりたいと思いました。ありがとうございました。

●朴さんへ 10月の懇親会であまりお話しできなくてごめんなさい。ゼミの報告書で朴さんのこと知り、朴さんのブログの記事を読んで、正義感があって勇気のある人だと思いました。これがHuman Libraryに本として参加してほしいと思ったきっかけです。Human Libraryに参加して下さってありがとうございました!

●事実その物を知らなかったので、蒙を啓かれました。関係書も是非読んで見たいと思います。有難うございました。

●いろいろ考えさせられました。日本や世界がなんとかよりよい方向に進めるとよいと思っています。今後のご活躍に期待しております。ありがとうございました。

●大変参考になり、考えさせられるお話を堅苦しくなく、むしろ楽しく聞かせて頂きました。お話の通りだと思います。日本が変わる事を期待します。

●外国人が物を言えない世の中なら日本人も物が言えないという言葉が印象に残った。朴さんが入社した時よりも現在の方が物が言えないとの事、これは問題だと感じました。

●朴様 今日はありがとうございました。企業や行政との関係を切り開く「こころいき」を学ばせていただきました。
●貴重なお話をどうもありがとうございました。19歳で、日立製作所に入れなかった、その時の「何故だ」という思いをそのままにせず、裁判を起こし、向かっていき、勝訴した後は、仕事を立派に勤めあげ、その後、内部の矛盾をそのままにせず戦ってきた、その言葉にとても感動しました。ご本読ませていただきたいと思います。

●朴さん 最後の回でお話を聴かせて頂いたAです。私の近い知り合いの中に在日2世であることをとても気にされている方がいるので、その方にもぜひ朴さんのような人がいるんだと教えたいなと思いました。きっと勇気をもらえるのではないかと思います。

●朴さま 「ものが言える職場にしよう」その通りだと思います!46年のお勤め、心よりお疲れ様でした!そしてこれからも社会の中で「ものがいえる」にはどうしたらよいか発信をお願いします。ありがとうございました。

●朴鐘碩さん 46年間の闘いを凝縮したような30分間で、あっという間でした。現状についてはのお話は残念な気持ちで伺いましたが、いつか実ると信じています。

●本日は貴重なお話をありがとうございました。日本の企業は最近よく、グローバル化によって様々な国籍の方が働いているという話を聞いていましたが、現状はそんなに変化しておらず、窮屈なままだ、ということに驚きました。学校の中でもたまに自分の意見を言えないようなときがあるのに、社会にでてもさらにそういうときがあるのは残念ですが、私たちの世代でそういう空気を打破したいと思います。

●本当に実になったレクチャーでした!

横田先生、明治大学Staffの皆さんお疲れ様でした。 朴鐘碩




略歴
1951年、愛知県西尾市で9人兄姉の末っ子として出生
県立碧南高校卒業後、日本名で日立製作所受験、合格 国籍を理由に採用取消
197012月横浜地裁提訴 日立就職差別裁判闘争始まる 
民族組織は、「裁判は同化に繋がる」と批判。
1974619日 完全勝利判決 9月コンピュ-タソフトウエア員として日立に入社
入社5年後、胃潰瘍で1ヶ月入院。職場集会で日立製作所労働組合批判。
1995年、勤続25年記念論文会社/組合に提出 事業所は国旗、国歌中止。
「戦後50年日韓交流への提言」論文 朝日新聞・東亜日報に応募(朝日1995.7.31)
「当然の法理・共生体制」批判 (民族)差別と労働者の問題 ものが言えない(企業)社会
20002010年 ソフト執行部委員長に立候補-敗北。2000年~評議員に立候補-敗北。
公正な選挙、組合費の使途、春闘/一時金闘争など問題点を提起
日立製作所労働組合への公開質問状 開かれた経営、組合組織を求める。
「企業内植民地」批判 201111月定年退職 12月から日立製作所で嘱託として勤務。
戦後の原発体制と日立の植民地的経営  2011311原発事故
日立製作所 会長・社長に原発事業からの撤退、原発海外輸出中止を求める。
証拠説明書 戊第14号証「原発メ--訴訟の会・本人訴訟団」http://www.nonukes-maker.com/
「原発メ--訴訟の会」 http://maker-sosho.main.jp/
「日立製作所を離れるにあたって」2016117
「職場での挨拶」20161116

