2012年6月4日月曜日

3・11を踏まえて韓国の民主化闘争とは何であったのかを考えるー反原発運動の意味すること


「激動の韓国現代史を生きたキリスト者の証言」という帯の言葉がそのまま納得のいく、強烈な感動と刺激を与えてくれる本です。朴炯圭『路上の信仰  韓国民主化闘争を闘った一牧師の回想』(新教出版社)を読み、私はしばし絶句しました。それほど朴牧師の実存(現存)というか、その生き方に圧倒されました。

世界史的に見れば、時の独裁政権に弾圧、逮捕されながらも屈することなく闘い続け、「最後の勝利」を勝ち取った人は沢山います。そしてその一人ひとりの歴史はすべて感動的であることは言うまでもないでしょう。南アフリカのアパルトヘイトと闘ったマンデラの自伝も感激して読んだ記憶があります。

しかし朴牧師の場合は「在日」の私にとってさらに近い存在であり、その本の中にも多くのお世話になった方、知人の名前が出てきますし、何よりも私自身、その韓国の現代史、民主化闘争に片隅から関わっていたということもあり、彼の歩みは知っていたとは言え、その生き様はすさまじく、胸に迫ってくると同時に大きな挑戦でもありました。

1 韓国での私の個人的なエピソード(著作の中で言及されています)
私は日立闘争の真っただ中にいながら韓国に語学留学に行きそのままソウル大学の歴史学科の修士課程に入りました。当時は朴政権の独裁の時代であり、教会、マスコミ、学生運動も完全に沈黙を与儀なくされていました。大学の学部の後輩からある日私に話があり、「兄さん、しばらく会えないかも知れない」とそれほど親しくなかったのになぜか私に呟かれた言葉に何のことかわからず当惑をしていたのですが、数日後、キリスト教放送の朝のニュースで、一回だけ、ただ今ソウル大学でデモが発生しました、という情報が流れ、私はすぐに当時鐘路にあったソウル大のキャンパスに駆けつけました。

(イメージ写真)
2百名くらいの学生が正門前に並び愛国歌を歌いながら独裁政権を批判するシュプレヒコールを繰り返していました。そこに機動隊が突入し恐らく全員逮捕されたのでしょう。その隊列の後方に私は後輩の姿を見ました。その学生たちの立ち上がりがきっかけで教会や、学者やマスコミや教会の中から独裁政権を批判する声が徐々に上がるようになってきたことを昨日のように思いだします。民主化闘争はまさに無名の学生たちの蜂起から始まったのです。私は日本から韓国に渡りその歴史的な出来事を目撃した数少ない証人の一人でしょう。

2 エピソードその2、日立闘争との関わり
その後、朴牧師の本の中に出てくる韓国の教会関係者の強い誘いがあり私は大学院を中退し、RAIK(在日韓国人問題研究所)を立ち上げるときの初代主事になりました。研究より具体的な活動を望む私が出した条件は、主事として日立闘争を続けることと、川崎での地域活動を全面的に認めてほしいということでした。就職が決定した後、私はこの間公私にわたって支えてくださった故李仁夏牧師にも黙って韓国に飛び、学生運動のリーダたちと接触しました。逮捕されたら迷惑がかかると思ったのです。名指しで政権を批判する集会はできない彼らに対して、日本の企業の韓国進出にターゲットを絞って、そのことと関連させ、「在日」を差別する日立を糾弾する集会を持つことを協議し、日程、場所まで決めてすぐに帰国しました。

数日後、民青学連事件と言われる(1974年4月に大韓民国維新政権が発した緊急措置により、全国民主青年学生総連盟、略称:民青学連の構成員を中心とする180名が、韓国中央情報部(KCIA)によって拘束され、非常軍法会議に起訴された)事件で逮捕された学生たちの中に、日本企業を批判する集会を準備したということで、あの私と話し合った学生の名前が入っていました!その学生の名前も著作の中にあり、今さらのように彼らの顔を思いうかべました。在日のあらゆる民族組織が日立闘争を批判していたときに、日韓の歴史の問題として日立闘争を取り上げ支援すると発表したのは彼らです。そのことがきっかけで日本国内でも日立闘争を支援する運動は大きくなっていきました。在日の足元での闘いを通して韓国の民主化を求める人たちと共闘できることを私は実感しました。

3 民主化政権下の原発建設
世界の教会の中でも韓国の民主化闘争はもっとも注目された「出来事」でした。日本の教会も大きな関心をもち、彼らの支援に関わりました。日本においてその中心にいらしたのは先日来日された池明観先生ですが、民主化闘争のまさにその中心に朴炯圭(パク・ヒョンギュ)牧師がいらしたことは間違いありません。しかし彼は回想録の制作にあたってもあくまでも謙虚で、「懺悔録」しか出す資格はないと長く拒んでいらしたようです。韓国の2度にわたる市民革命。そこで命をかけて求めたのは韓国の民主化でした。その歴史的意義、そこに関わった朴牧師をはじめとした教会関係者、そして無名の学生たち、市民の働きを最大限、評価することに私自身、何の躊躇もありません。

しかし朴牧師の著作にあるように、60年代の後半にはすでに韓国で原発建設が始まっているのです。そして何よりも拉致され殺されかけた、韓国民主化闘争の象徴であった金大中が大統領に就任するのですが、その前の金泳三大統領、その後の盧武鉉大統領の民主陣営が勝利したその時期、民主政権下においても、原発は作り続けられていました。勿論、保守派の現大統領の李明博が現代建設の社長の時にその半分を手掛け、大統領になってさらに積極的に国策として推進してきたことは事実です。アラブ首長国連邦への原発輸出に成功した日を祝日にしたのも彼です。教会は韓国社会の大きな勢力となり現政権と深く関わりをもつようになりました。そして民主化闘争の歴史をもつ韓国教会がその韓国の原発推進を批判してこなかったのも事実です(3・11までは)。

