2018年9月20日木曜日

平壌の空は青かったー「偉大なる祖国」の光と影、   その(1)

平壌の空は青かった!ーその(1)
9月6-15日の10日間、私は初めて祖国訪問団の一員として平壌を訪れました。父が11歳の時に離れた黄海道の信川(シンチョン)に行き、父の遺骨を散
骨してきました。


板門店で彼の地に身を置き韓国側を見るだけで、これまでとは違う捉え方ができたように思います。
私が感じた「輝かしい祖国」の光と影をブログでお伝えします。写真は平壌空港と、板門店に行く途中で見えた大同江沿いの平壌の高層ビル、南北両首脳が会い38度線を超えた場所を北側から撮ったものです。



平壌の空は青かったーその(2)父の遺骨の散布
平壌から車で90分、板門店に行く国道を途中で右折して行ったところに黄海道 信川(シンチョン)郡がありました。農村地帯でほとんどが稲ととうもろこしでした。稲作の仕方は畔(あぜ)を作る日本とは違って、水田(畑?)に一面、稲を植えていました。日帝時代の日本の農法がそうだったのか、解放後共和国独自の農法なのか、わかりません。

まもなく博物館に到着しました。毎年、全国民が1回は見学するそうです。正面の看板には、「信川の地の血の教訓を忘れるな」とあります。朝鮮戦争で北を攻める拠点である信川では国連軍と韓国軍が地元住民3万人を虐殺しました。その時の悲惨な出来事が博物館では人形や写真を使って克明に再現されています。博物館の中での展示物については改めてご紹介します。この虐殺の内容はもっと全世界に知らされるべきだと思います。


そこから車で30分位の所に父の故郷の信川 龍山里があり、戸籍のあるところに案内してもらいました。今は一面稲でした。タクシーを置いて、私と案内人は小高い丘を登り途中で畑の中をくぐり、写真の木のところで父の遺骨を散布しました。散布の風習はないので、特例ということでした。

その後、平壌の教会を訪問しました。私は広い礼拝堂の中で、あの地から11歳で一人で釜山に行き日本に渡ってきた父のことを思い、私達兄弟、子供、孫が各地でしっかりと生きていることを報告し感謝の祈りを捧げました。




平壌の空は青かったーその(3)北の被爆者と元慰安婦ハルモニについて
私は祖国訪問団に申請をする時に、父の遺骨の散布と同時に、被爆者と元慰安婦ハルモニとの面談を希望していました。南と北のハルモニ当事者同士が連絡をとりあう足がかりになれればいいと考えたのです。北に行く直前に韓国に行き、被爆者協会の代表と元慰安婦のイ・ヨンス ハルモニとも事前に会いました。手紙を北の当事者に送る手立て、方法についても私が北に行き、当事者及び協会、あるいは当局の担当者と話し合いたいと文書で総連担当者に要望を伝達しました。総連担当者は私の話を聞き、誠意をもって段取りしてくれました。

平壌では6日からの公式行事が連日続き、それが終わりそろそろ担当者に催促しようとしていた矢先、向こうから呼び出され、私達祖国訪問団の担当者より上位らしきの人が私に元慰安婦、被爆者ハルモニとの面談について話したいというのです。まず、元慰安婦ハルモニについては事前に私の担当者が元慰安婦は全て死亡しているという話をしていました。

被爆者ハルモニたちは面識のない私に会いたくないと言っている、1回の共和国訪問ですべて実現しようとせず、何度でも来てくれれば事態は変わると言いながら、南北首脳会談でいずれこの話を含めて合意されまで、個人的な面談要望に応えることはできないという返事でした。私は個人の資格で来ているが直前に慰安婦ハルモニ、被爆者協会の代表とも面談し、北に行くのであれば北の当事者と連絡を取り合うすべについて話し合って来てほしいという要望を受けており、その旨の報告も総連担当者もしていると説明し、ハルモニたちは年齢も年齢なので、両首脳の合意を待つことなく、南北で連絡を取り合うことだけでも実現できないかと食いさがりました。それは検討して私に返事をするということになりました。私は総連の担当者を通して、本当に元慰安婦は全員死亡したのか、南北の被爆者当事者同士が連絡を取り合うすべについて、継続して質します。

私は北の体制が完全な官僚主義であり、自分の担当以外のことには口出ししない、組織内の上下関係(秩序)は絶対的であることを改めて知らされました。韓国のハルモニたちの期待に沿う働きはできなかったのは残念ですが、以上の報告をあるがまま韓国のハルモニ達、私達の運動仲間、また大邱でいろんな場を作ってくださった崔鳳泰弁護士に伝達いたします。そして両首脳の話し合いの進展に沿いながら、板門店での南北赤十字間の話し合いだけでなく、民間レベルの交流の可能性を具体化させたいと願っています。
(添付写真はイ・ヨンス ハルモニ。ネットから転用しました。)

2018年9月4日火曜日

9月6-17日、平壌に行きます



亡父崔仁煥は11歳のときに、故郷の黄海道信川(シンチョン)を離れ一人で日本に渡ってきたのですが、私は父の死後その地で父の遺骨を散布したいと願ってきました。南北首脳の会談の結果板門店宣言がだされ南北の和解が進むなかで、板門店で南北二人の首脳が軽々と38度線を超えるのをテレビで観て、私もまた北に行こう、父の故郷を訪ね父の遺骨を散骨しようと思い至りました。
9月6-17日まで平壌を訪問します。訪問に先立ち、私の祖国訪問をうけいれてくださった在日本朝鮮人総聯合会(以下、朝鮮総連)に感謝するとともに、祖国訪問(私の父の故郷は黄海海の信川)に際して私の願うことを整理しました。

参考資料:
注①「在日」の世界ー力道山と親父
https://oklos-che.blogspot.com/2013/01/blog-post_25.html

注② 黄ソギョン著『客人(ソンニム)』(岩波書店 2004)
https://www.iwanami.co.jp/book/b264475.html
「朝鮮戦争の中で身をよじらせて死んでいった人々、彼らを殺したものは何だったのか.取材に基いて描く,告発と和解の書」、韓国でのベストセラーで、まさに父の故郷の黄海道信川を舞台にしています。

注③歴史は動く! https://oklos-che.blogspot.com/2018/04/httpjapanese.html

希望事項:
1)黄海道信川で父の遺骨を散布しその場で映像、写真の記録を撮ることの許諾をお願いします。
2)韓国の元慰安婦の証言集と韓国原爆被爆者協会で作成した資料集2冊を祖国訪問団の事務局に託し、現地で面談できる被爆者ハルモニ、或いは被爆者協会が存在するなら被爆者協会(共和国に被爆者協会が存在することは今回の訪韓で確認できました)、或いは政府の被爆者担当部署のいずれかに私が直接手渡せるようにご配慮をお願いします。
3)韓国原爆被爆者協会の李圭烈会長から、共和国の被爆者で韓国での治療を望む被爆者を韓国に招待し、韓国滞在中の診断と韓国でできる治療、及び韓国被爆者が獲得した韓国政府からの支援・救助の制度の適応を諮る意向であると伺ったので、共和国の被爆者にその旨をお伝えし、もし韓国被爆者協会の招待を受けてもよいということであれば、招待状の送り先など今後、南北の被爆者の交流を進める連絡方法を御検討いただければ幸いです。
4)私の個人的な祖国訪問が、南北被爆者が共同で日本政府に対して被爆者手帳の発行と被爆者の治療と生活支援を求めるきっかけになることを心から願っています。

その他の課題
1)金正恩委員長と文大統領が板門店宣言で協議した際、独立運動に関しては南北合同で実行することで合意したと後日公表されたが、来年の31運動100周年記念については現在、青瓦台と国民会議(仮称)が合意して数十万人規模の大集会を準備しており、日本からは朝鮮総連 及び民団と日本の青年、学生たちを含めた1000人規模の参加を具体化させるためのご協力、ご支援をお願いいたします。

2)米国トランプ大統領と文大統領と面談し世界的に知られるイ・ヨンス ハルモニは南北の元慰安婦ハルモニの交流を願い、金正恩委員長に親書を送りたいと願っており、共和国で親書を受け入れてくれるか御検討いただければ幸いです。




2018年8月24日金曜日

戦争終結が最優先ではないのですか?

