2016年8月22日月曜日

 「川崎方式」の本質について ―日本社会の右傾化と在日の主体性―

外国籍公務員人事に関する日本政府の「当然の法理」見解に関して、外国人の差別を制度化して、全国の地方自治体のモデルになった「川崎方式」を撤廃させることが差別をなくす運動としてなによりも重要です。この点のご理解を深めていただくために、14年前のこの講演録をご紹介します。

私は戦後の在日の中で差別に公然と立ち向かい歴史に残る功績をあげた身近な人物として、日立就職差別闘争に勝利した朴鐘碩と、管理職試験を拒否した東京都の「当然の法理」に闘いを挑んだ鄭香均の二人を文句なくあげます。

   集英社新書WEBコラム   
      http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi2/011/
   在日二世の記憶  在日コリアンの声を記録する会
   痛みを分かち合いたいから差別される側に
   鄭香均(チョン・ヒャンギュン) 

二人とも川崎に住み、そこでの地域活動を共にした仲間です。二人に出会ったことを喜び、その闘いの歴史を地域の特に若い人たちが共有化し、自分たちの生き方を模索する参考にしてほしいと心から願います。川崎で差別をなくすべきと立ち上がった日本の市民たちにも、その歴史をしっかりと知り、これからの闘いにいかしていってほしいと願ってやみません。  崔 勝久

  
               「川崎方式」の本質について
                ―日本社会の右傾化と在日の主体性―

                                                               崔勝久

発題と問題提起(0412月4日《鄭香均さんを囲んで川崎集会》)

はじめに
川崎は「多文化共生」の街で、外国人への差別問題において全国の先頭を走る政策を具体化しているのでしょうか?
確かに、「川崎方式」で最初に外国人に門戸を開いてそれなりにやっているのではないかという考えは、私たちの中でもあると思うんです。私自身もそう思っていました。国籍条項の撤廃などもそうです。
実は鄭香均さんの裁判が始まって東京都が非常に頑ななので、門戸を最初に開放した川崎市の実情をよく聞けば裁判闘争の助けになるのではないかと思って、私は川崎市の人事課を訪れ内情を聞きました。そう期待するくらい、川崎は進んでいると思っていたわけです。
ですから一般の方が川崎は進んでいるだろうなと思うことは間違いないと思います。運動をやっている人の中でもそうだったと思うんです。そういうところから川崎市からの話を聞いていくと、「あれ、おかしいな」と思い始めたわけです。それから7、8年になります。

「ふれあい館」「青丘社」批判はするべきでない?
一緒に取り組みをやってきた人が今日の集会に参加できなくなった理由を知らせてきました。内容は、外国人への差別を許すな・川崎連絡会議(以下、「連絡会議」)が川崎市長、川崎市政はもちろん「ふれあい館」をも批判をしている。そういうところを批判するのは差別であるといわれて本人が立ち上がれなくなった、というのです。

皆さんの中にも「ふれあい館」「青丘社」はいい仕事をやっているではないか、問題があるとしてもそこを批判するのは問題であって、一番悪いのは権力者だからそこだけを批判すればいいのに、なぜ仲間である「青丘社」「ふれあい館」を批判するんだと、思っている方はたくさんいると思います。

そのことを少し考えてみたいと思います。
私たちが「青丘社」「ふれあい館」を批判するというのはどういう内容なのかということです。批判のない組織、運動は内部から崩壊していきます。少し大げさなタイトルなんですが、「『川崎方式』の本質について-日本社会の右傾化と在日の主体性―」と題してお話をさせていただきます。

日本政府が右傾化しているというのはいうまでもないと思います。自衛隊の海外派遣、武器の輸出、憲法の改正、「日の丸・君が代」の強制が具体化されているわけですから。では、地方自治体はどうなのか。地方自治体は自立して、差別のない、開かれた社会になってきているのか、あるいは右傾化する国家と連動しているのか、ということを見極める必要があると思います。   
私は、地方自治体の可能性を信じ、そこを開かれたものにしていくことに在日としての在り方を模索してきました。しかしどうも地方自治体の動向は国と別にあるのではなくて、やはり国の流れの中に地方自治体があり、その影響下にあるという思いが強くなってきました。このことを今日、みなさんにお話しして検証したいと思います。
かつて、国籍条項の撤廃を宣言した長野県の田中康夫知事、高知県の橋本大二郎知事のことはマスコミで取り上げられたのですが、結局は、国の「当然の法理」を撤廃したわけではない、ということは意外に知られていません。私は電話でその点を確認したことがあります。

