2012年7月4日水曜日

東芝、日立はどうして無傷でいられるのか?

日立がリトアニアへの原発輸出を決定したと報道されても、東芝が子会社を通して(98%の株主)アメリカで原発建設が許諾されたとあっても、どうして彼らは素知らぬ顔を
していられるのでしょうか? どうして無傷で堂々と原発輸出を誇らしげに公表できるのでしょうか?

勿論、これは日本政府が後押ししているからです。そして野党も(一部を除いて)圧倒的多数で政府の方針を承諾して、原発輸出を承認しているからです。原発輸出は民主党にとって花形産業として位置付けていましたから。脱原発を謳う、菅直人元首相もわざわざヴェトナムにまで「営業」に行き、契約をとってきました。

そして何よりも日本国民は自国内での原発に反対しても海外への輸出には反対の声を上げませんでした(あげてもその声は小さく、黙認に終わっているのです)。絓秀実(すが・ひでみ)は戦後日本の反原発運動を分析して、一国主義であったと結論づけています。

『反原発の思想史』を読んで
http://www.oklos-che.com/2012/04/blog-post_6012.html

6・29で潮目が完全に変わりました。組織動員でなく、ツイターなどの呼びかけに応じて10万人の人が官邸前のデモに参加しました。7・16ではさらにそれを上回る人が集まるでしょう。だからこそ、その流れの中で原発輸出も許さないということを明らかにさせるべきなのです。日立・東芝(勿論三菱重工も)を許さないという声を出さなければならないのです。彼らをこのまま無傷に終わらせてはいけません。みなさん、本気で、日立・東芝の不買運動を考えませんか?

ツイターでの私の主張への反応を公開します。

朝日での書評の一部を紹介します。

3・11以降、「素人の乱」が主催するデモが活況を呈した。著者は、そこに可能性を見いだしつつ、反原発と反新自由主義を両立させる困難を指摘する。クリーン・エネルギーというベンチャーのように、反原発は新自由主義と合流し、旧第三世界における原発増加を推進しうる。かつて華青闘が告発した一国主義に、反原発運動が陥る危険性があるのだ。

近代にとどまりながら、原発を超克することは可能なのか。著者は資本主義の否定に出口を求めるが、その具体的方策は脆弱で、安易な解決策は存在しない。

日本における反原発論は、新たな段階に入った。今後のヴィジョンを見定めるためにも、我々は過去へと遡行(そこう)することで前進しなければならない。論争的な一冊だが、本書を経ない反原発論は、今後成立しないだろう。我々が立っている場所こそが問われている。

反原発の思想史―冷戦からフクシマへ [著]絓秀実(すげ・ひでみ)
[評者]中島岳志(北海道大学准教授)  [掲載] 朝日新聞 2012年03月11日  




0 件のコメント:

コメントを投稿