2014年7月25日金曜日

「世界で唯一、原子力爆弾による想像を絶する甚大な被害を受けた国」なのかー岡田卓己さんの投稿

「原発メーカー訴訟」は1月30日、3月10日の訴状提出の際に、合計で39ヶ国、4128名の原告が集めりました。しかし東京地裁はこのように沢山の外国からの原告が集まったのは初めてのケースで、委任状不備はないかと慎重に取り扱い、未だすべての委任状をできないでいます。しかし私たちの弁護団の判断では、9月中には年内の公判が可能になるだとうという見通しをもっているようです。今しばらく、お待ちください。

公判がはじめると一番重要になるのは訴状です。訴状は白黒版500円、カラー版1000円でお求めになれます。直接、お申し込みください。http://maker-sosho.main.jp/news/1191/

原告として代理人の弁護士が書いた訴状をしっかりと学習しようという動きが始まっています。そこで記された原子力賠償法によってメーカーが事故責任を免責されているのは憲法違反という主張、及び、「原子力の恐怖から免れて生きる権利」としてのノー・ニュークス権」の主張は最も重要なこちらの主張です。

と同時に、原告の約三分の二を占める海外の原告からすれば、その訴状をどのように捉えるのかというのも私たちが十分に理解しなければならない問題だと思われます。法廷内で原発体制を批判することがどれほどなされるのか、世界の原発体制の構造はどのようになっているのかということは、この訴訟を全世界が注目しているが故に、大変、重要な論点です。それによって証人の内容が変わってきます。特に福島事故がアメリカのGE社、日立、東芝が建設した原子炉であったことはほとんど知らされておらず、ましてや、メーカーには責任を問わない法律が日本のみならず、世界中に作らされているという事実はまったく報道されていません。どうしてそうなのか、その点を法廷内外で問題にして、原発輸出を止めさせる運動を加速しなければならないと私たちは考えています。

今日は、韓国在住の岡田さんの承諾を得まして、ご本人が「訴訟の会」に投稿された内容を公開し、皆さんと一緒に岡田さんの主張を検証したいと思います。どぞ、忌憚のないご意見をお送りください。  崔 勝久


韓国・大邱市在住、岡田卓己@川崎です。

事務局や弁護団のみなさま、原告確定のための東京地裁事務局との折衝ご苦労さまです。また、訴状全文についても、校正と出版や訴状学習会の準備が進展していること嬉しく思います。

私も、訴状全文の韓国語翻訳のための下準備で、日本語文の点検を行っています。その中で、以下の部分について、弁護団の皆様や原告の皆様との意見交換をした方が良いと考え、投稿します。

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第4章  本件原発事故に至るまでの背景
第3  まとめ

以上のように、日本では、世界で唯一、原子力爆弾による想像を絶する甚大な被害を受けながらも、被告らを含む旧財閥系の企業等を中心に 原発推進に積極的に関与した。

【訴状全文】
http://maker-sosho.main.jp/archives/makesoshosojo.pdf
P.26です
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この文についてはどうしても納得がいかず、また「新しい人権『原子力の恐怖から免れて生きる権利』=『ノー・ニュークス権』を高らかに宣言する」という私たちの立場と相反するものになってしまい、韓国でメーカー訴訟の運動を進める際にも説明が不可能なことになってしまいますので問題提起します

日本は、「世界で唯一、原子力爆弾による想像を絶する甚大な被害を受け」た国ではありません。原子爆弾による直接の被害を受けた方々だけでも、原水爆実験の被害を受けたアメリカ兵、ビキニ(マーシャル諸島)で島を追われ今も放射能被曝に苦しんでいる人々、オーストラリアの核実験場やウラニウム採掘などでヒバクしているアボリ人など先住民族…の存在を考えてください。

また、アメリカによる広島・長崎への原子爆弾投下は確かに日本の都市に対する直接の無差別殺人攻撃でしたが、その被爆者約70万名中、約1割=7万人が朝鮮半島出身者でした。彼/彼女らは、日本のアジア侵略と植民地支配の中で、強制動員や生活苦の中から日本へ来ざるを得なかった方々です。(東京大空襲10名の死亡者の内、朝鮮半島出身者も1万名と言われていますから(東京大空襲訴訟団)、都市には約1割の朝鮮人が住んでいたと思われます)さらに、広島・長崎で被曝した方々には、台湾出身者、中国人、アメリカ兵捕虜なども含まれていました。