川崎の歴史の中では民族差別に正面から向かい合い勝利した日立闘争があり、それがきっかけで、公立学校での本名使用の問題や、国籍条項撤廃を求め、個別の金融機関の差別問題に取り組んだ地域活動が始まりました。その流れの中で今の「ふれあい館」「青丘社」の活動があるわけですね。日立闘争の結果、「ふれあい館」もでき、「外国人市民代表者会議」もでき、川崎市は地方自治体の中では突出した形で外国人の人権に対する政策を進めてきたのは、間違いありません。そして「共生」というスローガンを掲げ、「多文化共生の街」としてほかの地方自治体のモデルになるくらいになっています。しかし過去の歴史の自慢は現状肯定に陥り、現状を変革していく力にはなりません。ここで行政側と、「青丘社」「ふれあい館」が中心となった市民団体、市職労が一体となって外国人の門戸開放を実現させた「川崎方式」とはなんであったのかを例として取り上げたいと思います。

はたして地域の少数者(マイノリティ)にとっていいことは多数者(マジョリティ)にとっていいことだというテーゼや、在日自身から言いだした「要求から参加」という考え方が果たした役割は何であったのか、「川崎方式」こそこれまでの川崎での運動の集大成であったとみなして、この点を考えてみます。
運動側の論理だけでなく、行政側の論理に立って物事を見た場合、全くこれまでの評価と違ったものが見えてきます。川崎における在日の差別に対する運動の歴史については、朝鮮人自身の民族的な要望であったと同時に日本側の朝鮮人追放の思惑もあったとされる、川崎からはじまった北朝鮮帰国運動からはじまり、現在の行政と市民運動が一体となって唱え始めた「多文化共生」を是とする流れの本質を改めて総合的に精査する必要があるでしょう。

日本社会の右傾化にあって、「ふれあい館」は地域での在日朝鮮人の主体性を回復、獲得する運動基盤としてその砦として作られたというんですが、地方自治体は国家の右傾化から距離をおいて存在しているのか、また、地方自治体の在り方と外国人施策はどのような関係になっているのか、その点を検証したいと思います。
後ほど話しますが、まず、川崎市は自治基本条例を来年(05)3月に制定しようとしています(市政だより「新総合計画と自治基本条例の策定について」)。今後の10年間の地方自治、川崎のあり方を決めるのです。この方向と「ふれあい館」の日立闘争以降の地域活動はどういった関係があるのか、考えてみましょう。
   
1.鄭香均裁判で問われる問題点―「当然の法理」
鄭香均が外国人初の都の職員になったというのは、金敬得の弁護士資格獲得と合わせ、日立闘争の流れの中で起き上がってきた、歴史的な必然です。
私自身が大学生のとき、在日朝鮮人が大企業に行くというのはありえなかったし、ましてや公務員になるということは考えられませんでした。それが朴鐘碩の裁判闘争から国籍を理由に解雇してはいけないという闘いが法廷内外で組まれ、その流れの中で弁護士に在日朝鮮人もなれる。そういう中で地方公務員にもなれるという大きな流れができあがり、鄭さんも東京都の職員になったわけですね。

ところが、日立闘争で闘って勝利判決を勝ち取ったんですが、一企業の中で国籍を理由に辞めさせることは問題になっても、国籍を理由に昇進できなかったり、あるいはその会社の中での人事の問題があった場合は、問題にされませんでした。外部の人間には手の出しようがなかったんです。泣き寝入りしかなかったということです。
鄭さんは闘いの中で都の職員になりました。しかし周りのみんなの推薦で課長になろうとしたところ、外国人は課長の試験は受けられませんよといわれて申請する用紙をもらえなかったのです。