日立製作所を離れる20161130

参考資料
「日立闘争後から原発メーカー訴訟までの軌跡」雑誌「航路」2016125

「在日二世の記憶」集英社新書20161122日 日立闘争後の「続日立闘争」

「職場での挨拶」20161116

「日立製作所を離れるにあたって」2016117

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」-コミュニケ-ション-掲示板

「原発メ--訴訟の会・本人訴訟団」
「原発メ--訴訟の会・本人訴訟団」証拠説明書 戊第14号証 20151028

「アリラン通信NO.54」反原発運動にかかわる 20155
「戦後史再考」共著 平凡社 201410
No Nukes Asia Forum 2014 in Taiwanに参加して 20141013
「原発体制から「見えない」植民地主義と排外主義の考察」2014716
「日立資本の城下町・茨城県日立市で反原発をアピ-ル」2014311
1970年「日立就職差別闘争」からの問題提起~歴史科学講座 一橋大学201421
「外国籍職員の任用に関する運用規程」-外国籍職員のいきいき人事をめざして- 川崎市
横浜国立大学での講義 2013719
「原発事故と日立就職差別糾弾闘争」考察 201375
「植民地主義の時代を生きて」(西川長夫)を読んで(1) (2) 2013616,21
川崎市長への抗議文 201331
日立製作所(会長・社長)への要望書 201363  20121017
()日立闘争・在日としての経験・現代の日本社会」 2012815
「原子力を世界に」求める日立 201271
日立製作所(会長・社長)への抗議文 2012619
「日本における多文化共生とは何か」共著 新曜社 20087
「耕論オピニオン 冷や飯を食う」2012512日朝日新聞
「窓 論説委員室から ある会社員の定年」20111228日朝日新聞
「勤続25年」1996127日朝日新聞
日立製作所労働組合・統制委員会への公開書簡 200662
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_111.htm
日高六郎理事長 高橋幸吉事務局長への抗議文 
社団法人 神奈川人権センタ-を糾弾する 19971
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_140.htm
にゅうす・らうんじ「在日」の壁乗り越えて1990528日朝日新聞
「民族差別-日立就職差別糾弾」亜紀書房 1974
民族的自覚への道-日立就職差別裁判上申書(生い立ち) 1974
日立就職差別裁判 横浜地方裁判所判決 1974619

韓国の百万キャンドルの背景は何かー反核平和を願う韓国の民衆の一人として(匿名)

韓国の百万キャンドルの背景は何かー反核平和を願う韓国の民衆の一人として(匿名) 私たちは、今回の朴槿恵ゲートによって触発された韓国全域の1ケ月にもわたり、毎週末つながる 100万-200万人の市民が参加しているキャンドル行動は、朴槿恵大統領、個人とその側近の公務上 職権乱用の犯罪と私利私欲を取りまとめる不良な人間性に対してのみ始まったのではなく韓国の 慢性的な政経癒着の問題が複合的に作用したものとみなし、大韓民国株式会社という硬直した社会 組織が亀裂を起こし崩壊する信号弾だと思います。これは、韓国人の生活を規定するすべての組織 に根を下ろした朴正煕時代の垂直的暴力的な位階秩序による制御システムが幕を下ろし実質的な 民主主義は、すべての組織で動作する時代を切り開いていく絶好の機会です。 効率と成果と成長を絶対視してどのような意見も認めず、軍事的に仕事を推進する韓国の政府と、 すべての企業や団体の慢性的な慣行は、もはや持続できない壁にぶつかっています。その頂点に 朴槿恵が象徴的に君臨してきています。 韓日反核平和連帯は、この克服されるべき旧体制が19世紀末、20世紀の初めから韓半島を支配した 日本の軍事主義ファシズムに根を置いていると思います。この軍事主義統治は朝鮮に対する植民地 支配を介して、韓半島の市民社会の自主的な発達を抑制し、基本的生存権と人権を踏みにじり、 戦後は米国の帝国主義的世界支配の手足となって核兵器に覇権を振り回す米軍に駐屯地と軍事練習場 を提供してきました。だけでなく、成長と開発のイデオロギー、安価なエネルギーのフィクション に惑わされて、経済性にも持続可能性もない、核エネルギーの生産システムを軍事的、官僚主義的 な行政慣行として、地域住民の意思に関係なく、導入してきました。 うまくいけば、今回の韓国の市民の怒りから始まったキャンドルの波が韓半島を侵略した従来元 日本軍主義から始まった韓国の旧体制を完全に終息させ、唯一の韓国国民の自主的民主的意思に よる民主的な体制を樹立になることを願っています。 そして、この新しいシステムを通って軍事主義の下で外勢の扇動に基づいて進められてきた朝鮮 半島の平和と韓国国民の安全を脅かす核兵器を保有する米軍の駐留と軍事演習と核エネルギー生産 システムを再考し、その存廃を韓国民の民主的自主的意思に基づいて決定することを表示して おります。これは、韓国だけでなく、韓国の悪弊に原因を提供した日本をはじめとするアジアの 隣国にも民主的な変革の光を提供するであろうと確信します。

2016年12月1日木曜日

韓国で蜂起した民衆への支持と国際連帯の表明



        韓国で蜂起した民衆への支持と国際連帯の表明

韓国の緊迫した政治状況は、民衆を再び歴史の主体として立ち上がらせている。朝鮮半島は歴史的に北東アジアにおける重大な事件の発生地となってきた。
韓国の民衆の間では、今回の蜂起は、遠く1890年代の東学農民革命にそのルーツをもち、日帝時代1919年の民族を挙げての3.1独立運動、さらには1960年の学生による4.19民主革命、70年代の民主化闘争、及び1980年代末の6月民衆闘争という荘厳な歴史の流れに連なるものであると自覚されている。

