金民雄教授の各地での4回にわたる講演会(5月26-29日)は無事終了しました。精力的に準備をしてくださった皆さんにお礼を申し上げます。5月26日は福岡で、澤正幸牧師にお願いして日本キリスト教会 福岡城南教会で金民雄牧師(教授)の説教(私は証と聞きました)による「伝道集会」が超教派でもたれました。これは韓国の市民キャンドル革命とは歴史的に、聖書的にどのようなものとして捉えればいいのか、ということを現実にその革命に関わる一人のキリスト者としての信仰理解、そしてその革命に参加するエートス(時代精神)とはどのようなものであるのかということを説教(証)を通して、日本及び世界の教会、キリスト者に彼のメッセージを伝えたいと願ったからです。
後の3回は福岡、大阪、新潟でもたれ、いずれも、日本社会の変革と日韓の連帯を求める聴衆は金教授のお話しに魅了され、その体系的で精密、そして何よりも韓国の歴史的な革命に現実に参加しているという喜びと熱意に感動したようです。参加者はいずれも、日本での市民運動を韓国のキャンドル革命のようにしたいという思いを持たれて参加されたのでしょう。
金教授はしかしながら、市民を多く集めるノーハウの類の話は一切されませんでした。そうではなく、いかに韓国の民衆が苦難の歴史の中で生きてきたのか、その蓄積の上ではじめて、今回のキャンドル革命は第一段階、成功したということを話されただけだと私は思います。そのキャンドル革命は、人権、正義、民主主義を願い大統領を退陣させ、そして韓国社会を根底から変えようとする試みとしていかに、世界史的な意味があるのかということを説かれ、それを日本の市民とも共有化し、東アジアの平和を一緒に作っていこうという呼びかけでもありました。
金教授はさらに日本社会はどのような社会であるのかという点についてもお話しされました。一言で、
日本は明治維新以降の国民国家成立のために力(刀)で人権、平等、民主主義を願う人々を抑圧し、朝鮮の封建制度に立ち上がった農民、独立を願った民衆を虐殺し、その犠牲の上で経済成長してきたにもかかわらず、戦後もまた、植民地主義を精算できず大国主義的な体制を作りあげ、市民の覚醒、アジアの平和を求める社会ではなかったのではないかというご自身の歴史的な認識を淡々と述べられました。
日本の戦後は平和と民主主義として経済発展してきたという政権や市民の価値観を根底的に問うものです。しかしそれは非難や叱責ではなく、連帯の呼びかけを求めるものであるということがすべての聴衆に伝わったと思います。金教授は何よりも、言論と教育の重要さを強調されました。日本の若者が圧倒的に自公体制を支持する傾向があるなかで、市民運動に関わる人たちだけではなく、できるだけ多くの人たちと議論し、日本社会を、そして東アジアを、世界を変えていく流れに参加していきたいと願います。なお、各地での講演を文字化して資料にしますので、ご期待下さい。
講演内容はさらに深く日本の歴史、現状の分析に及び、多くの聴衆に感動を与え、今後の具体的なプロジェクトのはじまりにつながるとおもいます。福岡、大阪、新潟での講演内容が文字化されることも検討され、具体化されそうです。そのことでさらに多くの人に金教授の体系的、学問的な分析を経た解説が伝わることになるでしょう。
安倍政権の問題は、戦後日本が平和と民主主義の国であったのに突然、軍国主義的な志向を持つことになったのではなく、明治維新以降以降の平和と人権を尊厳する流れは抑圧されて現在に至っているということ、従って、安倍の登場は出るべくして出てきた、必然的なものであったということが説明されました。
言論、教育の変革によって日本社会の150年に及ぶ硬直した軍事的、植民地主義的な体質を変えなければならず、韓国の市民キャンドル革命によって明らかにされた、民主主義社会実現に向けた闘いが共有化され、東アジア全体の平和につながるという課題が明確なメッセージとして聴衆に伝わったと思います。金民雄教授、お疲れさまでした。
5月28日、昨日、大阪で金民雄教授の講演会がありました。
