2015年2月14日土曜日

遺言としての「リヒヤルト・フォン・ヴァイツゼッカー」ー池谷彰

メーカー訴訟の原告で長年、言語学の分野で教鞭をとられながら、社会の不義に対して強い批判をして来られた池谷彰さんが遺言つもりで書かれた、「リヒヤルト・フォン・ヴァイツゼッカー」というタイトルの原稿を送ってくださいました。感謝いたします。ご存知のようにヴァイツゼッカー元大統領は、1985年5月ドイツ敗戦40周年の連邦議会での演説の一節「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」という明確な戦争責任の言葉を残された方です。今年の2月1日に亡くなられました。(崔 勝久)

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リヒヤルト・フォン・ヴァイツゼッカー
                                池谷 彰

2015年2月1日の新聞は一斉に元ドイツ大統領のリヒヤルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏の94歳での死去を朝日新聞・毎日新聞よりも東京新聞が断然大きなスペースを取って報じていました。やはり、こういうときに新聞の取っている態度が示されるというものでしょう。彼は1985年5月ドイツ敗戦40周年の連邦議会での演説の一節「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」という言葉でドイツ国民のみならず、同じ敗戦国家であるわが国にも多大な波及効果を及ぼしました。

訳者永井清彦氏によると「歴史の真実を直視せよ、との大統領の誠実で率直な呼びかけに国の内外の多くの人が賛同した。作家のハインリッヒ・ベルはこの文章を教科書に採用すべし、と絶賛したほどだった。もっとも反対もあった。演説の内容をあらかじめ知ってこれに不満な与党議員30人余りが国会を欠席、演説を聞こうともしなかった。。。。。。。中略。演説から2ヶ月ほどたった7月のある日、ドイツの新聞に『大統領の演説に4万通もの手紙が殺到した。圧倒的に賛同の内容』であるのに気がついた。目を疑ったが、確かに4万通とあった。(その後、年末までに6万通に達したそうだ)」とあります。

ヴァ氏の言葉のいくつかを「荒れ野の40年」から引用してご紹介いたします。
1.5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには真実を求めることが大いに必要とされます。
2.ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
.人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分を担ったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
4.今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生れてもいませんでした。この人たちは自らが下してはいない行為について自らの罪を告白することは出来ません。ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。罪の有無、老若いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。誰もが過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされています。
. 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去の目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、又そうした危険に陥りやすいのです。

以下、上の番号にしたがってコメントを付け加えていきます。
1.      8月15日の敗戦の日を我々は本当の意味で内面化して、心に刻んでいるでしょうか? 南京虐殺の中国人の数が多すぎるなどと事実を矮小化しているのはどこの首相でしょうか? 聞いているこちらが恥ずかしくなります。恥ずかしいというより、「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなります。「敗戦」を「終戦」と言い換えて大部分の日本人の人々は使っています。これは「敗戦」という事実を受け取り、それを内面化していない何よりの証拠だといわなければなりません。内面化するとは、世界平和を祈り、日本人がアジアの各地で行った蛮行に思いをいたし、世界平和の実現に向けて汗を流すことだと思います。
2.      日本軍が占領した中国の人々をはじめとして、シンガポールの中国人を多数殺害しました。ことにシンガポールの中国人は日本軍に反抗したからです。この事実を日本人のどのくらいの人びとが認識しているでしょうか? 恥ずかしいことながら、私は国際会議がシンガポールであって会議の前日に高校時代の友人で、しかもシンガポールの日本人教会の牧師から始めてその残虐さを聞き、その現場に行ったのでした。
3.      戦争中、いわゆる「銃後」を守ったのはドイツと同様に女性達でした。それと同時に戦争の犠牲者は子どもたちでした。いわゆる「女・子ども」が戦争の最大の犠牲者なのです。ここで私の戦争体験を語ることが許されるとしたら、集団疎開でひどいいじめにあいました。いまだのその恐怖がトラウマとして心に焼き付いています。楽しかるべき少年時代などとは縁の薄い時代でした。後藤健二さんはまさに薄幸の子どもたちを救うためにシリアに赴き、悲劇に遭遇したのです。
4.      「なぜ、俺たちの爺さんたちが犯した罪を俺たちが負わなければならないのだ」という声をしばしば聞きます。しかし、ここでヴァ氏が強く主張しているのは「老若男女をとわず、我々全員が過去を引き受けなければならない」ということなのです。
5.      「あとになって過去を変えたり、起こらなかったことにしている」何よりの証拠は、政府自民党の息のかかった輩によって教科書が作られていることです。具体には教科書会社は自主規制をして、なるべく「従軍慰安婦」には触れないようにしています。まさに、「あとになって過去を変えたり、起らなかった事にしている」のです。ベルリンとフランクフルトにはユダヤ記念館があるそうですが、東京のド真ん中に南京虐殺記念館があることが想像できるでしょうか?

