OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2016年9月18日日曜日
小林たかし『植民地主義再考ー民族差別をなくすため』を読んで
この小林たかし『植民地主義再考ー民族差別をなくすため』は、たまたま題名を読み買ったのですが、小林さんがどのような方か全く知らずに購入しました。まず私はいつでも「はじめに」と「あとがき」を読んでから、大体、作者の意図や個性などを知ってから読むのですが、小林さんの場合、「あとがき」で、「私、定年退職して8年、そろそろ70歳・・・ということで、冥途のみやげに、身命をなげうつようにしてつくったのがこの本」だとあり、ご本人の植民地主義に対する思いが強く、必至になって書いたのだと思いました。アカデミニズムの世界に身を置かず、こつこつと様々な実践のなかで考えてこられた人だとわかりました。
ですから、民族差別をなくさなければならないとか、ヘイトスピーチと闘おうと思っている方には是非、一読をお勧めします。コツコツと勉強をされてきているので、歴史の分野でも広い視野を垣間見ることができ、参考になります。
この本のライトモチーフは、安倍批判から
ご本人は、「私が、民族やナショナリズムに強い関心をもちはじめたのは、2003年5月に小泉政権が「有事三法」を可決したときでした(米英軍のイラク侵攻が三月)。」「それから10年、安倍政権が発足し、2015年8月に「安保法制」を強行採決します。安倍政権の民族主義批判が、本書のライトモチーフ」だと自ら書かれていますから、日韓条約や学生運動における華青闘の告発と各党派の自己批判のことはあまりご存じなく、在日のアイデンティティのことに関してよりは、日韓関係や韓国の政治闘争に関心をもってこの植民地主義の未精算の問題にたどりつき、自民党の右傾化の危機と結びつけて考えた方だと思いました。
私が注意深く読んだところは以下の記述です。
北朝鮮に関して
小林たかし『植民地主義再考ー民族差別をなくすため』156頁より。「ちなみに、かつて植民地と宗主国との関係にあったニ国間で、いまにいたるも国交を結んでいないのは、世界中で日本国と朝鮮民主主義人民共和国だけである。日本と朝鮮のあいだでは、戦争はまだ終わっていない。」この事実を知らない日本人は多くいると思います。今は拉致問題から始まって、核実験を口実に、連日の北朝鮮バッシングです。制裁、制裁の連続で、これもまた圧倒的多数の日本人はそう思い込まされています。ヘイトスピーチはさらに続くでしょう。民族学校への制裁は増えるでしょう。北朝鮮を口実に日本の右傾化、軍事化は進むでしょう。
しかし白井聡は、『永久敗戦論』で小泉は拉致の問題より、北朝鮮との国交回復を望んでいたこと、それをつぶしたのは安倍だという事実を明かしています。FBで披露した私見です。
私は北朝鮮に対しては「北風」と「脅し」ではなく、「南風」が必要と思います。それは朝鮮戦争の終結と米朝平和条約の締結です。アメリカはあれだけ敵対視していた中国と手を結び、同盟国の台湾を切り捨てました。今韓国を切る捨てることは自国の利益のためにもできないでしょう。中国も「南風」を望んでいます。さて、東アジアはどう動くでしょうか。日本の世論、政治家で「南風」を主張する動きがでてくるでしょうか。
小林たかしの日本人民衆観
小林たかし『植民地主義再考』166頁。「私たち日本の民衆は、いまにいたるも、昭和天皇の戦争責任と戦後責任を究明できずにいる。敗戦から占領時代、日米安保体制下の高度成長期を、人権意識の希薄のまま、私的エゴイズム(=物欲主義)で生きた民衆に、天皇制イデオロギーや排外ナショナリズムを自覚的にとらえ返す力は極めて弱かった。だから、日本政府に、挑戦・韓国・中国をはじめとする、アジアの人びとが納得する植民地精算をせよ、と要求する運動も広がらなかった。が、この責務をはらすことなしに、日本の戦後は終わらない。」
植民地主義は過去のものではない
小林たかしの著作のいよいよ結論部分です、167頁。「今の日本は、安部政権の日常不断に振りまく反韓国・反中国のナショナリズムが、これまでノンポリ的だった人たちのなかに浸透し民族主義をふりかざす風潮がふつうの現象となっている。」「植民地主義は過去のものではない。平気で燐国を非難し、日本で生活する朝鮮人・韓国人や中国人を排斥する人たちの頭には、植民地意識が尾骨のように残っている。支配者はそれを利用し、他者や少数者を排除していく。これに反対せずにいると、すべての民衆が教権政治に取り込まれてしまうファシズムとなるのは、これまでの歴史が証明している。」
小林さんはしたがって、日本の安倍政権の危うさに対して、それを歴史的に解明し、彼の隣国との付き合い方や在日への迫害政策と過去の植民地政策を清算できていない問題、及び政治家だけでなく、この植民地主義の問題に深く思索をしない一般市民への批判的な見解を述べます。「私的エゴイズム(=物欲主義)」という単語で説明しています。
小林たかしの結論