第二次大戦はヒロシマ・ナガサキへの原爆投下によって終結されたことで、米ソ等5ケ国の核兵器に拠る世界支配の始まりになり、それが現在のNPT(核不拡散条約)体制につながっている。世界的な冷戦体制は、国家の安全保障を名目にして、核兵器と核生産体制を増強させながら、東北アジアを核兵器の軍事競争と核発電所(原発)の建設を強化するターゲットにしてきた。2030年までには世界の原発の半分はアジアに存在することになる。フクシマはその必然的な結果である。

 核兵器と核発電は表裏一体であることは言うまでもない。日韓両国ともアメリカの核の傘の下にあって、経済利益を目的に、過酷事故を起こす可能性がある原発の輸出に力を入れている。両国とも大国の、新たな政治経済文化による植民地支配を受けながら、自らは米国の代わりに原発を製造・輸出することで発展途上国の住民を長期にわたる不安に陥れる植民地主義の国家になっている。大企業(財閥)がその先兵役を担っている。
国内的には、韓国は狭い国土に24基という世界最高の原発密度をもつ国になり、それでも朴政権はエネルギー確保を口実にしてさらに原発を増やす計画を発表した。原発の安全神話は慶州の地震によって完全に崩れた。古里原発立地地域の住民であるイジンソプ氏の闘いにより甲状腺がんは原発運営会社の責任という一審判決を勝ち取り、その後多くの住民が原告になっている。危険な原発が地方に建設され、大都市がそこから供給される電気を享受するということは国内植民地主義である。
日本は福島事故の原因も究明できないまま一度は54基の原発をすべて停止したが、今や再稼働を本格的に進めようとしている。毎日大量の汚染水が太平洋に流されているにもかかわらず、安倍首相は偽りの安全宣言をしてオリンピックを東京に誘致した。福島を離れた10万人の「棄民」は生活の保障を切られ、現地の子供の異常に高い甲状腺がんの発生が報告されている。それにも拘わらず、日本政府の支援を受け東芝、日立、三菱重工という大企業は積極的に原発の輸出を図っている。世界最大の原発メーカーになった東芝は今後15年間で45基の原発輸出を公表している。

本年10月福岡において、私たち「韓日/日韓反核平和連帯」は、今日の東北アジアの現場からアジア全体の状況を見渡すとき、現在展開されている原子力発電を含めた巨大な核産業体制とそれに癒着する政治経済軍事的な権力が、原発事故による壊滅的な放射能汚染をもたらし、新たな核兵器による大量破壊と殺戮を準備しているとの認識を深めた。
私たちは、民衆の受けた損傷と被害を癒し乗り越え、核に脅かされることのない自由な恒久平和の北東アジア圏を構想し、アジア緒民族さらには全世界の人々に向けた反核平和宣言(「福岡宣言」)を公表し、国境を越えた反核平和運動を展開することを決意した。

韓国の民衆による政治変革はアジアにとどまらず、世界の歴史を前進させていく大きな意味を持つと考える私たちは、この民衆による運動が、「解放後」の韓国に残された多くの植民地支配の残滓である歴史的な課題(日本軍慰安婦問題や韓国被曝者問題などにとどまらず社会の様々な分野に悪弊として顕在)を解決し、同時に、人権や人間性より経済を優先させた格差社会と原発依存社会となった韓国社会を根底から変革していく力になることを信じる。
最後に、韓国全土で200万人の民衆が参加したデモに屈して朴大統領は「任期前の条件付き退陣」の表明を余儀なくされたが、そのことでさらなる混乱が予想される政局にあって、私たちは、民衆が歴史変革の主体であることを改めて確認し、この特別なメッセージを発することによって、韓国社会の根底的な変革を求め続ける民衆に心からの敬意と支持・連帯の決意を伝える。韓国民衆が脱核宣言をし、韓国社会の持つ歴史的な課題に向き合い、新たな民主主義社会の建設に邁進することを心より期待する。


2016121

日韓/韓日反核平和連帯

 韓国代表    柳 時京
日本代表    木村公一
事務局長    崔 勝久



2016年11月26日土曜日

日立経営陣への最後の手紙ー朴鐘碩

1970年に国籍を理由にして就職差別をした日立製作所を横浜地裁に訴え、4年間の法廷内外の国際連帯運動によって勝利した朴鐘碩は、その後日立に入社し嘱託勤務を含めると46年間日立で働き、今年の11月末に日立を去ることになります。ながい間、本当にごくろうさまでした。

朴が職場で挨拶をした文書を私のブログで公開し、FBやツイターで通知したところ、千名を超える人が読み、多くの反応がありました。いくつかご紹介します。

感銘を受けました!よくぞ頑張ってこられたと思います。
大学生の時に、日立の就職差別として知りました。どこかに支援のパンフレットもあると思います。氏の闘いを通して多くを学ぶことができました。ありがとうございます。
この方、確か、私の小学生の時の、少年朝日年鑑に載っていた記憶が・・。
差別と抑圧の中で46年もの長い間職責を全うされたことに敬意を表します。たいへん、お疲れ様でした。

