講演者は3人で原発は差別の上で成り立っているということをご自身の経験と立場からはなされました。
樋口健治「闇に隠され続けてきた原発内部の実態と被曝労働者の実
山本節子「原発メーカー訴訟をどう捉えるか」+行政問題と住民運
朴 鐘碩「日立闘争全面勝利までの軌跡~差別と闘い続ける」
この原稿は朴君自身が講演した内容を「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の掲示板に投稿したものを私のブログで紹介しています。
韓国人であるという理由で日立の入社試験を通ったものの解雇され、その闘争は朴君個人の経験だけでなく、在日の置かれている差別状況の象徴であると捉え、全世界的な闘いになったいきさつをビデオで放映し、その後、裁判闘争と実際の日立本社における団交で勝ち取った運動から、日立に入社した後わかった日立という大企業の実態があきらかにされました。
そして川崎の地域活動から学んだ経験から、例え法律があっても差別はおかしいという闘いをしてきたからこそ、原賠法によって原発メーカーには事故責任はないということで、日本の脱原発運動の中からメーカー責任を問う声が聞こえなかったが、在日である自分達にはメーカーの免責を正当化する法律はおかしいと問題提起し、メーカー訴訟につなげることができたことを説明しました。
そして「当然の法理」ということで外国人差別が正当化されている現実を指摘しながら、原発メーカー訴訟を国際連帯の力で闘っていくこと、それは現在の「植民地主義」に対する闘いであることを話してくれました。日立関連の会社とその家族を合わせると日本人口の1%を占めるという大企業の中で、今も嘱託社員という形で日立で働きながら、日立の原発製造・輸出をきびしく経営者に向かって批判の声を上げ、同時に、沈黙する労働者(組合)にも批判の目を向ける朴君の働きは世界的にも注目されるべき運動(生き方)だと確信し、ここに紹介いします。 崔 勝久
合同シンポジウム ~日本の原発と差別構造~
「日立闘争全面勝訴までの軌跡 ~差別と闘い続ける~」 朴 鐘碩
40年以上前に、国籍を理由に採用を取り消した日立製作所を相手に闘ったビデオを見ていただきました。現在の朴鐘碩本人です。よろしくお願いします。
4年近い裁判闘争で(民族)差別の不当性を訴え、日立経営陣を糾弾し、国境を越えた運動により、勝利するまでの記録を見ていただきましたが、常識を覆した日立闘争は「これで終わった」と思いました。
ビデオは、勝利するまでの記録ですが、私自身の本当の闘いはこれからでした。私は22歳で日立に入社したわけですが、その後の私の生き方、職場で何をしてきたのか、日立闘争と原発問題の関係をお話したいと思います。
この「日本における多文化共生とは何か」(新曜社)は、2008年に刊行されましたが、この「戦後史再考」は、先月末、平凡社から出版され、その続編です。
今日私が話す内容は、この2冊の本に書かれていますので、資料代わりに購読して頂ければと思います。
タイトルが、日本の原発と差別構造となっていますので、まず民族差別を起こした日立製作所はどのような企業なのか、その観点で考えたいと思います。
日立は、日立鉱山を発端にして、朝鮮半島が日本の植民地となった1910年に創業し、年間売上約10兆円、33,500人の所員と約950の関連会社を含めた総従業員数は約32万人です。家族を含めると日本の人口の約1%に相当します。
私は、コンピュ-タソフトウエア部門に配属され通信プログラム開発に従事しました。入社当時は、闘争したとは言え、やはり緊張し、仕事を覚えるのに必死でした。
日立のTV CMは、「Inspire The Next 」「技術の日立」を宣伝する一方で、eco-friendly、人権擁護活動もしています。
エンジニアは、プロジェクトの工程を死守するため、悩みながら新製品を開発し、長時間残業し、徹夜することもあります。
完成した製品は、事前に繰り返し厳しい検査・性能評価を経て出荷します。それでも人間が造ったコンピュ-タ・システムは、予期しない不良によって、証券・金融のオンライン業務が停止すれば、経済・社会への影響は計り知れません。その責任は、当然メ-カ-にあります。
不良箇所を作ったと疑われる、関連会社を含めたシステム担当者は原因が判明するまで帰宅は許されず、事故調査のため徹夜作業が何日も続くこともあります。開発と調査で心身共に冒され出社拒否したり、職場で倒れたり、入院するエンジニアもいました。
