懸念はそこにとどまらない。日本外交の目標は一見明確である。北朝鮮の核・ミサイルは早い段階で物理的に廃棄するべきとされる。妙な言い方かもしれないが、問題は、誰も否定しえない目標の正しさにある。その圧倒的な正しさは自縛的だ。
 核とミサイルは、日本にとって脅威だ。独裁のもとにある敵性国家が直接的な攻撃能力をもつことは不安全そのものだ。また、ここで核兵器の拡散を許せば、他国やテロ集団が同様の技術を手にするかもしれない。それは、被爆国としての願いにも反する。だから、日本の誰もが核兵器・関連物質はミサイルもろともモノとして廃棄すべきと考える。
 こうした目標に沿って、国連決議など多くの了解を日本政府は引き出し、世界的に制裁も強化された。けれども、北の核廃棄という外交目標の実現はおぼつかない。
 実勢はこうだ。もとより北朝鮮は一方的な核廃棄の気配を見せていない。その北が恐れ、嫌がることを二つ挙げると、戦争と制裁だろう。日本にとっての問題は、その二つの見込みが弱含みだということだ。
 この間、南北は接近し、中朝もよりを戻した。中韓のいう非核化は、内容や道筋の点から日本とずれる。頼みの米大統領は、歴代大統領がしえなかったことを自ら成しとげたと見せつけたい。暗転はありうるが、米朝は接近を模索している。
 その結果、開戦前夜といわれる状況は南北・中朝接近のなかで反転し、戦争は非常に困難となった。ならんで、制裁の実効性に疑義がつきまとう。カギは中国だ。北の貿易の9割がたは中国とのものだが、すでに、中朝国境では人と物の行き来が再開しているといわれる。
 結局、北朝鮮にはたいして恐れるものがない。今後も非核化の演技を続け、少なくともしばらくは核とミサイルを保持することになろう。
 そんななかで、米朝対話が進むとなると、米国による核の傘の意味がかわりうる。それに応じて、日本は目標とそれへの接近法を再考することを余儀なくされる。
 安全保障論のいろはだが、脅威とは物理的能力と攻撃意図の積である。日本が追求してきた非核化は核の物的廃棄であり、前者に関わる。それを追求しつつ当面叶(かな)わぬのなら並行して後者を減ずるほかない。
 いま考えるべきは、北の攻撃意図をどう減ずるか、それに資する政策手段は何かである。たとえば、非核化に向けた具体的行為があれば、それに合わせ、個人・団体を対象としたものなど、象徴的な独自制裁から緩和や解除を模索してもよかろう。そうしたサインの交換と全般的な関係改善のなかで、遠目にみる核廃絶への移行期においても、日本の安全を確保することが求められる。
 (えんどう・けん 1966年生まれ。北海道大教授・国際政治。「シリーズ日本の安全保障」編者)