2014年6月17日火曜日

ワールドカップ、コートジボアールの勝利の「遠因」についてー勝利の立役者ドログバたちの祈り

朝日新聞6月18日
ワールドカップでのコートジボアールに日本が負けました。私は日本が勝ってほしいとか、負けてほしいとかという次元とはまったく異なる次元でこの試合を観ました。そしてコートジボアールが勝利したとき、私には、この勝利の背景について技術論、戦術論とは全く異なる「遠因」があると思い、FBに投稿したところ、多くの方の意見をいただきました。それをすべて掲載し、スポーツにおける政治的、社会的意味について問題提起したいと思います。

同時に、私に反論された大洞さんが最後に述べられた、ワールドカップに反対するブラジルの民衆への思いと、「日本でも原発事故収束の見通しもないまま進められる東京五輪にどこまで反対運動ができるか、これが今は問われています。」という言葉に心したいと思います。

18日の朝日新聞の「声」欄より
やはり、ドログバは試合当日、こんな発言をしていたそうです。

「わが国は、国内が民族や宗教の違いから、混乱と衝突が絶えません。でも、たった一つ、全国民が一致ダンけっつするのがサッカーです。このW杯でいい成績を上げ、国民の期待に応えたい」
やっぱりね、さすがです。


投稿:崔勝久 6月15日
日本とコートジボアール戦を観ました。
技術的な力の相違、作戦などサッカーフアンからみればいろんな指摘があるでしょう。私見では、まず彼らの社会に対する深い洞察と責任感が圧倒的です。内戦を止めるよう、武器を捨てるように、自分達はひとつになっってサッカーに取り組んでいると語り、全員でひざまずき国民にアピールした彼らの姿勢には心からの敬意を表したいと思いました。それに対して日本のチームは比較するにも及びません。負っているものが違いすぎるのです。私には日本の敗戦は当然のことと思いました。

投稿:大洞 俊之 6月15日
悪いけどつまんないコメントだな、と思いました。ワールドカップ自体ナンセンス、オリンピックも含めもうやめるべきだし、今回の大会は反対するブラジル民衆の声をまず良く聞け、と言うスタンスです。この解説、ヘタするとナショナリズムに足をすくわれかねないと思います。


山下 明子: コートジボアールが勝ってよかった!と思いました。


落合 愛子: 内戦で困難な中からの出場、彼らの心は母国の平安を祈っていることでしょう


Takashi Yamada :ここまでくると、日本代表は負けてよかった、といえるかもしれませんね。


真鍋 祐子: 同意。


鄭 剛憲 :勝久さん、シェアします。


井上 浩幸: 負けたのは本当に悔しいけれど平和の象徴ドロクバだけでなくコートジボアールの選手も国の平和を願って必死になって闘ったことは間違いなくてそのような強い勝利意識が日本チームより勝っていたように思う。


Masanari Watanabe :国民の平均年収が6万円。子供たちが街頭TVの周りに集まって自国を応援する姿を観て、今回の結果は「良かった」と思っています。今度は負けるな。


端山 俊 :The name of la République de Côte d'Ivoire is derived from French. Many languages are used as official languages including French. This suggests a difficulty therein........
Regarding my message on the Republic of Ivory Coast  (la République de Côte d'Ivoire), I could not complete it since I realized that this country is too difficult to be commented without a lot of information thereon.  The peoples in that country have been suffered with so many damages by the powers including French, the USA, China, and the UK.  The history made by the too much colonialism and heavy discrimination regime is found therein, which is far from the appearance of the football game going on in Brazil.  It is obvious the  Abe administration has a strong intention to export NPPs to the country and others in Africa, to establish another colonialism regime onto the areas forced to have serious problems.  Wish to protest such a dark intention.    
-takashi

