2018年6月15日金曜日

米朝共同宣言、このように読むー金民雄、韓国慶熈大学教授


 日本の政府だけでなくマスコミは、米朝宣言を冷ややかに論評した。多くの日本国民はそのマスコミに多大な影響を受け、北朝鮮は約束を破ってきた国だから、今回の米朝宣言もどうなるかわからない、と思ったようだ。同時に、日本国民の圧倒的多数は、拉致問題の解決を最大の問題と位置づけ、この問題の解決のめどが北朝鮮から示されない限り、いかなる「援助」もするべきでないという論調だ。その視点からはアジアへの平和の貢献というベクトルは見えてこない。
残念ながら、そこには歴史意識と、アジアへの平和の講演を語る意思が全く見られない。考えてみれば、日本は明治維新からアジアへの関心は侵略のためであり、民衆レベルからアジアの平和を語ったことがないのではないか。   

ここに取り上げる金民雄(キム・ミヌン)教授はすでに5度以上、日本各地で講演をし、参加した多くの人に感動を与えてきた。今回、最新の論文を氏から送っていただいた。日本では米朝宣言はCVID( 「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」が実現されなかったことに対する不満の声が広がったのに対して氏の論調はまさに、米朝宣言の「関係性の樹立」を大きく取り上げ、そこに我々の世代の未来を語る。この違いはどこから来るのか、日本の侵略と数々の受難の歴史を経験した朝鮮民族のこの歴史の重さの違いだろうか。

来年は日本の植民地支配に対してアジアの平和を訴えた3・1運動100年に当たる。氏の論文を契機にして、3・1運動100周年記念にアジアに生きる市民としてどう受け止め、何をしていくのかしっかりと考えていきたい。

               

                              <金民雄の人文精神>         2018615

     金 民雄(キム・ミヌン)、韓国慶熈大学教授

                     米朝共同宣言、このように読む
                ―接近が完全に異なった方式に注目せよー

トランプモデル登場

ついに「トランプモデル」が登場したことになる。もちろんこれは、文在寅―金正恩協力体制の所産でもある。核心は「関係正常化の軌道の上で核問題を解決する」ということである。この反対ではない。だから北朝鮮と米国のこの合意は包括的であり迅速で安定的な内容と構造をもっている。北朝鮮の非核化過程をいちいち検証して満足すればこれからの関係変化を論議するすることになると言ってみたり、はかりごとをするというやり方ではないということだ。ふたつのやり方の間にどんな違いがあるというのだろうか。

去る6月12日、北朝鮮と米国の共同宣言は今までとはまったく異なる観点を私たちに要求している。これを明確に認識できないとこの宣言の意味を正確に読み取ることはできなくなる。そのために北朝鮮の核廃棄に対する具体的な内容がなく、2005年6次会談の9・19共同宣言より後退したというような論評がでたのだ。過去の論法に縛られているせいだ。文在寅政府もまたこれに対して説得力のある整理された説明する責任がある。

何よりも大きな争点は共同宣言にあるCVID(Complete, Verifiable, Irreversible, Dismantlement)についての言及が抜けていたということだ。「完全かつ検証可能で不可逆的な解体/廃棄」という意味がもつこの用語は軍事主義勢力であるネオコンの影響下にあったジョージ・ブッシュ1期(2001年―2005年)に登場した概念だ。これは敵と規定した状態をもっとも強力な武装力で完全に解体しようとする発想であり、イラクやリビアの適用された内容でもある。

そのためにCVIDというのは、北朝鮮を「悪の枢軸」に含め地球上から滅絶しなければならない攻撃目標として打ち立てたネオコンの政策であると点に注目したら、この概念の正当性には論争が生まれるしかない。これは主権国家の武装解除を狙いすました論理だからである。国際法的には敗戦国家に適用するやり方だ。「悪の枢軸」概念は廃棄された状態において徹底した武装解除を推進するやり方をそのまま作動させるということは矛盾である。

CVIDが先か?否

従って北朝鮮のやり方はすでに予想されたことだ。軍事的敵対関係の解消が同時に約束ないし保障されない状態から一方的な武装解除が要求条件になるのであれば、敵対的関係に置かれているところでこれにおとなしく応じる国家はない。さらにCVIDについては技術的検証過程の複雑で検証期間、検証内容に対する尽きることのない論争がでてくるようになっている。

このように検証が進められる間に発生する、基準の調停を向上させる可能性などによって、関係正常化にいたるまであまりに多くの障害要因が内包されている。このような接近は、関係正常化は知ったことではなく「お前はすべての武力手段を放棄しろ」ということにしかならない。強大国の一方的な強制と暴力と違うことのない接近だ。CVID概念は米国の覇権的軍事主義の産物であるという観点から廃棄論議が必要になるのが実情である。

それが故に米国の関係正常化の意思を前に立てCVIDを関係正常化の優先的な条件であると継続して強調する場合、相互間の緊張と衝突はわかりきっている。またその結果、核問題妥結のために起こった先の上記の合意と合意の無効化の悪循環は反復される可能性だけが大きくなる。今回の米朝共同宣言はこれに対する問題意識を盛り込み「完全な非核化(Complete denuclearization)という目標を提示することで、検証方式の技術的な論争が原則的目標を圧倒しないようにした。また非核化の範囲を「朝鮮半島」として朝鮮半島内の米国の核搬入も排除している点も間接的に内包されるようになった。CVIDを除いたのではなく、この枠に縛られてないということなのだ。

観点の転換

それだけではない。「両国の信頼関係の構築によって、朝鮮半島の非核化を進めることができることを認識」し合意を宣言すると発表した。非核化をすれば信頼するだろうという論理でなく、相互の信頼形成の過程が非核化を促進するようになるという論理がここに込められているのだ。まず親しくなれば相手側を攻撃する武器は必要ではないじゃないかという方向設定だ。

