2012年6月11日月曜日

下北半島スタディー・ツアー、函館集会は大成功でした!

朝日新聞(6月10日)

6月5日から10日まで、下北<核>半島地域スタディ・ツアーを計画し、六ヶ所村、大間、東通の「原発村」の実態を見て回り、地元で反対運動をする住民と交わりの場を持ちました。そして8日、9日の最終日は函館に入り、日本各地、韓国、スイスからの50名を超える多様な参加者で交流会を持ち、最終日は集会、記者会見、200名のデモを実施しました。地元新聞3紙に報道されています。

韓国からツアーの参加したYMCAのLee Yunheeさんの撮影したビデオです。車でデモの先頭に立ちながら、アジっているのは、ピータさんです。「マグロもイカも怒ってる」「玄海原発、もう限界」などなど・・

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=z-tljaVFTqw&NR=1

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スイスからWCC(世界教会協議会)、日本の「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)、韓国の「核のない世界のためのキリスト者連帯」(CNWFN)、そして各地の原発反対運動をしている人、出版関係者、大学関係者、学生、Facebook愛好者等など大変多彩な人が集まり、現地の人から学び、お互い親交を深める中で触発されました。その内容は順番に報告していきます。国際交流の必要性は参加者一同、みんな感じたようです。




主催者の「原発体制を問うキリスト者ネット―ワーク」(CNFE)からの報告書を元にしてツアーの全容のご紹介をいたします。






下北半島スタディー・ツアー無事終了の報告


スタディー・ツアー参加者、ご支援を頂いた方々、CNFE会員の皆さま、スタディー・ツアー、全行程、無事に終了致しました。皆さまのご協力、本当に感謝致します。

ツアーは6/5夜の信濃町教会でのオリエンテーションと韓国の李大洙さんを囲んでの集会がありました。大久保さんからは日本の状況の説明があり、李牧師は韓国の脱原発の運動が日本の運動と連動しているとの説明がありました。

そしてほぼ同時刻で韓国の方の青森での市民交流会からスタートしました。青森県保険医協会・組合のみなさんによる暖かいの歓迎の食事会が催され、青森の開業医が昨年の3・11の経験を踏まえ、電気が止まっても治療に支障がない体制を作ったうえで、全面的に原発を止めることに集中しているという説明があり、韓国の地域医療に取り組もうとしている
参加者から称賛の声があがりました。今後の日韓の交流が望まれます。

6/6には両部隊が合流して、①三沢での山田清彦さんの講演会がありました。これまでの豊富な経験と情報を短時間にまとめてお話し下さいました。下北半島の実態、これまでの闘いの困難さ、地元の闘いではいかんともしがたい実情の説明がありました。

②六ヶ所村PR館の説明では、逆に再処理の問題を含め現状はいかに危険かを感じたのですが、それでも案内の女性は誇らしげに説明をします。単なるPRに終わらず、訪館者の疑問にもしっかりと応えられる、対話ができるようになっていればと感じました(無理だろうな!)。

③花とハーブの里では菊川慶子ご主人はおられず、そこで昼食をいただきました。「花とハーブの里」は六ヶ所村の日常を多くの人に知ってほしい、と菊川慶子さんが開いた場所です。菊川さんは、鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディー」にも登場されています。

人気のないその場所は、逆に菊川さんはいかに地域で孤独な闘いを与儀されてきたのかを感じます。六ヶ所村のこの素晴らしい自然を生かした、自発的な、原発政策に依存しなくても生きていける地域の発展はできないのか、この大きな問題に戻ります。

6/7には①野坂庸子さんの中間貯蔵施設のお話と建設地見学でした。広大な中間貯蔵施設は、本当に「中間貯蔵」で終わるのか、最終地としてそのまま低レベル、高レベルの使用済み燃料を含めた放射能に汚染されたものがそのままそこに貯蔵されていくのではないのか。自律的な産業が育たなかった原因究明はなされず安易に原発関連施設の建設によりかからざるをえなかった地域の現状、それを徹底的に利用した地方と中央の政治。怒りがこみあげてきます。
「むつ科学技術館」の訪問は事前に予約をしたのですが、休館日が週に2日となったということで内部の見学は実現できませんでした。

②あさこハウスでの食事と記念イベント、
「あさこはうす」のご主人の小笠原厚子さんのお話は衝撃的でした。「あさこはうす」にたどりつくのに、大間原発の広大な敷地の中を、まるで城壁に囲まれたパレスチナのように(WCCのジョナサンの談話より)隔離されているところに、狭いフェンスに囲まれた道をバスは苦労しながら向いました。広大な岸壁の施設、建設中断であるとは言え、巨大な建物の傍に、木造の、地元大工から断られ親子で建てた「あさこはうす」は凛として立っていました。

厚子さんはお母さんの熊谷あさこさんが、どのような闘いをしてきたのか全くお母さんからは聴かされてなく、警察の尋問で知ったそうです。苦しみは自分一人でいい、娘にまで関わらせたくないという親心だったのでしょう。権力はお金や脅迫で徹底的にあさこさんに移住を迫りました。村の人からは完全に孤立状態のなかで、自分たちを育んでくれた自然を放射能で汚したくないと頑張りぬく中で亡くなられ、その母親の意思を、娘の小笠原厚子さんはなんとしても継ぎ、大間原発は絶対に建てさせないと、涙ながらに語っておられました。