こうした歴史的な事実や、「世界のヒバクシャ」の現状について、私たちはしっかり見つめなければならないと考えます。訴状では「想像を絶する甚大な被害」と限定がありますが、私たちが、日本は「世界で唯一、原子力爆弾による想像を絶する甚大な被害を受け」と、むやみに強調することは歴史や世界のヒバクシャの現状の事実と相反しますし、「『ノー・ニュークス権』を高らかに宣言」し、核(兵器・発電所)による恐怖を現在も受け続けている世界の人々と相互理解と信頼関係を築き、手をつないで連帯していくことへのむしろ妨げになると考えます。

弁護士の皆様、原告の皆様、この点についてぜひご意見をお聞かせください。

また私は、原告の皆が訴状を読んで、弁護士団と原告団との間で訴状について真剣な意見交換そする必要があると考えます。第2次提訴の原告について、裁判所との間での原告確定・整理にはまだ時間があるようですので、公判が始まる前にこうした訴訟についての意見を交わし、追加書面を準備する時間として活用できませんか?

また、現在、訴状の印刷準備が進展しているようですが、上のような真剣な意見交換の後に印刷・出版に回した方が良いと思いますがいかがでしょうか?

訴状には「核分裂の連鎖反応が止まっても、原子炉には多くの核分裂生成物が存在し、その多くは化学的に不安定な状態にある。それらは化学的に安定するまで、放射線と熱を出しながら、別の物質に変わっていく。」というような明らかな事実誤認もありますので…


弁護団の弁護士の皆様と原告との、訴状をめぐっての真摯な討論をぜひお願いしたいと思います。


岡田 卓己(おかだ たかし) 韓国・啓明文化大学校


【添付資料】
※ 「日本は唯一の被爆国」という主張について、韓国の脱核運動を進めている人たちはどのように考えているのかを知る資料の一例として、添付します。

20130722韓国原爆2世患友会・韓正敦会長の話.txt
私は、「ノー・ニュークス権」を主張するのであれば、「原子力の恐怖から免れて生きる権利」を語るだけでなく、「原子力(核兵器・核発電所)から実際に人格権の侵害を受けている(受けてきた)人々の権利」を擁護する立場に立たなければならないと考えます。

私たちにはすべての運動を行うことは不可能です。しかし、「核の恐怖」によって人権を侵害されている「世界のヒバクシャ」のことについて、事実を知ろうという立場、そこからどのように「世界のヒバクシャ」の連帯が可能なのかを模索し続けることは、脱核とノーニュークス権を主張する者の義務だと思っています。添付ファイルは、このことのほんの一例です。被害者の立場から事実を知ろうとすること、このことをぜひ一緒に行っていきましょう。

20130526[論評]中央日報キム・ジン論説委員の「原子爆弾は神の懲罰」コラム論議に対する立場.txt
韓国の被爆者とその子女たちのための支援法制定運動を行っている団体の中央日報紙「論評」に対する批判です。中央日報論説sが「2次世界大戦末期、日本の広島と長崎に投下された原子爆弾は「神の懲罰」であり、日本軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐」と主張したことに対して、そうではないとし、日本の原子爆弾での被爆者(特に女子や子供)のこと、韓国人被爆者と2世・3世のことについて主張し、さらに安倍首相のいうような「日本は唯一の被爆国ではない」ということを、事実をもって反論しています。(翻訳は岡田です)


<韓正淳さん「世界のヒバクシャは連帯しなくてはならない」>
韓国原爆2世患友会会長・韓正淳さんの囲む会でのお話+質疑応答
2013年7月22日   於:川崎市 中原市民会館


韓:昨日民衆法廷に参加しそこで証言したのですが、証言は資料のなかにありますのでそれを読んでください。
【岡田:青柳純一さんの新刊『被ばく者差別をこえて生きる ― 韓国原爆被害者2世 金亨律とともに』(三一書房)の中にあります】