私が一番感銘を受けた感想文です。他人はよく人を見抜いていますね。
こんなに真っ直ぐな生き方をされておられる方がおられるのだ。
私は彼が10代のときからの付き合いですが、本当にこの言葉に尽きるように思います。

教科書等で知られる日立闘争は、多くの支援する人と共に闘って日立の民族差別に裁判で勝利し日立に入社したという、「美談」で終わっています。しかし彼の日立闘争はそれでは終わらなかったのです。
彼のいう、第二の日立闘争は、社内のものを言うことができない閉鎖的な社風に対する挑戦でした。組合は経営陣は一体であり、その組合員長にも彼は立候補をし続け、多い時には物言わぬ社員の30%以上の支持を受けました。その利益第一主義で社員が自由にものが言わせない風土が、対外的な差別を生み出し、社員の人間性を疎外し、画期的な開発を阻害する要因になっていると彼は主張したのです。開かれた会社になるべきだと言い続けてたのです。

朴の第三の日立闘争は、原発を製造し輸出し続ける日立に対する抗議です。彼は日立、東芝、GEという世界最大級の原発メーカーを相手に世界で初めての、原発メーカー訴訟に関わり、世界39ケ国4000名の原告からなる「訴訟の会」の事務局長として活動しています。日韓反核平和連帯にもかかわり、今後、原発をなくす国際連帯運動の先頭に立っていくことでしょう。

私は46年前に彼と出会い、日立闘争から川崎での地域活動、そして反原発運動を共に闘っていることに感謝するのみです。朴君、お疲れさまでした。そしてどうもありがとう。これかもよろしく。             崔 勝久

           日立経営陣への最後の手紙
        日立製作所を離れるにあたって―
                            朴鐘碩(パク・チョンソク)
2016117


()日立製作所 取締役会長 中西宏明様
取締役社長 東原敏昭様
日立製作所労働組合委員長  坂本達哉様


  私は、19歳の時(1970)、国籍を理由に就職差別した日立製作所を横浜地裁に訴えました。4年近い裁判闘争で民族差別の実態を訴え、日立の経営陣を糾弾し、国境を越えた運動によって完全勝訴し、22歳で日立に入社しました。
在日朝鮮人への差別・偏見に立ち向かい、常識を覆した日立闘争は「これでようやく終わった」と思いました。この日立(就職差別裁判)闘争(「民族差別・亜紀書房」1974)は、大学の講義に利用され、公立高校の教科書、自治体の人権資料にも掲載されています。
 19749月、私は日立に入社し、原発事故が起きた201111月定年退職しました。その後、嘱託として5年間勤務し裁判期間含めると46年になります。今年11月末で日立から去ります。

裁判までして入社した私が何を考え、どのような生き方をしたのか、また日立の経営陣は、私が入社時に取り交わした確認書(9)に基づいて、差別をなくすために真摯に具体的な施策を経営に反映したのか、などを後輩たちに書き残したいと思い、私は、以下の本を共著で出版しました。
1.「日本における多文化共生とは何か-在日の経験から-2008年 新曜社
   続「日立闘争」-職場組織のなかで 
2.「戦後史再考 」2014年 平凡社
日立就職差別闘争後の歩み

参考までに上記2冊の基になった原稿は、勤続25年を記念に会社と組合に提出し、東亜日報・朝日新聞の共同主催の「戦後50年日韓交流への提言」として応募した論文です。日立から「この論文を取り戻すように要求」され、胃が痛くなりましたが、何日も話し合いを続けた結果、会社は要求を撤回しました。その後、事業所は、セレモニ-で実施していた国旗掲揚・国歌斉唱を中止する英断を下し、勤続25年の記事が朝日新聞(96127)に掲載されました。

勝利判決後、昨年亡くなった中平健吉弁護士に付き添っていただき、横浜・戸塚にあったソフトウエア工場に出社した日を覚えています。また今日までの職場での様々な体験・出来事が蘇ります。机の中を整理すると3冊の本が出てきました。
1.「ひたちの心 」小宮義和 昭和57(1982)
2.「日立精神-その伝承と実行のために 」日立製作所人事教育部 昭和59(1984)
3.HITACHIの心」日立製作所 2007
日立創業者小平浪平翁の経営「理念」「日立精神」「日立発展の道」が書かれています。これらの著書は、日立闘争後、私が入社した1974年以降に発刊されています。

