2012年4月9日月曜日

真昼の決闘(?)


私の孫です。香港在住で13歳。5ヶ国語を話し、格闘技はキックボクシングから、空手、柔術、総合格闘技に通じています。数年前に日本に来た時はキックをしても蚊が留まるくらいのスピードだったので、モスキート・キックとからかったものですが、今はプロのコーチとマジにスパーリングをするとか。とても私が相手をしてやれないと思い知らされました。

香港の公立中学に通う孫に、「在日」として私たちが苦しんできたこと、悩んできたことはまったく通じそうもありません。私たちが歩んできたのとは全く違う人生を送るでしょう。私はそれでいいと思っています。

長男は中学の時からハワイの学校に行くかと訊いたら行くと言うので、そのまま寮生活をするようになり、その後、大学には行かず、韓国や中国の工場、会社に勤め、もうすぐ40歳だというのですから、25-26年は海外生活をしているということになります。彼もまた5ヶ国語に通じ、世界で動き回っています。

彼の頭の中では、11歳に北朝鮮から一人で日本に来た、私の父親の比重が高いようです。何か、重なるものを感じているのでしょうか。


娘は高校を卒業をしてアメリカの大学に行きました。長男を早くから海外に送った妻は、娘の海外行きには大反対をしましたが、本人は生きるためにアメリカに行きたいと言いだし、私は賛成をしました。その後、大学を卒業をして社会人になり、市民権(アメリカ国籍)をとっています。彼女も海外に行って20年近くなるのでしょう。いつも何かあれば連絡をくれる優しい女性になっています。母親が一人で海外旅行に行くと聞いては、アメリカからお小遣いにとお金を送ってくれ、母親を泣かせていました。

もう一人息子は俳優としてアルバイトをしながら二人の子供をもち、俳優としていい仕事をしたいと思っているようです。彼もまた本名で俳優をしていて悩むこともあったようですが、日本式の読み方でそのまま続け、子供には韓国の戸籍に日本式の発音で登録することにこだわり、そのまま強行突破したそうです。

私たち夫婦は、小さいころから子供には自立をして生きていってほしいと願っていました。その願いは叶えられたように思います。親の責任は子供にいろんな機会を与えてあげ、そこでどんな境遇にあっても、ただ無条件に受け入れることだけと自分自身に言い聞かせてきましたが、幸い、社会人としてしっかりと生きていっているようです。親がいなくとも子供はたくましく生きていくのですね。

私の従弟(父の兄の子供)は一人はカラフトに残り、ソ連の国籍を持ち、一人は日本人の母親と日本に来て4人の子供を育てる社会人になっています。勿論、その他親類の中には、北朝鮮、韓国、アメリカ、そして中国に住む者がいます。一堂に会しても一つの言葉では会話は成立しないでしょう。事実、樺太から来た従弟とは通訳を介さないと話が伝わりませんでした。「我が崔家一族、樺太の従弟との出会い」
http://www.oklos-che.com/2011/06/blog-post_2660.html

私は父が亡くなった時に書いた「個からの出発」という個人史の中で、以下のような言葉を吐いています。http://cokw.co.jp/Sai/ko_kara_no_syuppatu/ko_kara_no.htm

在日朝鮮人にとって民族主体性とは何か。「帰属性」をどこに求めればいいのかということを私は模索した。それは自分がどう生きればいいのかわからなかったからである。私は在日朝鮮人であることに固執した。自分自身の悩みに固執したのである。


ぼくが自分のことを在日朝鮮人であるというのは、この日本社会にあって抑圧され、差別され、虐げられている民の一人であるということであり、そこから必然的に人間性の回復と社会正義を求めて生きるということを言っているのである。自然のうちに育まれた「素朴な民族意識」はなく、かといって国是やイデオロギーを前提にした「国民意識としての民族意識」ももてず、日本社会の差別的、閉鎖的、排外主義的な実相を反映したところの「被害者意識としての民族意識」しかなかった私にとっては何はともあれこの自らの被害者意識と闘い、その歪んだ意識を克服することに全力を傾けるしかなかった。


「在日朝鮮人」であると叫ぶことは、同化され差別されてきた者の日本人社会に対する怒りと告発を中心にした、しかし己自身は日本人とも本国の人間とも違うと意識されてきた激情の発露であり、歪められた人間性を取り戻す為の必要不可欠な作業であった。

これはこれでその時の私にとっては真実の言葉であったことは疑う余地もありません。しかしそれもまた「歴史的な限界性」をもつものでありました。私は今、「在日朝鮮人としての主体性」なるものはない、そのような発想、既成概念を突き抜けていかない限り、今の歴史状況に対応できないと考えています。娘には、私が社会的な活動をすればするほど、料理や掃除をしっかりとやって母親を助けてと言われ続けています。うむ、その通り!

「在日」という歴史的な存在として、その中に埋まるのでなく、そこから突き抜けていく生き方をしたいと思いつつ、今日もまた孫と嫁が明日帰る最後の夜の食事の準備を妻に任せ、コンピュータに向かっています。明日は電気掃除機をかけないとなあ・・・

1 件のコメント:

  1. お世話になっております。
    こちらのHPは、いつも熟考ながら読ませていただいております。
    ご存じ?、脱原発川崎市民の会・県外会員です。
    書かれた方の、人間性が垣間見られるようで、ご家族や個人的は話っていいですね。
    またの更新を、楽しみにしております。

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