私の55年の人生を話せと言われても困ります。先ほど事務局長が話をしましたのでそれに付け加えることを申し上げます。患友会は2002年から活動を始めました。患友会は、病気を患っている人たちの会のことです。原爆被害者全部が病気を患っている訳ではありません。健康に暮らしている人もいます。私は特別な例かもしれませんが、6人の兄弟姉妹皆が深刻な病気になっています。でも、沢山の兄弟のうち2人だけ病気だとか、全く病気の人がいないということもあります。このように、様々な形で病気が出えるというのが、被爆者の特徴かもしれません。私達は、韓国で、本当に苦しんで苦しんで活動をしています。初代会長の金亨律(キム・ヒョンユル)さんは、病を押して、あちこち自分の足で回って歩いて、組織化を図られました。その土台があるから私たちは助かっています。金亨律さんが亡くなられ、2,3年してから、教会など市民団体がようやく力になってくれるようになりました。

私達患友会は、何か大きな贈り物がほしいというより、とにかく暖かい手をさしのべて手を握ってほしい、大金をいただくより、暖かい胸で抱きしめてほしいのです。ある仏教団体が、伝統的家屋を使って、被爆2世やお客さまを迎える「平和の家」作りの支援をしてくださいました。私は仕事もあり毎日は行けないのですが、そこに週3日は行っています。そこでは病いに犯された人、知的障害を持つ人がゆっくり過ごすことができます。韓国でも日本と同様、被爆者への差別が大きく、その身にならなければわからないつらさがありあす。ですが、平和の家では、そのような人達が楽しく話をすることができます。

私は自分のことが言えませんでした。肉体的な苦痛、息子の問題、そのほか自分の状況が人の目にはどう映るのだろうかと考えると恥ずかしかったのです。お手元にあります証言の真ん中辺にあると思いますが、私は、起き上がりこぼしの人生を歩まなければならないと思うようになりました。転んでしまう人生ではなくて、転んでしまった人生から起き上がる、そこから始める人生を生きようと思ったのです。私達の病気は、医学的にも、被爆が原因だとは認められていません。私達は「被害者」といっても、1世と違って間接的被害者です。戦争が終わって68年という歳月が流れました。けれども、私は、自分が生まれた時から戦争が始まったと考えています。

原爆が投下された時、爆心地にいた人のうち、私達韓国人はその10分の1といわれています。これは被爆者の10分の9が日本人だということになります。人数だけみても9倍被爆したのですから、病気で苦しんでいる人は私達よりずっと多いと思います。被爆者の子供として生まれたとしても、その子供の人権は大切なものです。この世の中には、生まれてきてはいけないという人はどこにもいないと思います。原爆被害者の子供として生まれたものも、そうでなくて生まれたものも、子供の人権は同じものなのですから、私達被爆2世として生まれたものが、痛みがあるのなら、痛みを隠すのではなく、痛いなら痛いと言える、そして痛みを明らかにすることによって、解決を求めてゆくことが大事なのではないでしょうか?自分の両手で空を隠し、隠しおおすことができますか?

今回日本に来た理由は、私はこんな風に痛みがひどいんだ、こんな風に病んでいるんだ、そのことを訴え証言しようとして来ました。この様な仲間がたくさんいることをお伝えし、それに止まらず、日本のなかに、わたしと同じ様に痛みをかかえ隠れて生きていらっしゃるみなさんに対して、時すでに遅しといえるかもしれませんが、いまからでも自分の痛みを隠すことなく、明らかにすることによって、お互いに立ち上がって、お互いに手を握って、進んでゆきたい、一緒に立ち上がりましょう、ということが言いたくて日本に来ました。もし、この会場のなかに、そのような方がいらっしゃるんでしたら、どうぞ立ち上がって、そしてそのように立ち上がった方には、本当に暖かい手をさしのべていただきたい。

今、韓国で私達は、私達の人権を認めさせようという特別法を提出しています。こういうところまで私達は来ました。過去を振り返ると、自分が一人で隠れていたときには、分からなかったのですが、少し目を向ければ多くの人が差し出してくれる手がありました。多くの人が関心を持ってくれます。昔、一人でいたときには、今日このようにみなさんの前でお話できるようになることなど想像できませんでした。

生まれながらにして人に悪い感情を持つことはないのですが、両親は頭の中では、日本人は本当に悪い人間だと思っていました。両親の時代には 国を奪われ、強制労働をさせられ、連れて行かれた先では人間らしい扱いをされない、働いても労賃も支払われない、その挙句にその土地で被爆してしまった。本当に帰りたくても帰れない、自分の故国を胸におしこめながら被爆して死んでしまった方々、その方々の霊もまともに故国に帰れない、この悔しさ、胸がつぶれるような痛み、このことみなさん理解していただけますか?これは昔のことで今はそうじゃないんですが、しかしその当時の事実に関してはやはり謝罪していただかなければなりません。当時若い男性は強制徴用されましたが、若いという言葉が当てはまらない14歳から16歳位の幼い女の子たちは連れてゆかれて性奴隷にされました。いわゆる慰安婦です。こうした問題に対して、白黒をつけるべきだと私は思っています。このような時代を生きた方々ももう、皆さん亡くなられて、あまり生き残っておられません。