不良の原因が判明すれば顧客に報告しますが、職場ではその後も不良箇所を作成したプロセス、技術および動機的原因を徹底的に議論し追求します。不良箇所を作った担当者およびその上司は、他の業務を一切停止し、(事業所)幹部に報告するドキュメント作成に追われます。不良製品に対する日立(企業)の責任と品質確保は徹底しています。
日立に限らずグロ-バル・ビジネスを展開する企業の労働者は、資本の論理に従い、上司から課せられたノルマを遂行することが求められています。
福島原発事故が起きても、それは変わらず、会社・組合からは原発メ-カ-として把握しておくべき事故の状況、収束工事に関する説明はなく、日々の業務を処理しています。
日立就職差別裁判が起こったとき、日立労組幹部はじめ多くの労働者は見て見ぬふりをしましたが、この反応は多くの犠牲者を出した原発事故に対する沈黙と通じています。
労働者は、原発製造・輸出といった会社の事業に疑問を感じても、業務に追われ、将来を考えて沈黙します。
その一方で、トップダウンで全て決定する日立労組は、所員を強制的に加入させて組合費を給与天引きし、幹部の裁量で自由に遣います。組合員は組合費の使途を情報公開請求できます。私は何度も請求しましたが、組合(幹部)は拒否しました。
組合への批判や苦情を公にすれば組合・会社から睨まれ、昇進の妨げになる恐れがあります。組合は役員選挙を実施しますが、その実態は、職場と候補者名だけが掲示され、組合活動に関心もない、所信表明もしない、ものを言わない、会社の意向に沿った組合員が立候補する、というよりも、させられるものとなっています。
立候補する組合員に所信を尋ねると、殆ど沈黙するか、「組合から推薦を受けたから」「特にやりたいことはない」と素直な返事をします。こうした組合員の沈黙は、利潤と効率を求める環境をさらに強化します。
企業社会は、「言論の自由」が保障されていないため、不祥事・談合・偽装のような犯罪があっても、経営者を公に批判したり、原発事故の責任を求めたりする組合幹部・労働者は皆無です。
上司のやり方に愚痴をこぼすことはあっても、経営トップの哲学を批判できる、開かれた風土、風通しの良い企業文化は存在しないと思います。逆に言えば多くの企業・組合は、労働者の沈黙によって支えられていると言えます。上から決められた予算、納期で新製品を開発しなければならないため、エンジニアにとって精神的負担となり、不良品を作り出す要因にもなります。不良製品の発生とエンジニアに沈黙を強いる経営体質は深く関係しています。
日立の原発事業の経営戦略と収益については、「戦後史再考」で詳しく書いていますので、読んでください。
私は、今年4月、数百名が集まった、日立の私の職場での予算説明会で、「日立製作所にとって原発事故は、緊急な課題である。原発事故から3年経過したが、原発事故にどのように対応しているか。土地を奪い、家族の絆を引き裂いた被曝避難者のことを考えないのか。遺伝子を破壊する放射能、子どもたちへの影響を考えて日立の関係者も避難していると思われる。事故を起こして原因も究明せず、なぜ、原発を輸出するのか。その神経がわからない。日立の経営陣は、一体何を考えているのか。新聞報道されたが、原発メ-カ-である日立は、世界中の人々から責任を問われている。企業としての道義的・社会的責任をどのように考えているか」と問い、職場の部長は「企業としての道義的・社会的責任を問われましたが、パクさんの質問にどう回答していいのか、わかりません。これだけしか答えられません」という返事でした(2014年4月22日)。
今年5月21日、福井地裁は、経済よりも人命と豊かな自然保護を最優先し、大飯の原子炉再稼働中止を認める判決を下しましたが、私は、この判決文を読んで、原発メ-カ-(日立)の経営陣、原子炉製造に携わる労働者は、自分たちが造る原発(核)の社会的責任を理解する必要があり、一日も早く原子炉を造らない、原発事業から撤退する英断をすべきだと思います。
3・11原発事故から8か月後の11月末、私は日立製作所を定年退職し、現在、日立で嘱託として働きながら原発メ-カ-訴訟の会・事務局に参加しています。
これは、2011年12月28日の朝日新聞「窓 論説委員室から」の記事です。
「おかしいと思ったことを声にした。根回しを無視し、職場の代議員に立候補する。もちろん惨敗ばかりだ。・・大勢の人がフロアに集まってきた。朴さんは驚いた。多くの目が柔らかに笑っている。長い長い拍手が続いた。」と書かれています。
●何故、原発メ-カ訴訟に繋がったのか?
