2012年5月22日火曜日

再稼働直前(?!)の福井からの声



5月21日の朝日新聞一面で、大飯再稼働「反対」54%と報道されています。それでも再稼働を強行するというのです。この国はどうなっているんでしょうか?安全策「信頼せぬ」78% です。諸費地の大阪、京都、滋賀も反対です。それを大飯町と福井県の賛成があれば強行突破する様子ですが、ここはなんとしても止めたい!!





私のブログ記事 「がれきの問題を考えましょうー川崎の現場から」に意見が寄せられました。 http://www.oklos-che.com/2012/05/blog-post_21.html 毎日JPの紹介です。「東日本大震災:がれき処理、気仙沼ブロックをJVに 484億円で業務委託、県議会提案へ /宮城」(毎日新聞 2012年05月19日 地方版)「地元のため」、「絆」を建前にした利権ビジネスです。権力と大企業が被災地の弱みにつけこんだリスクビジネスの典型です。

大飯原発の再稼働も夏の電気は再稼働なくしては足りない、産業や一般市民に迷惑がかかると言ってますが、これもまた関電を守り、日本の原子力産業を保護していく政策です。アメリカでもスリーマイル事故以来24年間も原発は建設されなかったのに、2基建設が決定されました。東芝が98%の株主であるウエスチン・ハウス社が受託しました。これまで良心的に反原発の立場を貫いてきたアメリカ合衆国原子力規制委員会(英: Nuclear Regulatory Commission、略称:NRC)議長のGregory Jaczko氏の辞任も報道されています(荻谷海FBより「心が折れるとのはこのことです」)。世界は3・11を契機にして脱原発ではなく、まったく反対方向に加速しているように感じます。

「みんなで止めたい福井の原発 福井原発差止訴訟準備会」の中野さんからメールをいただきました。あくまでも中野さん個人の見解ですが、福井の現地の人の率直な気持ちをみなさんにお知らせします。  

崔 勝久

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福井の中野です。

自分の知るかぎり、関電はどうしても再稼働したいし、政府の許可が出ればやるでしょう。地元合意がなくても、政府の判断で、再稼働を認める事が出来ると言っている現政府は反対の一般民衆の声など聞くつもりはないようです。これは、権力者主流の意思だと思います。権力側でも、反対の意見はあると思いますが、恐らく、力が弱い。

すでに、大飯原発の地元、おおい町は、議会が再稼働容認を決めました。個人でかかわる事業でも、原発の恩恵をうけている時岡おおい町長が、容認を声明するのはもう時間の問題です。(手続き上の問題で、事実上、容認を公言している)

この町長が容認をいえなかったのは、手続きができないというただそれだけの理由と恐らく、福井県・政府とのなんらかの打ち合わせに沿って、いままで、そう言わなかっただけだと思えます。

なぜか、「再稼働を容認しないで、がんばっている」とい言われる西川福井県知事も昨年からの、発言を冷静にみれば、再稼働へロードマップにそって、着々と歩んできたような気がします。自分が、率先して再稼働と言いたくないのと、なんらかの裏取引を政府としてきたと思われます。

ここにきて、予定通り、再稼働容認へ、県・政府は動こうとしていると思います。自分は、あくまでも、予定通りであると思っています。

これを止めるのは、民衆の戦い以外ないと思います。仮に、再稼働となっても、今、必用なのは、民衆の力をつけること。連帯と団結を求めることのように思います。そのために、再稼働反対をあきらめずに、言い続けたい。

原発いらないという声を民衆のネットワークや組織として構築していければと思います。再稼働阻止にむけて、知事提訴という案もありましたが、知事を提訴しても、判決はすぐでるわけではなく、知事提訴そのものが裁判所が受理するかどうかで、たぶん、法的な論争で、時間を費やすなどの理由で見送りました。(弁護団の判断)ただ、裁判の会は、反対の声を組織化しようとしています。仮に、再稼働となっても、このネットワークや組織を基礎に、さらに力をつけて原発を止める運動を展開ていければと思っています。

もし、再稼働となれば、原発止めるまで、事故がおきないことを祈るのみです。地震だけでも、マスコミで危険視される東南海などと比べても、若狭の地震はけっしてリスクは低くありません。(石橋克彦神戸大学名誉教授などの著名な地震学者の見解です。)

今回の再稼働は、歴史に残る傲慢な権力犯罪だと思います。黙って、あきらめてはいけないと思います。
原発だけでなく、日本の民衆の意思が問われています。民主主義がなくなれば、原発はさらに止めることはできなくなり、いつか、再び、大事故を起こすでしょう。それも、かなりの確度で。

事故の危険性が、きわめて高いのは、昨年の福島事故から、多くの人が学び、実感していることだと思います。再び事故が起こった時、人類はなんと反省するのでしょう。反省できる程度の事故であれば、まだいいのですが、そのとき、全てが、手遅れでないことを祈るばかりです。



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