話したいことは、何日話しても話し足りないほど数々ありますが、韓国患友会の者として、日本に被爆2世で私達のように、病んで苦しんでいる方がおられるのでしたら、ここでそれを隠さずに明らかにして、私達と一緒に手に手をとって進んで行きたい、そのことを強調したいです。病に苦しんでいることなく、みんな一緒に手と手を握り合って、一緒に解決の対策を考えて行動して行きましょう。そういうことにみなさんお力をお貸しください。
日本と韓国で、患友たちが、手を携えて一緒に進むことができれば、解決に向かって、互いの壁を乗り越えることができるでしょう。みなさん、いっしょに進んでゆきましょう。(拍手)

岡田(司会):韓さんは、民衆法廷で証言される前日の会で、明日はハンカチを持って聞きに来てください、と言われましたが、今日のお話しもハンカチが必要でしたね。時間があまりないのですが、ご質問されたい方、ご意見のある方、どうぞ。感想でもかまいません。(白板の地図を指して、ソウルがここだとすると大邱はここ、ハプチョンはバスで大邱から1時間、プサンからはバスで2時間くらいのところです。そこに、原爆福祉会館もあります。約110名のおじいさん、おばあさんたちが暮らしています。)

韓:機会がありましたら、ハプチョンの平和の家にいらしてください。暖かいごはん一食を差し上げます。

参加者:私の隣に長崎で被爆された2世の方がおられたのですが、とても疲れやすく、最後までいるのが耐えられなくて帰えられました。ご報告しておきます。

参加者:教員をしている者です。福島から避難されている方に対して「ヒバクが移る」と言ったりする差別があります。韓国では広島・長崎の被爆については日本より厳しかったようで、2002年からようやく運動が始まったようですが、このごろ差別は減ったので10すか?

韓:患友への視線は冷たいです。病んでいることを自慢の種にしている、といった言い方をされます。でも、その視線に負けてはならないと思います。誰でも、原発がなくならない限り、すべての人が被害者になるし、いつどこで加害者になるかわかりません。

参加者:高校の教員ですが、私達の仲間に、被爆2世教職員の会に参加している人がいました。私の父母、また、妻の父母は東京大空襲で生き残った者です。空襲被害者が裁判を起こし、最高裁までいって敗れたのですが、その判決は、戦争は国民がひとしく受忍すべきものだというものでした。これほどの被害があるのだから二度と戦争をしてはならない、というものではありませんでした。「受忍せよ」というのはすなわち我慢しなさい、なのです。私の祖母は、大震災のときに朝鮮人虐殺を目にし、私はその話を小さいころ何度も聞かされました。また、8歳だった父は、その現場を目にしておびえたそうです。このようなことは、歴史に記録すべきことなのに、今、朝鮮人虐殺はなかったなどという「歴史の改竄」がすすんでいます。私達はきちんと記録するべきです。

参加者:東京大空襲の場合は「受忍を拒否する」という形で終わりました。ドイツの戦争被者の場合は、肩書が何であれ、軍人であろうが軍と関係がなかろうが、被災者はすべてドイツ政府が補償しました。日本政府はサンフランシスコ条約ができた時に、本来原子爆弾を落としたアメリカが行うべき原爆被害者に対する賠償を捨てています。そして条約締結と同時にそれまで停止していた軍人恩給を復活しました。ドイツやフランス、イタリアは国が国家賠償をしたのに、日本政府は先進国のなかでそれをしていない。

青柳:韓さんは大金をもらうより抱きしめてほしいといわれましたが、証言を読んでいただけばわかりますが、韓さんは20年に一度手術をしなければならないのです。今は法律制定運動で重要な時期なのですが、今手術をしなければならないのです。前回は家族が費用を工面したのですが、日本で、手術費用の三分の一の三分の一でも支援をお願いしたいのです。韓さん、陳さんがいないと患友会は大変です。これから始まる闘いです。どうかよろしくお願いします。

