2011年10月15日土曜日

モンゴルとフクシマの類似点ー開沼博『フクシマ論』を手掛かりに

毎日新聞 2011年10月15日は「モンゴル政府:核処分場建設計画を断念 日本に伝達」http://mainichi.jp/select/world/news/m20111015k0000m010153000c.html と今日になって1か月目のニュースを伝えています。これはどういうことでしょうか。

私は先にこの点は触れました。2011年10月6日木曜日「日米による原子力燃料廃棄物のモンゴル持ち込み問題についてーモンゴル民主化運動史研究会」
http://www.oklos-che.com/2011/10/blog-post_678.html

モンゴルは現在、石炭輸出がメインの収入源なのですが、ウランやその他のレアメタルも多くあり、それを活用したいとモンゴル政府は考えているようです。ウランの埋蔵量は世界の1%と聞いています。後全世界的に80年しかもたないとされているウランは他の国々が喉から手が出るほど欲しいものです。ウランを駆け引きの材料にし、自己の経済・軍事・外交面で有利な地位を築こうとしているのでしょう。

北朝鮮に先進国が大きな関心をもつのも、外交関係の駆け引きの裏に北朝鮮の世界最大級のウラン鉱脈があるからだと言われています。北朝鮮にソ連, 中国が大きな関心をもつのは、ひとつは莫大な埋蔵量が予想されるウランがあります。

モンゴルは地政学的にソ連と中国の間にあり、アメリカが積極的にモンゴルを支援するというのも、ソ連・中国に対する外交面・軍事面での大きな駆け引きが根底にあると見るべきでしょう。この春からマスコミを騒がせた日米蒙のウラン採掘から原発建設、使用済み核燃料の再処理・貯蔵の計画があったことが暴露されたのですが、その背後には、複雑な問題がからんでいます。アメリカの全世界の核兵器支配をめぐる政策的な意図が垣間見られます。

この計画が大きく問題になり、一応、日本の菅前首相や、モンゴルの大統領は公にこの計画を否定しました。しかしウラン採掘はどうするのか(その過程ではやり放射能問題が発生する)、現状ではどうにも行き詰ざるをえないモンゴルの経済状態を世界の大国が黙ってみているはずがないのです。経済援助を餌にして、外交的・軍事的・経済的利益を得ようとうごめいているはずです。

この様子はまさに、日本の原発が地方に作られたことを彷彿させませんか?開沼博が『フクシマ論 原子力ムラはなで生まれたのか』(青土社 2011)で分析しているように、地方は内在的・自律的な経済発展、独自の文化の開花ができず国家体制の中に組み込まれその貧しさ故に、原発に頼らざるをえなくなっていったのです。国家は、貧しい地方を労働力や電力、農産物の供給源として利用してきたのですが、一方、地方自らがそれを望み、フクシマの場合、それを原発にすがるという形で、自ら国家の植民地主義体制の中に組み込まれようとしてきたというのが、開沼博の分析です。

新自由主義の政策を掲げる世界の大国が、社会主義から資本主義社会に変わったモンゴルをなんとかひきつけ利用しようとしているというのは、同時に、モンゴル自身がその世界の動きの中に自ら入り込もうとしているということを意味します。しかしその選択が、どうしてウランであり、「死の灰」の処理と埋蔵であったのでしょうか? これはまさにフクシマをはじめとした原発を抱え込んだ各地方と同質の問題だと思います。単に「死の灰」を許さない、原発反対では済まない問題を抱えています。

日本の4倍の面積で、大阪の人口しかないモンゴルが自律的で内発的な産業・文化を興すにはどうすればいいのか、私がモンゴルに行ってできるだけ多くの人と話し合いたいのは、実はこの点でもあるのです。そしてこの問題が解決されない限り、原発問題・「死の灰」の埋蔵問題は再燃するでしょう。

これはモンゴルだけの問題ではありません。韓国も同じです。資源がないからという理由で、地方を犠牲にして原発の比率を高め世界に輸出しようとしています。フクシマがどのように復興するのか、3・11によって何も変わらない原発を抱える地方の問題でもあるのです。反原発の連帯運動は、実に大きな歴史的・文化的な課題を見つめることでもあるとつくづく思います。

崔 勝久

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