2012年5月6日日曜日

「東アジア史と日韓関係」池明観先生の講演会に参加してー新たな課題の発見


1 池明観先生について
池明観(チ・ミョンガン)先生に久しぶりにお目にかかりました。80歳になられたとのことでしたが、お元気でした。1970年代の激動の20年を日本で過ごされ、韓国の民主化闘争に対する日本社会の支援運動を巻き起こすのに圧倒的な存在感を示された、まさに歴史的な人物と言っても過言ではないでしょう。雑誌『世界』に長年連載された「韓国からの通信」を書いた「T・K生」とは池先生であったことが後日公表されました。

拉致された金大中氏の救済、その後の韓国「民主革命」を日本の地から全世界に情報発信し支えられました。ソフトな語り口でありながら、厳しい批判をする、まさに日本のキリスト者にもっとも大きな影響を与え、信頼された方です。ご夫婦でアメリカで永住されるとのことで、信濃町教会で「最後の」講演会がもたれたのですが、2階の大きな会議室には池先生のお話を聴こうとする多くの人で入りきらず、急遽、礼拝堂に移りました。後にも先にも、日本のキリスト者にこれほどの影響を与え信頼された韓国人はもう現れないのではないかと思われます。

先の『世界』では日立闘争のことにも触れられていましたが、私は個人的にも大変、お世話になりました。私は、共編著の『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)と、日立闘争以降、地域社会での運動を通してマジョリティ社会のパターナリズムによる、新たな植民地主義イデオロギーである「多文化共生」を批判し、在日が地域社会そのものの変革の当事者として生きることを記した拙論(「在日」の生き方と地域問題への関わり方ー病んでいるのは日本人社会 http://www.oklos-che.com/2012/04/blog-post_08.html )をお渡ししました。

川崎の崔勝久「チェ・スング」ですと挨拶をしたら、「おっ、中年になったね」と驚かれておられましたが・・・。池先生は韓国の2回の「民主革命」に参加され、帰国後は日韓の文化交流に寄与されたのですが、本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。またアメリカの地から、日韓中の東北アジアのあり方について、日韓関係について、世界的な知見に基づくご意見をお送りください。いつまでもお元気で。

2 池先生の講演内容
池先生の講演内容は後日、発表されるでしょう。ご自身の日韓のはざまで生きてこられた経験を、自分の意思というより、そのようにせしめられたものとして感謝をもって受け留められ、民主化闘争における日韓、世界の連帯の意義を述べられながら、日韓中の違いは東北アジアを豊かにするもの、今後は共通の文化圏として競争を通して共存していくこと、理解を通して共同していくことを強調されました。韓国総人口の四分の一にもなるキリスト者の有りようにも苦言を呈されておられます。そしてIdea(理想)のために生きるべきだという知識人の役割にも触れられました。まさに池先生の「最後の講演」に相応しいものでした。

3 二人の「応答者」の発言
さすがに和田春樹先生は「応答」の中で、民主化闘争を支援した意義に触れながらも、それでも従軍「慰安婦」問題を解決しようとしてできなかった日本人としての責任と自己批判を表明されていました。日本社会を規定する最も重要な日が8・15から3・11に変わったことに言及しながら、それでも8・15でやり残したことを3・11で解決しなければならない、しかし日本社会は「後退」をしている、政治における市民の不在(参与していない実態)をみながら、「崩壊」していく政治の在り様にも触れられました。北朝鮮との国交正常化が遠のき、敵対視するような世論を厳しく見られているように感じました。

元NCC総幹事の飯島信君の「応答」もありました。自身の経験を踏まえたいい話でしたが、「日本人はいつまで謝罪をすればいいのか」という質問は、問題の立て方が根本的に誤りです。日韓共通の課題を担いあう中で新たな関係が生じる、それは原発問題ではないのか、韓国はいつまでも日帝の被害者の立場ではなく、原発輸出を試みる加害者の国、植民地主義の国になっているのではないか、飯島君は原発問題に言及されなかった池先生にこのような質問をすべきであったと思います。彼の経歴からすれば、そして今私たちは何をすべきなのかという立場を考えるならば、その質問こそ彼の口からなされるべきでした。

