2016年10月3日月曜日

パレスチナの現実を映画と講演から知って感じること

10月2日の日韓反核平和連帯の福岡での戦略会議と集会の準備の為に福岡に飛びました。しかし私たちの仲間はみんな、土井さんのパレスチナに関する講演に会に参加するというので、私も空港から会場に直行しました。
                                                              
土井敏邦さんの講演です。ガザでの経験談からはじまりました。

彼はイスラエルのキブツを経験し、友人に連れられてガザに行き、キブツは誰の土地か知っているのかと訊かれて初めて、国際関係に関心を持ち始めたそうです。
「キブツ」、懐かしいですね、この言葉。私が50年ほど前、大学の1年生の時、1クラス14―5名でしたが、その一人が「イスラエル」のキブツで集団生活をしてまるで、理想郷のように話していたことを思い出します。土井さんも初めてイスラエルを訪れ、キブツをそのように感じたのでしょうね。
しかし土井さんは30年にわたるイスラエル、ギザの実態を知るにつれ、「ガザ戦争とメデイアはは報じたが、あれは虐殺です。」「直接的な暴力だけでなく、暴力の実態を知っていただきたい。」と今、語り始めました。

土井さんのレジュメの表紙です。土井さんはジャーナリストです。大学は医学部に入り、シュバイツアのようになりたかったと言うのですから。政治にもあまり関心をもたない、ノンセクトの学生であったのでしょう。
それから30年、土井さんはイスラエルに通いつめ、ジャーナリストとしての地位を作ってこられたのでしょう。話し方は決してアジるようなしゃべり方でなく、むしろ控えめで物静かです。
ガザ、イスラエルの問題は爆撃があったり、戦闘行為があったときにだけ日本では報道されるが、「構造的な問題」としてとらえる必要がある、パレスチナの問題を学習するのでなく、想像力を働かせて、自分の問題として考えてほしいと訴え、何か具体的な提案を積極的にすることはあえて避けている様にも思えました。自分で見つけ出せ、そして自分の責任でやればいいじゃないか、こんな気持ちを長年の経験からもつようになっているのでしょうか。
ですから、話の大半は現地の青年(全員、男子)が閉塞状況の中で希望を失わず、なんとか技術やタレントを活かして、海外に出たい、ガザから出ていきたいという声が多かったように思います。そういう青年たちに具体的に、何か、手をさしのべることはできないのか、そういうことを志すNPOがあるので、本当に関心があるのなら、はじめてみたら、と勧めているように感じました。

ドキュメンタリーの最初はガザの現状を映しだします。
とにかく、あらゆる産業は農業を含めてすべてイスラエル軍の空爆によって破壊され、生活と産業の元になる発電システムが完璧に使い物にならないようにされている様子がわかります。
一流の大学を出ても数万人の高学歴、能力をもつ青年たちのうち、数百人しか就職できないそうで、かつ海外に移住することは容易なことでなく、仕方なく不法で海を渡るときは死を覚悟しなければならない状況です。陸路は完全に封鎖されているようです。そんなところで安易な希望を語れるはずもありません。映画には出なかったですが、イスラエルと物理的に闘うという青年がおそらく、たくさんいるんでしょう。当たり前です。
ガザは反イスラエル勢力が二つに分かれていますが、これは当然、イスラエルのDevide and Control(分断政策でしょう。狭い領土の中に人口が120万人、そのうち6割が難民ということでした。

産業界に従事して生活してきた人の絶望もいかほどでしょうか。電機は使えない、もっていた工場もすべて使えなくされた。
これからの展望は見えない。
ガザの発電所が攻撃され、100年使えなくなった。発電ができないと電気でだけでなく、住民の水を含めた基本的な生活ができないということ、と所長の発言する。淡々と。
しかしそのような環境はの中にあっても人は生きていくのです。私はインタビュアー(おそらく土井さん)が、英語で、もし自分があなたであれば(あなたの環境に置かれていたら)、自殺を考えるが、どう思うかという質問をされていました。そのような絶望的な環境の中からでも、希望を語る姿を映像にしたかったのでしょう。
しかし私は違和感を感じました。If I were you, I might kill myself.
それは心情的によくわかるからということで、発されたことばでしょう。しかし日本人はパレスチナの人間ではありませんし、なれません。私にはその質問はいくら、希望を失わずに生きていくという答えを期待したものであっても、そして実際そのような答えが出てきたものであっても、違和感がありました。
土井さんは言います。占領はない、言うことを聞かせるためにライフラインをすべて破壊しながら、政治的交渉を続けている。これは植民地のない植民地主義そのものではないか、私はすぐにそう思いました。原爆を保有し、圧倒的な軍事力をもつイスラエルをアメリカが支え、日本が啜りよっていきます。ドローンの技術だ、新らしいソフトウエア―だ、それ観光だと。北朝鮮には自衛のために核武装は必要とする北朝鮮を制裁し、徹底的に弾圧しているのに、なんでイスラエルはいいの?ダブルスタンダード。手前勝手な論理です。これを日本のマスコミは支えます。

土井さんは日本のマスコミにガザの実態を報道してほしいと自分の作品を見せても、全く反応はないそうです。土井さんの静かな声の中に怒りを感じ取れました。日本のマスコミは一切報じない。視聴者は関心を持たないからという。このことを私はFBで講演の現場から報じたら、「何をどう報道するかが大事で、視聴者が関心を持たないからというのを理由にして報道しないから、片寄ったことしか報道しなくなる頭になるんでしょうね。関心を持てるように報道するにはどうしたら良いかを考えろって」というコメントがありました。
「これは構造的な暴力であり、パレスチナの青年から生きていく希望を奪っている」と土井さん。なにっ、日本は植民地支配をしている国の原発には目をつぶり、一緒に金儲けをしようってんですか。怒りが沸き起こります。イスラエルには世界の大国がすり寄ります。特にヨーロッパにはユダヤ人虐殺の歴史があり、ものが言えないという面があるのでしょうか。
私は差別は許されない、だから差別の上で成り立つ原発体制と闘うという小出さんの言い分はその通りだと思います。イスラエルの支配、抑圧、差別を構造的に捉えるべきだというのであれば、土井さん、その構造とは何ですか、それを植民地主義というのではないのでしょうか。植民地主義という言葉に土地の占領や直接的な支配を意味するこれまでの「慣例」があるのであれば、新植民地主義とでも言い直すべきでしょうか。

日本の学界では、植民地主義は死語のようになっています。私は植民地のない植民地主義、そして国内植民地主義の実態を見抜き、自らの中にその植民地支配の価値観、感性があることを自覚して発言されてきた西川長夫の言い分はよく理解します。まさに、新植民地主義です。それは本質として「慣例的」に使われてきた植民地主義の本質を継ぎます。
植民地主義が単なる過去の用語なのか、そんな議論をしてもしかたがありません。今のこの現実を、それではなんと言い、どうしようとするのですか? 私は新植民地主義だと思います。確信します。
私は土井さんの作った映画を観て、お話を伺ったことをうれしく思っています。土井さんは私の発言を自分への批判と捉え、すこし反発されていらしたようですが、そして植民地主義とか連帯という言葉を単なる運動用語、観念論ととらえられたようです。しかしそうでしょうか。お互いがそれぞれ新植民地支配の中で、人間性を取り戻そうとしてあがいているのです。共通点がないはずがありません。私はそれを原発体制というキーワードで見たいと思います。

イスラエルの原発の技術はどこのものか?私たちが反核平和を訴えていけば必ず、パレスチナの青年との接点があると確信します。

私は彼らとの面談を楽しみにしています。



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