原倍法があるにも関わらず、何故、日立・東芝・GEを相手に訴訟に繋げることができたのでしょうか。
40年前、川崎・桜本に住んでいた私は、子どもの教育・就職に悩むオモニ(母親)、アボジ(父親)が集まった、日立就職差別闘争勝利集会で話しました。その場で「国籍を理由に児童手当がもらえない、市営住宅に入居できないのはおかしい。差別ではないか」とアボジから問われた時、差別と闘ってきたにもかかわらずそれに答えることができませんでした。
しかし、この問いによって逆に、「そうか、そのような差別をする法律自体がおかしい」と気付きました。そこから差別を正当化する国籍条項を撤廃させる運動を始め、行政交渉によって国籍条項が撤廃され、その後、朝鮮人は、年金加入、銀行融資を受けることも可能になりました。
こうした経験から、崔勝久事務局長の呼びかけ、弁護団の協力により、日本含め世界39ヵ国から4千名以上の原告を集めて、原発メ-カ-の責任を問う「原発メ-カ-訴訟」につながりました。
在職中、「朴は職場で何をしているか。会社に埋没して管理職となり、安定した生活をしている。闘争までして差別の壁を破ったのだから、大人しく黙って働いた方がいい。会社・組合を批判したら、企業は再び朝鮮人を採用しなくなる」などの声を聞いていました。
「私は仕事だけしていればいいのか。何のために裁判までして日立に入ったのか」と悩み、入社して、5年後(1979年)、胃潰瘍で1ヶ月入院しました。いろんなことを考えましたが、結局これを契機に、労働者は、なぜ職場集会で発言しないのか、労働者の問題と民族差別の関係を考えるようになりました。企業社会で人間らしく生きるためには、「おかしいことはおかしいと言う勇気と決断が大切だ」と開き直り発言するようになりました。
管理職の前で開かれる会社の職場集会は、「民主主義」を装うためのポ-ズでしかありません。組合(幹部)は、組合員が会社・組合に批判・不満があっても上司のいる前で発言しない(できない)ことを承知しています。
組合員自ら「これは選挙ではない」と話す選挙投票日、投票率を上げるために、事前に選ばれた委員が組合員名簿をチェックし、棄権する(しそうな)組合員に上司がいる前で「投票しろ!」と意図的に周囲に聞こえるように恫喝する姿を目にしました。
「私は投票しません」と勇気を表明する組合員は皆無です。組合員は、生活を考え、孤立を恐れて従うしかありません。これが連合を組織する、資本のグロ-バル化を推進する企業・日立労組の実態です。
日立が民族差別を起こした背景には、こうした労働者の自由を束縛する圧力があり、この抑圧から解放されなければならないと思い、会社と組合から厳しく監視される中、役員選挙に出ました(2000~2010年)。ほとんどの組合員が無視するか、冷たい視線を浴びる中で、当初30%近く得票しましたが、一度も当選しませんでした。私に投票する組合員は「パクさん頑張れ!」と声を発することすらできない職場環境です。私に投票する組合員は、表情(目)を見ればわかります。
「雨の中、傘をさして(選挙を)訴える姿を見て感動しました」と密かに話す同僚もいました。「技術が進めば差別はなくなる。長い物に巻かれるしかない」という声もありました。労働者にものを言わせない職場環境が差別・排外に繋がっているのではないかと思います。
