2012年8月21日火曜日

国際連帯と地域の民主化は同じ根ー川崎の実例は全国の先駆け


8月20日、川崎の猪俣市議の段取りで、「川崎市の臨海部施設を見学するツアー」が催され、18名の参加者で丸一日をかけて川崎市のゴミ、下水道の処理の実態を見学しました。現場でこの目で見て初めてわかったことも多くありました。

1.入江崎水処理センター
川崎では下水道の処理施設が4か所あり、ここ入江崎水処理センターは「高度処理」を謳っています。「高度処理」とは有機物だけではなく、窒素とリンを除去する技術をもっているとのことです。大きく長いパイプの中を市民が毎日使った水が流され、微生物で徐々にきれいになっていくさまがよくわかります。下水は、上澄みの
水と汚泥にわかれ、水は塩素で殺菌されて海に流されます。汚泥はすぐそばの入江崎総合スラッジセンターに
送られます。(スラッジという英語は、何のことはな単なる汚泥のことでした!)



下水は川崎市内に降り注がれた放射性物質がたまるところですが、下水処理においては放射線物質を除去することはそもそもまったく考えられておらず、基本的にはゴミと菌の処理ということでした。従って放射線物質の多くは汚泥に含まれ、次の工程に行くのですが、幾分かは間違いなく海に流されるという構造になっています。
最新の建物であるにもかかわらず、コンクリートにいくつかのひびがあり、参加者の中で、それは3・11の影響ではないかと指摘する人がいました。勿論、担当者は否定していましたが、私自身は大いにあり得ると思いました。

2.入江崎総合スラッジセンター
川崎の4か所の下水道施設から地下のパイプを通してすべてここに汚泥が運ばれます。担当者に地震や液状化の影響はないのか質問したところ、影響を肯定し、だから、パイプを複線化(1本のパイプを2本に)して、いざという場合に備えようとしているとのことでした。

ここでは汚泥を焼却炉で処理するのですが、3・11以降、その灰の放射線量が高く、焼却灰の受取をセメント会社は(マンション建設などのイメージ低下恐れてか)拒んでおり、8000ベクレル以上のものは敷地内にそのまま置き、以下のものは臨海部に持ち込んでるということでした。8000ベクレル以上の線量の高かった汚泥の焼却灰は、PPの袋に入れその上にシールをかぶせただけの処理で、地震・津波に備えて海や市街地に流れることのないようにするという備えは全くなされていない、そのような災害対策意識はまったくないということがわかりました。

毎日でる下水の汚泥はもっとも放射線物質の線量の高いものですが、その焼却灰の処理ができず、毎日、臨海部に積み込まれているというのはまさに異常事態です。マスコミがこの異常事態を報道し、今後の解決策はどうあるべきか、市民に情報提供し、市民は行政とは解決策をめぐって話し合いをするべきです。

臨海部ではこれまで確保した土地では足りず、新たに貯蔵地を確保したのですが、それもほぼ半分くらいはコンテナで埋められ、年内しかもたないとのことでした。それは年内に汚泥焼却灰の処理方法を解決するということになるのか不明ですが、私見では、新たな土地を確保することして解決策を先延ばしにするような印象をもちます。従来通りのセメント会社への灰の売却を強行するのは無理があり、その灰は一般ゴミの灰と同じく、臨海部の護岸内の埋立地に散布していく可能性が高いと私は見ました。政府の恣意的に設定された数値によれば川崎市もそのまま埋立地に散布できるのですが、猪俣市議によると、阿部市長は躊躇(拒否?)しているとのことでしたが、私は市としての方針を市民と共に話し合い明確にしていくべきだという意見です。

3.浮島処理センター
浮島処理センターの入り口の階段のところで、約30センチほどの段差があり、これは3.11地震の結果、地面が下がったものと思われます。このことは臨海部の直下型地震が3.11と同規模で発生した場合、臨海部の工場内の配管の破損、石油タンクからの油に流出は必定であると再度、思わされるものでした。

