2014年10月6日月曜日

日本からの“中村悟郎さんと行く「廃炉を実現した米国西海岸原発立地訪問ツアー」”に便乗参加しました。

私自身、カリフォルニアの州都サクラメント近郊に住民投票を通じて”廃炉”を実現した原発があることを知りませんでした。ともかくそのツアーに便乗して、廃炉を実現したランチョ・セコ原発現地の皆さんの話を聞こうと参加を申し出ました。サンフランシスコで3名。ロサンゼルスで3名の方が便乗参加しました。



ツアー全体のプログラムも大変に魅力的で、
・ベトナム戦争時の米軍による枯葉剤(ダイオキシン)散布の取材報道で著名なフォトジャーナリストの中村悟郎さん(ツアー主催者)の講演会;ベトナム戦争、大日本帝国軍隊による「慰安婦」制度、フクシマ核災害問題など、夫々の現地での写真などを豊富に使った印象の深い講演でした。
・サンフランシスコ講和条約の舞台となった「オペラ・ハウス」や、その講和条約締結(日本の再独立)直後に「半ば秘密のうちに結ばれた日米安保条約」の締結会場となった米国陸軍第6軍の基地内の下士官クラブ訪問(これは孫崎享さん『戦後史の招待』によれば、「日米行政協定」と「日米安保条約」の秘密に関わります)。
・ランチョ・セコ原発の廃炉を勝ち取った現地での地元活動家との懇談。
原発に代わるエネルギー源として注目される風車の丘アルタモント・パス訪問と、その隣にある米国核研究の総本山「ローレンス・リバモア国立研究所」西ゲートチェック(毎年8月6日にヒロシマへの原爆投下に抗議する集会が開催される場所)。
・「全米日系人博物館」;第二次世界大戦時の日系人強制収容の真実を知ること。
ロサンゼルス近郊のグレンデール市に建てられた大日本帝国軍隊による「慰安婦(性奴隷)」制度告発の像訪問。像を建てた韓国系市民団体としては「米国市民の立場から女性の人権の問題として」建てたことを強調。
・サン・オノフレ原発の廃炉を勝ち取った現地での地元活動家との懇談。
以上の盛りだくさんの内容でした。

ランチョ・セコ原発とサン・オノフレ原発の廃炉を実現したアクティビストの皆さんのお話で共通するのは、スリーマイルアイランド原発事故と福島第一原発事故という大きな核災害事故をきっかけに廃炉を実現したということです。どちらもそれ以前から原発内部で働く技術者や作業員から“杜撰な安全管理”や“事故を隠蔽する体質”に対する告発があって、環境団体として問題視してきたうちに大事故が起こり、一気に注目を集めたこと。特にサン・オノフレではフクシマ事故直後に被災現地福島の住民の方3人を呼んで報告会を開催(サンクレメンテ市で事故直後の秋に萩谷海さんと山崎雄史さんの通訳で実現)したのをきっかけに、それまで500人だった反対の会の会員が5000人になったことあらゆるルートで情報を集め正確な情報を市民の内で共有したこと(ジャーナリストやマスコミに教えるほど)。アーニー・ガンダーセン氏という元原発技術者の協力を得たこと。市議会やNRC(原子力規制委員会)の公聴会での多くの反対市民の発言など。の結果であることなどが語られました。現在問題になっているのは、これまでの稼動で蓄積された使用済み核燃料の処分をどうするかということなのですが、まったく安全な処分方法が無いというのが現実です。

大きな核災害事故が起こってもなかなか廃炉が実現できない日本とどこが違うのでしょうか。
住民投票によって廃炉を実現する仕組みがあることや、NRCの公聴会などで反対派の住民の声が公然と語られ、インターネットで公聴会の様子が全て視聴することが出来ること。原発の安全性に係わる情報などに関してキチンと公開されていること。いわば、曲がりなりにも「住民の声をくみ上げる民主主義」が機能していること。

もうひとつの決定的な違いは、米国では原発建設に対する米国政府の資金保証などバックアップはあるとはいえ、電力事業者(企業)の経済的な損益計算にもとづいて建設の応否を決めている(つまり核兵器のための材料の確保や技術の習得は“核兵器保有国”なので原発抜きでおおっぴらにやることが出来る)のに対して、日本の場合は原発の建設と稼動を通じてのみ核の材料と技術を得ることができるという“非核保有国”という制約の下で「潜在的核保有国」としてのステータスを確立する」という国策の下の原発推進政策なので、国や事業者である東電の情報隠蔽や国による反原発運動への「弾圧」的行為はますます増大していくのです。

日本の「核兵器保持への野望」や「集団的自衛権の容認」は、第二次世界大戦の反省に踏まえて「戦力放棄を誓い、外交による紛争の解決を謳った日本国憲法」に反します。そうしたことを学び直したツアー参加でした。

Sam Kanno

0 件のコメント:

コメントを投稿