これは、私が執行委員長に立候補した時の選挙公報です。組合費の使途、選挙方法、組合幹部報酬、職場の不満・疑問はいくらでもありますが、誰もそのことについて発言しません。ものを言わ(せ)ない組合員を悪用した組合(幹部)の横暴に我慢ならず、労使幹部の春闘交渉現場に参加し組合の体質を批判した(2006年3月8日)こともあります。(うるさい私の)言動を封じるためなのか、組合(会社)は職場集会をなくしました。これまで気楽に話していた上司、同僚、後輩たちの表情も変わり、私を敬遠するようになりました。
この『日本における多文化共生とは何か』に書きましたが、開かれた企業組織を求めて会社と組合を批判してきた私は、原発事故後、さらに内部から声を発することの意味、重要性を考え、日立製作所の会長・社長に抗議文・要望書を提出し、原発メ-カ-としての責任、被曝避難者への謝罪、原発事業からの撤退、輸出中止、廃炉技術・自然エネルギ-開発への予算化を求めました。
また、Netにも掲載されていますが、東京駅前にある日立本社に向かって海外からの参加者と共にリトアニアへの原発輸出に抗議しました(2012年12月18日)。
原発事故から3年目となった今年3月11日、日立資本の城下町である日立市中心街で、青年たちと共に「反原発、輸出反対!」「日立の労働者は、目を覚ませ!」「日立の経営陣は被曝避難者・子どもたちに謝罪しろ!」と訴えました。
私は、昨年亡くなった西川長夫立命館大学教授の著書を読み、「資本のグロ-バル化は、植民地と先住民を隠蔽し、「共生」は差別と搾取の構造を基礎にした国民国家統合の戦略」であり、「〈新〉植民地主義」であることを学びました。
核保有国が世界を「支配」し、「植民地」を作り、資源確保に奔走しています。核兵器を保有する列強を主軸とする、資本のグロ-バル化を名目にした資源争奪と支配体制、これが植民地主義であると思います。
日本は、1910年朝鮮半島を植民地にし、資源を確保しました。労働力不足を補うための朝鮮人強制連行、食料・土地の収奪、関東大震災時の朝鮮人虐殺、日本軍の犠牲となった女性たち、広島・長崎の原爆投下で犠牲となった7万人と言われる朝鮮人、敗戦からわずか5年後に起きた朝鮮戦争など韓日の不条理な歴史があります。戦後70年になっても核保有国によって朝鮮半島は分断されたままです。
戦後の「原発体制」の背景には、こうした植民地支配と日本人民衆に犠牲を強いて経済復興させた国家の歪みが至るところで起きています。にもかかわらず平和、反戦、労働組合運動から戦争責任が問われることはありませんでした。
「訴訟の会」で以下のような発言がありました。
「植民地主義、民族差別、従軍慰安婦問題などを出すと原告・サポ-タが離れるというか、敬遠する」
「訴訟の会はメ-カ責任を問うのであって、在日の問題を扱っている、目的と外れたことをやっている、とサポ-タあるいはWEBを閲覧した人から思われてしまう」
「右翼あるいはヘイトスピ-チを煽るグル-プからFBに書き込まれたら対応できない」
原告、サポ-タから、多くの情報が発信され、私自身、「原発体制は、こういう排外的な一面があるのか。そういうことだったのか」と気づかされることがあります。
原発体制との闘いは、社会変革、人間性を求め、既製の価値観でつくり出されている国家、社会、組織との闘いでもあります。反原発運動を通して、社会の矛盾、差別、抑圧に抗し、ものが言える開かれた社会・組織・生き方を考える闘いであると私は理解しています。
今後、原発体制を支える世界の「怪物」日立、東芝、GEの経営陣を相手に闘うわけですが、簡単ではありません。
「メ-カ訴訟」は、原発体制に繋がるあらゆる矛盾・問題との闘いです。逆に言えば社会の矛盾は、究極的には「原発体制」に集約されると思います。原発メ-カ(日立)は、原発事故に対して何の痛痒も感じることなく、世界に原発を輸出していくことができます。
