2012年4月25日水曜日

あの韓国の論客の金鐘哲氏の新聞コラム(その3)ー放射能、言論、想像力


金鐘哲氏の3回にわたる韓国、京郷新聞に掲載されたコラムをご紹介しました。氏の鋭い韓国社会批判、マスコミ批判はそのまま日本社会にも当てはまるのだと思います。多くの人が読まれ感動を覚えるとのコメントを送ってくださったのもそのためであろうと思われます。

大阪大学のある教授がメールを送ってくださり、日本で金鐘哲氏の講演会を計画する時、是非、関西でも一緒に企画したいとありました。その旨を伝えたところ、金氏ご自身は大変多忙な方ですが、是非、日本を訪問したいとメールで返信がありました。実現すべく努力したいと思います。皆さんのご協力をお願いします。  

なお既に700名を超える方がお読みになっていますが、まだお読みになっていらっしゃらい方は是非、以下のURLからお読みください。   崔 勝久

金鐘哲氏講演録「原子力事故、次は韓国の番だ」ー3・11韓国における講演の紹介
http://www.oklos-che.com/2012/03/3.html



放射能、言論、想像力

金鐘哲 キム·ジョンチョル(緑評論 発行人)

韓国 京郷新聞  2011-10-05
先週の梨花(イファ)女子大で "原子力と民主主義"という集会が開かれた。三日間続いたこの集会は、私の知る限り、福島惨事以後、韓国で開かれた最も本格的な原子力関係者、市民討論会であった。ある意味でこれは歴史的な意義を持つ集会だった。少なくない人々が参加して重要な情報と知識を共有し、原子力依存のシステムを一日も早く脱却することを願う、切実な思いを表現して共有した。しかし、残念ながら、この集会の重要性に注目し、それに対応する取材•報道をした言論はほとんどなかった。

集会では、重要な話が多かったが、特筆すべきことは、現在建設中の慶州の中低レベル放射性廃棄物処分場に関する、東国大Kim Ikjung教授の発表内容であった。金教授は、過去数年間、この廃棄場建設現場を注意深く観察した自分の経験をもとにいかに致命的に危険な工事であるかを詳しく説明した。

問題の出発は廃棄場の敷地選定自体にあった。つまり、文武王陵の反対側の海岸に莫大な費用をかけて地下施設を作っているここは、強い地下水脈が通過する場所である。工事中の今も、毎日数千トンの水があふれている。ここではコンクリート工事を強行•完了したとしても、将来、大災害をもたらすことは長く話す必要もない。長期的に水脈の激しい圧力に耐えることができる人工構造物は存在できないからである。半永久的に環境から隔離させるべき核廃棄物貯蔵施設をこのように作っているということは、実に驚愕することである。これは無謀というより不思議な行動だと言うしかない。このようにとんでもないことが起こっているのに、今この事実を知っている人はごく少数である。これを取材•調査•報道しながら執拗に追及する言論がないからだ。

原子力や放射線の問題についてマスコミが鈍感な理由が何なのか私はよくわからない。 "原子力マフィア"と呼ばれる強大な権力を持った利益集団があり、その権力に寄生して生きている専門家•学者•言論がこの国にも厳然と存在しているのは事実だ。することはいくら良心的な言論であったとしても、生き残ろうとすれば、広告主と権力からの圧力を避けることができないのだろう。とはいえ、福島という大惨事を目撃したにも拘らず、原子力に対する言論の無関心と沈黙が続くということは全く理解しにくい現象である。

今独立した研究者たちの見解では、日本の国土の半分以上が放射能に汚染されている。いわゆる "内部被曝"のメカニズム、すなわち、呼吸や食物連鎖を通じた放射性物質の生体蓄積•濃縮のために、今後長い間日本の地で人々が健康に生きるということは非常に困難になったことは明らかだ。このような状況では、多くの人が深刻な精神的•心理的障害に悩まされていることは必然的である。日本という国家は、今健康な生活のための基盤を大きく失う危機に瀕していることと言うことができる。すでに日本の富裕層と中産階級の多くが移民を決意したり、少なくとも家族の居住地を海外にしたかまたは移そうとしているというニュースが飽きる間もなく聞こえてきている。

それでも日本は領土が大きい国である。もし韓国の原発一か所であっても重大事故が起きるとどうなるか。私は福島事態以降、原子力関連の文献や資料を集中して読んできた。読めば読むほど、私たちが今生きているのが奇跡という考えを振り払うことができない。

ある日、深刻な不安のために眠りを破られる時がある。世界最高水準の科学技術力を持つ国々、すなわち、米国と旧ソ連と日本で次々大きい原発事故が起こったという事実が何を意味するのか、我々は深く考える必要がある。現在、韓国は世界最高の原発密集状態である。そして放射能大量流出事故は、いつも "予想を超えた"原因で起こるということも考えなければならない。

さらに、重大事故がなくても、原発では、普段にも微量ながら常に放射能が漏れている。たとえば、米国の医療統計学者ジェイ·グールドが書いた "内部の敵"という本がある。 "原子炉周辺で過ごす生活は払うべき高コスト"という副題が物語るように、この本は、原子炉周辺50マイルから100マイル内の地域で、がんやその他の疾患が発生する割合が他地域に比べて顕著に高いことを明らかにしている。グールドは、稼働中の原子炉で継続的に吐き出される低線量放射線の日常的露出による "内部被曝"によって人々が致命的な健康被害を受けることを、米国の保健当局の公式発表の入念な検証を経て明確に立証した。原子力当局はいつも許容基準値を云々し、微量の放射能は、何の問題もないと強弁するが、放射能に関する限り、基準値というのは医学的根拠があるのではないことを看過してはならない。

原子力システムを早急に廃棄しなければならない理由は多い。しかし、最も重要な理由は、原子力システムをこのまま放置すれば、人間の生存の自然の土台はもちろんのこと、社会的基盤自体も近いうちに必ず崩壊するということである。原子力をやめたら対案は何かと問う人がいるが、対案を云々する前に考えなければならないもっと重要な問題がある。つまり、私たちの生活が、原子力という非常に不合理なエネルギーに依存するということまでしながらも、莫大な電力を消費して成り立っているのであれば、理性的な人間として、私たちが果たしてそのような生活を肯定することができるのかということだ。

今私たちに最も切実なのは新しい人生に対する根源的な欲望と想像力である。原子力システムを廃棄することは、単に発電システムの変更を意味するものではない。

梨花(イファ)女子大の集会でムン·ギュヒョン神父が聞かせてくれた感動的な逸話がある。 2003年扶安廃棄場反対運動が激しく展開されていた当時、自分の全財産に該当する牛を売ったお金を運動に加えてもらいたいと訪れた田舎のおばあさんがいた。一人暮らしで一生肉体労働をしながら6人の子供を育て、そのおばあさんは、自分の子は外地に出て行ったが、他人の子も自分の子であるとし、惜しげもなく運動を支援しようとした。良い人生を想像することができる能力は、どのように育てられるのか。それはおそらく、草の根の民衆社会では長く続いたが、これまで私たちのほとんどが忘れていた、相互扶助と共生共楽の伝統に回帰してこそ獲得できる能力であるのかも知れない。

京郷新聞  2011-10-05


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