2012年5月7日月曜日

田中宇の「北朝鮮で考えた(1)」を掲載します


田中宇の「北朝鮮で考えた(1)」を掲載します。短期間の、それも平壌だけの訪問で何がわかるのかという反論がありそうですが、勿論、その反論は本人は折込済みなのでしょう。「親朝的な交流組織である「日朝友好京都ネット」の訪朝団」であったとしても、自由に平壌市内を歩き回り、自由に市民と話すのを当局が認めたとは、驚きです。

田中宇の国際ニュース解説は無料で(有料版もあるが)見られ、圧倒的な量の海外のメディアにあたって書かれた貴重なものでいつも読んでいます。その彼が北朝鮮で何を見たのか?

ちょうど和田春樹の『北朝鮮現代史』(岩波新書)を読み終え、池明観先生の講演会で和田さんのコメントを聴いたばかりであったので、興味深く田中宇(さかい)のニュースを読みました。勿論彼はスポンサーもなく自分の責任で考え、分析したことを書いているので、その分、思い切った(偏った?)ところもあるのですが、それが私には面白いのです。

和田春樹の金正日の演説やエピソードを多く記した著作で、私は彼がアメリカのオルブライト国務長官と話した内容に目を見張りました。長官が「北朝鮮を開放すべき」だと述べた時、金正日は、「西洋的な開放は受け入れない」と応え、「どこをモデルにするのか」という問いには、「中国モデルは関心なく」、「基本的には社会主義国でスウェ―デン」と答え、「強い王政を維持し長い嵐のような歴史を通じて国の独立を保ち、市場経済を持つタイにも関心がある」と話したそうです。和田さんの記述からは、昨今の北朝鮮叩きで浮かび上がる金正日の傲慢なイメージではなく、むしろ必至になって日本を頼った金正日が日本の官僚や政治家からだまされたという、ひたむきで純情な感じさえ受けます。その金正日が死に、息子に代わったばかりの平壌で田中宇が観たものは、はやり、極々一部であれ、北朝鮮のあるががままの姿なのでしょう。

まず、田中宇は、北朝鮮は「官僚主義と、外国人への警戒心が旺盛」なところと見ているのですが、それでも過去訪問したときに比べ、格段と平壌市内が落ち着き、「豊かに」なっていると報告します。従って、ソ連崩壊のあのときの貧しさを北朝鮮式の「勝手流」で乗り越えた今では、「崩壊はない」と見ます。しかし世界の国々を分析している筆者は、それでもその「勝手流」ではうまくいくはずがないと判断します。

北は、中国式の、政治はそのままにして経済を自由化する方式はとらない、とれば「崩壊」すると北の指導者たちは考えていると見ます。だから北朝鮮式の(仕方なく始めた)市民間のビジネスで国が分け前を取り、それを国民に還元しながら「計画経済」を維持し、そのことで「政権の正統性」を保とうとしている、そしてそれはうまくいっているようだと見ます。

第二段が楽しみです。  崔 勝久


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★北朝鮮で考えた(1)
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田中 宇 http://tanakanews.com/120506korea.htm

4月28日から5月3日まで朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)に行ってきた。知人の大学教授に誘われ、京都の朝鮮総連と、学者や左派系市民団体などとの親朝的な交流組織である「日朝友好京都ネット」の訪朝団に参加した。訪朝団は約60人で、参加者の多くは大学で朝鮮関係の研究をしている教授や大学院生だったが、朝鮮総連の人と知り合いの日本人で訪朝したいと申請した市民も数名参加していた。学者の中には、北朝鮮を何度も訪問している人がかなりいた。