 小宮義和元取締役は、「ひたちの心」「あとがき」で「日立は、明治43(1910)11月、当時久原鉱業所日立鉱山の工作課長小平浪平翁(当時36)が電気機械や鉱山機械などを国産化しようと決心されたことに始まる」と書いています。朝鮮半島が日本の植民地となったのが1910年です。
「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植1971年未来社)は、「「日立鉱山史」、「日本鉱業株式会社50年史」によると、「日立鉱山は、久原鉱業の後身の日本鉱業株式会社の経営で、多くの鉱山や精錬所をもち、1945年以前には朝鮮の甲山、楽山、検徳や鎮南浦にまで進出していた」と記載されており、「日立発展の道」は、植民地支配と深い繋がりがあります。  
16世紀以後の欧米人の世界植民地化で、アジア・アフリカの民族は大いに苦しんだ。その圧迫を撥ね返そうとした日本の国粋主義が敗戦に悲惨を被った」(ひたちの心)と記されていますが、日本が朝鮮半島を植民地にしたことについては触れていません。

植民地朝鮮を背景に創業から100年以上となる日立の年間売上高は10兆円を超えています。31,500人の所員と千社近い関連会社を含めた総従業員数は約33万人で、家族を含めると日本の人口の約1%に相当します。

入社当時、私は、全く未知なコンピュ-タソフトウエア部門に配属され、プログラム開発に従事し、仕事を覚えるのに必死でした。当時IBMが世界のコンピュ-タ市場を独占し、技術の先端でした。それに追随する日立の経営方針に従った数人のエリ-トエンジニは、1982IBM産業スパイ事件を起こし、最終的には和解したものの職場はその後始末と対策に追われ、余計な業務が増えて大変な騒ぎとなりました。この事件は、小平社長の創業精神である「外国の支配から独立して、自主の技術でお国の役に立とう」(ひたちの心)に背いています。

 20113月、福島原発事故が起こりましたが、日立は、東芝、三菱と並ぶ原発メーカーです。日本にある原発54基の内20基以上を造っています。事故を起こした原子炉は、GE、日立、東芝が造りました。
駒井健一郎第3代社長は、「原子力にしても、我々はタービンをGEの技術で造った以上、長い目で将来を見た場合、原子力もGEの方が良いと考えました。」「GE一本に絞って良かったんじゃないかと思います。昭和61(1986)6月」(HITACHIの心)と講話していますが、これも「自主の技術でお国の役に立とう」に反しています。

 日立就職差別裁判の勝利から5年後の1979年、東京に本社を置く経団連に加盟する多くの企業は、「差別図書である『部落地名総監』の購入、採用にあたっての差別選考等の反省を契機として、それぞれの企業が差別体質の払拭に取り組む」東京人権啓発企業連絡会(人企連)を発足しました。124(20157)が加盟しています。
 原発事故で世界の人々を核の恐怖に導き、人権を侵害した東京電力、原発メーカーである日立・東芝・三菱の関連企業も加盟しています。人企連の役員は、反差別国際運動(IMADR)日本委員会、部落解放研究所、東日本部落解放研究所等の「人権」運動団体の会長、副会長、理事などに就任し、また賛助会員、法人会員になって、「あらゆる差別の撤廃にむけて取り組」んでいます。これは労働者に沈黙を強いる企業経営者、組合、運動体の「共生」体制です。
 こうした人企連に加盟する企業経営者の一部が1996年創設された、「従軍慰安婦」の問題はじめ韓日の歴史を歪曲する「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同していることを知り、私は「東京人権啓発企業連絡会を糾弾する」抗議文を提出しました。

中西宏明会長は、2013621日株主総会で次のように述べています。
 「原発に取り組んでいることを恥ずべきことだとは、片時も思ったことはない」「原発事業は恥ずべきことではなく、むしろ誇ること」「イギリス、リトアニア、ベトナム、インドなどで進めていきたい。GEとはワンチームだ」と原発事故の原因も解らず、事故収束の目途もないまま、平気で原発の輸出を強調し、犠牲となった福島の住民はじめ世界の人々への謝罪の言葉は一切ありません。
日立の経営陣は、植民地支配の歴史から生まれた民族差別を謝罪しましたが、故金井務会長は、広島と長崎で多くの日本人、強制連行された朝鮮人が被曝した事実、原爆の恐怖、戦争責任ついて全く触れませんでした。
植民地支配と侵略によって朝鮮、中国、アジアの被爆者は、決して償われることなく、無視・放置されてきました。被爆者は約70万人、朝鮮人死亡者約4万人という統計があります。(韓国政府所属調査委員会2015