本日の朝日新聞です。

★今は本当に(朝鮮戦争の)「終結宣言の時期ではない」でしょうか?
「米ハワイを訪問中の河野太郎外相は22日、記者団に、北朝鮮が朝鮮戦争の終結宣言を求めていることについて」、「いまは終結宣言の時期ではなく、非核化を現実的に進める時期だという認識で(日米韓で)全く一致している」と語った。」というものです。
私は河野外相のこの発言にはとても腹が立ちます。どうして朝鮮戦争は停戦ではなく、一日も早く終結させるべきだと言えないのでしょうか。北朝鮮の非核化を進めることは南北間の首脳で一致しています(板門店宣言)。しかも完全に非核するのにはアメリカの専門化でさえ、10年以上かかると言っているのです。そもそも北朝鮮はどうして核兵器と米本土に届くロケットの開発を進めたのでしょうか。それは朝鮮戦争が停戦でとどまり、日本や韓国、グアムにある米軍からいつ核兵器のよる攻撃があるかと戦々恐々としていたからです。事実、トランプは、金正恩を殺す、斬首作戦を公表していたではありませんか、つい最近のことです。


   宮田淳史 プレジデントオンライン
  アメリカの「金正恩 斬首作戦」が絶対に不可能な理由
  https://president.jp/articles/-/21914


元自衛官の宮田によると、「注意すべき点は、韓国はあくまでも「有事」における戦争指導部の「斬首作戦」を前提としていることである。つまり米国が考えているような、平時における作戦を想定しているわけではないのだ。」そうです。

★戦争は一日も早く終結させるべきに決まってるではないですか!
板門店宣言でも、朝米宣言でも朝鮮半島の平和が謳われています。北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化が謳われているのです。どうも日本のマスコミと日本国民の認識はこの点が曖昧なように思われます。北朝鮮だけに非核化を求めているようです。グアムは米本土ですから、常時核兵器を掲載した飛行機がいつでも飛び立つ準備ができています。韓国国内、日本国内での米軍基地に核兵器はないのですか?そもそも日本政府は米軍基地や米軍の戦闘機、空母に核兵器があるのかということさえ米国に尋ねないと公言しています。つまり、核兵器が日本の米軍基地にあるのかどうかはわからない、公にされないのです。実際に日本の非核三原則の実態はどのようになっているのか、みなさんはごぞんじでしょうか?
日本政府の核政策は一般的には、非核三原則があるのですが、これが単独で存在しているのではなく、実際には4つの方針があって、その一つが非核三原則なのです。以下の憲法学者の澤野さんの論文を是非、ご一読ください。

日本政府が核兵器禁止条約に賛成しなかった理由とその歴史的な背景
   日本政府が核兵器禁止条約に賛成しなかった理由とその歴史的な背景ーー
  澤野先生との輪読と勉強会より
  https://oklos-che.blogspot.com/2017/11/blog-post_4.html
大阪で澤野義一先生を囲んでの7回目の輪読と勉強会の報告です。反核、反原発運動に関わる人、団体には必読だと思われ、ここに掲載します。短く体系的な説明ですので、是非、お読み下さい。 今回、日本が核兵器禁止条約に賛成しなかった理由は本当なのでしょうか? 実際のその理由はマスコミでも解明されていません。核兵器の禁止を求める世界の動きと国際条約の内容を明らかにし、その上で日本政府の核政策の歴史と現状がいかに世界の流れとは違うのかを示しながら、具体的なあるべき政策を提示しています。 非核3原則は実は4つの内容(①非核三原則、②日米安保を前提にする米国の「核の傘」への依存、③積極的核廃止提案とは一線を画した核軍縮外交、④原発推進)を含んでおり、核兵器禁止条約と原発禁止条約は本来、ひとつになるべきという、憲法学者としてのまさに正論、直言です。 

          2017年11月4日 
         「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第7回

★中国、北朝鮮は日本の敵国か?
朝鮮戦争の終結が公式に宣言されない限り、北朝鮮は核兵器を破棄することはないでしょう。朝鮮半島の非核化のためには、北朝鮮の非核化を求めると同時に、戦争終結宣言をして日本と韓国におけるアメリカの駐留軍をなくすことが不可避です。戦後、米国の世界戦略に沿って日本は中国と北朝鮮という共産主義国家を敵国としてきました。しかしいまや、アジアの平和にとっては中国、北朝鮮とも戦争をしないことを大前提にして、交流を深めていくしかありません。日本にとってアジアは明治維新以降、搾取、侵略の対象であって、平和をともに作り上げる対象ではなかったのです。まずこの点を明確にする必要あります。
    安倍政権の北朝鮮に対する外交方針に異議あり
    https://oklos-che.blogspot.com/2018/05/blog-post_10.html

それはいい、悪いの倫理的な問題ではありません。北朝鮮を徹底して孤立させ、経済的に締め付ければ北朝鮮は諦めて音をあげるだろうというのは、日本が太平洋戦争を進めてきた過去を振り返れば、そんなことはありえないというのはだれよりもよくわかっているはずです。どうも強硬に北朝鮮に対して拉致問題をネタにして強く出れば出るほど、安倍政権は国民から支持されると信じ切っているいるようです。事実そのようにして支持率をあげてきました。今回も「モリカケ」疑惑がありつつも、また三度目の日本国の総理大臣になることは決定的であり、それが当然であるかのように日夜報道されています。

拉致問題は特に当事者にとってはとても許されない事件ですが、実際問題としては外交問題として日朝平壌宣言に基づき国交正常化の交渉を行うなかで議論するしか道はありません。韓国には数百名を超す拉致被害者がいると言われていますが、淡々と外交的な努力を重ねていくしかないのです。  

     日朝首脳会談は無条件で開催されるべき

     https://oklos-che.blogspot.com/2018/06/blog-post.html

★北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対する敵対政策の変更を
私には河野外相の「いまは終結宣言の時期ではなく、非核化を現実的に進める時期だ」という発言は、日本国民がもつ、実際の核・ミサイル実験を繰り返した北朝鮮に対する不安感とこれまでの差別意識に便乗しそれをさらに掻き立てる態度のように思えるのです。そこには植民地支配の清算を誠実に履行するという態度は一切見れません。慰安婦問題、被爆者問題、そして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交樹立が敗戦後70年も放置されていること、朝鮮学校への差別政策などがそれを示します。安倍政権のように北朝鮮を敵対視するだけではそれらの問題は解決できません。  

  朝鮮学校の生徒が祖国から持ち帰った土産品を押収した関空の税関の真相

  http://oklos-che.blogspot.com/2018/07/blog-post_8.html

朝鮮半島の終戦宣言こそ、一刻もはやく具体化されなければなりません。そして日朝平壌宣言に基づいて国交樹立を模索しその中で拉致問題を解決していかなければならないでしょう。朝鮮半島の非核化は北朝鮮の問題だけでなく、全アジアの非核化の問題であり、全世界の非核化の問題です。その解決の第一歩は日本にあっては、沖縄をはじめとした米軍の駐軍基地をなくしていくという一歩からはじめられるべきだと思います。その声が日本国民から出てくるのはいつになるのでしょうか。

2018年8月7日火曜日

北朝鮮の被爆者の来日、来韓を実現させましょう

1945年8月6日の広島へのアメリカによる日本の広島(及び長崎)への原爆投下によって、ヒロシマ・ナガサキが原爆被害の世界的な象徴になっていますが、実は広島及び長崎への原爆投下による被害者は日本人だけではないのです。アメリカ人や中国人もいましたが、なんといっても多いのは日本の植民地支配によって徴用として日本に渡り被爆した朝鮮人です。