天王寺の大阪南YMCAの会場に集まったのは主催者が精力的に配布したチラシを見てきたという人を含めて50名で、会場は満員でした。集会は韓国の市民キャンドル革命を紹介する10分のビデオの上映から始まりました。100万の市民一人一人がろうそくを持ちウエイブする場面はそれだけでも圧倒的で、観る人の感動を呼び起こすものでした。
金民雄教授のお話しは、韓国の市民キャンドル革命を戦後(解放後)の歴史の流れだけでなく、李朝末期の封建制度社会に抗する農民の革命的な蜂起と、武器を持たず日本の植民地支配に大韓民国万歳と叫び6ケ月にわたり抵抗した民衆の歴史を繋げるものでした。金民雄教授は今日のキャンドルを持って立ち上がった市民の姿が、100年前のただ独立を叫び非暴力で抵抗した市民と見事にオーバーラップするさまを聴衆に知らせます。
金教授のお話は、福岡での講演会に参加した市民の反応を踏まえて、日本の現状を明治維新以降、市民の覚醒でなく、天皇に忠実な臣民を作ってきた国家政策の「伝統」を乗り越えられなかったものとして捉えた、一歩踏み込んだものでした。経済的に豊かな社会を実現させたが、正義、平等、倫理に基づく民主主義の社会の実現に失敗した結果として現状を説明するのです。
明治維新以降の日本の近代化の成功は朝鮮の農民の虐殺から始まり、そして全体主義的、暴力的な国家となった日本は戦後もまた、植民地主義価値観を払拭できず今日にいたっている、安倍政権は生まれるべきして生まれたものであるということを具体的な例を挙げ、体系的に話されました。
韓国のような爆発的な市民運動にならない日本の市民運動の根はどこにあるのか、どのようにすればいいのか、聴衆の関心はそこに集中しているようでした。金教授の講演を聴き感動した主催者たち私たちの仲間は、聴衆は、具体的にどのいうな一歩を踏み出すのか、問われることになりました。
大阪での金教授の講演会もまた、大成功でした。
大阪での金教授の講演会もまた、大成功でした。
5月27日、昨日、西南学院大学で84名の参加者(内、大学生15名)でした。韓国の市民キャンドル革命は、日本の日清戦争の時に日本軍に抵抗し殺された農民(東学)の闘い、3・1独立運動の大韓国民国万歳を叫ぶ全国的な闘い、軍事政権に抗する市民の闘いを継ぐものであるという歴史的な背景及び、日韓市民の連帯の希望についての熱のこもった講演でした。
金教授はまた、日本の明治維新以降の市民の覚醒を押さえ込むような政策、教育のあり方についても体系的、具体的な話を展開され、日本の民主主義の実態がアジアの平和に結びつくものであるのかという問題提起をされました。1時間半にわたる質疑応答では、北朝鮮の核武装の歴史的な背景の説明があり、平和条約締結を求め対話をしようとしてきたのはむしろ北朝鮮であり、NPT体制の基本的な約束事を破ってきたのはアメリカであるという事実についての説明もありました。
昨日5月26日、福岡城南教会において、金民雄牧師(教授)の「夜明け前」という題目の通訳を入れて90分のお話しがありました。ヨハネ福音書の21章で、復活したイエスがペテロたち漁師に湖の船から網を投よと言ったら、専門家の漁師が採れなかった魚が多く採れたという箇所です。
苦難、苦しみ、絶望の中から希望が見えるということを創世記の「はじめに」からこれは無から有が生じたということでなく、イスラエルの民が絶望に中から見出した信仰告白であり、それは韓国民の苦難の歴史に中から見出した市民キャンドル革命と同じではないか、教会は苦しみを受け社会の繁栄の犠牲者になったいる人たちの立場に立って希望のメッセージを伝えなければならない。
暗闇から夜明けを迎え、復活のイエスの言葉通り、自分の経験に頼らず網を船の右舷に投げたくさん採れた魚(社会に変革の兆し)を韓国人、日本人が共に喜びをみって味おうではないかという、韓国市民キャンドル革命の始まりをこの目で見た金民雄さんの証でもありました。
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