ここから共同宣言の全体的な把握に入ってみよう。非核化論議は全体の4項中3番目に配置されている。これは2005年度の9・19共同宣言1項が「6次会談の目標が朝鮮半島の検証可能な非核化を平和的な方法で達成することを満場一致で再確認」とあるのと対照になる。北東アジアの平和は4項になってはじめて言及される。しかし米朝共同宣言の1項は「米国と朝鮮民主主義人民共和国は、平和と繁栄に向けた両国国民の願いに基づき米国と朝鮮民主主義人民共和国両国国民の新しい関係を樹立するために取り組んでいくことを約束する。」であり順位が異なる。

優先的な目標は「新しい関係の樹立」であり、これは両国の指導者の個人的な意思ではなく、「平和と繁栄に向けた両国国民の願い」に基づく国家的措置だということだ。後ろの2項は「朝鮮半島の持続的で安定的な平和の体制を構築するため、共に努力する」となっている。北朝鮮と米国は新たな関係樹立そして持続的(lasting)で安定的(stable)な平和体制(peace regime)構築が大原則だ。

3項の「朝鮮半島の完全な非核化」は前文で表現したようにこの枠の中で解決されていく関連事案だ。(前文:「トランプ大統領と金正恩委員長は米国と朝鮮民主主義人民共和国の新たな関係樹立と朝鮮半島における永続的で安定した平和の体制と関連した事案を主題に包括的で真摯なやり方で意見の交換をした。」)3項の場合、板門店宣言まで包括することで南と北の自主的意志と敵対的状況を終わらせるための方式を盛り込んだ点は特記するだけのことがある。(2018427日板門店宣言を再確認し、朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮半島の完全な非核化に向かって努力することを約束した。)

ここで再び確実になったことは非核化が新しい関係樹立の条件でなく、新しい関係樹立が非核化を実現させる土台になった点だ。関係樹立は相互信頼構築に基礎を置くことであり、これに必要ないわば関連事案と違ったひとつが、4項の「米国と朝鮮民主主義人民共和国は身元が既に確認された戦争捕虜・戦争失踪者の遺骸をすぐに送還することを含めて戦争失踪者の遺骸収拾に取り組むことを約束する。」である。

戦争捕虜、失踪者の遺骸送還は朝鮮戦争の記憶を始末する大変重要な措置だ。1次的に米国内世論の変化が期待され、戦争がいかに多くの人民の犠牲をもたらすのか確認することになる歴史的手続きでもある。またこの送還過程で北朝鮮と米国の協力が実現され、相互哀悼の過程が生じれば敵対的関係の儀式が終了することだろう。このような一連の過程が戦争を乗り越え平和の実態を作り出す力になれば、平和の薫風は一時で消える風でなくなる。

共同宣言の整理文章はそれだからこそ更に貴重である。「ドナルド・トランプ米合衆国大統領と金正恩朝鮮民主主義人民共和国国務委員長は米朝関係の発展、朝鮮半島と世界の平和、繁栄、安全のために協力することを約束する。」関係の発展、平和と繁栄そして安全というこの核心的単語は非核化論理へだけに集中していた既存の意識と状況を一挙に飛び越えた。朝鮮半島の平和と敵対関係清算の枠を中心にして問題解決の幹を掴み取ったのである。

二つの翼を広げよ、アジア太平洋そしてユーラシアの翼を!
今や我々にどのような未来が広がるのだろうか?振り返ってみるとこのように条件がいいことがあるのだろうかと思う。南と北、米国と中国すべて準備ができている。そのうえに我々の場合、去る地方選挙を通じて平和体制を推進できる政治勢力の全面的な再構成が実現したことで内部的にも硬い地形を形成した。文在寅大統領の平和推進の意志が歴史的動力を得ることになったのだ。来年20193・1運動100周年という点をこれとともに合わせ見ると、そこからキャンドル市民革命に至る歴史が平和の旅程にちょうど始動をかけていることがわかるようになる。

これによって我々はアジア太平洋体制とユーラシア体制の中間にて圧迫を受けてきた過去を乗り越え、二つの体制の合流地点だという存在感を獲得するだけでなく、まさにこの二つの翼をぱっと広げて世界的な次元の飛翔をすることができる位置に立つようになった。南と北が一つの体になればこの翼が我々みんなものになる。そして人類の未来に向かって新たな平和のモデルを作っていく驚くべき未来を生きていくことになるだろう。

この機会にもう一つ付け加えれば、内部的には南と北という表現は正しいが、国際的次元では南北ではなく、北朝鮮の正式名称を尊重し米朝関係と呼ぶ態度と経験を積みあげなければならないのではないかと思う。相手側の呼称を正確に呼ぶことは信頼を積み上げる姿勢と通じる。我々は韓美関係としながら、相手側は北美と呼ぶことは、これは北美(North America)ではまずいことにならないか。

未来は新たな観点と態度を我々に要求する。今の問題を解けないやり方に固執することは問題解決の意志がないのと同じだ。ところでまさにこのやり方は問題を解決できなかっただけでなく、問題をさらにこじらせさらに多くの問題を作ったということを認識する必要がある。ふたつの翼をぱっと広げ飛翔すればこの世は全然違うように目に入ってくるだろう。

点から見る世界(bird’s view)、これこそ我々の未来だ。

1 件のコメント:

  1. 金民雄氏の投稿を読み全的な同感の意を表したい。非核化は結果としての到達点であって根本的なことは指摘のとうり相互の信頼の構築であり平和への努力である。朝米はその点を明確に6・12の宣言に明記したのである。

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