それで始まったのが鄭さんの裁判です。その試験は受けられないという理由は何かというと「当然の法理」です。「言うまでもない」。同じ職員であっても外国籍職員は管理職になるということはそもそもありえないんだと。しかし、募集要項の中では何も書かれていないわけです。募集要項の中に同じ公務員であるのに外国籍者は申請さえできないという記述は何もなかったのです。それが「当然の法理」です。
「当然の法理」の本質は何かというとナショナリズムに基づく排外主義です。日本の国は日本人のものであり、外国人が公務員になったところで、管理職はだめでしょう、市民に命令したり、公権力を行使したりする職務は日本人に限るのは当たりまえだという常識、これが排外主義的なナショナリズムです。この排外主義的なナショナリズムと日本の右傾化は関係しているわけです。
したがって、香均の今回の闘いは、「空気」のように当たり前とされている朝鮮人差別(故李仁夏牧師)の象徴である「当然の法理」に対する闘いなわけです。外国籍公務員の管理職への昇進を禁じておいて、それは当たり前ではないか、言うまでもない、「当然の法理」なんだよ。そういう排外主義への闘いとして今回の最高裁への闘いは大変重要な意味を持っています。外国人が公務員になれないのは当たり前のこととして言われたことであるけれども、それは本当に当たり前のことなのか、門戸の開放により外国籍公務員になったにもかかわらず、そこで差別があるのはどういう理由なのかを問うた裁判です。高裁では勝訴したんですが、最高裁はどう出るのか、わかりません。
 
2.「川崎方式」の本質
では、川崎では国の意向に反して外国人への門戸を開放した(1996年)といわれていましたけれども、本当にそうなのでしょうか。実は「川崎方式」の実態は、採用した外国籍職員の職務制限と昇進を認めないという、差別を制度化したものでした。
「川崎方式」は、国の「当然の法理」に抵触しない理屈を作り上げ、それを「職務規程」という制度に落とし込んだ「妥協の産物」だったのです。市の組合(市職労)と青丘社を中心とした市民運動側もこれを認めた上で、外国人への門戸の開放のために、行政・市職労・市民運動体が一体となって、「川崎方式」を推し進めました。
完全ではなかったが、外国人への門戸の開放を勝ち取るにはこの方法しかなかった、いずれ、時間がたてば国の方針も緩和され、「当然の法理」はなくなっていくだろう、そのように関係者は考えていたようです。

この外国人への念願の門戸開放は、採用された外国人の職務制限と管理職への昇進禁止を条件にして、あくまでも政府の「当然の法理」という見解に抵触しないために、「外国籍職員の任用に関する運用規程‐外国籍職員のいきいき人事をめざして‐」(通称、「運用規程」)を作ることで可能になったのです。まずは門戸の開放をめざすということで、「当然の法理」に抵触しない「運用規程」を作ることで政府の顔を立て、実質的には「当然の法理」を正当化し差別を制度化した「川崎方式」が採用されたということになります。そしてそれが全国に普及していったのです。「多文化共生」と「川崎方式」は一体のものとして大いに宣伝されました。その中心を担ったのは、市民運動体と「川崎方式」に関わった行政マンです。

川崎市は外国人への門戸開放を実現したことによって、リベラルな都市というで印象を持たれるようになったんですが、しかしよく見ると、川崎も東京都とまったく同じ体質です。むしろ東京都に先駆け、「当然の法理」を実質的に受け入れ、その差別を制度に落とし込んだのが「川崎方式」であるとして過言ではありません。

「運用規程」のサブタイトルである「外国籍職員のいきいき人事」、この「いきいき人事」は覚えておいてください。これは川崎のキーワードですから。川崎市政の一番のキーワードは「いきいき」です。よくもいかにも外国人のためだということを匂わせるネーミングを考えついた者がいるものだと思うんですが、本当に権力に属する者は頭がいいというか、鼻が利きますね。
「運用規程」は外国籍公務員の「いきいき人事」のために作ったと、これがあるから門戸開放されたといわれたんですが、分析してみるとそうではありませんでした。