彼の結論はこのようなものになります。「東アジア全域に、これまで以上の緊張をもたらす「安保法制」を撤廃するたたかいは、安倍政権の排外主義イデオロギー攻撃を暴露するたたかいと並行しながらすすめてなければならない。」「簡単なことではないが、政府や自治体への民族差別をなくす政策実施を要求することや、ヘイトスピーチ・デモへの抗議行動など、民族排外主義とのたたかいを、国会前抗議行動のように、ねばりづよくたたかい、ひろげていくしかない。」
私の感想
小林さんの見解の多くに共鳴します。ただし私自身は日本人化され、「魂の脱植民地化」を図ってきた人間として、日本社会の在り方を考える視点を持ち続けています。在特会に対する「カウンター」の動きを小林さんは評価し、期待されているようです。しかし私は、在特会は戦後日本の、ある意味、国民国家日本の成立以来の申し子だと考えています。それをモグラ叩きを一生懸命やることで、在特会を生み出した土壌が、根がなくなるのかという問題提起をしています。
戦後日本で差別が制度化され、構造化され、当たり前になっている事態、だれもがそれを差別だと感じない状況こそ、植民地主義の真骨頂です。私の感性は、その匂いを見逃さず、自らの中にある植民地主義の残滓(成果)と闘うために、人間らしく生きるために、「魂の脱植民化」のために、制度化された、構造化された差別との闘いを提起するのです。
「当然の法理」ってご存知の方はあまりいらっしゃいません。あの上野千鶴子さんをして、知らなかったと言わしめるくらい、日本人には見えない問題です。これは戦前日本人であった台湾人、朝鮮人の公務員に対して、サンフランシスコ講和条約を前にしてだされた日本政府の見解です。川崎の人事課の課長は、憲法や法律、条令以上に重要なものと胸を張って言ってました。「当然の法理」は現在に至るも、全国のすべての地方自治体で生きています。
「当然の法理」は「公権力の行使」「公の意思形成」は日本人に限るとするもので、日本の独立によって晴れて外国人になる台湾人、朝鮮人公務員の帰化を勧めるものであったのです。そうして外国人に閉ざされた門戸は、一般社会の差別、排外主義を象徴するものでした。まさに公の差別です。
しかし私たちは、その当たり前の差別に対して闘ってきました。選挙権がなくとも、日本社会の構成員として、差別の不当性を訴えてきました。その闘いの中で学び、思索を深め、今に至っています。
最後に
民族差別との闘いとして、私は日立就職差別裁判闘争にかかわり、それから川崎で差別をなくすための、私たちと同じ思いをもった子供たちを育ててはいけないという思いから地域活動をしてきました。日本人の仲間は多くいました。それが今の「多文化共生の街」とする川崎市の政策の一環を担い、行政とタイアップするようになってきています。その後輩たちの戦いの成果が「川崎方式」であり、先日のヘイトデモの撃退です。
私はあえて、その成果である「川崎方式」に対して、それは「当然の法理」の制度化の完成であり、差別を正当化している、その全国に普及した「川崎方式」をヘイトデモを撃退した民主勢力によって今こそ、撤廃させるべきだと主張しています。北朝鮮を孤立させているのは米国をはじめ日本です。朝鮮戦争を終結する平和条約が締結されるまでは、彼らは自衛の為にいかなる制裁にも屈せず、
核兵器を持ち続けるでしょう。そして日本の北朝鮮バッシングは続き、在特会を支援する人はさらに増えるでしょう。それへの「カウンター」を強化することで差別はなくなりません。今こそ、彼らの拠って立つ、植民地主義によって生まれ、今でも新たな植民地主義によって当然のこととして存在している根を直視し、それを断つ地道な努力を始めるしかありません。
その努力が、いつかは、世界水準のあらゆる差別を許さない差別禁止法の制定につながっていくでしょう。そのような日本社会になってほしいと、私は心から願います。それまでは、私たちは差別をされる者と差別をする者の非人間化を強いる植民地主義に対するたたかいを続けます。反核平和を望み実現する歩みを続けます。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、多くの実を結ぶことはない。」
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崔さん、僕も同感ですよ。北朝鮮(NK)の様な小さな国を、世界がいびっているとしか思えません。勿論北のやり方は甚だ瀬戸際的でありますが、NKが何を言いたいのかを、大国が世界がくみ取るべきです。NKへの南風が必要は異議なしです。イラクは核兵器を持っていないにもかかわらず、ハッタリをかましたら、ブッシュに殺されました、リンチにされました。なんら法の裁きを受けずに。これを目の当たりにしたNKにとっては核兵器にしがみつくのは、そのオプションが間違いですが、きもちはわかります。いまNKに核兵器をなくすことが6か国協議開始前堤というが、それならUSAや中国は核兵器を一緒になくすべきです。それをやらないで、NKに核兵器をなくせ、と迫るのは、誰が認めますか。NKの言い分が正しいのは当然です。だから大国が自分の核兵器やミサイルを保持していながら、NKだけに持つなと迫る。これは弱い者いじめの論理でしょう。
返信削除朝鮮戦争は終わっていません、USAは