核の脅威から戦争、紛争、被曝などの問題・矛盾が生まれています。再び戦争ができる集団的自衛権、秘密保護法案、国旗・国歌の強制、歴史教科書改竄、弱者に犠牲を強いる派遣・非正規・被曝労働者、外国籍住民を2級市民扱いする「当然の法理」、ヘイトスピ-チなどにも繋がっています。
一国主義の社会変革、柔軟性のない反原発運動は、排外主義を増長するだけで戦争責任を克服できないと思います。
●外国籍住民を2級市民扱いする「当然の法理」
全国の自治体は、外国籍住民との「共生」を謳うものの、内閣法制局の見解(1953年)である「当然の法理」を理由に、採用した外国籍地方公務員に許認可の職務、決裁権ある管理職に就くことを禁じています。これは植民地時代、朝鮮人・台湾人を2級市民扱いした現代版です。
川崎市南部地区は、多くの外国籍住民が居住しています。選挙権のない外国籍住民の声を市政に反映する名目で設置された外国人市民代表者会議、地域の住民と共に生きる「ふれあい館」建設など、川崎は、「人権・共生の街」として、一時知られるようになりました。
しかし、2002年、阿部孝夫川崎市長は、就任早々「日本国民と、国籍を持たない外国人とでは、その権利義務において区別があるのはむしろ当然のこと」「会員と準会員とは違う」と、戦争に行かない「外国人は準会員」と発言しています。
また、法律でもない、単なる国・政府の見解にすぎない「当然の法理」(国籍)を理由に、採用した外国籍公務員に許認可の職務、決裁権ある管理職への道を閉ざした、この「外国籍職員の任用に関する運用規程」を作って日本に差別制度を確立したのが川崎市です。
この「運用規程」は、100ペ-ジ以上に亘って、外国籍職員に制限する職務と理由が記されています。これは労働基準法3条(均等待遇)に違反し、明らかに労働者の権利を侵害しています。ところがこのマニュアルのサブタイトルは、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」となっています。
外国籍の青年は、事故・災害・震災時、人命救助する消防士に就けません。また正式教員でなく非常勤として採用され、管理職である教頭・校長に昇進できません。
「運用規程」は作らなかったものの、原発事故起きた福島、再稼働が可決された鹿児島県、被災した宮城県、仙台市はじめ東北の自治体、米軍基地撤去を求める沖縄など全国の自治体は、この川崎方式を採用しています。皆さんが住んでいる自治体を調べて戴ければその実態がわかります。「運用規程」、差別制度は、自治体首長の裁量で撤廃できます。
反原発運動は、排外主義である「当然の法理」を克服していく必要があります。
戦前日本の企業は、植民地であった朝鮮において莫大な利益を得ました。戦後、外国籍となった朝鮮人を排除しました。
国籍を理由に採用を取り消し、原発事故の謝罪もせず、労働者に沈黙を強いて原発を輸出する日立グル-プの経営陣や、外国籍住民を2級市民扱いする自治体の姿勢は、植民地主義であり、国民国家の戦略です。
歴史は作られるものではなく自分で作るもの、人権は与えられるものではなく自分で獲得するものである、ということを私は日立闘争から学びました。
「原発体制」は差別と抑圧を基盤にした、人間性を否定する「植民地主義」です。私(たち)は、国際連帯で、現在の「植民地主義」と闘い続けなければなりません。
ご清聴ありがとうございます。
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