被爆者全体の約2割だと言われていますが、その朝鮮人被爆者の多くは死亡し、生き残った朝鮮人にはハプチョン出身者が多かったのです。実際資料館で本人の履歴書を見せてもらいましたが、多くは懲用で来ていました。広島で被爆した多くの朝鮮人(及び2世、3世)が韓国のハプチョンで住んでいることは世界はもちろん、韓国でもあまり知られていないのです。


韓国の被爆者が、被爆者が誰だかはっきりしているのに加害者がはっきりしていない、アメリカも日本政府もそして韓国政府までもが自分たちのことを無視してきたと憤慨するのは当然のことだと私は思いました。

写真はハプチョンに世界平和公園を造成し原爆犠牲者を安置することを訴えるシム・ジンテ韓国原爆被害者協会ハプチョン支部長。彼の心からの訴えに胸を打たれます。

私がハプチョンの原爆被害者の慰霊祭で日本から参加した者の代表として挨拶することを慰霊祭事務局から依頼され、固辞したのですが、名前を印刷したからということで挨拶をすることになりました。8月6日、韓国ハプチョンでの慰霊祭の様子が韓国での全国ニュースで流されました。その中で私のスピーチの様子も写っています。私の話の内容は以下のとおりです。
https://www.facebook.com/seungkoo.choi.12/posts/1531244957020734?notif_id=1533708578980590&notif_t=feedback_reaction_generic


私は在日二世の崔勝久(チェ・スング)と申します。1945年生まれの73歳になります。父は他界しましたが、11歳の時に一人で黄海道の信川(シンチョン)から日本に渡って来ました。私は9月6-17日まで共和国に初めて行くことになり、父の故郷を訪ねます。そしてその地で父の遺骨を散布してきます。
私は朝総連に北の被爆者のハルモニに会うことを申請しました。お会いできれば韓国であたたかくお迎えし、治療も受けられるように、そして韓国の被爆者が解放後、言葉に表すことのできない苦労をしながら獲得した権利を彼女たちも享受できるようにしたいというお話をしたいと思っています。みなさん、北にいる被爆者をあたたかく迎え入れようではありませんか。ありがとうございました。


参考資料:韓国原爆被爆者教会の決議文(2018年8月6日)

社団法人・韓国原爆被害者協会は、原爆投下73周年になる今年に行われる原爆被害者追悼式典に際して1945 年8月6日や9日、日本の広島と長崎にて米国の原爆投下による朝鮮人被害者10万人のうち、生き残った2300人余りの会員は韓国政府は勿論、日米両政府に対しても謝罪と賠償、そして追悼公園の建設を強く促す立場を示しながら、以下のように決議する。

―大韓民国政府は同国憲法第10条により、日米両政府に対して謝罪と賠償を強く要請し、被害国民への福祉対策を講究せよ。

―日米両政府は、原爆投下による韓国人被害者への謝罪や賠償は勿論、5万人の犠牲者の遺骨を送還せよ。

―大韓赤十字社は核の無い平和な世界づくりに際し、南北の原爆被害者同士の交流事業を積極的に推進せよ。

2018年8月6日

社団法人・韓国原爆被害者協会 会員一同






韓国人被爆者の実態さえ定かではありません。特に被爆者2世、3世は遺伝による障害があるのかということは大きな問題になっています。被爆者が実態調査を要求する所以です。特措法が韓国国会で作られ不十分であるとはいえ、韓国人被爆者1世は韓国政府から法的な保護救済を受けるようになっていますが、当時「日本人」として被爆した朝鮮人が密航などによって来日し、裁判を起こし、原爆手帳を獲得して日本政府からの治療費を受けれるようになったのは最近です。
しかし北朝鮮にいる300人以上の被爆者はまったく無視され、無権利状態です。まずは日本政府が、そして同じ民族ということで韓国政府が北朝鮮にいる被爆者を招き治療や治療費などの支給をするのはいつになるのでしょうか。
私は9月6日に北朝鮮に行き、被爆者に会います。日韓両国の市民の皆さんのご支持、ご協力をお願いします。北の被爆者の来日、来韓を実現させましょう!

狹川「原爆被害者追慕祭」日本NHK初の生中継
Ohmy News 8月6日http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002460867

「韓国の広島」と呼ばれる慶南陜川「ハプチョン」で開かれた「第73周期原爆被害英霊のための追慕祭」が日本の放送を通じて生中継された。日本のNHK6日午前陜川原爆福祉会館慰霊閣で開かれた追悼式を生中継した。

追慕祭が日本に生放送されるのは今年が初めてだ。NHKはこの日、追悼式の祭礼と追悼辞シーンをそのまま放送した。NHK側は今年、広島で開催される追悼式を控えて雰囲気を高めるために、これまで開かれてきた陜川追慕祭を放送することになったと明らかにした。

追慕祭は、194586日と9日、広島と長崎に投下された原子爆弾の犠牲になった韓国人被爆者たちの魂を偲ぶために開かれた行事で、今年で73周年を迎えた。

追慕祭は韓国原爆被害者協会、陜川郡、陜川原爆支部(支部長シン・ジンテ)、韓国原爆2世患友会(会長カン・デヒョン)が開いたものである。

この日の追悼式にはムン・ジュニュイ陜川郡首とカン・ソクジン国会議員、ソク・マンジン陜川郡郡議会議長、リュ・ミョンヒョン慶尚南道福祉保健局長、キム・ユンチョル慶尚南道議員、シム・ジンテ陜川原爆支部長、ウィドアジア理事長支援の僧侶、チェ・スング反核平和連帯事務局長など300人余りが参加した。

この日の行事は、祭礼を始めとして追悼公演(厄払い)、開会宣言、追悼黙祷、追悼の辞、遺族代表挨拶、献花、追悼合唱順に進行された。

ムン・ジュニュイ陜川郡首は追悼辞で「その日無念のおもいで亡くなった英霊に対して体と心を尽くしてもう1度思い浮かべ無念の死の恨をはらし、彼ら(残された遺族)の権益増進のための支援に最善を尽くす」と述べた。

また、キム・ギョンス慶南知事に代わって出席したリュ・ミョンヒョン福祉保健局長は、「今日この場が全世界に非核化と平和への熱望を広く知らせ、我々はすべての痛みが癒される貴重な時間になることを希望する」と述べた。

一方、追悼式の前日には陜川平和の家(院長イ・ナムジェ)主管で「第72018陜川非核平和大会」が「非核・平和への道」のテーマで原爆被害者福祉会館で開かれた。 この日の大会では、日本伊藤孝司監督が直接北朝鮮を訪問し、北朝鮮に居住する被爆者を扱った最初のドキュメンタリー映画<広島・平壌>映画を上映し、「生命と脱核巡礼の話」を主題とした話しや、原爆被害者写真展市場などのイベントが開かれた。

イナムジェ院長は「核のない世界、非核、平和の叫びは、今日もこうして小さな平和の都市陜川で鳴り響き地球のあらゆるところに広がっていくことを念願する」と伝えた。一方、原子爆弾投下で、広島で8万人、長崎で20万人が死亡し、これらのうち、韓国人の死亡者は、長崎の35000人、広島15000人で、全体の犠牲者の20%を占めている。国内原爆被害生存者2000人のうち600人が陜川に居住しており、陜川は「韓国の広島」と呼ばれる。
(注:この韓国の記者は、長崎と広島を混同し、被爆者数及び死亡者数が逆になっています。しかしかくも多くの被爆者がいた、そしてその中にかくも多くの朝鮮人被爆者がいた事実には違いがありません。この歴史的事実とその歴史的背景こそ、直視されるべきことであろうと思います。)






同時代史研究』寄稿 時評
                    孤立深める日本のゆくえ
                                  変わりゆく世界のなかで
                     纐纈厚(明治大学特任教授)