崔:私のブログはカタカナの「オクロス」です。韓さんの今日のお話から昨日のお話も入っています。コメント欄もあります。是非お読みください。ブログ上の意見交換を彼女たちにも伝えます。

岡田:韓さんから最後に一言お願いします。

韓:本日はこのように参加して下さりありがとうございました。患友会として法廷では言えなかったことですが、私の症状をみなさまにお伝えするのが第一の目的ではなくて、日本にも私のような患友がいらっしゃるはずですから、その現実を外に出して、明らかにして、本当に一緒に手を携えて行きましょうと言いたかったのです。今日は、このようにみなさまと手をつなぐことができました。このようにつないだ手はそんなに簡単にほどけたりしません。このようにしっかりとつながれた輪を大切にして、これからも一層強めて行きながら、みなさまと一緒に進んでゆきたいです。事務局長と私は姉妹のようにいつも二人であちこち行っていますが、一人がいないと、居ても立ってもいられないような関係になっています。私と事務局長のようなこういう関係で、日本と韓国が繋げられたら本当にいいと思います。みなさん、これからも手を携えて一緒にやってゆきましょう。ありがとうございました。

陳:会長さんは日本語がわからないので、日本ではこんな風に募金するんだな位に考えているかもしれません。もしこの募金が会長の手術費用だと知ったら、気絶するかもしれません。会長はそんな人です。自分のために何かをする人ではありません。どうかそのことを分かってください。このようなことは会始まって以来初めてのことです。ありがとうございました。


司会:募金は42,500円集まりました。



[論評]中央日報キム・ジン論説委員の「原子爆弾は神の懲罰」コラム論議に対する立場

去る20日、キム・ジン中央日報論説委員が書いた「原爆は神の懲罰、アジア人の復讐」という内容のコラムが大きな論議になっている。キム論説委員は、中央日報の記名コラム「キム・ジンの時々刻々」 5月20日付に、最近安倍日本総理と橋下徹大阪市長らの侵略の歴史否定および「慰安婦」肯定妄言について批判する「安倍、『マルタ』の復讐を忘れたのか」との題名のコラムを寄稿した。ところがその中で、2次世界大戦末期、日本の広島と長崎に投下された原子爆弾は「神の懲罰」であり、日本軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐と主張したのだ。

キム論説委員はまた、日本軍が中国、ロシア、モンゴル、韓国人などを対象に実施した生体実験、いわゆる「マルタ」の悲鳴が天に届いて、原子爆弾が広島と長崎を襲い、日本人たちも死に、「マルタ」の怨念[原文は「冤魂」=無実にして亡くなった魂]は未だ解けておらず、日本についての災難(神の怒り)は不足していると神が判断しても神の自由だ、と付け加えた。

このコラムの内容が日本社会に知らされ、菅義偉官房長官が「世界で唯一の被爆国・日本として決して許すことはできない認識」と抗議し、NHKと共同通信など日本の主要言論が大きく報道するなど、事態が大きく広がっている。

「韓国原爆被害者協会陜川(ハプチョン)支部」と「韓国原爆2世患友会」など韓国人原子爆弾被害者団体を中心に24の市民社会、宗教界で構成された「原爆被害者および子女のための特別法推進連帯会議」(以下、連帯会議)は、「原子爆弾が神の懲罰」という、このような歴史認識と公開されたコラム寄稿を強く糾弾する。

1945年8月6日と9日、日本の広島、長崎に投下された(米軍の)原子爆弾によって、当時朝鮮人7万人余りを含めた中国人、台湾人、アジア南方地域の留学生と連合軍戦争捕虜、海外宣教師など数多くの外国人も犠牲となった。日本人の中でも、軍人ではない子どもと赤ん坊、若い女性と老弱者など、純粋に民間人の犠牲者が多かった。特に、大韓民国は日本に次いで世界で2番目の原子爆弾被害国といえる。

当時、日本の植民地支配と侵略戦争、強制動員などによって日本の地に行くほかはなかった朝鮮人7万人余りが原子爆弾の犠牲になり、大きな被害を被った。その中で生き残った彼/彼女らも、命をかけて祖国に帰還したが、彼女/彼らを迎えたのは歓迎と慰労ではなく、差別と蔑視であり、政府と社会の無関心、無対策によってしっかりとした治療さえ受けられないまま病気と貧困、疎外と差別の中で死んでいった。被害はそれだけで終わらず、一部の2世と3世の中からも後遺症と被害が発生している。