「川崎方式」は外国人への完全な門戸の開放でなく、管理職への昇進を禁じ、3000あまりの職務の中で182職務を除いたものでした。門戸開放宣言から1年間は「182の職務制限」の中味を川崎市は交渉の中で明らかにしませんでした。なぜ1年しなかったかというと、そもそも「運用規程」は外国籍公務員のために作られたものではないからです。
これは川崎市の全職員の中長期的な人事構想で「ジョブローテーション」というんですが、みんなにさまざまな経験をさせて多様な(融通のきく)能力を持たせて、職員数そのものを減らし、職員全体の合理化のために作った大きな構想の中に外国籍公務員の在り方が位置付けられ、この「職務規程」を通すことによって、川崎市職員全体の在り方を変えていきたかったわけで、市はまだその構想を完成させていなかったから、「182の職制限」の中身を公表できなかったのです。これは私たちも最初は見抜くことができませんでした。

ですから大きなチャートがあって、その中で外国籍公務員の問題はそのひとつのピースでしかないんですよ。市の中では合理化のための大きな構想があって、それを具体化するための突破口、切り札として外国籍公務員の「運用規程」の実現を謀った、いわば利用したわけです。
この考え方が川崎市の「新総合計画」・10年計画の中に入っています。市職労はこの「職務規程」をあくまでも外国人のためだと思い込んでいたのでしょうか、本気になってこの差別制度に抗うことをしてきませんでした。それが後になって、「ジョブローテーション」を銘打った職員全体の合理化政策の先駆けであったわかるのですが、そのときはもう遅いですよね。完全に外堀は埋められており、組合活動の牙は抜かれていたのです。

「川崎方式」は「当然の法理」を正当化したわけですが、そのときにどういう考え方をしてどういう方法を採ったかというと、「当然の法理」の中心にある「公権力の行使」を恣意的に解釈したわけです。「公権力の行使」というのは「一般市民の意思に反して、その人の自由・権利を制限すること」と定義したのです。たとえば伝染病にかかったときその人がいやだといっても法に基づき強制的に隔離するしかないわけですよね。それを川崎市は「公権力の行使」と捉え、一般市民の意思に反してその人の自由・権利を制限する職務については外国籍公務員を排除した、これ以外は公権力の行使に反していないので、外国人も大丈夫と解釈したわけです。
こうして3000職務の内、一つひとつ職務内容を照査して、「一般市民の意思に反して、その人の自由・権利を制限すること」のない約2割の182職務を選び出し、それには外国人はだめだと制限して、あとは外国人もOKよと、門戸の開放を実現したのです。のちに阿部市長が、このようなことを書いています。
「一般職だって、その2割のところにつけなければ、あとの8割で活躍してもらえばいいんです。8割というのは大部分でしょう。学校の点数だって80点取ったらものすごくいい成績です。それを2割のために『だめ』と言っているのはおかしい。2割のところの職につけなくても、8割のところで職につければ大丈夫なんです。」(「月刊社会民主」’96年11月)

こういう恣意的な解釈をしたわけですが、ここに実は落とし穴がありました。どうしてかというと、まず公権力を持つ人は一般市民の自由・権利を恣意的に制限していいのかということです。これは許されないわけですね。制限していいのは法律や条例があるからで、その限られた範囲内であれば市民の自由・権利の制限は認められるとなるわけです。
しかし公務員が法に基づいて職務を執行するのにその職員の属性である国籍、信条、性や社会的身分をが反映されていいのかどうか、ここで川崎市は自己撞着に陥っているわけです。公務員であれば誰でも法に従って職務を遂行するのであって、外国人だけからその職務に就けないというのは明らかに論理の飛躍であり、排外主義思想に基づく差別です。そして労働基準法違反です。しかし関係者はこのことを公表せず、蓋をして成果だけを宣伝したのです。

労働基準法第三条  使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

こういう過ちを起こしているんだけれども、そのまま問題にされないで、表看板の門戸の開放ということで評価されているのが「川崎方式」です。ですから「川崎方式」は外国人の差別を認めたという点で、思想的には排外主義を是認し制度化したという点で、これは撤廃させなければならないのです。
百歩譲って、当時、どうしても政令都市の中で外国人の門戸の開放をする必要があったので「川崎方式」は仕方がなかったというのであれば、その後、「川崎方式」の問題点を今後の課題として運動側(市職労を含めて)は訴えつづけるべきだったのです。
しかしながら運動側、および行政側は何か大きな成果であったかのように、「多文化共生」と「川崎方式」をセットにして全国でPRに務めました。しかし20年経った今、「当然の法理」はなくなるどころか、すでに制度化・構造化され、既成事実として確固たる見解として各地方自体に君臨しています。いまや市職労においても外国人の仲間(同僚)の差別を許すなという運動は組めず、当然、ストを打つこともできず、運動側においても「川崎方式」が差別制度であり欠陥があったということを言い出す人はいなくなりました。結局、すべては、国の思惑通りになったということです。
 