朝鮮半島情勢の急展開をどう見るのか
安倍晋三首相は、「東アジアの安全保障環境は大きく変わった」を再三口にし、中国・北朝鮮の脅威を理由に安保関連法や自衛隊の権能強化を図ってきた。その物言いは、朝鮮半島情勢の急展開を受けた今日でも変わりがない、と強弁するのだろうか。昨年『暴走する自衛隊』(ちくま新書)を書いて以来、これまで以上に自衛隊と文民統制に関する発言を求められることが多くなった筆者からすると、それはもはや誤った口実、あるいは政治目的を強引に正当化するためのプロパガンダでしかない、と言わざるを得ない。そして、東アジアの軍事的緊張は緩和の方向に向かっている、と結論づけられよう。

それは、言うまでも無く南北朝鮮首脳会談や米朝首脳会談が実現したからだ。勿論、首脳が会談したからと言って、堰を切ったように直ちに緊張緩和が進み、休戦協定が停戦協定となって「終戦」が迎え、南北朝鮮が統一し、米朝国交正常化が近い将来実現する、などと言うつもりはない。それほど単純な国際政治ではないのだから。ただ、緩和化に大きく踏み出したことは間違いない。これはメディアの責任も大きいが、まるで明日にでも米軍の北朝鮮攻撃が開始される、とする空気が支配していた一年前とは真逆の状況が、恰も忽然と生まれたことは確かである。

しかし、米中と米朝との水面下での交渉や、韓国の実に見事な仲介戦略が着実に進められていたことを知っていた者からすれば、こうした首脳会談の実現は大凡想定内と言えた。そよりも交渉内容について、私の周りではその予測に懸命だった。実は両首脳会談では、実務者レベルでのかなり激しく、かつ厳しい交渉が六者協議の枠組みではなく、二国間交渉方式を徹底して採用することで、一歩一歩積み重ねられていたことが特徴であった。そこでは最初から越えられないハードルではなく、当面は超えられる可能性のあるハードルを敢えて設定することで、従来のパフォーマンスではなく、実を取る交渉が念頭に置かれた。実は、中国やロシアをも含めて、これまでの六者協議の枠組みの限界性と非戦略性を充分に教訓にしたうえでの交渉であったのである。そこに極めて深い外交交渉の練り上げを痛感する。 

私は昨年一〇月、「南北朝鮮の和解と統一を阻むもの アメリカの覇権主義と追随者たち」(『中国・北朝鮮脅威論の超えて 東アジア不戦共同体の構築』(耕作社)と題する論文を書いた。その冒頭で文在寅大統領の登場と、そのブレーンたちの南北朝鮮首脳会談開催を実現するための戦略的な動きについて触れ、康京和外交部長官や鄭義溶国家安保室長らが着任した時点で、以前から南北朝鮮統一に尽力を注いていた学者グループや外交官たちの主導による南北和解の動きは事実上スタートしている、と記した。また、アメリカでも北朝鮮情報を独占的に掌握していた中央情報局(CIA)長官のマイケル・ポンペオが国務長官に就任した時点で、米朝会談は事実上スタートしたと観測していた。米朝関係は国務省サイドの正規ルートではなく、表向きは別としても、北朝鮮の指導部との接触と人脈形成など、CIAのネットワークでしか対応不可能であったことは良くしられているところであった。それだけに、ポンペオの国務長官就任は、それまで積み重ねてきた米朝交渉の成果が表舞台で公表かつ実行可能になったことを示していたからである。

アメリカは、一九六八年に起きたアメリカ海軍の情報収集艦プエブロ号が北朝鮮軍に拿捕された、いわゆる「プエブロ号事件」以降、あらゆる角度から北朝鮮情報を集積する過程で、人脈形成にも相当の成果を挙げていた。その意味ではCIAが最も北朝鮮を知り尽くした組織とされてきた。軍歴を持つポンペオがCIA内に蓄積された北朝鮮情報と人脈を利用し、国務長官の地位を得て一気に動いたのが、今回の米朝首脳会談である。今回の首脳会談実施に限らず、またあらためて指摘するほどの事でもないが、言うならば、〝CIA外交〟は、アメリカの外交軍事戦略を読み解くうえで知っておくべき対象でもある。

実はこれに中国もロシアもCIAのネットワークの下で連携していたことは想像に難くない。問題は、こうした動きが水面下で活発化していたことを日本の外務省や首相官邸が、その最深部まで把握していなかったことの問題である。この間、安倍首相は、只管に北朝鮮への経済制裁強化と拉致事件解決を最優先課題にし、このダイナミックの動きに関心を払おうとしなかった。

勿論、こうした水面下の外交交渉の手法は、必ずしも正統性を得たものでない、と言うこともできる。しかし、例えアメリカの〝CIA外交〟の蚊帳の外に置かれたとしても、日本は南北朝鮮との植民地支配責任を正面から見据え歴史和解の方途を探り出すべきであったし、また独自の外交方針を掲げて東アジアの安全保障体制構築の先導役をも務めるべきであった。また、それを踏まえつつ、南北朝鮮の自主的平和的統一を、日本の独自の外交スタンスから積極支援する外交姿勢を見せる度量と戦略が欲しかった。

安倍首相は外交が得意ということになっているらしいが、安倍外交には戦略性も自立性も全く欠落していることは、今回の一連の動きのなかで一層明白になった感が否めない。その原因は、戦後一貫して日本の外交防衛がアメリカに全面依存し、自らの立ち位置を確定する意欲も努力も欠いていたこと、常にアメリカの肩越しからしか、外交力を発揮しようとしなかったこと、戦後の国体とも言える日米安保体制の呪縛ゆえに、日本は外交不在の国家と言う体質を身に着けてしまったことなどが指摘される。既に指摘されてきた通り、日本は深刻な矛盾を抱え込んでしまっていることである。平和戦略を構想する力を失った「疑似平和国家日本」は、必然的と言うべきか、「軍事国家」としての体裁を施していく。それが安倍政治の本質である。

北朝鮮と向き合えない安倍政治
安倍首相自身が拉致問題を踏み台にして閣僚経験がないまま、いきなり首相に就任したことから明らかなように、安倍首相にとって、拉致問題とは自らを政治の舞台に引き上げてくれた大切な素材として、徹底利用しているのであろう。自立的主体的な外交力を発揮するために、拉致問題が深刻な障害となっていることに殆ど気づいていないのである。拉致問題は人権問題としても極めて深刻な事件ではあるが、それは北朝鮮との国交正常化交渉と国交樹立への政策転換の過程で、解決の方向性を見出すのが順序として当然であろう。軽々に比較するのは慎まなければならないが、朝鮮戦争の折、北朝鮮領内で戦死した米兵の遺骨返還作業が、米朝交渉の成果の一つとして既に始まっていることは注目に値する。

拉致事件の解決なくして日朝交渉は在り得ないとする物言いは、結局のところ半永久的に米朝交渉の扉を閉ざしたままに据え置くことを意味してしまう。それではなぜかくも安倍首相は頑なに拉致事件を金科玉条の如く前振りとして多用するのだろうか。それが果たして本当に最優先する課題であろうか。誤解を恐れずに言えば、拉致事件の存在は、日本に反北朝鮮ナショナリズムを焚き上げて、国家至上主義を浸透させ、自由・自治・自律の民主主義の基本原理から、動員・管理・統制という軍事主義の基本原理を国民の間に注入しようとする思惑があるからではないかと疑ってしまう。

このいわば軍事主義注入作業は、功を奏していて、それが青年層をも含めて保守化と表現される政治現象を生み出している。その意味で、安倍首相の説く、中国や北朝鮮の脅威論を基本とする「東アジアの安全保障が変わった」式の議論の意図するものは、脅威設定による軍事的緊張感の醸成による国家防衛論の喧伝にこそある。ただ、安倍側近のなかから、流石にこれまでのような北朝鮮姿勢の限界性を感じ取ったがゆえに、〝絶対的敵視政策〟から〝相対的敵視政策〟への転換を直言する者も居て、極めて間接的ながら日朝首脳会談への意欲をちらつかせ始めてはいるが、北朝鮮からは安倍首相の従来の姿勢への不信感が強く、恐らく現状のままでは会談には応じないはずだ。北朝鮮が言う、「一億年経っても・・」日朝会談あるいは歩み寄りは在り得ないとする、これまた強固な姿勢の背景に、一体如何なる問題が横たわっているのか真剣に読み解くべきであろう。

