2016年10月6日木曜日

いま、どうして植民地主義を論じるのか(2)ー西川長夫の「植民地主義の再発見」

「いま、どうして植民地主義を論じるのか(1)」で私の問題意識を披露しましたが、当分は、西川長夫の植民地主義論を再読してみたいと思います。
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/10/blog-post_6.html

植民地主義ということが、時々、いわれます。例えば、日本はアメリカの属国だとか、沖縄に対する本土の姿勢に対してその単語が使われますが、私にはその議論が本気でなされているようには思えません。植民地主義とはいかに避けることができないほど、私たち一人一人に巣くっているのか、また植民地主義とは近代以降の国民国家の成立以降、避けることのできない形で世界を覆っているのではないかということを、西川長夫の著作をしっかりと読み、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
西川長夫『植民地主義の時代を生きて』「植民地主義の再発見」(平凡社 2013)より

近代の人間はすべて、植民地主義の汚染から免れられない
初めに一つの結論から述べたいと思いますが、植民地あるいは植民地主義は近代に不可欠の構成要素の一つである、と言ってよいと思います。したがって近代人はどこに住もうと、いかなる思想・信条の持ち主であろうと、植民地主義から免れることはできない。一般に旧宗主国の住民は植民地問題の研究者でさえも、そのことの認識と自覚が恐ろしく欠如しているのではないでしょうか。そして旧植民地の住民や研究者もまた、植民地主義の汚染から免れていない、といいところにこの問題の困難さがあると思います。」 222
これは西川が日本の植民地下の朝鮮で生まれ育ったという環境の所為ではなく、彼の長年の植民地主義の研究の中から出てきた言葉だと思います。「隠されてきた植民地主義」、そこにまさに植民地主義の特徴があり、専門家であっても植民地主義に侵されているという、彼の怒りの声を私は聞くのです。それは何よりも、第三者に向けられているのではなく、西川の場合、自分自身に向けて絶えず自分を検証しなければならないという姿勢を貫こうとするところに、西川の特徴があると私は感じます。

「文明の進化」概念は植民地主義
「文明は西洋近代化において追及されるべき最高の価値を示し、人類の進歩と幸福、さらに自由、平等などの概念をも含んでいますが、それは同時に野蛮の対概念として、教化、開発、致富、さらには異民族の支配や帝国形成への、したがって植民地化や植民地獲得の欲望を秘めた概念です。」
中国、朝鮮よりいち早く西欧の文明に触れた日本は、「文明開化」のよび声をあげて、富国強兵の国づくりに励みました。キリスト教会の宣教政策も、日本のその大きな方向の中で具体化されてきたのです。福沢諭吉をはじめ、明治以降の偉人とされている人の中で、植民地主義を根柢から批判する日本人の思想家が生まれたでしょうか。敗戦後の「日本人の主体性論」をいち早く提唱した丸山や大塚においても、この植民地主義にむしばまれてきたことを問題にしていません。

詩人のエメ・セザールの語る言葉
 エメ・セザールはWikipedia参照、
 仏領マルティニック島出身、ネグリチュードの代表的な詩人にして政治家で、フランス語圏黒人 運動の草分け的存在https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AB
こうして、「文明化の使命」が植民地支配の合言葉になり、悪を善と言いくるめる弁明のことばになっていたことは周知の事実です。そしてこの迷妄から覚めるためには、マルチニックの詩人エメ・セザールの次のような言葉が必要でした。「植民地化がいかに植民地支配者非文明化し、痴呆化/野獣化し、その品性を堕落させ、もろもろの隠された本能、貪欲を、暴力を人種的憎悪を、倫理的二面性を呼び覚ますか、まずそのことから検討しなければならない」(砂野幸稔訳『帰郷ノート/植民地主義論』平凡社、1997)。もっとも半世紀以上も前に発せられたこの言葉が旧宗主国の人々の耳に達した形跡はほとんで認められません。225