ここは川崎市民の一般ゴミを集め、焼却する施設です。広大なコンクリート施設に運び込まれたゴミはいくつかの工程を経てすべて焼却されます。そこで出てくる灰が主灰と、飛灰です ( *主灰と飛灰について http://eco.goo.ne.jp/word/ecoword/E00578.html )。ダイオキシンの事故以来、特に飛灰の処理については厳しく管理するようにされています。しかし当然、それらは別途処理されているものと思い込んでいた私たちは意外な現場を目撃しました。飛灰にはフィルター処置を含め、焼却された灰の厳しい管理が行われているのですが、しかし飛灰をコンクリート内の貯蔵施設では主灰と同じところに(場所を変え)落とされているのです!

飛灰は見た目も若干白っぽいのですが、灰をトラックに積み込む際、実際にそれらが混載されているのを私たちは目撃しました。焼却灰と飛灰の放射線濃度はそのどの程度の頻度で測定されているのかわかりませんが、現場ではそんなことにお構いなく、コンクリートの貯蔵地に落とされた主灰と飛灰を実際には大まかに救い上げトラックに積んでいるという印象でした。

担当者は区別して処理していると強調していましたが、現場ではそんな厳密な区別はできない、ということが明らかです。ダイオキシン事故以来、主灰と飛灰の区別は置き場そのものを変える(あるいはコンクリート壁で区分けするようになっているそうですが、しれは平成17年以降の工場で、ここ浮島ではそのような厳密な区別はなされていませんでした。このことは、護岸内の埋立地に散布される灰の中に飛灰も含まれているということを意味します。護岸で外洋と遮断されているように思いますが、実際はパイプでつながっており、護岸内に蓄積された放射線物質は外洋に流れているということなのです。

4.浮島埋建立ち
護岸で外洋から遮断される形で埋立地があり、今日、初めてその現場に行きました。広いようで、40年経つと灰で埋められる予定だそうです。埋立地の周辺には、行先のない汚泥の焼却灰がコンテナにつまれていました。

災害に備えてワイヤーでコンテナを固定しているとの説明でしたが、実際の現場は、ただコンテナやPPのような袋に積まれた灰がそのまま置かれているという状態でした。

これは川崎市は、地震・津波対策はいつ起こるかわからないものとして対策を練っているというより、放射線量の高い灰をそのまま放置しているということです。



実際、現場で働く職員は地震・津波が起こると周辺では一番高い4階建ての建物に逃げる訓練をしているそうですが、津波やタンクから流れる石油によって自分たちの助かる見込みはないという覚悟で仕事をしているということでした。それが現実なのです。

5.結論
よく便所のないマンションという言い方を聞いてきましたが、これは原発のことだけでなく、まさに日常の下水、一般ゴミの処理が高い放射線線量のためになされず、灰として臨海部に積み込まれている現状を確認しました。放射線物質の問題と川崎市の災害対策の問題は、3・11以降、一つの問題として可視化されてきたとい思います。この解決は、市民と行政との対話によって、問題解決を企業、識者をもいれながら解決策を探るという民主的な制度を作ることでしかありえないと考えます。

日本の原発の核廃棄物の最終処理はなんら論議されないまま、秘密裏にモンゴルに持ちこむことが画策されてきました。再稼働反対の運動は原発の海外輸出反対と、核廃棄物のモンゴル持込み反対運動を同時に行わないと、日本だけがよければいいという排外主義的な運動に陥る危険性があります。国際連帯と地域内の民主主議的な運動は連結するということを再度、確認できたツアーになりました。みなさん、お疲れさまでした!

参考資料:
川崎市は放射能で汚染まみれー焼却したゴミと下水道の汚泥は処理できず、手詰まり状態
http://www.oklos-che.com/2012/06/blog-post_26.html

「隠された東京湾炎上」ー川崎市内への影響は?
http://www.oklos-che.com/2012/04/httpwww.html

津波への備えのない、エコ発電都市川崎の実情を目撃
http://www.oklos-che.com/2011/09/blog-post_06.html

地震・津波の災害に関心が薄い人が多いのはどうしてでしょうか?
http://www.oklos-che.com/2012/05/blog-post_17.html


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