北朝鮮側にしても日本や韓国からの経済支援は喉から手が出るほどの成果物でることは誰もが判っていることだ。それでも北朝鮮は、日本の植民地支配責任への謝罪、従来の差別的抑圧的な対北朝鮮姿勢を日本が如何なる方法と内容で、清算しようとするのかを注視しているはずだ。

安倍改憲論も安保関連法や共謀罪などの強行採決、自衛隊の拡大強化など、一連の強面の政策に通底する露骨なまでの軍事主義・国家至上主義は、北朝鮮側すれば、深刻な脅威だと捉えているはずだ。ここで再考しておくべきは、確かに北朝鮮の基本姿勢は、従来までは「核武装大国・経済強国」と言う、所謂「並進路線」の採用であった。そこでは極めて強固な労働党主導による「先軍政策」と呼ばれる軍事国家としての側面は隠しようがない。問題は、何故に北朝鮮が軍事優位の路線を敷かざるを得なかったのかの理由である。

その問題を解く鍵のひとつが、アメリカや日本など軍事経済大国による北朝鮮恫喝政策にあったと言える。朝鮮戦争の休戦協定に盛られた朝鮮半島の非核化の条文が、先にアメリカによって破られ、核砲弾発射可能のカノン砲や核ロケット・オネストジョンなどが韓国領土内に持ち込まれ、それが撤去された後にも日本の沖縄や岩国などにMGM/CGM13(メースB)など核搭載可能なミサイルを展開してきた。加えて韓国及び日本には合計で一〇万を越える在韓・在日米軍を展開し、併せて横須賀を母港とする米第七機動艦隊には原子力空母を旗艦とする大規模な打撃力を配備し、岩国・沖縄の基地には侵攻部隊である海兵隊を常置している。

さらにはアメリカとの間に韓米安保・日米安保という名の事実上の軍事同盟を締結し、今日においては集団的自衛権行使及び安保関連法によって、米韓日三国軍事同盟によるワンユニットの合同軍が北朝鮮への軍事恫喝を常態化している。そのことが、アメリカと比較して経済力では、〇・一%しかなく、軍事力においても〇・三%の能力しかない北朝鮮をして、それでも脆弱な経済力を振り絞る恰好でミサイル発射実験や核保有に奔走させてきた、という側面も否定できない。恫喝・外圧を受けた国家が、その存立基盤や正統性を担保するために好むと好まざるとに関わらず、「先軍政策」という名の軍事主義を採用し、その結果として軍事国家に駆り立てられてしまった、とする解釈も可能であろう。

それはかつての侵略国家日本が軍事主義・軍国主義を採用・導入していった経緯とは根本的に異なっている。戦前の日本は自ら積極に海外派兵を繰り返し、他国を侵していった。今年は「明治一五〇年」を寿ぐセレモニーなるものが政府の音頭により各地で企画されているようだが、その「明治一五〇年」前期と言える戦前期日本は、一八七四年の台湾出兵を嚆矢として、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、上海事変、対英米蘭戦争など連綿として戦争を発動し、軍事国家の道を自ら選択していった。主観は別としても、客観的に言えば、何処からも恫喝をかけられていた訳ではなかったのにも拘わらず。

しかし、戦後世界において北朝鮮は朝鮮戦争以降、一度も戦争政策を発動したことのない稀有の国家となった。参戦や派兵には相応の理由や説明が付きものであるが、事実として言えば、アメリカや旧ソ連、ロシアは言うに及ばず、中国は中越紛争でベトナムに派兵し、イギリスはフォークランド紛争でアルゼンチンに派兵した。また、フランス・ドイツ・イタリアなどのNATO諸国もユーゴ内戦に空爆など敢行している。韓国はベトナムに延べ三三万人の兵士を派遣し、日本も二〇〇四年以降、イラクなど海外に自衛隊を派遣し続けてきた。だが、北朝鮮は一九五一年以降、全く海外派兵を行っていない。戦争や派兵には無縁の国家であったことは記憶して良い事実であろう。その意味で北朝鮮は徹底した防衛に特化した戦略を採っていると見て良い。

その北朝鮮が米首脳会談以降、核兵器やミサイル関連施設の現時点では全てではないが、解体・破壊を重ねているのは、米軍の北朝鮮侵攻作戦計画「五〇一五」発動の可能性が緩和化された、と受け取っている証拠であろう。楽観視は禁物だが、少なくともそれは北朝鮮の戦略や装備が徹底した国家防衛に集中してきた証左とも言える。北朝鮮は韓国・中国・アメリカなどとの首脳会談を重ねることで、脅威から解放されることを希求したのである。

変貌遂げる日本自衛隊
そうした観点からして、一方の日本自衛隊の近年に示された防衛戦略や正面装備の転換ぶりは、極めて特徴的である。その点を少し触れておこう。
現在の自衛隊には、専守防衛に専念する従来型の自衛隊ではなく、世界最強の軍隊であるアメリカ軍との共同作戦を遂行するに足りる、文字通り世界に通用する軍事組織としての内実を固めたいとする強い志向が存在する。アメリカの言う同盟国分担体制を積極的に受容することが、自衛隊の組織拡充の絶好の機会と捉えているのである。アメリカの戦略転換に呼応する自衛隊の西日本シフトが顕著である。というのは、米トランプ政権が誕生する以前から「Offshore Rebalancing」(沖合均衡戦略)の打ち出しが検討されているのだ。すなわち、平時、アメリカ軍は可能な限りアジア地域から後退する構想を確実に持っている。平時にあっては「沖合」(Offshore)に後退しておき、有事にのみ紛争地域に出動展開するという戦略である。そこでは、平時においては、アジア地域で自衛隊と韓国国防軍がアメリカ軍の〝代替軍〟として位置づけられる。

こうしたアメリカによる要請を受ける格好で、この間自衛隊の組織装備の権限強化と再編が一気に加速している。例えば、二〇一五年に実行された「防衛省設置法」第一二条改正は、極めて衝撃的な改正と言えた。観点に言えば制服組(武官)と背広組(文官)との権限の平等化を図るものであったからである。日本の文民統制は周知の通り、文官である防衛官僚(背広組)が武官である自衛隊制服組を直接に統制する。その意味で文民統制の実態は、正確には文官統制である。つまり、防衛官僚を通して自衛隊制服組を統制するシステムが日本の文民統制(シビリアンコントロール)の特徴である。「防衛省設置法」第一二条の改正以後、文官と武官との上下関係が事実上解消され、対等性が担保された。文民統制に大きな風穴が開けられたに等しい改正である。これは戦前の軍事組織に絡めて言えば、陸軍大臣と対等な参謀総長が出現したに等しい。自衛隊制服組のトップの統幕議長は、戦前の参謀総長に相当する。

また世論の関心を左程呼ばなかったが、陸上自衛隊に陸上総隊が編成されたことも重大な編成替えのひとつであった。私などは、これを自衛隊の国防軍化の第一歩と見ている。現在の陸上自衛隊の師団数は、日露戦争開始当時と同じ一三個師団を保有している。それが五個方面隊に分別されている。この五個方面隊の上位部隊として、自在に海外展開できる部隊として編制されたのである。これは、陸上戦力の本格活用に備えての編成替であり、陸自部隊の一元的運用に適合する部隊である。最終的には、陸上総隊が旧軍の参謀本部に匹敵するものとなろう。そこでは陸上総隊司令官が検討されており、同司令官が設置されると、同司令官は旧軍の参謀総長に匹敵することになる。

自衛隊はこの他にも水陸機動団など、海外派兵に即応し、かつ一定の戦争に従事可能な部隊を創設しているだけでなく、例えば世界水準の評価では軽空母とされる「いずも」や戦前期の空母「加賀」の名前を引き継いだ「かが」などの大型艦を実戦配備しており、今後陸海空三自衛隊が競い合う格好で装備の近代化など軍拡に奔走している現実がある。その自衛隊を安倍改憲案によって、憲法に明記しようとする動きが出ている。こうした自衛隊の動きを批判する側には、現職の三等空佐(戦前の少佐に相当)が国会議員に暴言を吐き政治問題化したように、国防の前には批判も議論も許さないとする、文字通りのファシズムの思想が勢いを得ているのが今日の状況である。

