2014年5月12日月曜日

憲法改悪の動き、80歳の私は怒ってますー池谷 彰

「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」のメンバーであられる池谷彰さんからの投稿がありました。いつも歯に衣着せぬ明確な語り口でぐさりと本質を問う池谷さんの文章から多くをまなばさせていただいております。いつまでもお元気で。  崔勝久

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  この一年は特に我が憲法は激風にさらされました。我が憲法、特に第9条については風前の灯火といえば大げさでしょうが、その言葉にふさわしい危機感を我々は持ち続けております。砂川事件の最高裁の判決を持ち出してそれで集団的自衛権を正当化するということを安倍晋三はしています。その中にあって我が国の憲法がいかに貴重なものであるかを、声を大にして書き綴ったものが、このパンフレットです。今回は多くの方からご寄稿をいただきました。この欄をお借りして厚くお礼申し上げます。

  右寄りの風が吹くと必ず、それに合わせて自主規制をする自治体が増えるという現象が起っています。憲法、原発、TPP等のテーマで会を開催すると「政治的」という理由で施設の貸出を断る自治体が22件あると東京新聞の「本音のコラム」(2014年4月23日)で斎藤美奈子氏が報告しています。例えば、なんと東京都、足立区を含め14の自治体で、そのような自主規制があったそうです。ひょっとすると、川崎市もそのような自主規制をする日がやってくるかもしれません。そして陸続として起こる「はだしのゲン」事件!

同時に、テレビからも辛口の評論家がいつの間にか消えて行くと毎日新聞(2014年4月2日)が次のように報じています。「安倍首相と直接会った社長から、番組改編後の出演者を誰にするかの指示が下りてくる。何が話されたのかは知らされていない。」我々のよく知っている、なかにし礼さん、古賀茂明さん、森永卓郎さん、鳥越俊太郎さん、田原総一郎さん、上野千鶴子さん、内田樹さん、そして亡くなった筑紫哲也さん等はジャーナリズムに密かに行われている魔女狩りの犠牲者です。

日中関係・日韓関係は我々の心に重くのしかかっています。国民の多くは「いつまで俺たちを謝らせるのか」という漠たる不満を心の中に持っているかもしれません。それが各地に見られるヘイトスピーチになって現れています。サッカーの観客の間にも生じましたし、お遍路の各所にも見られるそうです。

そしてある政治家達は、南京事件で殺害した中国人の数がどうのこうの、慰安婦問題につては国が関わった証拠があるのか不明だというふうに問題を矮小化しています。特に20073月、安倍晋三首相が「広い意味での強制性はあったけれども、狭い意味での強制性はなかった」と国会で答弁したことにも見られます。多くの識者が指摘するように、明白な人権侵害問題なのです。したがって中・韓両国政府・国民は怒るはずだと思います。もし、自分の娘が外国人の軍隊によって凌辱されたら、どんな大きな怒りを持つでしょうか? 足を踏んだ方は痛さを感じませんが、踏まれた方はその痛みをいつまでも忘れないのです。このようなことに思いが至らない人は、想像力の欠如があるのではないでしょうか。

 現代フランスの哲学者ポール・リクールは以下のように言っています。「我々は死者に対して負債がある。その負債をしっかりと引き受けることで死者を弔わなければならない。国家や軍の指導者は個人として責任を問われ、裁判によって裁かれるが、民族や国家一人一人も政治的責任・道義的責任がある。たとえ世代が代わっても、同じ歴史的共同体に生きている以上、国家としても国民としても、責任を負い続けなければならない。和解のためには償いが必要だ」

「敵」(とあえて言いますが)は教科書に目をつけはじまました。近隣諸国との友好に配慮すべしとの検定基準条項を骨抜き・無効化し、自民党政府による教科書統制を極限まで強める文科省の検定基準を改悪しようとしています。具体的には沖縄県竹富町教育委員会が採択地区協議会と異なる中学公民教科書と採択、使用していることについて、文科省は町教委に直接是正を要求しました。きわめて露骨な干渉です。

  話題は少し飛びますが、2011年の3.11福島事件が起こって以来、私は原発問題に没頭し4ヶ月かかって、その問題点を指摘し「空の空なるかな」というエッセイを書きました。それがすむと、この3年間私は憲法問題に没頭してきました。その途次で或る記録を発見しました。それは吉田茂首相によって「曲学阿世の徒」と呼ばれた南原繁東大総長でさえも、紀元節に教職員を集めて演説をぶったということです。それを知って善悪の判断はおいて、日本人には天皇崇拝のDNAが流れていることを知りました。さらに、本心を言いますと、「ブルータス・お前もか」と言いたいところです。