 私は数年前に「水に流す」という題で以下のようなことを書きました。概略をかいつまんで申し上げますと、広辞苑には「水に流す」とは「過去の事をとやかく言わず、すべてなかったことにする」とあります。この定義の意味合いから推察するに、過去の事にこだわることが悪いことのように読み取れます。2013年3月12日の東京新聞にも大江健三郎氏は「『ナカッタコトニスル』という事が大好きな国民だ」とありました。「水に流す」も「ナカッタコトニスル」も同工異曲でありましょう。加藤周一氏も「敗戦後『一億総懺悔』という言葉がはやったが、そのスローガンを掲げただけで、過去を全て水に流し、『日本人は何も懺悔していないのだ』」と看破されました。これを証拠立てるものはいくつもあります。

岸信介は戦時中には東条英機内閣の商工相に就任し、敗戦後はA級戦犯として3年間巣鴨拘置所に収監されましたが、不起訴になり、1953年に衆議院議員となり、1957年には首相となり、例の安保の際には拘置所以来の知己であったヤクザの親分、児玉誉士夫に依頼し2400人を動員し、デモ隊員を暴力で蹴散らし、衆議院を通過させたのでした。その孫である安部晋三には祖父岸の血が脈々と流れています。このような首相を選んだのはほかでもない日本国民なのです。

この3月にわが生田九条の会でご講演をいただく水島朝穂先生もそのご著書「憲法」『私』論」でもドイツと日本の第二次世界大戦の受け取り方の違いについて述べておられます。ベルリンにおいては「ヒロシマ通り」という名の通りがあることをあげられて、ここにも両国のあの戦争の受け止め方の違いを指摘されておられます。それと対照的なのは靖国神社に麗々しく飾られた御霊祭のちょうちんの献灯です。そこには多くの国会議員の名が見られるそうで、ここにも過去の戦争とどう向き合っているかの違いが歴然と見られるといわれておられます。(民度が低いといえば、身も蓋もありませんが)

 以上、全体にわたって通奏低音のように流れているのはわが国の現状に対する怒りと絶望です。作家のギュンター・グラス氏は以下のように書いています。
「私たち二人は(大江健三郎と彼とのこと)オフサイドの位置にたち、つまり局外者として、いわゆる身内の悪口をいう自由業という肩書きで生計を立てることには慣れています。
しかし、批判的な視線は、私たちの国に対する愛情の最も正確な表現です」(「暴力に逆らって書く」大江健三郎)
 
最後にマルチン・ルターの言葉をもって終わります。
「たとえ明日世が滅ぶともリンゴの木を植える」


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後注
1.「ヴァイゼッカー」の正しい読み方は「ヴァイスゼッカー」が正しいという考え方もありますが、ここでは慣行に従い「ヴァイゼッカー」とします。
2.麻生太郎の靖国神社問題についての発言は以下のとおりです。本文に含める価値もないので後注の形でのせます。(何たる格調の違い!)
 「靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
4.上の小生のコメント5.に関してですが、本日(2015年2月4日)の東京新聞「私説 論壇室から『苦心する日本の教科書』』という欄に以下のような記事がありました。
「韓国は日本に対し、植民地支配の歴史を十分に教えていないと批判する。手元の韓国の高校国史教科書(2007年版)がある。近代史の後半は植民地時代であり、日本の統治や抗日独立運動に関する記述は多岐にわたり全部で40ページ近くになる。
 次に中学用の『新編 新しい社会 歴史』(東京書籍)を読んでみたが、日清戦争、韓国併合、皇民化成策など、朝鮮半島に関する記述は合わせても3ページほど。日本の近、現代史では中国や米国との関係にも枚数を割いているから、日韓の教科書が相手国を記述する分量の差は埋まりそうもない。」
5.「荒れ野の40年」という岩波ブックレットの題名は本来ヴァ氏の論文にはなく、訳者である永井清彦氏によると、雑誌「世界」の編集長安良介氏がいわば勝手につけたものだそうです。言うまでも無いことですが旧約聖書での旧約の民の荒れ野での苦節の40年を思い合わせるべきでしょう。
                                         池谷 彰  2015年 如月



2 件のコメント:

  1. FBの投稿より
    崔さん、池谷彰氏の「リヒヤルト・フォン・ヴァイツゼッカー」というタイトルの原稿をご紹介してくださり感謝です。ヴァイツゼッカー元大統領を私は尊敬する一人です。「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」この言葉は忘れられない言葉です。世界にこのような大統領がいることに感動いたしました。5年前、ドイツのアデナウァ財団が中心の、緑の党の多くの方々が来日しての平和会議が東京でありました。その際、私は元大統領についてお尋ねしたところ、お元気でいられ数日前出版パーテーに出席され。お元気と伺いました。

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  2. ヴァイツゼッカー元大統領のご親族のヴァイツゼッカー氏が昨年10月環境問題に関する本を日本語版で出版されました。すぐに読まさせていただきました。ヴァイツゼッカー一族の素晴らしい活躍を思うとき、逆に日本のお粗末な政治家並びにその一族に同じ日本人として恥ずかしくなります。さらに戦争責任を追及するどころか、さらに再びその過ちを繰り返そうとしています。まさしく、過去に目を閉ざし、さらに再び過ちを起こそうとしています。否、過ちを再び繰り返しています。そして平然としています。ドイツはヨーロッパの国々から尊敬されています。一目置かれています。なぜでしょう・・・。逆に日本はアジアの国から嫌がられています。

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