1929年生まれ、東大工学部出身、「原子力の開発に従事した」金井会長は、「経営理念・原子力」(平成9128日 於防衛大学校)で次のように語っています。
16歳の頃、「戦争中にいた江田島は広島のすぐ南にあり、原子爆弾が投下されたときもきのこ雲がよく見えました。それから2週間ほどして、郷里の京都に帰るときに広島の街を通り、惨状を目の当たりにしたわけです。私は入社してから原子力の開発に従事したわけですが、そういう経験が、私の将来を決めることになった」「1953年、私が入社した頃ですが、原子力の民間利用、平和利用が解禁され、その2年後に原子力の開発が始まりました。原子力が日本の脆弱なエネルギ-問題を解決してくれるのではないか、エネルギ-問題も将来は明るくなったと、当時私どもは喜んだものです。その後、日立の研究所で原子力の開発に携わり、工場勤務も経験しました。」「日本を代表する企業として、やはり国が必要としていれば我々はやらなければならない」と防衛大学校生を前に講演しています。
「原子爆弾が投下されたときもきのこ雲がよく見えました。」と語った金井会長は、犠牲となった、罪もない日本人、朝鮮人についてなぜ触れなかったのでしょうか。なぜ、核兵器の恐怖、戦争責任について話さなかったのでしょうか。「日本を代表する企業として、やはり国が必要としていれば我々はやらなければならない」という言葉は、国策であった植民地支配、侵略戦争に加担したことにも繋がっています。
小平創業社長、共に歩んだ経営陣の「外国の支配から独立して、自主の技術でお国の役に立とう」、「お国にために尽くしたい」「お国のために大事な仕事である」という「愛国思想や創業精神」が現在もそのまま引き継がれています。

労働力不足を補うため広島に多くの朝鮮人が強制連行されましたが、エリート海軍指揮官を養成する海軍兵学校江田島は、日清・日露戦争で軍港として知られており、原爆投下の目標であったと言われています。
民族差別は、日本の植民地支配から生まれ、戦後、朝鮮半島は、核を保有する覇権国によって分断されています。私は、今年84日~8日の「韓日脱核平和巡禮」、ソウルでの討論、陜川非核平和前夜祭、大邱非核平和文化祭に参加しました。強制連行された朝鮮人が広島、長崎で犠牲となり、原爆が投下された86日の慰霊式典、民間からの寄付で建てられた被爆2世の「平和の家」開院式に参席しました。
広島・長崎で被曝した朝鮮人(青年)は、「水をくれ!」「助けてくれ!」「握り飯をくれ!」「アイゴ(哀号)!オモニ(お母さん)!アボジ(お父さん)!」と朝鮮語で亡くなる直前まで必死に救援を求めましたが、「この野郎、朝鮮人じゃないか」「朝鮮人の分はないぜ」と冷酷に放置され、救助されなかったことが犠牲者を更に増やしたのです。(参考文献:「軍艦島」韓水山 作品社2009)

敗戦後、治療も受けず帰国した朝鮮人、その子供、孫たちに被爆による症状が出ていますが、その被害状況は、一部しか明らかにされておらず、全体を把握することは困難です。被爆者は治療費も払えず、困窮生活を強いられています。   
慰霊祭が開かれた、被爆1世の高齢者が生活する陜川原爆被害者福祉会館の裏の建物に罪のない、犠牲となった千名以上の人たちの名前が記されていました。広島で被爆したハルモニ(お婆さん)と話すことができました。陜川は、「広島」であり、政府の「日本は唯一の被爆国である」というのは、明らかに間違っています。
核による犠牲者は明確になっていますが、加害者の責任が一切問われていません。米国の原爆投下、日本の戦争責任が問われることなく、戦後71年が経過しましたが、「植民地」状態は、依然として続いています。
 原発と核兵器は、表裏一体であり、超大国の核による世界支配を補完するものです。戦後の原発体制は、朝鮮半島の状況がそうであるように国家・人間・民族を分断し、難民、棄民を生み出し、差別構造の上に成り立ち、弱者に犠牲を強いる非人間的なものです。
植民地支配を背景に国策に加担した創業者の理念、経営哲学を継承する日立の経営陣は、一体日立闘争から何を学んだのか、日立は、あらゆる差別をなくし、開かれた企業を目指したのか、と思うのは当然です。核発電所建設は、ウラン発掘、被曝しながら作業に関わる末端労働者、解決の糸口がない使用済核燃料処理、海洋への汚染水垂れ流しなど地元住民に犠牲を強いています。つまり戦後の原発建設は、差別と抑圧を前提にしています。
 
●労働者に沈黙を強いる「企業内植民地」を打破するために
駒井第3代社長は、「職場が明るく遠慮せずに下が意見、議論を出せる空気を作ることである。昭和605月」(HITACHIの心)と講話していますが、果たして現場の実態はどうなっているでしょうか。
 私は、「戦後史再考」に書きましたが、日立製作所の職場集会は、管理職の前で開かれ「民主主義」を装うためのポーズでしかありません。組合(幹部)は、組合員が会社・組合に批判・不満があっても上司のいる前で発言しない(できない)ことを承知しています。組合員自ら「これは選挙ではない」と話す選挙投票日、投票率を上げるために、事前に選ばれた委員が組合員名簿をチェックし、棄権する(しそうな)組合員に上司がいる前で「投票しろ!」と意図的に周囲に聞こえるように恫喝します。「私は投票しません」と勇気を表明する組合員は皆無です。組合員は、生活を考え、孤立を恐れて従うしかありません。
 日立が民族差別を起こした背景には、こうした労働者がものを言う「表現の自由」を束縛する企業文化があり、この抑圧から解放されなければならないと思い、会社と組合から厳しく監視される中、私は役員選挙に立候補しました。ほとんどの組合員が無視する中で、当初30%近く得票しましたが、1度も当選しませんでした。私に投票する組合員は「パクさん頑張れ!」と声を発することすらできません。
 日本人労働者が、ものが言えない企業・社会・組織の中で、「自らと関わりのない」(植民地で犠牲となった)外国籍労働者の差別・人権問題を提起すると多くの労働者は反発します。労働者にものを言わせない、抑圧的な職場は差別・排外を強化し不当な解雇事件を起こします。そして労働者は、経営者に原発事故の責任も追及できず、沈黙するしかありません。
 給与天引きされる組合費の使途、選挙方法、組合費から支払われる組合幹部報酬、職場の不満・疑問があっても、誰も発言しません。ものを言わ()ない組合員を悪用した組合(幹部)の横暴に我慢ならず、日立本社で開かれた労使幹部の春闘交渉現場に参加し、会社・組合を批判したこともあります(日立製作所労働組合・統制委員会への公開書簡200662)。私の言動を封じるためなのか、組合・会社は職場集会をなくしました。

