2012年5月1日火曜日

It's a show time! アカデミー賞を獲ったイラン映画「別離」を観て


連休の中日、妻と映画に行こうと言う話になりネット検索した私は、ベルリン国際映画祭の最高賞とアカデミー外国語映画賞を獲った「別離」を躊躇なく予約しました。

アメリカとイランとの厳しい外交関係からすると、野球選手のダルビッシュの父親がイラン人だということでダルビッシュ有がアメリカで受けいられるのかという危惧がまことしやかに囁かれていたほどだったのですが、この映画はドイツとアメリカで絶賛されたようです。それは北朝鮮の選手や映画が日本で両国の関係と関係なく、芸術やスポーツ技能そのもので評価され受け入れらるのかということを考えた場合、チャップリンの時代とは違うアメリカの「よさ」を感じます。

日本でも在日映像作家ヤン・ヨンヒの「ディア・ピョンヤン」などが一部の人に評価されていますが、全体としてはマイナーですね、残念ながら。北朝鮮の拉致に対抗するということで、民族学校への支援を取りやめると言うことが問題にならない社会なのですね、この日本は。

「別離」を観て、イランという社会がキリスト教をベースにする西欧社会と根本的に拠ってたつ価値観、倫理観が違うということがよくわかります。やはりあそこはイスラム教の社会なのです。この映画は些細な日常生活の中で起こった家政婦の流産をめぐって、まるでサスペンス映画のような緊迫感を感じさせます。個人の内面を鋭く描くのです。身につまされます。やはり構想、シナリオ、役者の演技が映画作品の質を決めるのですね。

イラン社会内の格差、イスラム教社会内にあっての女性の自意識の違い、夫婦及び親子の関係が丁寧に描かれていきます。最後は、12歳の少女に両親のどちらを選ぶのかということが裁判所内で求められるのですが、映画はどちらを選ぶのかを決めたと涙ながらに語る少女を大写しにしながら、結論は映しません。映画を観る人にその結論は委ねられているのです。

事実、映画を観終わった直後、私たち夫婦の結論は違っていました。その後、しばらく映画館の近くのカフェでその話になりました。それだけでも映画は成功と言うべきでしょうね(笑)。見事に監督の思惑にはまりました!

最後にアスガーファルハ・ディ監督のアカデミー賞受賞スピーチの紹介です。

私は北朝鮮から日本にこのような賞を獲った人が来て、このようなスピーチをしたらどうなるのかと想像しましたが、妻は、今の北でそんな映画が作られるのか、と反論され、黙ってしまいました

 いま、世界中の多くのイラン人が喜んでいることと思います。ただ単にこれが大事な賞だからではありません。
 世界では戦争や武力攻撃のばかりが政治家の間で交わされています。政治の重い塵に埋もれてしまっていた私たちイランの国の名が、その素晴らしい文化を通じて語られているから喜んでいるのです。
 私は誇りをもってこの賞を、私の国の人たちに捧げます。あらゆる文化・文明を尊重し、敵対的な行動を憎むイランの人たちに捧げます。


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