今回、マスコミ記者も何人か同行を希望したそうだが、北朝鮮政府がビザを出さなかった。学者の中でも、北朝鮮に批判的なことを書き連ねている人には、ビザがおりなかった。(訪朝団自体は5月5日までだが、私は拙宅が共稼ぎで、連休に学童が閉まる関係で育児があるので3日までの早帰り組に入った)

http://www5d.biglobe.ne.jp/tosikenn/kyoutonet120212.htm
日朝友好京都ネット 2012年活動計画(案)など

私は、ソウル五輪に対抗して1989年に平壌で開かれた「世界青年学生祭典」の訪朝団に参加して以来、2度目の訪朝だ。(当時、私は共同通信社の京都支局で記者をしており、京都の朝鮮総連と記者たちの飲み会に参加したところ、訪朝団の存在を知り、ひとりで「共同通信労組有志」を勝手に名乗って申請し、年休をとって、「通信」の労組員だからなのか、マスコミグループでなく、郵便局員の労組「全逓」のグループに入れられて訪朝した)

今回の訪朝団は、各学者の研究分野によって経済、国際関係、民俗学、歴史、新聞放送学などのグループに分かれ、それぞれの関心に沿って、北朝鮮国内での日程が別々に組まれていた(学術関係者以外の市民の参加者のために、友好親善グループも作られていた)。私の場合、誘ってくれた教授が経済学者だったので、経済グループを申請した。平壌に着いてみると、北朝鮮側の受け入れ組織(社会科学者協会など)が多忙で案内人などを出す余力が足りないことがわかり、経済と国際関係、民俗学のグループが合併し、15人ほどで一緒に行動した。このうち9人が朝鮮語を話せた(私は話せない)。

北朝鮮での旅程は、開城で1泊したほかは平壌ですごした。日本海側の咸興(ハムン)市の協同農場を見学することを申請し、了承されたはずだったが、平壌に着いてみると、咸興は無理だという話になっていた。平壌は比較的豊かだが東海岸の方は貧しく食糧不足がひどいと報じられる中で、東海岸の農場を見学して食糧事情を確かめようと考えていた参加者が多かったので、皆落胆していた。

初期の落胆はあったものの、参加した学者たちの驚きは、市民と自由に対話することが許されたこと、高麗ホテルから個人的に外出して自由に歩き回ることを許されたことだった。日本でこれまで、平壌市内の平壌ホテルは外出が許されるが高麗ホテルは許されないという話が流布していたので、これは訪朝者にとって大きな開放だった。私たちについた案内員は「皆様は社会科学者協会の招待で来た信頼された人々なので外出が許されている」と話していたが、一行の中には朝鮮対外文化連絡協会など北朝鮮の他の団体から招待されたグループもいて、彼らも自由に出入りしていたので、ホテル自体の変化であろう。

私と同じグループの学者たちによると、3年ほど前まで、訪朝団は、一般市民と対話することを許されず、日本円を北朝鮮の紙幣に両替することも許されず、紙幣を見せてもらうことすら断られたという。今回、ホテルでは両替を断られたが、中朝合弁で作られたショッピングセンター「光復地区商業中心」を訪問したとき、そこにある外貨から朝鮮ウォンへの両替所で両替を許された。北朝鮮には2つの為替レートがあり、ホテルの飲食代は1円=約1ウォンの公定レートで支払わされたが、商業中心の両替は1円=46・5ウォンの実勢レートだった。


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【写真】商業中心の両替所のレート表。上からユーロ、ドル、円、人民元。
3月末の決定価格で、1か月以上変動なしだ

私も早朝や夕方の空き時間に毎日散歩に出かけ、平壌駅の裏の方に行ったりした。平壌駅の表側はきれいな町並みにすることを心がけているようで「ショーウィンドウ」的な町だが、駅裏の方は、行商のおばさんたち数人が道ばたにタバコや衣類、野菜などを広げ、徒歩で通勤する人々に売る小規模なにわか自由市場があったりして、建前と異なる実状を見ることができた。やがて地下鉄の回数券(1回5ウォンで10枚綴り)も自由に買えるとわかり、ひとりで回
数券を買って2度ほど乗りに行った。地下鉄は3-5分おきに走っているが、ときどき故障なのか止まるので、1-2時間の空き時間に遠くまで乗ると時間内に戻れなくなるリスクがあり、ふた駅ほど行って戻ることを繰り返した。