大洞 俊之 :その感動した理由は理解出来ます。ですが、日本の敗戦はその彼らの思想や平和への祈りとは全く無関係だろうと思います。勝とうが負けようが政治的な意見表明をスポーツ選手はすべきだろうし、その点でコートジボワール選手は立派だとは思います。ですが、それが勝利に結びついたというのはあまりにも飛びすぎの論法です。なお試合は見てないし、サッカーは全くわかりませんので、試合解析のことを言ってるんじゃありません。ファシストまがいの思想の持ち主でも強い選手はいるだろうし、リベラル派で弱い選手もあり得るだろう。そういうことです。

崔勝久:「コートジボワール選手は立派だとは思います。ですが、それが勝利に結びついたというのはあまりにも飛びすぎの論法です」、大洞さんの御意見にはこの点に関しては賛成できません。実は私の父親は昔ボクシングクラブのオーナーをしており、力道山のタニマチでもありました。ですから私は小さい頃からボクシングをよく見ており、マスコミで強いと騒がれる選手の本当の実力のほどを見抜く眼力はあると自負しています(笑)。

オリンピックとワールドカップの政治的利用と商業主義の問題に関しては、私は恐らく大洞さんと違ったところはないと思います。スポーツと大衆、スポーツ選手と闘う動機くらいのタイトルで書いてもいいのですが、力道山の「活躍」に戦後の日本人がどれほど興奮して酔いしれていたかを大洞さんはご存知ですか、たかがスポーツ、たかがプロレスの「ショーマンシップ」であってもそこに大衆の潜在的な願望、社会の実情を見ることは可能です。父も力道山も、在日朝鮮人として、日本人大衆の願うことを意識し、それに応える形で生き延びてきたのです。

2013年1月25日金曜日
「在日」の世界ー力道山と親父
http://oklos-che.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html

例えば、アリ(キャシアス・クレー)です。彼の華麗なフットワーク、強靭な精神力、そしてなによりもその強さにほれ込んだボクシングフアンは数知れません。ベトナム戦争への拒否から長い間監獄に入れられ、そしてカムバックして世界チャンプに返り咲いた彼の勇士に感動した人は多いはずです。しかし彼がオリンピックで優勝し帰国したとき、故郷のレストランで黒人ということで入店を断られ、金メダルを川に投げ込んだという話は聞かれたことがありますか。それは国際オリンピック委員会が「川に捨ててしまったのと同じ金メダルを作成、アリに再交付したのだった」(参照http://m.sports.yahoo.co.jp/・・・/detail/201207130004-spnavi )
とあるくらいです。

そのアリは、アトランタ・オリンピック(あのマルチン・ルーサー・キングの教会があり、オリンピック最大のスポンサーであるコカ・コーラの本社があるところ)の最終の聖火ランナーでした。それは「アリと米国社会の和解」と言われています。その「和解」にはいろいろな意味がこめられているのです。

私は「黒人差別に対する抗議」、「ベトナム参戦への抵抗」というアリのバックグランドを頭において彼の試合を観てきました。そこにボクシング技術だけをみる人、勝敗だけに関心を持つ人、いろいろとあるでしょう。しかし勝負の結果と、その人の社会的な見識・行動は関係がないと言い切る人は、なんと表層的な人なのか、人間ドラマを、そして差別や抑圧に抗しようとする民衆の気持ちがわからない人なのではないかと思います。

この写真を見てください。コートジボアールのドログバに二人がかりで前進を止めようとしている写真です。二人のディフェンダーは一流アスリートです。ごらんのように、ヨーロッパで活躍する長友はドログバの手を掴み、パンツを引っ張っています。しかしそれでもドログバの前進は止められなかったのです。彼が1点ビハンドの後半に入り、わずか2分間で逆転劇が始まりました。彼が得点したわけではありませんが、香川・長友の最強攻撃ラインの裏をかき、そこに攻め込む指示をだしたのは、ドログバです。彼の登場は全ての観衆だけでなく、味方の勇気を奮い立たせたのです。