法的な根拠なく、国籍の違いによって外国人が就いていい職務とそうでないものがある、外国籍公務員がやっていいこととそうでないものがあるということを認めるということは、法治国家の原則に反することです。この点を運動体は見抜くことができなかったのです。

地方自治体の人事課は、労働基準法や憲法よりもあいまいな「当然の法理」を優先するのだから、労働基準法や憲法とは別だという判断をしているわけです。これは「連絡会議」が10年間の市交渉を続ける中で、人事課の課長が発言した内容です。

外国人差別を考える 「共生」の内実を問う
外国人への差別を許すな・川崎連絡会議

しかし、地方自治体職員は労働者として働いているわけですから、労働基準法に照らして外国籍公務員への差別は許されないというのが、今回の鄭さんが裁判を通して訴えていることなのです。

3.阿部市長の「準会員」発言-市民より国民を根幹に据える
阿部市長はいま何を言っているかというと「外国人も(川崎市の)重要な構成員」といいいながら外国人市民は「準会員」だと位置づけています。外国人は川崎市民であっても二級市民だということです。いざというときに戦争に行かないのは「準会員」だというわけです。
国籍に関係なく川崎では外国人も市民であるといいながら、その市民は「準会員」ですよといっているわけです。なおかつ川崎市の市民である外国人が公務員となったときにその人が日本籍公務員と違って昇進もできない、働く場所も制限される、こういうことが「外国人も市民ですよ」と言いながら当たり前のごとくなされている今の動きを誰も反対できない。市長は「タウンミーティング」を川崎市全7区でやりましたが、誰もこの矛盾を指摘していないわけです。いわば阿部市長の国民意識は多くの人と共有化されているということです。

「準会員」発言について批判はありましたが、阿部市長は最終的には自己批判をしていません。撤回していません。謝罪もしていません。そのかわりに市長が、市はこれからも同じ共生政策をやりますよという言質を運動体に与えることによって運動体が妥協しています。いまだに「準会員」発言を問題にしているのは私たち川崎連絡会議だけです。

阿部発言を差別発言として問題視した多くの市民団体は、いざというときに戦争に行かない外国人は「準会員」という阿倍市長の発言に対して、その発言は、いざというときは「正式会員」である日本人は戦争に行くということだと捉え、自分の問題として阿部発言を批判することができなかったのです。

私たちは、この「準会員」発言を撤回させるというのは根本的な意味があると理解しています。
この「準会員」発言について、「ふれあい館」の理事長でありいままでの私たちの民族差別撤廃運動のリーダーであった李仁夏牧師が公の席で、「市長と会って準会員発言をするなと市長に口封じをした」と言ったんです。市のトップが「外国人は準会員」だと言ったことに対して運動側のトップが「口封じをした」と。「口封じ」とは、その発言の撤回、責任を取りなさいと言うのではなく、もうなにも問題は無いことにする、内内に問題を収めましょうということですね。こう妥協案を出してそれ以降、市長は「準会員」ということは口にしなくなったと、運動側のリーダーが言っているのです。

運動側のトップが市のトップに口封じをする。私たちは、これは裏取引だと思っています。「共生」を共に唱える同じ仲間という関係になったことの象徴的な出来事です。これは問題の本質を隠蔽する最たるもので、このことによって運動側は市長に自分たちの既得権を保障させたわけです。私はここに無言の一定の取引、バーターがあったと見ます。これが次の問題につながります。

4.民闘連、「ふれあい館」の存在意義―「民族差別と闘う砦づくり」→「共生」へ、闘いの変貌
日立闘争以降の在日朝鮮人の主体性を回復する闘いとして人権闘争があったものが、「多文化共生」を共通のスローガンにして行政がタイアップするようになったこと、その思想的な背景は何かということです。