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【写真】平壌駅裏の通りのにわか自由市場






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【写真】平壌駅の表から裏に行く陸橋を降りるところ。下に物売りの人々がいる

平壌で旅行者が今後も同様の行動の自由を許されるかどうかわからないが、現状が続く場合、ハングルがわかる人なら、時間が許す限り、公共交通(地下鉄、バス、トロリーバス)も使って平壌市内を案内人なしで歩き回って市民と話すことができる。これは興味深い事態だ。



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【写真】平壌駅近くの朝の出勤者の流れ


高麗ホテルから徒歩3分のところにある平壌駅(地下鉄でなく長距離列車の駅。平壌駅前にある地下鉄の駅は「栄光駅」)では、駅前で写真を撮っていたら、3人の女性駅員に取り囲まれ「写真何とかかんとか」と言われた。撮影禁止だぞとしかられたと思ったが、彼女たちの目が笑っている。「案内」と言っているようにも聞こえたので、そのままついていくと、駅の特別待合室を案内してくれた。一般市民は使えないらしく、がらんとしていた。



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【写真】平壌駅の女性駅員たち

ホテルに戻る時に、朝鮮語を話す参加者群が散歩しているのに出くわしたので、彼らを誘ってもう一度駅に行き、こんどは有名で立派な1番線ホームを見せてもらった。私はその後も2度ほど平壌駅に行ったが、客が乗っている列車を見なかったし、中国の駅のように遠くに行きそうな膨大な数の人々が駅前で待っている状況もなかった。長距離客らしい人々は少しおり、駅の近くでたむろしていると拡声器で女性駅員に追い払われていた。これも景観美化のためだろう。夜は軍人の一団が夜汽車を待っていた。高麗ホテルの線路側の部屋に泊まった参加者によると、人がぎゅう詰めの状態で平壌駅に到着する列車を何度か見たという。北朝鮮の鉄道は大半が電化され、停電でよく止まると言われているが、長距離列車の運行自体はされているようだ。



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【写真】平壌駅の1番線ホーム

今回の訪朝団の主要な学者たちは、事前に朝鮮総連と合議して北朝鮮側に訪問したい場所を伝え、了承を得たうえで咸興訪問などの旅程を組んでいた。だが平壌に着き、高麗ホテルの会議室で社会科学者協会の事務局と最初の会合をしてみると、協会が決めた旅程は、かなり違うものだった。「動物園参観」「サーカス団公演観覧」「メーデー(5月1日)関連イベント参加」など、観光っぽい日程がいくつも入っていた。同行の学者たちは「学術交流や調査をしにきたのであって、遊びにきたのではありません」「この日程では帰国後、自分の大学の方から、何をしに行ったのかとしかられてしまう」と口々に反発し、咸興訪問の復活や農場見学の追加など、日程の変更を求めた。

社会科学者協会の人々は困惑していたが、彼らはしばらく席を外した後、戻ってきて「動物園に行きますが、動物を見るのでなく、動物園に来ている市民と自由に対話するということでどうでしょう」「メーデー行事の会場も、自由に歩き回って市民と交流してかまいません」という話になった。ここにおいて、以前は許されなかったと、何度も訪朝している学者たちが言う、案内人(監視役)抜きの、市民との自由対話が実現することになった。

官僚主義と、外国人への警戒心が旺盛な北朝鮮では、外国人に見せていい場所が限られており、咸興など地方の簡単に見せられない場所を訪問するには、社会科学者協会としても、政府の他部局への根回しが大変であるらしい。それをしない代わりに、平壌市内での市民との自由対話を許したのだろう。複数回訪朝の学者たちによると、平壌市民の生活は、ソ連崩壊でロシアからの支援が途絶えた後のひどい状況を乗り越え、数年前よりかなり楽になっているようで、比較的安価な国産のタバコやビールが出回り、アパート建設が進んで住宅事情が改善し、市内を走る自動車の数が急増している。



