2015年5月29日金曜日

河合弁護士の批判(週刊金曜日)に応えるー(2)メーカー責任追求の主体は原告

河合弁護士の批判(週刊金曜日)に応えるー(2)メーカー責任追求の主体は原告

1.日米原子力協定の問題と、原賠法と機構法の矛盾
先に私は、河合弁護士の批判(「週刊 金曜日」)に応えるー(1)拝啓、河合弁護士殿
において、河合弁護士の日米原子力協定の引用の仕方、理解を批判しています。

河合弁護士の批判(「週刊 金曜日」)に応えるー(1)拝啓、河合弁護士殿
http://oklos-che.blogspot.jp/2015/05/blog-post_17.html


日米原子力協定(1968)の第5条
この協定又は旧協定に基づいて両当事国政府の間で交換され又は移転された情報(設計図及び仕様書を含む)並びに資材、設置及び装置の使用又は応用は、これらを受領する当事国政府の責任においてされるものとし、他方の当事国政府は、その情報が正確であること又は完全であることを保証せず、その情報、資材、設備及び装置がいずれか特定の使用又は応用に適合することは保障しない。

88年の改訂までは、「保証しない」ということは、全てのリスクは日本側が背負うべきものであるとの明示となります。即ち、アメリカの免責が条約上で明記されていたのです。しかし2011年5月27日、衆院経済産業委員会において、日本共産党の吉井英勝議員が、福島第1原発事故に伴うゼネラル・エレクトリッツク(GE)社の製造物責任を追及しました。政府参考人である外務省の武藤義哉官房審議官は「現在の日米原子力協定では旧協定の免責規定は継続されていない」との答弁を行い、協定上は責任を問う事が可能であると受け取れる大変重要な見解を示しています。

68年の日米原子力協定で確認されていたアメリカの免責は、88年度の改訂でなくなったということを外務省の役員は繰り返し説明しています。

 旧協定の免責が引き続いているということではございませんで、一九八八年の協定のもとということになりますので、そこで免責されるということにはなっておりません。あとは、具体的には、いろいろな関係法令とか相手方との契約内容とか、そういったことで判断をされるものだと理解してございます。

細野政府参考人は注目すべき発言をしています。
御指摘のように、第一原子力発電所、一号機から六号機までございます。GEの技術、これは基本特許も含めて、GEの許諾を受けて建設をしております。御指摘のように、その後、東芝あるいは日立、こういったところが関係をしてこの発電所が建設されたことは事実でございます。
それで、こういう事故が起こった後のいわゆる責任といいますか、今原因究明をいろいろやっていただいておりますけれども、どこにその原因があるかということは事態の解明を待つ必要があろうかと思いますけれども、ここで言うところの損害というものにつきましては、御承知のとおり、原賠法の適用外でございます。したがって、これにつきましては、東京電力とメーカーの間において、一般的な法律、この場合は民法であったり製造物責任法であったり、あるいは個別の契約にのっとって、それぞれの損害賠償の論拠があれば、それに従って請求されるものと理解をしております。

ここでは、まさに政府は損害は「原賠法の適用外」と明言し、この質疑の段階では、東電の国への支援申請のあと2011年8月10日に作られた原子力損害賠償・廃炉等支援機構法(機構法)は存在しなかったのです。しかし、「相互扶助」という概念で、電力9社・日本電源・日本源燃・電源開発の12社が参加したこの機構法によって、「責任集中の原則」を謳う原賠法が実質的に完全に骨抜きにされたことに注目しなければなりません。

今後の放射能の除去などの巨大なビジネスもすべて「利害関係者」(原子力村)に回されます。結局、機構法で支払われるお金はすべて、国民・市民のおかねで賄われます。

2.メーカー責任を免罪する原賠法を乗り越えるには
原賠法で2度にわたってメーカーの責任を問わないと謳う原賠法の壁は高いと思われます。それは憲法違反だと主張しても裁判所の判断はわかりきっているでしょう。そこで熊本一規の示唆される点に注目したいのです。