原子爆弾の悲劇は現在も進行しており、その被害者たちが存在するが、それを「神の懲罰」と言うのは容認できないことだ。原子爆弾は「神の懲罰」ではない。それは、人類に対する明白な戦争犯罪であり、大量虐殺だ。投下された現場で人を殺傷することのみに終わらず、放射能被爆によって数十年が過ぎても被害を発生させ続けている。

日本の侵略戦争、南京大虐殺と生体実験をはじめとするあらゆる戦争犯罪と植民支配などは、もちろん許すことができない罪だ。安倍晋三日本総理と橋本大阪市長の妄言も決して容認できないことだ。しかし、原子爆弾が「マルタ」の怨念の復讐であり、人間の悪行に対する「神の懲罰」というならば、原子爆弾の犠牲になった怨念の復讐、原子爆弾投下という人間の悪行に対する「神の懲罰」はどんな形で戻ってくるのだろうか。

問題のコラムを書いたキム論説委員は「神の懲罰、復讐」発言を撤回して原爆被害者に対し、心から謝罪すべきであり、中央日報もやはり責任がないといえず、これに対し謝罪しなければならない。

私たちはさらに、日本政界の最近歩みと日本社会の歴史認識、そして68年の間一貫して固守してきた無責任と無謝罪、そして差別的態度に対しても責任を問う。広島と長崎に投下された原子爆弾の犠牲となったのは日本人だけではなかった。日本は今回キム論説委員のコラムに抗議して「世界で唯一の被爆国」の立場から、とうてい容認できないと反発している。しかし、原子爆弾が爆発したところは日本の地だったが、日本は「世界で唯一の被爆国」ではない。日本は、単に抗議だけするのではなく、自らを顧みて反省する必要がある。

私たちは、原子爆弾の犠牲となった日本の方々の痛みにも追悼と冥福、慰労を表わす。核兵器は容認できないことであり、廃棄されてこそ当然であり、原爆を投下した加害責任国の米国も被害者に謝罪しなければならない。しかし、日本政府も自国の被害と犠牲だけを前面に出すのでなく、なぜ原子爆弾が投下されたのか、原子爆弾が投下される前に日本はアジアと太平洋でどんなことを犯したのか、その犯罪を先に告白して許しを請わなければならない。

日本帝国主義は、明らかに日本軍「慰安婦」という性的奴隷制度を通じて女性の人権を踏みにじった。また、朝鮮をはじめとするアジアと太平洋各国を強制的に植民支配し、侵略し、戦争と虐殺、人権侵害を日常的に行った。しかし今、日本の政界ではその加害の歴史を否認し、軍事再武装の道を行こうとしている。

同じ時間、同じ地で原子爆弾の被害を被った日本人と韓国人の被爆後の状況は、やはり全く違った。日本政府は、自国内の被爆者援護政策を実施して、大規模な追悼記念事業と大々的な平和記念事業として戦犯国から犠牲者へと顔を変え、平和国家としてのイメージ変身をした。反面、国外の原爆被害者に対しては差別的な政策を行った。これに対する深い省察と反省が必要だということを肝に銘じることを願う。

来る28日、大韓民国国会で韓国人原子爆弾被害者と2・3世患友の支援法制定のための討論会が開かれる。韓国社会もやはり、原爆被害の惨状と悲劇の歴史を正しく認識し、被害者たちの人間らしく生きていく権利を保障するため、早急に対策を確立することに打って出なければならない。

2013年5月26日

原爆被害者および子女のための特別法推進連帯会議
健康な世の中ネットワーク、キリスト教環境運動連帯、キリスト教平和センター、金亨律(キム・ヒョンニュル)追悼事業会、緑の党、緑色連合、大邱(テグ)KYC(韓国青年連合)、大韓イエス教長老会総会人権委員会、反核医師会、仏教生命倫理協会、生命平和の呼び水、エネルギー正義行動、人道主義実践医師協議会、全国障害者父母連帯、正義平和仏教連帯、真の教育のための全国父母会、参与仏教在家連帯、平和博物館、韓国教会女性連合会、韓国教会希望奉仕団、韓国YMCA全国連盟生命平和センター、韓国原爆被害者協会陜川(ハプチョン)支部、韓国原爆2世患友会、陜川(ハプチョン)平和の家



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