まず、「共生」の原理的な意味、本質を見る必要があります。「共生」は、もともとは障害を持っている人の心の叫び、差別に対する批判として始まったものです。疎外されている者が、疎外している体制に対してそれでいいのかと訴えたのが、そもそも「共生」なんです。「共生」というのは批判的な視点を持ったものなんです、もともとの意味は。

それが行政といっしょになることによって、批判的な視点を無くしてしまった。批判的なものをなくすとどうなるかということです。先ほど言いましたように、国家の動向、地方自治体を貫くのはナショナリズムといいましたが、ナショナリズムというのは統治のイデオロギーです。批判的な視点、批判的な心の叫びをなくした「共生」というのは何かというと、みんな仲良くですから、ナショナリズムという排外主義的なイデオロギーを批判する武器にはならないんです。今の市民運動は「共生」を掲げてやっていることがいいことのように言っていますが、「共生」は根本的にナショナリズムに対する批判になれないことを理解していただきたいと思います。

日帝時代の満州統治の基本的スローガン、イデオロギーというのは、「五族協和」です。批判的なスローガンをなくした協和=「共生」というのはナショナリズムを批判できない統治のイデオロギーになってしまっています。根本的に「共生」は「五族協和」と同じ、異民族統治の概念であることを知る必要があります。

「共生」はみんな仲良くですからいいことに決まっているんですよ。平和、民主主義を誰が批判しますか。アメリカが人を殺すことも平和、民主主義と謳っているわけですね。

抵抗としての「共生」、抵抗としてのナショナリズムは意味があるんですが、これが権力と共有する思想になったときに、完全に為政者の統治のイデオロギーになってしまっているということを見抜く必要があると思います。ですから、「多文化共生」のスローガンは闘いのスローガンではありえないんです。したがってナショナリズムを批判するものにはならない。疎外をする者への闘いの原理にならないんです。

日本人も韓国人も仲良くしましょう、ということは日本人同士も仲良くするわけですから、「日の丸・君が代」を持ち上げることに対しては批判できないわけです。この問題を私たち以外に唯一一人理解できたのは、いまは異動しましたが、川崎教会にいた金性済(キムソンジェ)牧師です。「百万人署名運動」ニュース(7172)に彼が書いた文章が出ていました。彼は「共生」が地域の中で同胞に対するナショナリズムに対する批判にはなりえないと書いています。しかし、彼は「ふれあい館」、「青丘社」のど真ん中にいますから、それを言えなくて結局は川崎教会から出てしまいました。その後のことはまったくわかりません。

「要求から参加へ」の欺瞞
私たちが日立闘争から地域活動をはじめたときには、「民族差別と闘う砦作り」からはじめたんです。ところが、いつのまにかそれが「共生」「多文化共生」になって、そして「要求から参加へ」になってきました。「要求」ではなくて「参加」する段階になったんだというスローガンです。しかしこれは民族差別と闘ってきたこれまでの運動を総括したものではないですね。長く続いた運動のことを考えないで、いわば施設を作ったりする上で一番いい名前、今の流れにのった、行政の支援を一番受け入れやすい路線を選択したわけです。そして少数者(マイノリティ)の問題解決が多数(マジョリティ)の問題、日本社会の問題解決になるんだと強調する、これについては誰も批判できません。黙って聞くしかない。それが両者にとってメリットがあるからです。

今の阿部市政の思想性をあえて言うと二つあると思います。自己責任と市場原理、合理化、これが彼の持っている思想です。少数者のためになる施策が全体のためになるんであれば、川崎で外国人の権利が獲得される基盤ができつつあるということは、川崎市にとってもいいことだとなりますね。ということは、川崎市はよくなっているということになりますが、実際は、どうでしょうか。どういう意味で川崎はよくなってきたのでしょうか。

外国人に対するよりよい政策がいっぱい出てきて具体化されているのに、全体がよくなっていないということは、これは李仁夏氏が言っていることと完全に矛盾していますよね。この点は最後に触れます。

5.川崎市の10年計画と「共生」
「共生」とは川崎市にとっては「市民自治の確立」なんですね。「市民の責務」として地方自治に参加する、それは市民の責務ですよと、これは川崎市の「自治基本条例」に謳われています。

こうして、もう差別ということを言うなよと。「要求から参加」することだと言いだした今の在日の運動が最後に行き着いたところは、阿部市長が行っている、市民が市政に参加するんだよという論理の中に包摂されたわけです。