母親のあさこさんの抵抗で、大間原発は設計をやり直さざるをえなくなり、その結果、工事は大幅に遅れて今に至っているのですが、もしあさこさんの抵抗がなくそのまま工事が進んでいれば3・11までには完成されていたはずで、そうなればあの時の大地震と津波で大間原発はどのようになっていたのかもわからない、母は大間の地域を、日本を、世界を救ってくれたのです、と厚子さんは語ります。

私たちツアー参加者全員の名前を彫ったプレートを3本の桜の間に置きました。桜は大きくなるのに15年かかるそうです。15年後、その桜の木はどのようになっているでしょうか。また「あさこはうす」を訪問して、この目でしっかりと大間原発がどのようになっているのか見たいと思います。廃炉のための工事を続けているのか、どうかを。

③風車まぐるんちゃん見学と富岡敏夫さんの講演、
富岡さんのお話は大変、示唆に飛んだお話でした。原発に依存しないで風力発電施設をつくるには、どうしても中央の大資本が中心になるので、風力を地方の固有のもの(財産、権利)としてその風力を利用する産業は一定の費用を地方に落とすようにして、地方の活性化につなげられないのか、そのためにはデンマークを参考にしながら法制化が必要だと熱く、ユーモア一杯のお話でした。

④岩田牧師のお話。
これまでのご経験を踏まえた具体的なお話でした。しかし岩田牧師のお話は原発の建設の経過からして国際的な関係の中から生じたことを説明されるのですが国内問題の領域に留まり、韓国側は、具体的に原発建設と核兵器の問題、日韓両国が共通に当面している現実に対する具体的な見解を求める声があがり、原発問題をエネルギー問題としてのみ議論することが多い日本の運動のあり方に一石を投じることになりました。この点は今後の課題として、日韓連帯、国際連帯の運動の質が深められる必要があると判断します。

6/8にフェリーで函館に渡り、
①市内観光と平行して函館市役所での市トップとの面会がありました。市長は不在で、総務部の部長以下、関連部署の担当者が対応しました。函館市としては、大間原発の工事再開に反対で、これまで単独でもまた他の市町村と一緒になって政府に陳情してきたそうです。

マスコミでは、工事再開の場合には中止を求める裁判を考慮しているという情報が流れましたが、部長はその点についても明確な答えを出さず、あくまでも政府の対応次第ということを強調しました。しかし住民の安全を求める声を地方自治体としては政府の動向を見守るだけでなく、函館市としての独自な見解と行動が必要ではないかという質問に対しては、地方自体体もまた中央政府に従う(従属する)という話しになり、それは違うという声があがりました。市庁を表敬訪問した今回のツアー代表は、函館市の大間原発工事再開に対する反対の声をさらに上げられてくださるように、世界から見守りたいという挨拶で友好的な会談を終えました。

②大間裁判公判には、原告団のご配慮で、ツアー参加者から3名が参加しました。

③脱原発の闘い交流会では、WCCの「平和と軍縮」局の責任者であられるJonathan Frerichs氏の講演からはじまりました(講演内容は別紙参照)。韓国NCCの李牧師は、どのようにして「信仰と核は両立しない」という信仰宣言と、それを基にして「核のない世界のための韓国キリスト者連帯」という組織が作られてきたのかという説明がありました。玄海プルサーマル裁判および、北海道の泊原発、浜岡原発の問題点がそれぞれなされました。いずれも短い時間でしたが、問題点を正確に説明しながら、今後も継続して取り組んでいくという力強い言葉でした。

④夕食を食べての公判の報告、
⑤明日のデモのプラカード作り。

6/9は①函館千歳教会での各原発の闘い紹介、韓国、WCCからの報告集会がありました。新島襄と関連が深い伝統ある教会で、WCCのジョナサンの挨拶(ピーターさんの素晴らしい通訳)、各地の取組がツアー参加者以外の一般市民の前で報告されました。泊原発の牧野さん、浜岡原発の内藤さん、それに玄海のプルサーマル原発の於保さん(涙を目に浮かべながらの決意表明は参加者全員の心を打ちました)からの報告でした。

②その後の記者会見では、WCCのジョナサンに遠くジュネーブから福島でなく函館にいらしたのかという質問がありました。ジョナサンは、明確に、函館を第二の福島にしてはならいという思いであることを話されていました。朝日新聞を含め、地元4社のこの日の集会とデモのことが報道されました。

③午後は千代台公園から五稜郭までのデモ行進。
ピーターさんの先導する車からのシュプレヒコールに200名の参加者は(笑をこらえながら)、大きな声で応え、市民に訴えかけました。


・これだけ盛り沢山のツアーでしたが、皆さん本当に喜々としてこなしておられました。
・あさこハウスでの小笠原厚子さんのお話は涙なしには聞けませんでした。また、8日の夕食会の後の厚子さんの娘ななさんの短くも熊谷あさこばあちゃんを尊敬する目、そして河合弁護士の経過説明。絶対大間原発を建てさせないという意思を一つにする会合でした。
・記者会見の共同宣言は、事前に作成していたものではなく、今回のツアーをしてきたことを具体的に盛り込んだ、もっと力強いものにしようと韓国の方中心に当日の朝ギリギリまで掛けて作り直しました。

その共同宣言を早々に発表しようと思いますが、とりあえず、無事に終えられたことを神に感謝し、また皆さまの労をねぎらいたいと思います。

どうもありがとうございました。

下北半島スタディ・ツアー 準備スタッフ一同(八木沼豊、崔勝久、鷲尾秀樹(ひで)、大橋明子、大久保徹夫)

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