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【写真】平壌市の北東郊外に新しい高層住宅が多く作られている

こうした市民生活の経済面の向上が、北朝鮮当局の自信につながり、複数回訪朝の親朝的な学者団という、訪朝外国人の中でも比較的信頼できる人々に対し、平壌市民と自由に話して良いと許可することを決めたのでないか。その一方で、地方都市としては、韓国との合弁の工業団地があって比較的豊かな開城という、お決まりの場所の訪問に限定し、まだ貧しくて困窮している咸興には訪問させないことにしたのでないか。私はそう推測した。

このほか平壌では、北朝鮮側の社会科学者協会の学者たちと2度にわたる対話会合が、宿泊した高麗ホテルの会議室で持たれたほか、金日成総合大学に行って、経済、法学、外交の学部長を含む教授陣と対話した。しかし、向こうの学者の話の内容の多くは「金正日総書記の指導のおかげで状況が好転している」といった建前的な話で、こちらからの質問に対しても直接に答えず、はぐらかす感じの話で終わることが多かった。社会主義者協会の偉い人は、建前論を30分話し、質疑応答を受けず時間切れで去って行った。それでも、向こうの学者たちの話から、北朝鮮が市場経済の導入を拒否し、計画経済の復活に強く
こだわっているという、私にとって今回の訪朝での最重要の発見を得ることはできた。


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【写真】金日成総合大学の教授陣

しつこく計画経済に戻ろうとする


ここまでは、この記事の前書きだ。「それで、君たちが見た北朝鮮の人々の生活はどうだったのか。北は崩壊するのか。早く書け」と思う読者が多いかもしれない。私の結論から言うと、北は崩壊しそうもない。少なくとも平壌ではここ数年、市民生活が改善している。私は貧しい地方を見ていないが、推測するに、平壌の生活が改善の方向なら、地方も改善の方向だろう(改善の速度が遅いかもしれないが)。

冷戦直後、ソ連からの支援が切れた1994-2000年ごろの「苦難の行軍」と北朝鮮で呼んでいる最悪の時代に、北朝鮮の国家は崩壊しなかった。政府が人々に約束している食糧の配給ができず、平壌でも餓死者が出て、社会主義の計画経済が崩壊した。だが、金正日一族を頂点とした国家は崩壊しなかった。この時期、北朝鮮政府は、食糧配給ができなかったので、人々に自力で生きていくことを求めた。これはつまり、何とか勝手に稼いで食っていけということで、市場経済原理を黙認することだった。自由市場に対する黙認によって、00年以降、北朝鮮の経済は苦難を脱し、回復している。

北朝鮮政府が自由市場を黙認したので、外部の人々は、北朝鮮が中国型の「社会主義市場経済」や「経済開放(改革開放)」を導入していくのでないかと期待した。00年の金正日の中国訪問や、03年に中国が米国から押しつけられて主導しはじめた北核問題の6カ国協議の開始以来、北朝鮮に対する経済支援を本格化した中国政府自身、北朝鮮が中国と同様に計画経済の体制を放棄し、市場経済を政策として導入することを期待した。

しかし、中国にとってがっかりなことに、北朝鮮政府は、市場経済を政策として導入することを拒否し、計画経済に固執した。「苦難の行軍」の時代に、やむを得ず自由市場の拡大を黙認し、それによって国内経済が改善してくると同時に、北朝鮮政府自身も財政状態が改善し、人々(人民)に対する配給を再開し始めた。通貨のデノミ(平価切り下げ)をやったり、個人の自由市場活動を認めない代わりに国営企業の市場的活動を認めて儲けを国家と国営企業で折半させたりして、自由市場全体の儲けの中の政府の取り分をできるだけ多くした。