4 韓国内での反原発運動は民主化闘争で実現可能か?
私自身、3・11を目撃するまでは原発について曖昧な理解しかしていなかったのですから、他人を批判する資格はまったくありません。韓国の教会も同じでしょう、彼らが3・11によって原発の問題をはっきりと認識し反対運動を始めたことは、高く評価されるべきです。しかし日本の教会において東電で働く教会員がいるからということで原発問題を取り上げない、反対の意思を明確にしないキリスト者が多いように、韓国でも対北との関係や、資源の問題、安全、費用などを理由にして原発推進派のキリスト者が多いこともまた想像できます。

世界の支配者たちがソウルに集まった時にカトリックとプロテスタント、仏教と元仏教の4者が共同で宣言文をだしました。http://www.oklos-che.com/2012/03/blog-post_26.html
しかし原発そのものに危機意識を持ち始めた宗教者が声をだしても、原発体制を国是とした韓国内で多くの市民が簡単に脱原発に舵を切る考え方に同意し、政府に脱原発社会構築を求めるようになるとは思えません。

それは第三の革命です。一部の問題意識のある人だけで成り立つものではなく、地殻変動のように、怒涛のような民衆の動きがなければ実現しません。日本では私たちは再稼働を許してしまいそうです。これまでの韓国のふたつの革命は発展途上国の独裁政権による、市民の人権を押し殺す政府の暴挙に対して民主化を求める闘いでした。そこで民主主義を求める人たちはまさに預言者に自己を同一化しようとし、最終的には教会を挙げての闘いになっていったのです。それを体現したのが朴炯圭牧師であり、彼を支えた良心的、進歩的キリスト者であったと私は理解しています。

しかし韓国は経済的にも世界の大国の仲間入り直前まで行き、北とは圧倒的な経済力の差をつけ、民主主義制度が定着しだしたときに、原発体制が国是となっていったことはどのように考えればいいのでしょうか。更なる工業化を進め、日本に追いつき追い越す経済力をつけるには石油に依存しない原発に行くしかない、韓国民はこぞってそのような考え方に陥ったのではないのでしょうか。韓国を脱原発を求める社会にするには、原発体制の必然とも言うべき、国内の個人間の経済格差、地方間の格差の問題を直視するしかなく、日本と同じように、いやそれ以上にアメリカに隷属する韓国社会を根底から変えるということを意味します。それはこれまでの革命と同じ、民主化闘争ではもはやないでしょう。

5 「独裁とデモクラシーは表裏一体」?
この恐ろしい言葉は、西川長夫さんが『国民国家論の射程 あるいは<国民>という怪物について』(増補版 柏書房 2012)の最後に書かれたものです。経済発展と国民統合を近代の国民国家の原理とみる西川さんは、学者としての理論ではなく、社会科学さえ批判の対象にする、自己批判からはじまる国民国家批判を展開しています。「これまでの私の全生涯とその全生涯を左右したものに対する反省と憤りから発」する「痛恨の言説」だというのです。

教会内でかつては日本の植民地支配に抵抗するシンボルであった大極旗(大韓民国の国旗)を教会内で掲げることに誇りさえ感じる韓国の教会は、つまるところ、よりよい豊かで民主的な国民国家建設という国家イデオロギーに吸収されてしまったのでしょうか。民主化闘争の崇高な理念は、国民国家の枠に埋没してしまったのでしょうか?韓国を原発体制にするということはそういうことです。1000万人を超える信者数を誇り、東洋のイスラエル、日本の天皇をクリスチャンにする、日本をキリスト教国にして日本人を「救う」と宣言して日本宣教に力を入れる韓国教会はもはや、社会正義を求めて弱者の為に命をかける教会ではなく、教会の勢力拡大を求めて国民国家を支える大勢力になってしまったのでしょうか?

このように考えると、朴牧師のアメリカに対する幻想が透けてきます。彼の書き方は黒人大統領を生み出すアメリカを賛美し、クリントンを称えるかのようです。しかし世界の植民地であった国家が独立しても旧宗主国から経済的、文化的、政治的影響から抜け出せなかったのは、アメリカを中心とした世界の資本主義のメカニズムがあるからというのは西川さんの説明です。この著作の中ではキリスト教国アメリカを批判し、黒人大統領オバマは国内外の植民地政策によって弱者を生み出し、戦争をしてきたアメリカの歴代大統領のまさに後継者であることに言及する言葉は全く見当たりません。

日本で最後の講演をされた池明観先生は、講演の中で原発に一切触れずアメリカに永住の地を求めて行かれました。民主化闘争を体現した朴炯圭牧師は国民国家に絡み取られない方向に歩むのでしょうか。いや、それは彼らに求めるべきものでなく、私たちが彼らがそうであったように命をかけて闘う目標なのでしょう。人間は「時代の制約」から逃れることはできません。
「東アジア史と日韓関係」池明観先生の講演会に参加してー新たな課題の発見
http://www.oklos-che.com/2012/05/blog-post_06.html

今問われているのは、原発体制に甘んじてきた私たち自身なのですから。アジアにおいて原発輸出を行う大国、加害者の国、植民地主義そのものの国になった日本と韓国という国家に対して、脱原発を求めることはまさに、国民国家の枠を突き破る、突きぬけることです。民族、国境を超えた国際連帯が求められるゆえんです。私は反原発の運動にその可能性を見い出したいと願います。

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