2012年5月11日金曜日

内部被曝についてー戦後世界を根底から問い直す視角になるのか?


肥田舜太郎の本を2冊読みました。『内部被曝』(扶桑社 2012)と、鎌仲ひとみとの共著『内部被曝の脅威ー原爆から劣化ウラン弾まで』(ちくま新書 2011)です。自身が広島で被爆し、6000人もの被ばく患者を診ながら、95歳の医師が、このように一貫して内部被曝の問題を世界に訴えることができるのはどうしてでしょうか。それを本人は「運動をしているほうが楽しかったから」と淡々と語っています。肝に銘じましょう。

3・11から学んだことは何であったのか、この本を読んでよく考えてみました。勿論、原発の安全神話とはなんであったのか、どうして核兵器(原爆)の忌避という原点が日本社会にありながら、原発体制なるものがつくられてきたのか、その根本を探らなければならないということを私は強く自覚していました。それを私は<原発体制>考える二つの視点、 ということで書いています。
( http://www.oklos-che.com/2012/02/blog-post_08.html )。

ひとつは、歴史認識の問題です。「脱原発を進めるには、<原発体制>がどうして成立してきたのか戦後史の総点検をしなければならない」、もうひとつは「<原発体制>を生み出してきた、自分の住む生活の場である地方(地域)社会のあり方を徹底して追い求めるところに戻らなければならない」ということを記しました。

それはその通りなのですが、もっと率直に言うと、私はこの本を読むまでは、勿論、内部被曝の問題、その恐ろしさは知っていましたが、核問題とは何かを実はよく知らなかったということを思い知らされました。核兵器がどうして許されないものなのか、その根本の認識が私には甘かったのだと思います。

原発を作ったアメリカの思惑は戦後世界の支配です。戦後の世界においては核兵器をもつことが、或いは核兵器に守られて平和を維持するということが、自国の防衛になるという考え方の根底にあったと思います。アメリカを始めとした世界の一部の大国が核兵器の拡散を他国に許さないのは、自らは核兵器で武装して他国を支配する体制を維持するということでした。それを知る北朝鮮はだから政権の維持のために、何が何でもがむしゃらに原発の開発に力を注ぎ、あの小国が5ヶ国もの世界の大国と対等に話し合うということが可能であったのです。北朝鮮は現実政治の本質を観ていたことになります。「外交問題を武力で解決するという前提に立てば、核兵器はなくてはならないものにな」ると肥田が言うのはそのことだと思います。

しかし3・11のフクシマ事故によって、現実を観る視点が問われるようになったのです。原発は大量破壊兵器であり、放射能をまき散らすということは誰でも知っているでしょう。しかしその放射能がどのような害を人類に及ぼしているのか、これは低放射能が人体の細胞の中で「60億分の1mmという小さな単位のところで病気をおこして」おり、人類は「それを見つけ出す方法をもっていない」という問題なのです。肥田は、「「微量な放射線なら大丈夫」という神話への挑戦が、まさに本書の神髄である」と喝破しています。私たちはこの人間に「内部被曝」をもたらす核問題の本質についてあまりにも無知でした。

自然界にある放射能ではなく、人間が作りだした放射能が人間の体内に食物や水や空気から体内に入り、それが細胞が機能する何万倍もの力で細胞に働きかけるのですから、細胞分裂に際しても、また人間の免疫機能にも大きな影響を与えるであろうということは十分に納得できる話です。

イラク戦争のときに劣化ウラン弾のことが問題になっていました。自然界に多く存在するウランを爆弾として使うことで、タンクをも貫徹するような破壊力があると言われていましたが、それは原爆と同じ放射能をまき散らす核兵器であり、そこからだされる放射線によって「内部被曝」の問題が深刻な影響を与えていたのです。劣化ウラン弾や原発実験、チェルノブイリやスリーマイルの原発事故によってばらまかれた放射能によって奇形児や癌の発生に大きな影響があるのは統計的には明確なのですが、その数値が放射能の「内部被曝」によるものであるかどうかは証明できない、だから核兵器や原発がだす放射能に問題があるとは言えない、というのが未だに世界の医学会の主流の見解です。

ICRP(国際放射線防護委員会)は放射線に関する世界的権威といわれており、「微量の放射線物質による内部被ばくを過小評価」しています。これは世界の核兵器による大国の世界支配を守るというところで作られた組織だからでしょう。日本はそのICRPの基準を前提にして放射能の汚染がどこまでであれば安全かということで、食物や、がれきの広域処理の基準を定めます。彼らは結局のところ、核兵器や原発によって出される放射能の「内部被曝」の実態、深刻さを認めると、原発体制をなくし核兵器の製造を中止しなければならず、その擁護に回り、現状の世界体制を維持しようとしているのです。

しかしそのような放射能をまき散らし被曝労働者を生み出しているウランの採掘や、使用済み核燃料をただ地下に埋めるしかなく絶えず現場で被曝労働者を生み出すという根本的な欠陥を持つ原発の運営、これらの体制がいつまで正当化され、維持されるのでしょうか。世界中に存在し、そして今後ますます増える兆しを見せる原発はフクシマ事故のようにいつ大量の放射能を吐き出すかわかりません。世界を支配し自国を守るために、各国は、原爆のみならず、通常兵器としての劣化ウラン弾を大量に生産し続けていきます。ウランの採掘現場ではさらに被曝労働者が増え続けるでしょう。その放射能は国境を超え、何万年も人類を蝕んでいきます。なんと愚かなことでしょう!

私たちは自分自身と自分の家族の命を守る為に、放射能による「内部被曝」の問題を無視できない時代に生きています。原発という核兵器に反対しながら、生活の向上(産業の活性化、エネルギーの確保)のために原発体制を許してきたことを人の責任にすることはできません。世界の原発の半分が集中する東北アジアにあって、「内部被曝」の問題を中心に据えて物事を捉えた時に、核兵器による抑止力、原発によるエネルギー確保という、戦後当然視されてきた考え方を根底から変えることになるように思うのですが、読者のみなさんはいかがでしょうか。

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