2012年9月11日火曜日

小林よしのり『脱原発』を評する

昨日、facebookとTwitterで、小林よしのり『脱原発』に言及し、その本を薦めたところ多くの反応があり、その反応の多さに驚きました。

私が書いたことは以下の通りです。
小林よしのりの『ゴーマニズム宣言 脱原発』(小学館)を読みました。私はこれまでの彼の言動、本 屋での立ち読みで、「右翼」で偏狭的なナショナリスト、多くの青年によろしくない影響を与えている人物と思ってましたので、彼の本を買おうとしたことは一 度もありませんでした。
  しかし意外です。最後の参考文献一覧にある本をしっかりと読みこなし、正確な引用をしています。漫画で彼独特の言い回しで表現しているのですが、書かれていることは極めて「まともな」ものでした。是非、みなさんにお勧めです。
  特にこれまで保守派とされている人たち、小林よしのりもその一派なんだろうくらいしかおもっていなかったのですが、主だった保守派とされている人物たちやマスメディアが脱原発を批判し、原発が必要だと主張してきた内容を小気味よく、正確に批判しています。
 ところどころ差別用語もありますが、内容としてはとてもまともに脱原発を説いている本です。


それに対する反応は、これまで小林よしのりを読んだことのない人は:

●未見ですが彼のような脱原発論こそ悪しき国民運動論につながるのでは?
●小林よしのり 大嫌いですがシェアします。
●近づきたくない存在、と思っていたので、意外です。それならば一度読んでみないといけませんね。

実際に読んできた人は:
●小林よしのり氏はかつて薬害エイズ訴訟に賛同しながら突然裏切って急速に右傾化した前科があります。油断のできない人だと思います。
●私も読みました。レベルも高く、理解しやすい内容でした。しかし彼は核兵器に関しては容認派です。核兵器の技術は保持したまま原発をなくすことが出来るのか、そこだけが疑問です。
●沖縄論を書いているのでかつて読みましたが、あまり賛成できませんでしたが・・・。
俺は右翼であろうと左翼であろうと、正確な根拠に基づく理性的判断なら支持もします。
人を安易にレッテル貼りして固定観念化してしまうと、対立ばかりで対話にもなりませんから。是々非々。
●「ゴー宣」は吐き気を感じながらもだいぶ読みました。彼の意見の大部分は受け入れられないけれども、彼の右翼へも批判的な直球の物言いには、自己保身や逃げの姿勢は感じられず認める点もあります。
●彼は原発をなくして核武装せよとの説を展開しています。データ・資料の取り扱いの正確さのみを見て彼の主張の本質を見失ってはならないと思います。
問題なのは彼が愛国的であることではなくて、今は脱原発でも、ある日突然原発推進を宣言して、極めて素朴に彼の本に共感した人達を、結局原発推進に誘導する危険がある。そういう人物だという意味で、私は彼の本を簡単には人に薦められません。

と沢山の意見を寄せてくださいました。

私は小林よしのりは他の「漫画」を読み、彼の思想性を分析し批判するに足る人物だとは思っていません。ただ、彼の『脱原発』はしっかりと書かれている、原発推進派に対する批判、保守派の言質に対する批判は当たっていると思っただけです。「左翼」「サヨク」は嫌いなようですが、思想は別にしてということで小出裕章や肥田舜太郎の意見を高く評価しています。むしろ「参考文献一覧」を見ると、彼がどのような意見を参考にしているのかわかります。

原発体制の地域格差、被曝労働者の問題、そしてなによりも内部被曝の恐ろしさ、日本や韓国政府が「頼りにしている」国際機関の問題点をしっかりと指摘しています。なんとなく原発をなくすと困るのではないかと思っていながら、原発関連の本をあまり読んでいない人には是非、薦めていい本だと思います。

小林よしのりの「脱原発論」の根底は、家族、村の祭り、信仰や伝統を想う「故郷(クニ)」のようです。そこから「パトリ(故郷)なきナショナリズムは観念だけの愛国心である」として、「今、故郷を喪失した人々に対して、何の情もよせない大衆マスコミ・知識人が、なんと「保守」を自称してる」ということで彼らを批判しているようです。小林の愛国心もこの「故郷(クニ)」感情、概念に依拠して展開され、そこから沖縄の人に愛国心を求め、核武装を主張するのでしょう。

私はこの本に原発輸出と、モンゴルへの核廃棄物の持込みのことが記されていないことが不満です。2012年6月27日号の『SAPIA』に掲載されたものを8月27日に発刊し、「あとがき」は7月20日になっているのですから、本人が問題だと思えば、5月9日の東京新聞のトップ記事の「日米が核処分場 極秘処分」「モンゴルに建設」「原発商戦拡大狙う」を取り上げなかったところに彼の限界、問題点があると言えます。

この指摘は小林よしのり一人の問題ではなく、今の再稼働反対の大きなうねりの中でも「原発輸出反対」の声が圧倒的に少ないということにもつながるでしょう。日本の「一国主義」はどうしても乗り越えなければならない大きな課題です。小林の主張は国民国家イデオロギーに完全に取り込まれ、国家とはそもそも何かを根源的に問う姿勢に欠けています。従って、竹島(独島)や尖閣諸島などの領土問題が起こった時には即、偏狭的な愛国者の姿を見せる危険性があります。

「絓秀美『反原発の思想史』を読んで」
http://www.oklos-che.com/2012/04/blog-post_6012.html

維新の会を中心とした政界変遷の動きがいずれも橋下、河村、石原といった人たちとの関わり中で進められていること、彼らがいずれも植民地主義の過去の清算、現在の進行についてまったく関心を示さないのは、彼らこそ自らの植民地主義の残滓を自覚せず、それを乗り越えなければならないと思っていない愛国者、植民地主義者だからでしょう。

小林よしのりも引用している開沼博は『「フクシマ論」』で不十分な展開しかしていませんが、原発は国内植民地主義であるという主張をさらに深める必要があります。また植民地支配を過去のものと記述する開沼博は、現在の原発輸出、核廃棄物のモンゴルへの持込み計画を現在の、植民地なき植民地主義(西川長夫)と見ていませんが、私は原発体制こそ現在の植民地主義であると考えています。



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