4 私たちのに担うべき課題
私は池先生の講演から、「時代の制約」を感じました。民主化闘争で実現した日韓の連帯、そのことの歴史的な意義、東北アジア同一文化圏での競争を通した共存、それはその通りでしょう。しかし3・11福島事故は原発体制をつくってきた両国にとって何だったのでしょうか。どうしてそのことに池先生は「最後の講演」で言及されなかったのでしょうか。それは意図的なものだったのでしょうか。

まさに池先生がおっしゃるように、人間は愚かで、やってはならないことに落ち込むことが多く、どんな偉大な人でもその愚かさに警鐘を鳴らしながらも、同時に自らも自覚し得ない時代的な制約を受けざるをえないのです。池先生が経験された2回もの韓国の「民主革命」、これは歴史に残る世界史的な出来事でしょう。疑問の余地はありません。しかし、「革命未だならず」、「民主化未だならず」です。ハンナ・アーレントによるとロシア、アメリカ、中国などの世界の革命は「失敗」でした。

韓国の民主主義は大きな問題を抱えながらもそれでもよくなってきた、よくなっていく、それに比べ北の(共産主義)独裁はだんだん悪くなっている、支援への感謝がない、日本はどうして東洋における、黒人の大統領を輩出して世界に大きな影響を与え続けるアメリカになることに失敗したのか、日本は金融・流通に優位性を求めるべき、原発事故に触れられず語られたこれらの池先生の言葉は、民主化を求めて来られた人物の「時代の制約」として、私たちが池先生の後の時代を生きる者として受けとめ、私たちが担うべき課題とすべきことだと考えます。

韓国の「民主革命」は国民国家として世界の大国を目指す結果になりました。北と対峙する韓国は、エネルギーを海外から輸入しなければならない国家として、そしていずれ自ら核兵器を持つ国をめざし、富国強兵が韓国のあるべき姿としたからこそ、だからこそ原発に踏み切ったのではなかったのでしょうか。あの金大中氏をしても原発の増設にまったく疑問をいだかなかったのです。それは近代主義者、現実主義的リベラリストの時代的制約と見ます。国民国家の原罪的な悪より、目の前の民主主義を求めざるをえなかったのでしょう。

軍備の必要性を説く現実論者は、結果として、武器としての核兵器、エネルギー源としての原発の有効性に目が行くばかりで、放射能の問題、内部被曝の問題を人類の歴史上、なによりも重要な問題として捉えることができなかったのです。韓国は、金鐘哲氏が記しているように、3・11の福島の事故で、原発輸出競争で日本より優位な立場になれると思うという意見が出るほど、見下げた倫理のない社会になりました。彼の韓国批判はそのまま日本社会批判として多くの読者が受け取りました。「原子力事故、次は韓国の番だ」ー3・11韓国における講演の紹介 http://www.oklos-che.com/2012/03/3.html

5 私たちが今、直視すべきこと
私は日韓中が世界の大国として生きていくことには疑問があります。「国民国家の統治原理は植民地主義的である」(西川長夫)。同じ文化圏として東北アジアの共同性を強調することに意味があるのでしょうか。

おそらくそれは日本と韓国でのみ通用する概念でしょう。私は中国は東北アジアの一国という考え方をそもそもしていない、できないと思います。むしろ日韓中に原発が世界の半分、集中して建設されている(される予定)という現実を直視すべきでしょう。モンゴルを含め、東南アジアにこの3国は経済優位性の立場に立ち、いずれ原発輸出の対象国とするでしょう。私は、私たち市民は、民族・国籍の壁を突き貫け、そのような植民地主義的な政策を許さない立場に立ちきるべきだと考えます。日韓の連帯は文化交流という、国民国家を正当化するものより、自分たちの生命を守る為に、反原発の思想をしっかりともつべきではないでしょうか。

池先生の講演を私とは違った受けとめ方をされた方も多いでしょう。私の捉え方へのご批判をお寄せください。

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