大洞さん、そこに、テレビの前で内戦の原因になっている南北出身の選手たち全員で膝をつき、武器を捨てて内戦を止めることを訴えたドログバの「実績」が今回のあの試合に関係がなかったとどうして言えるでしょうか? 私はコートジボアールの勝利と、あの内戦中止を訴えたドラグバの勇気ある行動は関係していると見ます。

長友はいい選手です。しかしエリート選手、長友をしてドラグバの前進を止めることはできませんでした。商業主義の際たる祭典であるワールドカップでのこの一場面にさえ、私はドログバの「前進」を止めることのできない、民衆の平和への願望、私たちの闘いの希望を見るのです。大洞さん、感情的すぎると思われるでしょうね。しかし歴史の一断面に何を読み取るのか、それはその目撃者の思いと日常の生き方と関わっているのであり、そこで客観的な判断基準をもちだすのは、野暮というものです。うむ、人生は楽しい。

鶴田 雅英さん、山内 明美さん、落合 愛子さん、他48人が「いいね!」と言っています。

Tetsu Usui :これでは日本は負けるはず。5番ともう一人日本全体の恥。大和撫子を見習え。


東方 登: 私は今回の試合でドログバの存在と功績を教えてもらっただけで満足です。「つめの垢でもせんじて飲め」と日本選手ほかのスポーツマンに言いたい!


Hironobu Takaoka :コートジボアールの選手の負っていたもの。
内戦を止めるよう、武器を捨てるように、自分達はひとつになっってサッカーに取り組んでいると語り、全員でひざまずき国民にアピールした彼らの姿勢。このアリの話も知りませんでした。
Choiさん、ありがとう御座います。

大洞 俊之 :丁寧な反論ありがとうございます。管理人さんの思い入れは良く理解出来ます。オリンピックに圧殺され自殺に追い込まれた円谷や、あえてソ連の侵攻に抗議し黒っぽい喪服のような衣装で勝負を挑んたチェコのチャフラフスカ・・。スポーツの世界でもいろいろな戦いと葛藤があり、政治的な表明があったことは知っています。力道山も大山倍達も少年時代には全く予想していなかった出自を後に知りました。が、あえてここで細かく反論をするのはむしろそれこそ野暮だと思います。本大会ではサッカー王国ブラジルであれだけWC反対の動きがあったことを大会の前に知りました。決勝にどこが出てこようがこの大会を見ることはないです。それがせめてもの抑圧されたブラジル民衆への連帯です。日本でも原発事故収束の見通しもないまま進められる東京五輪にどこまで反対運動ができるか、これが今は問われています。

  • 藤坂 允 僕はオリンピック含め大会自体に疑問はありますが、どの国の選手もがんばってるの、もう限界以上に確かなのでこういう傍観者的な意見には疑問があります。(おまえ、やってみろよって・・)長友選手もエリートではないと思いますから。すいません。

  • 小池 愛姫 比べられるのは辛いですね!
    おまえ、やってみろよ…
    それ、説得力ありますねΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

  • 豊田 さをり 今度は日本人が国のため祈る時だでよ。9条を救うために

  • Midori Matsubado シェアします。私は彼の意見に賛成だな。ただ勝つためにそしてサッカーの振興のためぐらいでは選手が奮い立つには十分な動機だとしてもそれはすべてお金につながる話。日本が今かつてないほどの国難に直面しているのにその国難を国民自身が自覚してない、政治家も自覚してない人がたくさんという中でアスリートがそれを直感して勝利への動機となる場合それは大変強い気持になると思う。はっきり言ってブラジルにいる日本代表は甘い。今なお仮設住宅に暮らす人がいる中贅沢な合宿所を用意してもらってあのザマか。負けてもいいと思うけどコートジボワール戦は必死さが足りなかったと思う。