北朝鮮政府は、市場の利得における人々の直接の取り分をできるだけ少なくし、国家の取り分を多くして、人々が直接に市場で儲けるのでなく、市場の儲けを国家経由で人々に分配する配給制度を復活している。こうすることにより「国家が人々の生活を支える」という、冷戦時代に存在していた社会主義の計画経済の体制を復活し、国家と労働党の政治的な正統性を維持し、国家崩壊を防いでいる。北朝鮮は「苦難の行軍」の最悪期でも政治体制が崩壊しなかったのだから、人々の生活が少しずつでも改善されているその後の状態が今後も続く限り、政治体制の崩壊が起きるとは考えにくい。

「平壌だけ見て北を理解した気になるな。地方は極貧だ」と言う人もいる。確かに地方は平壌よりずっと貧しいだろう。だが一般的に考えて、首都の経済が改善しているなら、地方の経済も、度合いの違いがあっても貧しいなりに改善していると推測できる。政権維持(政治的正統性)が何より大事な北朝鮮政府が、政権崩壊に結びつきかねない極貧状態を放置してかまわないと考えているとは思えない。反北人士的には「北の政権は崩壊すべき」なのだろうが、べきだ論と現実分析を分けて考えた方が良い。

私は毎朝、平壌駅の周辺を散歩して通勤者の人の流れを見に行った。平壌駅の南側に、近郊から来たバスの発着場があり、そこから平壌駅の北側にある地下鉄の栄光駅や市電乗り場まで、早足で歩く人々の流れがある。平壌市の美観を重視する当局の指導の結果なのか、人々が歩く時の身体的な姿勢が良い。腕を前後させ、行進するように歩く。擦り切れた服の人も多いが、ボタンをきっちりしめ、身なりを整えようとする意志が見える(暑い日はシャツのボタンを全部外し、はだけている男も多いが)。通行人の99%前後が、胸に金日成や金正日のバッジをつけている。これらの事象を「新興宗教やナチス的な、洗脳
や圧制の結果としての気持ちの悪い姿勢の良さ」と見ることもできそうだが、平壌市民自身は、身だしなみの良さと考えているようだ。



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【写真】地下鉄栄光駅の入り口

おっさん的な言い方になって恐縮だが、平壌市内を歩く若い女性の中には意外に美人が多い。23年前の1989年の訪朝時、私が平壌で見た人々は、栄養状態が悪いのか、顔にしみのような「たむし」がある人が目立った。顔の色つやが良い一群の若者が来たと思ったら在日朝鮮人の集団だったりした。当時に比べると、今の平壌を歩く若い女性の多くは、顔色が良い。「苦難の行軍」の時期を脱し、平壌市民の生活状況が改善していることがうかがえる。



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【写真】金日成生家訪問中の市民。北の人々にとって最も整った身なりをすべき場所だろう

通勤時、道行く女性の9割以上がスラックス姿で、スカートは非常に少ない。数年前まで「女性らしさを出すためにスカートを着るのがよい」という指導が最上層部からあり、女性たちはしぶしぶスカートをはいていたが、その指導が解禁されたとたん、みんな動きやすいスラックス姿になってしまったという。特に冬の北朝鮮は厳寒になるので、スカートだとつらい。日曜日はデート中とおぼしき若い男女も多く、スカート姿が多いと感じた。

▼行楽する市民の様子から暮らし向きを推測する

5月1日のメーデーの休日、平壌市内の緑地のあちこちで、ピクニックや野外焼き肉パーティーをしている市民たちの姿があった。メーデーのイベントが行われていた大城山遊園地の芝生の広場では、2つの団体が運動会をしていた。一つは同じアパート(公団住宅やマンションのような国営住宅)の100人以上の人々で、もう一つの集団には尋ねることができなかったが、その周辺に座っているピクニックの人々も含め、人々の表情は屈託のない楽しい感じだ。日本の拙宅の近くの小学校で行われる学童の親子運動会の光景に近いものがある。












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【写真】運動会に来た人々

朝鮮語ができない私は、朝鮮語ができるのにものおじしている同行の大学生をけしかけて対話をしてもらったりしたが、外国人に話しかけられた相手の方が萎縮してしまったり、民族衣装(チョゴリ)を着て踊っているおばあさんたちに話しかけたら踊りに引き込まれたりして、なかなかうまく対話ができない。

