2011年10月23日日曜日

私たちの本国は天にありますー反原発運動の視点の提示

この原稿がニュースレター(『平和を実現するキリスト者ネット』121号)に掲載される頃には私は、韓国・モンゴルへの訪問を終えているでしょう。私は「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)の事務局長として、日本キリスト教協議会(NCC)の支援を受けて、反原発の「国際連帯運動の強化」を目指して両国に旅立ちます。

「在日」である私がどうして反原発運動をするのか、それは3・11で明らかになったように、災害は「死の灰」とともに、日本に住むすべての人に降りかかるのであって、そこでは民族や国籍が問われることはないからです。私たちは日本に住む外国人として、自分と自分の家族の生命を守るために「反原発」に立ち上がり、地域の災害対策を地方自治体に求めなければならないと思いました。

私の、国籍・民族を超え<協働>して日本社会の変革を求める行動を快く受け入れ一緒に行動を起こす人が多い中、「クソ朝鮮人!日本から出ていけ!」とツィターなどで激しく罵倒する人がいることもまた、事実です。「在特会」(在日の特権を許さない市民の会 http://www.zaitokukai.info/ )は私のような「在日」にも電話による脅迫をしてきます。彼らが反原発のデモにも攻撃をかけるのは、そのふたつがつながっていると考えているからでしょう。そのつながりとは何でしょうか、それは日本という国家を脅かす存在と見る視点です。反原発運動をする人は、反原発運動はこれまでの日本社会のあり方を根底から見つめ直す運動であること、国民国家を止揚する視点をもつものであることを改めて認識していただいきたいと願います。それは天皇制問題とも深く関わるでしょう。

川崎市は「多文化共生」を謳い、全国でもっとも外国人政策が進んでいるとされています。外国人に門戸を一番最初に開放した川崎市が、実は採用された外国人を差別し固定化する制度を最初に作ったことは知られていません。それは全国の模範になっています。外国籍公務員は、管理職になれず、市民に命令する職務は禁じられています(「公権力の行使」)。民主主義社会では、公務員がむやみに市民の自由や権利を侵すことは認められません。法律や条例に従って、それらが許す範囲内でしか公権力の行使は認められないのです。どうして外国籍公務員には国籍を理由にして、法律が許す公権力を行使する業務を禁じるのでしょうか。

それは「当然の法理」として日本政府が独立に際して発表した見解によるものです。独立によって「日本人公務員」であった朝鮮人・台湾人がそのまま公務員に残っては困るからです。日本社会は日本人のものであり、公務員は日本人でなければならないという方針です。それは国民国家の大原則とみなされ、現在も法律や憲法よりも重要な指針とされているのです。最高裁が認めた外国人の地方参政権が実行されないのと同じ質を持ちます。

原発とは何でしょうか、それは平和利用を看板にした核兵器です。日本はどうして戦後、被曝国でありながら原発大国の道を歩み始めたのでしょうか。その根底にあるものは国民国家として、世界に冠たる強国としていつでも核兵器を作れることを示威するためのものではなかったでしょうか。そのために「安全神話」を強調し政官財法学、それに報道が束になって私たちをだましてきたのではなかったのでしょうか。私たちは国民国家を突き抜ける視点を持てるでしょうか。

私は既存の国家や民族への帰属ではなく、来るべき社会に帰属したいと願い、その社会に向かって国籍や民族を超え、あらゆる人と協働して歩んで行きたいと韓国・モンゴルに向かいます。「私たちの本国は天にあります」(ピリピ人への手紙3章20節)

CNFE(原発体制を問うキリスト者ネットワーク)http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/ 事務局長

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