 原発事故後、原発メーカーで働く労働者のひとりとして、沈黙していいのか悩み、内部から声を発することの意味、重要性を考え、日立製作所の会長・社長に抗議文・要望書を提出し、原発メーカーとしての責任、被爆避難者への謝罪、原発事業からの撤退、輸出中止、廃炉技術・自然エネルギー開発への予算化を求めました。
 また、東京駅前にある日立本社に向かって、海外からの参加者と共にリトアニアへの原発輸出に抗議しました。原発事故から3年目となった2014311日、日立資本の城下町、クリスマス・イブに「核兵器廃絶、平和都市宣言」をした(10)日立市の中心街で、青年たちと共に「反原発、輸出反対!」「日立の労働者は、目を覚ませ!」「日立の経営陣は被曝避難者・子どもたちに謝罪しろ!」などと訴え、その様子が翌日の東京新聞・茨城版に掲載されました。

 数百名が集まった職場の予算説明会において、私は「日立製作所にとって原発事故は、緊急な課題である。原発事故から3年経過したが、原発事故にどのように対応しているか。土地を奪い、家族の絆を引き裂いた被曝避難者のことを考えないのか。遺伝子を破壊する放射能、子どもたちへの影響を考えて日立の関係者も避難していると思われる。事故を起こして原因も究明せず、なぜ、原発を輸出するのか。その神経がわからない。日立の経営陣は、一体何を考えているのか。新聞報道されたが、原発メーカーである日立は、世界中の人々から責任を問われている。企業としての道義的・社会的責任をどのように考えているか」と問いました。

 原発輸出は、相手国住民を差別・抑圧し、戦前、日本がアジアを侵略したように再び日本が加害者になることが懸念されます。京都、川崎、大阪などの街頭における排外主義を煽る朝鮮人へのヘイト・スピーチ・デモ、日の丸を揚げて愛国主義を謳う人たちが増えていますが、外国籍住民、弱者を抑圧することは、ものが言えない社会へと繋がります。ものが言えないのは、企業はじめ自治体・教育現場・マスコミなどどこの現場も同じような状況だと思います。
企業社会は、日立がそうであるように経営者と組合幹部が「労使一体」という「協働(共生)」を謳い、民主主義・人間性を育てない(育たない)ように労働者を巧みに管理・支配しています。
 
小宮元取締役は、次のように書いています。
「「同じ釜の飯」を一緒に楽しんで食う習慣も生まれた。そしてこういう帰属意識が「自分は日本人だ」「自分は日立人だ」と誇らしく考える自己確認(アイデンティティ)を生んだ。アメリカ人は「いつ、どこでも星条旗がアメリカの象徴」という。日本人には「日の丸」がそれである。日立人には「日立マークと日立精神」が身分証明書(ID)となる。このパスポートさえ持っておれば世界中どこへ行っても「自分は日本人だ。日立人だ」という確信がもてる」、その一方で「最後にこういう「同じ釜の飯」の意識が、偏狭排他的にならないよう注意せねばならぬ」(ひたちの心)。日立が国民国家を支え、侵略戦争に利用した日の丸を常時掲揚するのもこうした経営理念に基づくのでしょうか。
「当時の創業者の目標は天下国家であり、いかにして日本を立派な国にするかが常に念頭にありました。」「関東大震災で東京が壊滅状態になった時、日立は幸い、さして生産力が落ちなかった」「小平さんは東京の復興に日立の工場の全能力を向け、どんな有利な条件よりもそれを優先しました。昭和555月」(HITACHIの心)と書かれていますが、関東大震災時、朝鮮人が虐殺されたことは触れていません。
「先頃私(駒井)は歴史を粗末にする民族は亡ぶという言葉を聞いたが、歴史を粗末にする企業も栄えないのではないだろうか」(日立精神)と書かれていますが、日立は、植民地支配、日立闘争などの「歴史を粗末に」していませんか。