「製造物責任法の規定は適用しない」(原賠法4条3項)とされていることから「製造者」としての責任を問うのは困難であっても、機構法にある「利害関係者」としての責任を問うのは可能ではないのか、という点です。裁判と並行して原賠法と機構法の矛盾を直接、関係省庁との交渉で問いただす直接行動についても検討すべきではないでしょうか。以下の附則を確認ください。

機構法附則6条2項:早期に、事故原因の検証、賠償実施の状況、経済金融情勢等を踏まえ、東京電力と政府・他の電力会社との間の負担の在り方、東京電力の株主その他の利害関係者の負担の在り方等を含め、法律の施行状況について検討を加え、その結果に基づき必要な措置を講ずる(下線引用者)

政府は機構法の施行のあと、そこに記された「必要な措置を講ずる」ことは一切、何もやっていません。そしてそこに記された「利害関係者」に原発メーカーが入っていることは明らかです。私たちは裁判と並行して、関係省庁にこの「関係利害者」とは誰か、その責任があることを直接行動で明らかにしていく必要があるのではないかと考えます。

辺野古の漁民の戦いから学ぶこと

http://oklos-che.blogspot.jp/2015/05/blog-post_29.html

原発問題の本質を衝く熊本さんとの学習会で学んだこと
http://oklos-che.blogspot.jp/2015/05/ymca-httpoklos-che.html



3.原発メーカーの責任を裁判において問う主体は誰か?
最後にこの問題に戻りましょう。島弁護士は原告に裁判を弁護団に「丸なげ」することを求めています。同様に、弁護団の「主導」に従わない原告は、名指しで、委任契約の解除、即ち、島・河合弁護団体制からの「排除」を求めてきました。その最悪のケースが、12月4日にだした「崔勝久氏に関する弁護団声名」です。
http://maker-sosho.main.jp/wp/wp-content/uploads/2015/03/5b0584cdb15d50e2e70a2e22bc0b953b.pdf

ここで述べられている理由は、様々な曲解と悪意のデマの上で書かれたものですが、結論的には、崔勝久氏は、「約4000名に及ぶ原告の中から、敢えて崔氏についてのみ辞任しなければならないと判断した理由は、同氏が事務局長という立場を利用して、本訴訟に大きな損害をもたらすおそれのある行為を繰り返していることです。」ということを記しています。

①私は今年の総会で選ばれた新事務局には入らず、役員にもなっていない
②「本訴訟全体に大きな損害をもたらすおそれのある行為」とは何かについての過去の事実、何をもって未来において「大きな損害をもたらすおそれのある行為」と判断したのか、まったく記されていない。

この二点からしても、私を「本弁護団から切り離すべく手段を講じるしかないという結論に至りました」というのは全くの弁護団の独断であり、自分たちにとってもっとも都合の悪い(弁護団「主導」に従わない)原告を排除しようとしたと断言するしかありません。

しかるに声明文の最後には、よりによってこんな矛盾する言葉で結んでいます。
「世界中から多数の人々が原告として参加し、原発体制の根幹に挑む本訴訟の使命は極めて重要であり、ここで改めて原告団と団結して訴訟を遂行する決意を表明します」。盗人猛々しいとは、まさにこのことです。私を排除する措置をとれば、必ずや、そのような弁護団は解任すべしという声がでるのはわかりきっているのに、「原告団と団結して訴訟を遂行する決意」をもつ弁護団が混乱を惹起する行為を敢えてするのは何故でしょうか。

私には弁護団の「主導」に従わない、思わしくない原告を思い切って切り捨て、自分たちの「主導」に従う原告とだけで自分の思うような裁判をしたいということしか見えません。もう一度問います。原発メーカーの責任を裁判において問う主体は誰なのでしょうか?これは裁判を決意した原告です。弁護士は、その原告の思いを裁判の場で原告に替わって主張する代理人なのです。原告と最後まで話し合って意見が合わなければ去るべきは弁護士なのです。

私はここに弁護団の奢り、間違った弁護士の矜持、相互批判しないギルド的体質をみます。

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