「共生」というのは社会を変革する思想であったにもかかわらず、為政者と共有するイデオロギーになった段階で、「要求から参加」となり、運動体をも包摂し、外国人も市民なんだからもう外国人の問題はいいよと、「市民の責務」は市政参加でしょ、この大きな市政の枠に完全に包摂されてしまったわけです。これが川崎市の実態です。

「共生」は「市民の責務」に行き着くわけです。市民自治に対する参加という形で、結局は阿部市政のスローガンの中に今までの市民運動が全部包摂されていったわけです。しかし本来なら、理屈の面でもそこまで言うのであれば、外国人にも地方選政権はなければなりません。

このパターンはどこかと似ているんではないかといいましたが、「運用規程」は外国人のために作ったんだといわれているものが、実は川崎市の全職員の対策のために準備され作られたんだということがわかったように、川崎市の「新総合計画と自治基本条例」の中では、外国人への権利保障を一つの切り札として、その単語と制度を突破口として、川崎市全体の在り方を実現するために外国人は利用されてきたという一面が見えてきます。

また、川崎市は「外国人市民施策ガイドライン」というものを発表しました。しかし、これを凍結して新たに「川崎市多文化共生社会推進指針」を策定しようとしています(※今年05年3月、「新総合計画」「自治基本条例」と共に策定された)

何のために「ガイドライン」を凍結して新しい指針を作ったかというと、市の全体の管理のために大枠ができるまでは外国人のためのガイドラインを作る必要がない、市民全体のガイドラインの中に包摂するまで待たなければいけないという判断のもとで、外国人のためのガイドラインもできますよ、外国人は川崎市民全体に対する責務という形で位置付けられた運動の中に入りますよということです。、

日立闘争から始まった差別と闘う運動が「共生」になり、「共生」が最終的には市民の市政参加というところにいった、そこで完全に包摂されたというのが現状です。国民国家を前提としたナショナリズムが統治のイデオロギーだとしたら、このイデオロギーを見抜くかどうかのリトマス試験紙になるのが阿部市長の「準会員」発言であり、「運用規程」であったはずです。しかしこれも完全に市(国)の思惑の中に埋没していきました。

運動をやっている人も川崎をよくやっている、進んでいると思うようですが、それはナショナリズムの本質がわかっていないからそうなるんです。為政者の一番鋭いところは何かというと、為政者の持っているイデオロギーを統治される者のイデオロギーにしてしまう、被統治者自身の価値観にしてしまう、統治者と被統治者が価値観を共有するようにさせるというところです。したがって闘うものは自己の価値観を吟味し、統治者と価値観を共有するようになったことを無条件に肯定する己自身を自己批判するしか、この統治のイデオロギーと闘えないわけですね。

しかし自己批判は一番むつかしいものなんですね。運動体というのは他の運動体、権力者を批判するのは好きなんだけれども、自己批判することについては徹底的に嫌がりますよね。冒頭紹介した手紙はそれをよく示しています。その論理構造を見抜かないと、われわれは運動をできないと思います。
 
「少数者の問題解決が社会の変化につながる」という嘘
川崎では少数者のためにいいことは多数者のためにいいことだという在日側の論理がもてはやされています。そうすると、川崎では外国人施策は他よりも進んでいるわけですから、他の地方自治体よりも開かれているということになります。

では、川崎は開かれた街になっているのか、新総合計画が来年3月決定されることによって、川崎はより開かれた街になるのか、市民自治の確立、市民というのはそれに参加する責務があるんだと明文化されるこの川崎方式が、開かれた街づくりにつながるんですか。一人一人の市民が市政に参加するということを明文化したことによって、一個人、地域、これに対する管理を強めるというのが川崎方式の本質なのではないのでしょうか。