しかし、近所の人々で来ている人、親戚の集まりで来ている人、職場の人々と来ている人の三種類がいることはわかった。昼食を持参して食べる人々と、近くの食堂で食べる人とがいるのもわかった。この公園の出店はアイスクリームなどを、格安の公的価格でなく、実勢的な市場価格で売っていたので、食堂も市場価格で食事を出すのだろうが、その値段は「生活費」と呼ばれる公的な給料(月に5千ウォン前後)がひとり分の一食で飛んでしまうぐらいの額だろう。持参して食べる人々も、肉などの材料は配給でなく市場で買ったものだ。

平壌市民の多くは、公的な給料のほかに、何らかの自由市場からの収入があるはずだが、そうした副収入がどのように得られているかわからないと、同行した学者たちは言っていた。北朝鮮側の案内人は、公的な給料だけで暮らしている人も多いと言っていたが、多くの生活用品を国際水準に近い市場価格で買わねばならないことを考えると、どうも信じがたい。

その日の午後に訪れた竜岳山公園という寺がある山腹でも、いたるところで焼き肉パーティーをやったり、集団でゲームをしたり、音楽をかけて踊りまくったりしている人々で満ちていた。人々の表情は、お花見のときの日本の人々のくつろいだ様子と同じだ。この公園は郊外にあり、多くの人々が、団体ごとにマイクロバスやトラック(人々は荷台に乗る)に乗って来ていた。


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【写真】竜岳山公園で焼き肉パーティーをする人々

焼き肉パーティーをできる人は平壌市民の中でも一部の金持ちだけで、多くの市民は肉などめったに食えないはずだという見方もあるだろう。確かに平壌市民は貧富に関係なく同じような服を着ており、外見から経済状態を識別できない。しかしこの日、竜岳山以外の多くの公園や緑地で、焼き肉パーティーをしている人々を見た。食い残しが散乱していたが、拾いに来る者もいない。焼き肉パーティーは平壌市民にとってありふれた行事に見えた。金持ちの特権とは考えにくい。


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【写真】野外宴会を終えトラックの荷台に乗って帰る人々

北朝鮮では、ほとんどの自動車が公有(白いナンバープレート)で、国有企業や政府機関の所有だ。私有車(黄色のプレート)は国家に貢献した人が国からご褒美にもらったものや、外国人が所有するもので、ごく少ない(私はホテルの前に止まっている1台を見ただけだ)。ナンバープレートが黒いのは軍の所有、赤いのは外国公館の公用車だと聞いた。

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【写真】高麗ホテル前に駐車中の黄色、赤、白のナンバープレートの車

市民が行楽で使う車は、行楽に行く集団の誰かが、自分の職場から借りてきたもので、有償のもの(レンタカーのようなもの)が多いようだ。案内人は「車を借りるのに金なんか払いません」と言っていたが、これもにわかに信じがたい。案内人は、北朝鮮を社会主義の計画経済が円滑に回っている国として見せたいようだ。国家を代表する案内者として、その姿勢は理解できるが、言葉どおりに全部を信じてしまうと、北朝鮮が「地上の楽園」になってしまい、実態とかけ離れる。

動物園は満員で、切符売場に幾筋もの行列ができており、入場券を買うのに何十分か待つことになりそうなので入らなかった。こうした光景は、20年前の中国の地方都市の休日の行楽地に似ている。その後に訪れた開城の町は、20年前の吉林省の延辺朝鮮族自治区の延吉市を彷彿とさせる雰囲気だった。中国は自由市場経済を公式に導入したが、北朝鮮は導入する気がないという違いがあるものの、今の北朝鮮の経済状態は、自由市場経済を取り入れて数年から10年ほど経った1980年代後半の中国の地方都市に似ている感じがした。



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【写真】動物園の前で入場券を買おうと並ぶ人々



中国式を導入すると政権崩壊する?

