2016年10月6日木曜日

いま、どうして植民地主義を論じるのか(1)ー私の問題意識

いま、どうして植民地主義を論じるのか?
私たちは、世界で初めて福島事故を起こした原発メーカー3社(日立、東芝、GE)の責任を問う裁判を東京地裁ではじめ、世界39ケ国から4000人の原告を集めました。しかし裁判所は私たちが主張した内容にまともに応えず、すべての要求を棄却する判決をだしました。それに対して、私たち原発メーカー訴訟本人訴訟団は、原告の主張にまともに対応しない判決は不当であり、原発の製造・運用・輸出そのものが違憲であり、原発メーカーは世界中の「恐怖」と「不安」のよる精神的損害を訴える原告への賠償責任があると主張し、控訴しました。原発関連の裁判の中で、原発の製造・運用・輸出そのものの違憲を主張しているのは、私たちだけだと思います。

   控訴理由書を本日、東京高裁に提出しますー法廷外の国際連帯運動を構築する法的根拠

     http://oklos-che.blogspot.jp/2016/09/blog-post_12.html

原発メーカーの責任を問うことは原発体制そのものを問うことであり、原発体制が差別の上で成り立ち、核不拡散を謳いながらも原発の拡張を進める、核保有国主導のNPT体制そのものに抗うことになります。核兵器による安全保障を前提にしながら、他国の核保有を力で抑え込む大国の在り方とは、結局それは植民地主義なのではないか、植民地(領土)を持たず、文化的・経済的・政治的に他国を支配するというのは確かにかつての植民地支配とは違っているが、本質においては同じではないか、それをどうしてポストコロニアルという新たな概念で旧宗主国を批判しながら、現在の植民地主義の問題として捉えないのか、私はずっと疑問でした。その疑問をFBに書いたのが以下のものです。

原発体制、沖縄問題、ヘイトスピーチ、慰安婦問題、戦争法案などなど。これらは個別の問題として取り組まれていますが、これらの問題は戦後社会の世界の構造から必然的に出てきているのではないのでしょうか。
現代の世界の混乱は、国民国家という制度の下で大国が作り上げたシステムによって間接的に、土地を占領(植民地に)せず、経済的に文化的に中小の国民国家を政治支配していること、また同様に中小国家もそのシステムを採用していることから生じているということだと思います。
植民地主義と従来いわれていたものと違って見えますが、他国を経済的に搾取し、政治支配し、国内的にも格差、差別をする構造になっているということでは、まさに植民地主義です。それは支配される側と支配する側の人々の人間性を破壊します。原発体制は大国が核による世界支配をしていること、原発と核兵器は表裏一体であり、原発体制 は植民地主義と国民国家という政策と制度に拠っています。
私は「ネオ植民地主義」でも「見えなくされた植民地主義」でも良いと思いますが、全世界の混乱の根幹をこのように捉えるべきだと考えるのです。皆さんのご意見はいかがでしょうか。

それに対していくつかの意見が寄せられました。
EHさん:
100パーセント納得です!
AGさん:日本の現状を植民地主義と捉え」の部分は、少し意味がわかりにくいですね。日本が韓国などを植民地支配しているということなのか、アメリカが日本を植民地支配しているということなのか、本土が沖縄を植民地支配しているということなのか、政府が民衆を支配しているということなのかーー
崔:「日本の現状を植民地主義と捉え」はたしかに曖昧です。これは、現代のグローバリゼーションの世界にあっては、ということであり、具体的には、日米の関係、韓米の関係、沖縄と本土の関係、アメリカ傘下の日米関係、在日の状況に現れている諸現象を植民地主義という括り方で見ていくと、全体が構造的に理解でき、運動の面でも新たな広がりが見えてくるのではないかという意味です。日韓反核平和連帯が国際反核平和連帯になるころには、ラテンアメリカの植民地主義の実態をも内包するものにならざるをえないでしょう。実践とともに、しっかりと思想・理論を深める作業をしていきたいと思います。
私はあらためて故西川長夫の本を引っ張り出して読み始めました。彼は、国民国家と植民地主義との関係をどのように見ていたのか、明らかに近代化そのものと、現在の世界の状況は植民地主義としてとらえるしかないはずなのに、どうして植民地主義という言質は過去のものとされるのか、ここしばらく、西川長夫の悩み、考えてきたことを改めて検証したいと思います。「見えなくされた植民地主義」について考えていきますので、読者の皆さんの忌憚のない意見をお待ちしています。

西川長夫「いまなぜ植民地主義が問われるのか〜植民地主義論を深めるために」『グローバリゼーションと植民地主義』(人文書院2009)より
西川は、生前発表した<新>植民地主義をみずからこのようにまとめています。
①グローバリズムを「第ニの植民地主義」と呼ぶ
②グローバル化の新しい段階の特徴を「植民地なき植民地主義」とする
③国民国家と植民地主義の関係を「国民国家は植民地主義の再生産装置である」とする
「16世紀の大航海時代つまり西洋の膨張が始まって以来、世界の4分の1が4分の3を支配し地上の80%以上が植民地化された異常な時代から、グローバル化の時代と呼ばれる現在にいたるまでの人類史を特徴づける第一の言葉が「植民地」と「植民地主義」でなくてなんだろうか。」
「だが歴史は一般にそのように語られていない。なぜだろうか。そこはおそらく、植民地を隠蔽しわたしたちに見えなくさせる大きな力が働いている。そしてその力こそがまさに植民地主義ではないだろうか。」
「いま私にようやく見えてきたことは、国家と資本と文明概念に支えられた長期にわたる近代という時代は、グローバリゼーションと一体のものでありその輝かしい近代の裏側には暗黒の植民地と植民地主義がべったりと張りついているという事実である。
近代という時代の真実を見極めるためには、その裏側から剥がしてゆかねばならない。そしてその作業は近代人である私たち自身の内面の闇を暴く作業をともなうだろう。近代人は近代人である限り多少とも、あるいは本質的に植民地主義者である。」


KSさん:初めまして。近代とは、そもそも戦争と植民地なしには成り立たないものなのだ、その意味で、近代とはそもそもが「植民地的近代」なのだという議論を、先日、お茶の水大学のある会合で聞いてきたばかりでした。本当に西川長夫さんの言われるとおりと思います。

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