私たちは、日本国家や国民の安全が如何なる手段によって守られるのかを、今一度真剣に問い直す時代に立ち竦んでいるように思われてならない。過剰な軍事力によって周辺諸国に脅威を与え、軍事同盟の深化とやらで、主体的な外交防衛戦略を紡ぎ出せないでいる日本は、このままでは孤立を深める一方ではないか。軍事力ではなく、平和力でアジアの、そして世界の平和戦略を主導する気概と知恵を発揮することこそが、平和憲法を戴く私たちの責任ではないか。そうした観点から、今一度朝鮮半島情勢の読み解き、東アジアの安全保障体制の行く末、そして何よりもアジア平和共同体構築をも一つの展望とする長期的視野に立つ国際平和秩序の形成に取り組むべき時であろう。


2018年7月30日月曜日

2018年 陜川(ハプチョン)反核平和プロセス準備企画案


2018年 陜川(ハプチョン)反核平和プロセス準備企画案

主旨 :
2015年原爆投下70周年にあたる201510月に創立された、韓日/日韓反核平和連帯は原爆と原爆被害者たちの苦痛に共感して同席し、被爆者の立場と視角で現況を把握して支援しようと努力して来た。特に、1945年広島と長崎に原爆を投下した米政府と製造運搬過程に参加した企業を相手にして真相を明らかにすることを求め謝罪とその責任を要求する活動を始めた。

この地で二度と核兵器が使われることのないように過去の歴史から教訓を得て、このような惨禍が繰り返されないようにするために、原爆投下73年を迎えてソウルとハプチョンで被爆者たちと一緒にするための行事を準備している。特に、4.27板門店宣言以後、北側の被爆者との連帯を通じて南北の被爆者そして日本と全世界被爆者が共同で行動するように努力することとする。

日時 : 83- 6/7

場所 : ソウル緑病院/ハプチョン原爆被害者福祉館/ハプチョン総合社会福祉館など

参加費 : 参加費日本側4万円/韓国参加者20万ウォン(ハプチョン移動と宿泊.交通費除外)

日程 :
83()
午前/ソウル宿所(教会女伝道会館)到着

1部ワークショップー被爆者人権と韓日反核平和運動の進路

時間 : 83日午後 3-6

場所 :ソウル緑病院(7号線シガチョン駅の近く)

・原爆被害者支援特別法改訂推進活動紹介 : イ・ナムジェ(ハプチョン平和の家院長)

・被爆者の健康管理 : イム・サンヒョック(緑病院副院長. 職業環境医学専門医)
・原爆被害者証言または活動現況(1世と2)紹介 : イ・ギヨル(原爆被害者協会ソウル支部長)

UN核兵器禁止協約 ICAN 活動 : イ・スンム/イ・デス(韓日反核平和連帯)

・核キ連(核武器反対キリスト者連帯)活動紹介 : イム・ジュニョン(核キ連事務局)

 午後 7-9時交流会

8 4()
午前9時ハプチョンにバスで移動

午後 1時宿所到着(湖水路ペンション. 陜川郡大命面往川湖路 381. 055-931-8804)

2部国際フォーラム ハプチョン・プロセスと対米訴訟運動方案

時間 : 午後 3-6

場所 : ハプチョン原爆被害者福祉館講堂

・ハプチョン反核プロセス進行状況と展望 - キム・ヨンボク(アジア太平洋平和研究員)

・対米訴訟推進進行状況 - チェ・ボンテ(弁護士)   

・ハプチョン被爆者運動紹介 - シム・ジンテ(原爆被害者協会ハプチョン支部長)

・戦略会議: 韓日間の協力と方案模索 - チェ・スング(韓日/日韓反核平和連帯事務局長)

夕食と交流会 : 周辺食堂及び宿所

8 5()
午前 - 休息と周辺見学
午後 2- 6日午後 6時写真展 : 非核平和露店市場 - 南北原爆被害者写真展図書展など 

午後 3-4:30 映画上映会(黒い雨)

午後 5- 6時非核平和話フェスティバル

午後 6:30-8時非核平和公演フェスティバル - 原爆資料館庭前

夕方 - 参加者交流会

8 6()
10時慰霊祭参加

12時昼食

午後 - 釜山またはソウルに移動

参加者


韓国 : キム・ヨンボク、イ・スンム、イ・デス、ファン・ナムドック、ホン・ソンフィ、
チョン・キホ、イム・ジュニョン、パク・ソルバロ


2018年7月27日金曜日

日朝国交樹立と原爆被害者問題 ー韓国 崔鳳泰弁護士



崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士でのFBで自己紹介をされているので、それを引用します。

東京大学大学院で学び、日本軍性奴隷問題、原爆被爆者問題、枯葉剤被害者など戦争被害者問題に関心を持ち活動をしています(FBにはいりCHOI BONGTAEで検索ください)。日韓問題の、特に日帝時代におきた法的問題に関わる両国の第一人者です。私は彼から、被爆者問題や慰安婦問題の本質は何か、多くを学びました。
氏の主張は、日韓条約で日韓の案件はすべて解決されたとする日本政府の見解は間違いで、両国が条約で決めたことでも、個人の人権は束縛されず、慰安婦問題被爆者問題、その解放直後帰国しようとして難破などで死亡した朝鮮人の遺骨問題などは、南北朝鮮が一緒になって日本政府と交渉して解決できることを、歴史的、現実的(法的)に解説してくれます。
なお、カッコ内の黒字の太字は、私が翻訳した日本語を読者に理解しやすいように私が追加したものであり、赤字は崔弁護士の重要な主張を読者にわかりやすく私が着色しました。   崔 勝久


       日朝国交樹立と原爆被害者問題 ー韓国 崔鳳泰弁護士

1.問題の所在
2018612日、シンガポールのセントーサで開かれた米朝サミットで両首脳は、70年にわたる米朝間の敵対関係を解消して、新しい関係を構築し平和体制を作るために共同努力すると宣言した。地球最後の冷戦体制を解体すると宣言したのだ。
北朝鮮の核危機を克服し、米朝間の関係の正常化がなされた場合には、東アジアの冷戦体制の中で犠牲にされてきた日帝被害者には<恨>を晴らす最後のチャンスが来るようになる。

現在、韓国の日帝被害者を締め付けていることの中の代表的なものが、冷戦中に結ばれた1965年の韓日協定である。特に請求権協定第21項に完全最終的な解決確認事項と3項のいかなる主張もできないという規定(注1)を日本が悪用して外交的圧力を加えてきたせいで、韓国の日本の被害者は韓国政府を通じて被害者の請求権を行使することに外交的な制約を受けてきた。そのせいで日帝被害者は、1970年代から日本の法廷と韓国の法廷で裁判闘争を開始して、法的成果を積み上げてきたが、両国司法の行政への影響力の限界と韓米日軍事同盟で被害者の人権懸案が安保などの優先順位に押されて、両国のメディアの不正確な報道などで、被害者救済の道に入れずにいる。
結局、韓国人被害者の請求権が実体的に存在しているという両国司法の法的判断を勝ち取っても、いまだ請求権が実現されないまま正義の実現が遅れている状況である。日本政府や企業が日本最高裁判所の判示趣旨に基づいて(韓日条約の)請求権(制限の問題)を消滅させるために(被害者救済のために)自発的責任の履行に出たり、韓国裁判所の強制履行判決によって(韓日条約の)請求権(制限の問題)を消滅(被害者救済)させれば日帝被害者の問題は法的に解決されるものである。