  私は「昭和天皇への批判」というコラムも書き、その中では触れませんでしたが、昭和天皇は敗戦を期に退位し、敗戦の責任を絶対取るべきでした。小生の友人は腹を切るべきだとさえ言っています。そこから現在の無責任社会が始まったのだと固く信じています。

すべての問題が「天皇制」に還元できると言っても決して大げさではないだろうと思います。「君が代」「靖国」「国旗掲揚」その他もろもろの問題です。戦後かっての制度が徹底的に精算されなかったがゆえに、A級戦犯の岸信介が首相に復帰し安保をとおしてしまったのです。「天皇制」は諸悪の根源と言ってもいいかもしれません。ただ、私は今の天皇に個人的な恨みはありませんが。将来的には天皇制を廃止し、共和制にすべきでしょう。
 大は安倍晋三を筆頭とする右翼化をはじめとして、小は小保方事件,佐村河内守事件、「アンネの日記破損事件」などに至るまで、枚挙の暇がありませんが、我々の住む日本という社会が破綻をきたしているとしか思われません。賞味期限が切れているとしか言いようがないのです。その発端は昭和天皇の戦争責任の取り方です。

私と同じ考えをもった渡辺清という人の書いた「私の天皇観」という文章を福間良明著「『戰爭体験』の戦後史」から長きを厭わず孫引きします。

  「ぼくは全てを天皇のためだと信じていたのだ。信じたが故に進んで志願までして戦場に赴いたのである。(中略)それがどうだ、戦争の責任をとって自決するどころか、いのちからがら復員してみれば、当のご本人はチャッカリ、敵の司令官と握手している。(中略)厚顔無恥、なんというぬけぬけした晏如たる居直りであろう。」(中略)
  僕は羞恥と屈辱と吐き捨てたいような憤りに息がつまりそうだった。それどころか、いまから飛んで行って宮城を焼き払ってやりたいと思った。あの濠の松に天皇を逆さにぶら下げて僕らがかって棍棒でやられたように、めちゃくちゃに殴ってやりたいと思った。いや、それでも収まらない気持ちだった。出来ることなら、天皇をかっての戦場の場所に引っ張って行って、海底に引きずり落として、そこに横たわっているはずの戦友の無残な死骸をその目に見せてやりたいと思った。これがあなたの命令ではじめられた戦争の結末です。こうして300万人ものあなたの「赤子」があなたのためだと思って死んでいったのです。耳もとでそう叫んでやりたい   気持ちだった.(「私の天皇観」よりの孫引き)。

 なぜ安倍晋三が靖国参拝を繰り返しているのかというと、戦争を経験していないという問題ではなく、日本の戦争責任を全く理解しようとする意思がないからです。無責任の極みです。ブレヒトは「人は未来を急ぎすぎる。あまり多くの未精算の過去をのこしたまま」といい、「日本人よ、歴史を忘れるな」と木下順二は言い残してくれています。そして、フランス映画「サラの鍵」のブレネール監督も「人間は行き詰まったとき、過ちを認めることで前の進めることがある。それは歴史を認めて理解する事に似ている。正直に最適な問いを自分自身に向ける事が、大事だと思う。」

こういった先人の言葉をかみしめようではありませんか。この拙文の「あとがき」全体を通して読んでくださった方は、小生の文の根底に通奏低音のように流れているものは多数決にあぐらをかいている、つまりたった4割の得票率で8割の議席を得た自民党体制に対する怒りと告発的姿勢であります。それにお気づきになられましたでしょうか? 80歳にもなってと我ながら思います。しかし落合恵子さんが「生命の感受性」という箴言の中で次のように言っています。

  いきどうることを忘れたくない。しかし、憤りしかない人生なんて・・・。ごめんだとも思う。それでも、心に降り積もった憤りが、悲しい怨念や恨みに変わらぬように、
私たちは正当に怒ることを、そしてそれを表明することを覚えなくてはならないだろう。
もっと力強く、しかももっと丁寧に。

最後に度々引用したリヒヤルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領のドイツ終戦40周年記念演説からの引用をもって終わりたいと思います。
  
  「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。 非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険におちいりやすいのです。」
  そして最後に:
「たとえ明日世が滅ぶともリンゴの木を植える」(マルチン・ルター)

    池谷  彰      
  2014年 五月晴れの美しい日に


 追記: 小生のすべての文に目を通され細かい点にまでその誤りを指摘してくださった関屋照洋さんにこの場を借りて厚くお礼を申し上げます。そして印刷・製本の面倒なお仕事をお時間をさいてしてくださった佐藤克裕さんにもお礼をもうしあげます。そしてこのような製本に手を貸してくださった生田9条の会の皆様にも勿論厚くお礼を申し上げます。

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