植民地主義の概念の転換
「植民地主義の概念の転換について述べなければなりません。「古典的な形態をとらない新しい植民地主義」という表現は、植民地主義から解放され、独立を勝ち取ったはずの新興諸国が直面した困難がいかなる性質のものであったかを示す切実な言葉ですが、それは同時に植民地主義の変容を示す予見的な言葉でありました。そしてそれは、現在グローバリゼーションの名の下に私たちが直面している現実を予告しています。私はそれに「植民地なき植民地主義」という名称を与えました。第二の植民地主義の出現です。植民地を前提とする従来の植民地主義の定義では、グローバル化時代の植民地主義を理解できないばかりか、植民地主義の存在自体を隠蔽しかねない。グローバリゼーションがいかに強力な植民地主義を内蔵しているかを私たちの前に示してくれたのは、植民地主義の研究であるよりはむしろ、911以後のアフガニスタンやイラクに対するアメリカとその同盟国の介入、そしてそれに続く世界的な金融危機と経済恐慌の現実でした。228
植民地なき植民地主義こそ、西川のもっともすぐれた、植民地主義に対する認識だと思います。宗主国からの独立を意味した50年、60年代の植民地主義論ではなく、新自由主義こそ現代の植民地主義だという主張です。ですから、<新>植民地主義という表現でその違いを表そうとしたのですが、その西川の試みは成功したとは思えません。やはり概念操作でなく、実践の中で彼のいう植民地主義との闘いとは何なのかを示すしか、彼の定義を広めることはできなかったのだと思います。

国内植民地について
あらゆる大国が、そしてほとんどあらゆる小国が、様々な形で、中央と地方、あるいは中と周辺という構造をもっているとすれば、国内植民地の存在は、国民国家に普遍的な現象ではないでしょうか。そうした考察の果てに私がたどり着いた結論の一つは、「国民国家の統治原理は植民地主義的である」というものです。そう言い切った時に、国民国家と西洋近代の本質がみえてくるのではないでしょうか。 229
もちろん、中央と周辺という理論も西川の独創ではありません。しかし国民国家とはなにかということから、まず国内植民地は北海道から始められたことを踏まえながら、「国民国家は植民地主義を再生産する装置」と定義づけることによって、彼独自の理論になったと思います。

結論:その(1)
私たちが近代という時代に生きている以上、植民地主義はあらゆる場面、あらゆる次元で私たちに付きまとって離れない。国家や社会のあらゆる部分、あらゆる組織の中で発生し機能している植民地主義。自己の身体や内面で育成され、時に他者に向けて協力に発散されて他者を傷つける植民地主義。他者への視線、他者に対する暴力の中に潜む植民地主義。性差や身分、貧富や階級、身体能力と結びついた植民地主義。国際的な力関係はいうまでもありませんが、植民地主義は私たちが社会や様々な集団の中で占める位置によって姿を変え、あるいは姿を隠して現れます。(中略)植民地と植民地主義は私にとって自明なものではなく、時間をかけて発見されるべきものでした。

私は、植民地主義とは「時間をかけて発見されるべきもの」というこの理解が西川の独特な理解であり、優れた点だと思うのです。なにか、植民地主義とは外在的に、客観的に存在するのではなく、まさに自分自身の生き方を根底から顧みることなくしては見えてこないものだということです。安冨歩たちがいう「魂の脱植民地化」というのは、その点、西川の理解のしかたと似ていると思います。社会科学者だから、十分な知識と情報をもつから植民地主義のことがわかるのではない、自らの学問の方法論においても、自らを曝け出し、根底から見つめ直すことを提案する安冨たちの学問の在り方に私は大きな関心をもっています。
       安冨歩との出会いから考えたこと
       http://oklos-che.blogspot.jp/2016/07/blog-post_9.html

その(2)、三つの提言
2010年は韓国併合100年の年ですが、おそらく「あまり議論されないであろう」ということで、三つの論点について西川さんは触れています(これは西川長夫の遺言として受けとめるべき言葉だとおもいますー崔)。

①植民地と宗主国の相互的な関係
植民地を持つこと、他国の人を植民地化することが、いかにその宗主国の人間をダメにし堕落させたか、そのことの深刻さを日本の知識人も国民も十分に理解していないし、理解しようとしていない。」、同時に「植民地における堕落の深刻さの問題があると思います。」
それは例えば、私が日本語で読んだ本としては、鄭百秀『コロニアリズムの超克』(草風館 2007)で書かれています。韓国が日本帝国主義の植民地支配から独立しても、それはまた、「根深い遺産」の払拭には簡単に結び付かないということがよくわかります。

②植民地主義の同時代性と連続性の問題
私たちは現在の植民地主義に対して闘わなければならないと思います。

③日韓併合の合法性
「私には全くナンセンスなものに思えます。」
「なぜなら国際法自体が列強の利益に合わせた植民地主義的なものであるのだから。」


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