日朝間には、現在、日帝被害者の問題が1965年のような外交的次元ですら解決されてもいない状況である。2002年平壌宣言によって日朝間国交正常化の基本的な方向は捉えられてはいるが、日朝間で今後1965年の韓日協定の北側のバージョンが作られたとしても、外交的次元は別としても、日本側が両国司法の判断に基づいて日帝被害者たちの請求権を認定して、これ(韓日条約に記された請求権の規制)を消滅させるための協議をしてその責任を履行する措置をしない以上、被害者の請求権は、法的に消滅することができないのだ。

元来、日帝被害者の問題は、南北のいずれかの政権が単独で解決できない本質的限界をもつ問題であり、加害者の日本は、南北分断の漁夫の利を得て、被害者の権利救済の道を防いできたのだ。しかし、日本のこのような態度は、1895年明成皇后殺害(注2)に象徴される、120年余りのその中の敵対的関係を持続させるだけである。被害者問題の解決なしには真の友好は来ないだろう。したがって、最後の冷戦体制の解体が日帝被害者問題の解決を通して補完される必要があり、ある意味では、真の戦争体制を終了させて平和体制に転換したと評価できるだろう。

2.日朝国交正常化の過程を点検する

12002年、平壌宣言の内容

日朝国交正常化に関連して、日帝被害者の処理方向と関連して、その試金石となるのが、2002年の平壌宣言である。

当時、金正日国防委員長と小泉純一郎首相は2項で「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮人民に多大の損害と苦痛を与えた歴史的事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心の底からの謝罪の意を表明した。
双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化後、双方が適切とみなす期間にわたって無償資金協力、低金利の長期借款提供と国際機関を通じた人道支援などの経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から、日本の国際協力銀行等による融資、信用貸付等が実施されるのがこの宣言の精神に合致するという基本的な認識の下、国交正常化会談で経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することにした。
双方は、国交正常化を実現する上で、1945815日以前に発生した理由に基づいた両国と両国人民のすべての財産及び請求権を相互放棄する基本原則に基づいて国交正常化会談で、これに対して具体的に協議することにした。
双方は、在日朝鮮人の地位の問題と文化財の問題について、国交正常化会談で誠実協議することにした。」と宣言した。

上記2項は、日帝被害者問題の解決の大きな骨格を見せるものとして、1965年の韓日請求権協定の骨格をそのまま借用したが、日帝被害者に関連してみると痛切な反省と心の底からの謝罪が記載されているが、双方は国交正常化を実現する上で、1945815日以前に発生した理由に基づき両国と両国人民のすべての財産及び請求権を相互放棄する基本原則に基づいて国交正常化会談で、これに対して具体的に協議することにしたとして1965年韓日請求権協定と1972年日中共同宣言の融合で、結局日帝被害者の問題、法的解決には何の解決策も出していない状況である。結局、国家主導の20世紀の解決策によって、21世紀の日帝被害者の問題を解決するというものである。

しかし、このような方法をとると、両国司法の被害者の請求権を消滅させる法的効力があるということは認めらないというのがこの間の司法闘争の結果である。それにもかかわらずこれに対する補完措置を作らないのは日帝被害者問題をそのまま遅延させるということに他ならない。

2)日帝被害者問題の解決のための日朝間の立場の違い

つい最近、日帝被害者に関連して北朝鮮の立場は、労働新聞629日に記載されている。
また、労働新聞の社説にも622日の立場が出ている。
このような立場が果たして平壌宣言の内容を補足するかどうかは明確ではないが、少なくとも反人道的不法行為については、国の責任と賠償を要求する余地は十分に残っているものと思われる。実際、北朝鮮は20062月に開催された第13修交会談では、「平壌宣言」に基づいて、経済協力方式の一括過去の清算を主張する日本に対し、経済協力自体は否定しなくとも、「いくつかの例外的な問題が発生する可能性があるので、経済協力以外の「補償」が必要だ」と主張しすることで、日本が意図する過去の清算方式にブレーキをかけた

しかし、問題は日本側にあるのに、現在の日本の報道を見ると、平壌宣言と異なる形態の被害者救済のための立場を示したものは見えない。それにもかかわらず、被害者個人に対する救済の道は、過去1965年の韓日協定締結後に作られたものである。代表的なもの原爆被害者、サハリン、日本軍慰安婦被害問題などである。特に原爆被害者問題は、現在も、日本政府が被害者に金銭的支払いを続けてきている。

つまり原爆被害者の問題は、過去の被害者たちの闘争の結果、日朝が1965年の韓日協定の枠組みとしてどのような国家協定を結んだ政府間協定にもかかわらず、被害者の救済はまだ残っていることを示し、この部分をどのように日朝間の交渉過程で浮き彫りにさせるのかが重要な課題である。
サハリンの場合や、日本軍慰安婦の場合にも、被害者個人に対する救済の先例があるので、1965年の韓日請求権協定の枠組みが作られても、追加の議題にする道があるとみる。これらの種子を生かし日帝被害者救済の森を作らねばならないが時が来たのだ。

(3) 日帝被害者問題解決の方法は何か

日帝被害者問題解決は法的に被害者たちの請求権を消滅させることを言う。しかし現在まで韓日間や日朝間交渉の内容を見れば被害者たち請求権を認識したうえでこれを消滅させるための協議及びその移行と係わる協議は成り立たない状態だ。事実認定、謝罪び及び賠償、再発防止は重大な人権侵害事案を解決するための方法であってもこれが順に成り立っておらず、これは問題解決になったという世論を造成することもできなくて何より被害者たちの同意を導き出すことができなくて結局、個人請求権の存在が現在にも相変らず残っているという法的判断を両国司法部がするようになる。したがって問題解決の道はその間積み重ねられた法理を基礎にして法治主義国家らしく両国司法部の判断を尊重した解決策を探さなければならない。

3. 韓国の日帝被害者たちは日朝修交過程で何をしようとするのか?

韓国の日帝被害者請求権に対する韓国政府の立場からまた点検して見よう。
韓国政府は 2005年8月、 韓日会談文書を全面公開しながら日本軍慰安婦、サハリン、
原爆被害者など反人道的行為によって被った被害に対しては韓日請求権協定の適用対象ではないのでその請求権が法的に存在すると言ったし、2012524日 最高裁判所判決によって強制動員被害者たちもまた不法な植民地支配に直接的かかわるわることなので請求権が生きているという判断をしたことがある。
20151228日、韓日政府間合意によって日本軍慰安婦被害者たちの請求権が消滅したのではないということが韓日両国政府の共通理解なので、これら日帝被害者たちの請求権は相変らず生きていてその消滅のための措置が今後模索されなければならないという立場だ

 (1) 日本軍隊慰安婦問題(関連報告者の報告を詳細に参考されることを願う)

 現在日本軍慰安婦問題は日帝被害者問題の中で韓日間で核心的事案になっており、 世論の関心もこの上なく大きい。 韓日間慰安婦問題解決の法的核心は韓日間被害者たちの請求権が法的に存在しており、これが 1965年はもちろん、20151228日の韓日間外交的妥協によっても被害者たちの請求権が消滅しなかったということだ。

日本政府も 20151228日、外交的妥結によって被害者たちの請求権が消滅したことではないという立場であり、ただ 1965年韓日請求権協定を通じて法的に解決されたと言っているが、これが被害者たちの請求権を実体的に消滅させたのではないという(韓国の)司法部判断を前提にし、今後の被害者たちの請求権を消滅させる課題が韓日両国にある。
特に日朝間外交的交渉によって経済協力方式でこの問題を解決しようとしても法的には限界を持つようになるので、この部分は日朝間協議を通じて韓国の被害者個人請求権問題も一緒に解決にならなければならないであろう。

事実認定、謝罪及び賠償、再発防止の問題解決手順を考慮すれば南北間ユネスコ登載のための共同努力を通じた事実認定が今後の大きい変数として作用するように見える。
韓国政府が最近、10億円を韓国予算で充てる国務会議議決をして、今後の日本政府の対応が注目されるが、(韓国の)市民団体たちは10億円を返して、両国司法部が促した法的解決のための交渉をし、2011830日 憲法裁判所違憲決定で発生した違憲状況を打開しろと主張している。この過程が具体化されれば日朝修交と韓日協議が二つの通路で成り立つことができるだろう。