基本自治条例の「第2 自治運営を担う主体の役割、責務等」があるんですが、「苦情、不服などに対する措置」で「市に、市民の市政に関する苦情、不服などについて、簡易迅速にその処理、救済などを図る機関の設置を定めます」とあります。わかりますか。市に不満があるんだったら、それを救済する機関を作りますよ。「ふれあい館」の責任者が、市に言いたいことがあればふれあい館に来てください。私たちが何とかします、と地域の人たちにはなしたそうです。まさに「ふれあい館」は行政と一体化しているとしかいえません。いや行政の一部になり、職員は給料からすべての面での保障をされているのでしょう。それをすべて否定するつもりはありませんが、「青丘社」「ふれあい館」が持っていた運動体としての、行政の問題を批判する機能が結果としてなくなったことが惜しまれます。

しかし私たちが交渉をはじめてから7年経ちますが、阿部市長への公開質問状、20項目を出しても回答はわずか2行です。「いままでの共生裁策を進めます」、これしかないんです。それで基本自治条例ができた段階で本当に開かれた市政、地方自治体作りになるんでしょうか。
たとえばホームレスのことにしても、これはタウンミーティングで聞いたんですが、富士見公園を緑地化するために彼らを排除して、きれいにする場所を作りました。緑化が目的ですからその阻害要因であるホームレスを排除したというわけです。

こういう閉鎖的な考え方の中で、すべての外国人の差別と闘う運動が完全に包摂されてしまった。その包摂するイデオロギーが「多文化共生」です。「共生」はナショナリズムを克服するイデオロギーになれない。これにたいして果敢にたたかっているのが鄭香均です。

以上のような物事の本質を見抜く人は多くありません。自己切開をしないと為政者の統治イデオロギーの本質が見えないとすると、これは痛みを伴うわけですが、私たちは更なる実践のなかで思索を深め、徹底した自己批判が必要です。まだわれわれの運動が小さいからといって悲観することはないと思います。むしろ市民の方と話をしていて私たちの話は説得力をもっています。ということで香均にバトンタッチしたいと思います。

あとがき 
この発題は2004年、今から14年前に書かれたもので、公開にあたり手直しをしました。阿部市長は、無党派を任じる福田市長に敗れ4選されませんでした。福田候補に私は、2009年の市長選で単独インタビューをしています。彼は、みんなの党の現参議員、元民主党衆議院議員・横浜市長であった松沢成文氏の秘書から政治家になった人物で、川崎出身ながら高校、大学はアメリカです。彼はみんなの党が自主投票を決定したこともあり、それを逆手にとって、「とことん無所属」「市民市長」を謳い、大方の予想に反し阿部4選を阻止しました。
福田さんは、「当然の法理」は知っているが、「差別」と「区別」という概念を持ち出し、「権力」が発生するところで外国人が公務員として働くことは無理、これは差別ではなく区別であるという自説を披露していました。福田さんは国の見解を踏襲するという意見です。福田さんはそれを差別と言われるのが嫌で、「区別」と言っただけです。
また今回、ヘイトデモに関しては、在特会のような右翼団体に公園の使用を許可しませんでした。そのことが高く評価されていますが、彼自身は、結局これ以上の条例の改正はせず、既存のままでやっていけると発言しています。

川崎ではヘイトデモを中止させる市民運動が勝利しましたが、今後の運動はどうすべきなのでしょうか。私自身は、この勝利を歴史的な快挙と報じましたが、差別者と同等にどなりあい、彼らを物理的に凌駕することをめざす「カウンター」を強化する運動で差別がなくなっていくとは全く考えていません。
   ヘイトスピーチはなくなる方向に進んでいるのか?

鄭香均(チョン・ヒャンギュン)の発言が冒頭の集英社WEBの中で紹介されています。東京都との裁判を決意した時の同胞の反応についてです。「提訴を決めて在日に相談したら、みんな『やめろ、勝てないよ』『公務員になれたからいいじゃないか』って。李仁夏(イ・イナ)牧師は『当然の法理』を知っていらして『それは日本人が朝鮮人を差別してもいいと思っている空気なんだ。空気と闘うことはできない』とおっしゃった。」

在特会の差別発言を許すことはできません。しかし、それに対抗した側は「川崎方式」を採択し、全国のモデルにしていたのです。そこに見られる排外主義的なナショナリズムの根は深く、まさに故李仁夏先生がおっしゃった通り、「当然の法理」にある日本人の差別は空気のような存在なのでしょう。しかしこのことを認識し、その排外主義思想の上で作られた「川崎方式」を撤廃させること、ここからはじめるしかありません。

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