玉井 和宏さんがSeungkoo Choiさんの写真をシェアしました。
この記事の前段は、まぁともかく、後段のドログバ評は実に正しい。ドログバは、香川と長友を突進力で抜く事で示したものは、コートジボワール人の誇りを象徴するものだったのでしょう。それがコートジボワールの選手の勇気と力を生んだ。母国が不幸な内戦状態にあるという共通点では、ボスニア・ヘルツェゴビナも同様で、オシムの尽力がなければサッカー協会そのものが国内で統一されなかった。その国が初のワールドカップで、明らかに格上なメッシを有するアルゼンチンから歴史的得点を上げたのも、オシムの苦闘の上に築き上げられたものなのでしょう。負けてもなお、凛としていたボスニアの選手には敬服しリスペクトします。

  • 阿部 隆人 えらいですよ、ドログバ日本代表で政治的な発言してるやつぁいますかネ


  • 中野 充 崔さんのいいたいことも、大洞のいいたいことも、双方わかるような気がします。スポーツは、残念ですが、ワールドカップで国がまとまるとか国威発揚とか、そんなことに利用されます。スポーツの宿命といっていいと思います。しかし、ドログマがそんな世界で、世界一のスポーツ大会を逆手にとって、争いをやめようというメッセージを発しているのだとしたら、応援したいですよね。安倍もオリンピックやワールドカップで、皆が繋がり、大震災からの復興をアピールして、日本よひとつになろうと言いたいのでしょう。
    しかし、ドログマと何が違う
    か?「国内が民族や宗教の違いから、混乱と争いが絶えません」と、事実に踏まえているところです。力が弱く、ただただ争いのために、悲しみや悲痛、ありとあらゆる災難と困難の中でいきる底辺の民衆の立場からの発言だと思います。アンダーコントロールなどと、福島の事実をなきものとし、ウソをついてまで、人のつながりと国の一致団結を上から目線で演出する安倍とは、正反対の発言だと思います。


石井 利明
6月19日 22:45
 
読ませて頂きました、色々な意見がある中で最後の『黒ければ黒いほどいい』という言葉が共感しました。僕はギターを弾くので音楽から黒人文化を知っていくのですが、彼らは虐げられた為に様々な分野で強くなっていきます、それは黒人に限った事ではないですが。コートジボアールと日本ではベースの部分で違うのかなと感じました、背負っているものが違いすぎるというか…。僕もサッカーの事はよく分かりません、過去にやっていたことはありますが(笑)ただそういったベーシックな部分の違いというのは、結果として出るのかなと思います。因みにサッカーやスポーツ等を嫌いだから見ないのではありません、本田選手も言ってますが、にわかファン的な事はしたくないのです!普段サッカー見ないのにワールドカップだから見るといった行為は凄く失礼なんじゃないかと思うんですよね!ファンであれば、とことん応援すべきだと思うのです!だからあえて見ようとはしません!ただ見たゲームが何処の選手だろうと素晴らしいプレイをしていたら感動します!!

1 件のコメント:

  1. 環境活動家の辻信一と申します。崔さんのスポーツ論で、しばらく遠ざかっていた話題に触れて、興奮を覚えました。ぼくは20年も前に『ブラック・ミュージックさえあれば』という本を書きましたが、その音楽論はいかにも単純で、要するに、音楽は「黒ければ黒いほどいい」というものでした。単純、ま、言ってみれば野暮ですね。でも本当の問題はその先にあって、では、黒いとは何か、ということです。あの時は、長年暮らした北米から帰って来たばかりの時で、日本社会の“漂白文化”ぶりにあきれた勢いで書いたようなものですが。でも、ぼくはこの問いを今でも引きずっています。崔さんの熱いスポーツ論、好きです。そういうリーダーのもと、脱原発運動に関わらせていただくことを嬉しく思います。ちなみに、今日の朝日新聞に載っていた、今福龍太さんのWカップ論はブラジルサッカーの視点から論じていて、面白いですよ。

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