私は今回、農村を訪問していないが、平壌から開城への行き帰りの高速道路のバスの車窓から農村の光景を見た。平壌から開城までの2時間半の車窓で、トラクターを見たのは4-5台で、それよりも鍬などを使った手作業をしている集団の方が多かった。今の北朝鮮政府は、農業と軽工業の発展に最も力を入れている。農業の近代化による食糧増産は必須だが、進展は早くないようだ(軽工業の増産は市民生活の向上に必要)。

(同行の大学院生は、乗車中ずっとノートを広げ、高速道路の対向車を数えていた。それによると、平壌から開城までの2時間半で、対向車は30台だった。高速道路には、この区間で4つほど検問所があり、許可なしに長距離の移動ができないようになっている)

丘陵地では、斜面に沿って丘の上まで畑が作られているのを見た。傾斜地を削って平らにせず、そのまま畑を作ると、大雨の時に地表の土壌が流失し、耕作できなくなる。北朝鮮では洪水の後に飢饉が起きる。土地がやせてしまうトウモロコシの連作も、20年前の訪朝時に見た時と同様、今も行われていると聞いた。私は農業の専門家でないので確たることが言えないが、北朝鮮の農業技術は改善が必要だろう。「わが国は、わが国のやり方で発展する」と北朝鮮の学者は力説するが、突っ張って勝手流でやった挙げ句、うまく行っていないようだ。

北朝鮮の市民生活は向上している。政府も、財政がやや立て直り、外国からビールの醸造装置を輸入して「大同江ビール工場」を建て、国内の麦芽やホップを使ってビールを造り、1リットル70ウォン(実勢レートで約1円)という安価で、全国170カ所の直営ビール店などを通じ、市民に楽しみを与えている。この価格なら、月給5千ウォンの範囲内で何とか飲みに行ける。北朝鮮政府は同様のやり方で、外国からタバコ製造機やフィルターを輸入し、国内産のタバコの葉を使って、新たなタバコを作って安く売ったりしている。

北朝鮮の学者は「基礎的な19種類の食糧や日用品の配給を、政府が人民に完全に保障できるようにするのが今後の最初の目標で、その次の目標は、完全に配給できる品目を200種類に増やすことだ」と言っていた。北朝鮮国内だけの努力によって、目標達成に近づいていると言うのだが、勝手流でどこまでやれるのか疑問だ。中国など新興諸国の生産増加によって、世界的な製品や機械の価格低下が起きたため、北朝鮮の政府や国営企業もその恩恵を受け、生産力の増大ができている部分があると私には思える。

背景がどうあれ、北朝鮮はこの10年ほどで、極貧から脱し、少しずつ経済状況を改善している。しかし、このままずっと豊かになっていけるかどうかは疑問だ。計画経済体制を放棄し、勝手流もやめて、中国政府が期待するように、市場経済政策や外国資本を本格的に導入したら、中国のように高度成長できるかもしれない。だが、中国式に市民の個人的な市場経済活動を許してしまうと、社会の政治的なたがが外れ、政権の正統性が崩れて政治的に崩壊し、むしろ混乱して人々が貧しい状態に戻ってしまう可能性がある。

北朝鮮政府は、それを恐れているので、政治を自由化せず経済だけ自由化した中国から、いくら「同じようにやりなさい」と言われてもやらず、政治も経済も自由化しないのだとも思える。北朝鮮の国家崩壊は、日本人の多くにとって「ざまあみろ」的な喜びと安堵かもしれないが、北朝鮮市民にとってはひどい悲劇になるだろう。独裁者がいなくなって市民が喜ぶはずだと思うのが浅薄なイメージでしかないのは、米軍侵攻後のイラクを見れば理解できる。

まだまだ書きたいことがある。説明される建前と実態が食い違う中、北朝鮮をどうとらえるか考察を続けている最中でもある。本質的なことが書き切れていない感じが残っているが、とりあえず今回はここまでにして、次回に続きを書く。




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