「「外国からの支配から独立しよう」という創業社長の精神は、発展途上国の人々の上にも考えねばならぬ。馬場(粂夫)博士が言われた「他社・他人に不親切ではないか?」を繰り返し味わって、「他社・他人も日本人だと考えることが大事であろう。」」(ひたちの心)「物事を考えるには、自分本位に自分のことばかり考えず、できるだけ相手の立場になって、自分が先方の立場にいたらどう考えるかという、立場の転換をまず考えることが必要である」(HITACHIの心)とも記されていますが、当時植民地であった朝鮮()、侵略の歴史について一切触れなかったことは、「「落穂拾い」の基礎観念」の一つである「他人に不親切ではないか?」に背きます。

 戦前、日本企業の中には、労働力不足を強制連行した朝鮮人、中国人などで補い、植民地であった朝鮮、中国東北部(満州)において莫大な利益を得ました。戦後、政府は、日本国籍を剥奪し、官民一体で外国籍となった朝鮮人の、人間としての権利を全て奪い、職場から追放し、極貧状況に追い込みました。
 「たまたま昭和25(1950)年春、会社創立以来最大の長期争議中に朝鮮事変が勃発し、ドッジ公使の経済安定政策も功を奏して、ようやくインフレと不況を脱出することができた。そしてこの時も全社の協力一致で他社に先んじて営業成績を回復することができたのであった。」(ひたちの心)
 核保有国である米ソの戦場となった朝鮮半島は焦土化し、民衆は南北に翻弄し犠牲となり分断されたままです。その一方で日本経済は回復し、日立はその恩恵を受けたのです。

 国籍を理由に採用を取り消し、原発事故の謝罪もせず、労働者に沈黙を強いて原発を輸出する日立グループの経営陣、川崎市はじめ日立市など全国の自治体が「当然の法理」(国籍)で外国籍公務員に行政中枢部の職務、管理職に就くことを制限し、住民を2級市民扱いする行政の姿勢は、戦前の植民地政策の延長です。
 日立闘争が始まるまで、在日朝鮮人への就職差別は、同胞社会で当たり前でしたが、当事者からの告発、抗議、糾弾によって企業、日本社会の隠された差別・抑圧の実態が明らかになりました。
 人間としての権利を剥奪した歴史に加担した企業、自治体、それに抗議しなかった労働組合の戦争責任を不問にしたことは、日立、東芝、東電のような企業内組合からなる連合の労働運動が経営者との「労使協調・共生体制」を強化し、労働者に沈黙を強いることにも繋がりました。
 日立の経営陣は、日立就職差別闘争からこうした歴史的な背景を学び、国籍・民族を超えて労働者にとって差別のない、人間らしく働きやすい、開かれた職場・組織をつくるべきだったのです。

 原発メーカーの道義的・社会的責任、核兵器に繋がる原発の開発・製造事業から撤退することを求め、世界39ヵ国4千名(海外2,500)近い原告が、20141GE・日立・東芝3社を東京地裁に訴えました。本人訴訟団は日立に求釈明書を提出しました(20151018)が、回答がありません。私は、自分が勤める日立を何故訴えたのか、その陳述書を裁判所に提出しています(2016127)
世界を震撼させた原発事故の責任を問う審判を担当した裁判官は、十分な審理もせず強制的に審理を打ち切り、4回の口頭弁論だけで、2016713日原告敗訴を下しましたが、控訴しています。

 戦後、差別と抑圧を基盤に経済復興を優先させた原発体制を打破するために、原発事故の原因、原発メーカーの責任を徹底的に追求します。日立市は、「「広島」「長崎」のあの惨禍を繰り返さない」核兵器廃絶」を宣言しています。中西会長、東原社長に人類と自然の破滅に導く核を利用した原発事業から撤退する英断を再度求めます。
2度とこの世界で原発事故を起きないことを願い、日立を去っても核廃絶・反原発・平和を訴える世界の人々と連帯していきます。これはこの世で生きる私(たち)の責務であり、子ども、孫、次世代への責任でもあります。
日韓の市民団体は、1025日~28日福岡において、「反核平和連帯会議」を開催し、宣言文で「私たちは東芝等原発輸出メーカーの責任を追求するBDS運動を推進する。この運動は被曝労働者差別を前提にする、原発製造・輸出という非人間的行為を何ら恥じることなく行う、東芝・日立・三菱及び韓国の現代などの原発メーカーに対する、製品の不買―投資引き揚げ―制裁を国際的に進める運動」を展開することを採択しました。

 日立から採用を取り消され、私は「崖から落とされました」が、逆に、それが職場において人間らしく生きる契機となり、現在の自分が存在します。その意味で日立製作所に感謝しています。
 歴史は作られるものではなく自分で作るもの、人権は与えられるものではなく、社会の不条理に当事者自ら怒りを発し、生き方を賭けて獲得するものである、ということを私は日立就職差別裁判闘争から学びました。
最後まで読んでいただき、御礼申し上げます。
日立製作所が開かれた経営、組織になることを願い、皆様の健康とご活躍をお祈りします。今後お会いする機会があるかも知れませんが、よろしくお願いします。