(2) 日本にある遺骨奉還に対する南北連帯の動きと BC, サハリン問題, 浮島号問題

最近言論でしばしば言及される問題として遺骨奉還問題がある。
民族和解協力汎国民協議会南側関係者たちの中に日本で保管されている被害者遺骨に対して真相調査と、これに引き継いだ丁寧な奉還を南北が一緒に協力して解決して行こうという動きがある。
統一省から公式許可が出て、2018 7 16日、キム・ホンゴル南側代表常任議長が訪北して北側と協議をすること報道されている。南北共同推進委員会が構成になるように見える。
祐天寺など日本側が保管している遺骨等に対する共同調査及びサハリン等共同事業が可視化されるように見える。
北朝鮮出身 BC級戦犯被害者 4人の遺骨が返還されていない状況、チェ・ウォニョン(1924-)は北朝鮮出身で北朝鮮に帰国した戦犯被害者たちと連絡がとれない状況なので、この問題を日朝間で扱われるようになれば、日本で一番共感を得やすい BC級被害者立法解決に良い影響を与えるように思える。
サハリンの場合、1965年当時には帰還さえできない状況で韓日間で放置された特殊性があるので、日朝修交過程で初めて日本政府と協議の対象になる事案である点を考慮して遺骨はもちろん、軍事郵便貯金個人請求権関連協議の新しい次元を開くことができる特性があることを考慮しなければならないであろう。ムン・オッチュク(お婆さん)ハルモニの軍事郵便貯金もその関連で今後の懸案になる可能性がある. 

その外にも(敗戦直後、朝鮮人帰国者を乗せた浮島号が舞鶴港を出向した時機雷で550名もの朝鮮人が死亡した)浮島号被害者の場合、祐天寺に被害者の遺骨があって浮島被害者の遺骨の現地調査も今後の課題になるだろう。
また現在日本で進行中の裁判である靖国合祀取消裁判に関連して北側被害者たちの合祀に対して日朝間で焦点をあて、日本政府の責任追及、合祀取消要求などを日朝間の争点として扱って合祀に対する日本政府の責任追及, 合祀取り消し要求等を日朝修交過程で解決できる機会が来ている。

3)原爆被害者

韓国原爆被害者の場合、米国や日本どちらからも謝罪、賠償を受けられずにいる。しかし、韓国原爆被害者の裁判闘争を通じ、日本の被爆者援護法の関連障害の壁を一つずつ取り崩していっている。
原爆被害者に対する正義回復は日韓の歴史清算を超え、核兵器のない世界のためにも必ず必要であり、韓日間被害者問題の解決が日韓の葛藤の種ではなく、友好の種になることをよく見せてくれる近道だと思う。さらに、米朝間の進行中の交渉は核兵器廃棄が主題なので、個人的な考えでは、米朝共同声明第5項に原爆被害者問題を入れたならば、韓半島の非核化、北東アジア非核化はもちろんのこと、核兵器のない世界を被害者の人権救済を通じて具現しようという人道的精神がよく現れていただろうと思う。

原爆被害者の遺骨に関連して、現在長崎教務所に大量の遺骨が保管されているが、関係者の証言によると約1万人の被爆者遺骨があるとされ、長崎刑務所で収監中だった朝鮮人被爆者の場合法務省が名簿を管理して被爆者の遺骨も管理しているという。(解放直後、壱岐島沿岸で難破して死亡した131名の朝鮮人の遺骨が納められている)壱岐島の天徳寺の遺骨の場合、三菱重工の徴用工の遺骨と蓋然性があるので、この三つが今後解決すべき原爆被害者の遺骨の3大課題とみれる。

4)その他の協力事項

他にも、2006年から始まった韓日会談文書公開(韓国側+日本側公開)の結果を共有して、冷戦当時日帝被害者の問題が正しく解決されなかった原因を把握し、韓国で2005年から始まった対日抗争期強制動員被害真相調査記録の共有を介して、被害者次元の真相調査をもとに北の交渉力を高めることが必要である。韓国側の資料の共有、日本の郵貯銀行、軍事郵便貯金名簿、厚生年金名簿などに対する日本の資料要求、日本の近代産業遺産ユネスコ登載の共同対応も効果的な事案である。
最後に大韓弁護士協会と日本の弁護士協会の法律家の共助の結果物を共有し被害者たちの1970年代から始まった約40年間、法的闘争の成果を総合的に生かし解決策を導き出すことも緊急の課題である。

4. 原爆被害者問題解決のためのはじめの課題

 (1) 問題解決は実態糾明から

国内原爆支援法の実態調査を通じて1945年当時韓国人被爆者被害規模に対する韓日政府間実態調査を牽引すること。(韓国人被爆者被害の規模に対して日本政府の公式立場牽引すると)この過程で北朝鮮と連帯する必要があり、北朝鮮訪問の推進、キム・サン匕議員など被爆者問題に関心がある議員の協力(が必要になってくる)。

北朝鮮被爆者と連帯の具体的内容―韓国国内原爆被害者支援法実態調査条項を活用して日本政府に対して北朝鮮と一緒に被害者関連資料要求とか実態調査要求とか, 南北被害者共同交流―共同追慕祭, 非核化大会, 医薬品支援南北協助を提案(したい)。
あわせて南北被害者 2世に対する無料検診を日本政府に要求して日本人被爆者2世たちと共同補助をすること(も重要である)。
一歩進んで米朝間の進行中の交渉が核兵器廃棄が主題で米軍遺骸送還が懸案になっているので、韓国人被爆死亡者の遺骸調査奉還の問題も申し立てる必要があると考える。

遺骨調査の 3大懸案
原爆被害者たちの遺骨と関連して現在長崎教務所に大量の遺骨が保管されているのに関係者の証言によれば約 1万名の被爆者遺骨があるという。
長崎刑務所で収監中だった朝鮮人被爆者13人の場合、法務省が名簿を管理して被爆者遺骨をやはり管理していると言われており、これを通じて被爆死亡者遺族会結成して名前が刻印された追悼碑を日本に立てること(中国人収監者の場合刻印された追悼費がもう設置されている)も(求めたい)。
壱岐の島天徳社遺骨の場合、三菱徴用工の遺骨である蓋然性がある。
広島, 長崎仏教査察に対する調査を通じて現況把握(南北日で仏教界連帯)する必要がある。)

(2) 原爆被害者問題は日本市民社会の協力を得やすい特殊性があって、法的にも日本軍慰安婦被害者を含めた日帝被害者たち問題解決に一番心強い友軍になることができる。したがって 2011830日、 原爆被害者に対して韓国政府への憲法裁判所不作為違憲決定の心強い法的成果を基礎にして7年間捨ておいた原爆被害者問題を日本政府を相手に協議するようにして、最近10億円返還を取り囲んだ日本軍隊慰安婦被害問題に対する新しい解決の突破口を押し広げ、 現在憲法裁判所に係留中のサハリン、BC級被害者問題不交渉放置に対する韓日両国交渉も導き出して、日朝修交と二つの通路で日帝下の重大な不法行為に対して韓日両国政府の交渉をするようにしてこれを通じて、被害者救済と法的解決を促す韓日両国司法部の判断が結実を結ぶようにしなければならないであろう。


注1:日韓請求権並びに経済協力協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)
第二条1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
第2条3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。
注2:1895年、朝鮮で実権を持っていた王妃閔妃(ミンビ)を、宮中に乱入した日本公使らが 殺害した事件 https://int.search.myway.com/search/GGmain.jhtml
参考資料:
吉見義明著『草の根のファシズムー日本民衆の戦争体験』を読んで

北朝鮮、自滅は選ばないー「ラルフ・コッサ氏に聞く」(朝日新聞11・9)

笹本征男著『米軍占領下の原爆調査ー原爆加害国になった日本』(新幹社)を読んで

8月5日、ハプチョンで倒れた、在日の金信明に学ぶ
http://oklos-che.blogspot.com/2017/08/5.html