2011年9月3日土曜日

『在日』は今回の震災をどのように受けとめるのか:日本社会は外国人を地域社会のパートナーとして受け入れるのか

以下の報告書は、今秋発行予定の日本平和学会ニューズレターに掲載予定の原稿
です。事務局の承諾を得て、事前に公表させていただきます。ありがとうございます。

日本平和学会の分科会の発題の感想
http://www.oklos-che.com/2011/06/645200-11-65-20-1-11-40.html

崔 勝久

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日本平和学会
2011年度春季研究大会
平和文化分科会

報告:崔勝久(「新しい川崎をつくる市民の会」事務局長)
「『在日』は今回の震災をどのように受けとめるのか:日本社会は外国人を地域社会のパートナーとして受け入れるのか」
討論:吉澤文寿(新潟国際情報大学)
司会:黒田俊郎(新潟県立大学)

平和文化分科会では、新潟での研究大会に際して、崔勝久さんをお招きして「災害下における『在日外国人』表象」をテーマに研究会を開催しました。以下、報告と討論の概要です。

報告:巨大地震、巨大津波、原発事故による多重災害であった東日本大震災が明らかにしたことは、災害は日本人だけを襲ったのではないということでした。地域に住むすべての人がまったく同じように被害を受けたのであり、そこから得られる教訓は「在日」は生き延びるために、自分の住む地域社会に日本住民と共に全的に関わらなければならないということだったのです。

崔報告は、このような発題で開始されましたが、その結論は非常に厳しいものでした。すなわち大震災後の日本社会では、ナショナリズムへの復帰が顕著である一方(「がんばれ日本」の大合唱)、外国人被災者の現状に対する眼差しがまったく抜け落ちてしまっており、そのような状況に対抗し住民主体による地域社会の再建・復興を成し遂げるためには、国籍を超えたすべての住民が生き延びられる社会を構想することが不可欠であり、そのための「地域の変革」に全力を尽くさなければならないということです。

崔さんは、そもそも日本社会は戦後、外国人を地域社会のパートナーとして受け入れてきたのだろうかと問いかけ、外国人の人権を排除してきた日本社会の実態を、日立製作所の就職差別と戦った朴鐘碩さんによる「日立闘争」に参加した個人史を振り返りながら語りました。とりわけ、「共生の街」川崎の問題点が、「戦争に行かない外国人は『準会員』」という市長発言や「当然の法理」の下で外国人による公権力の行使が事実上禁止されている現状を踏まえたうえで「新しい川崎をつくる市民の会」の視点から多角的に報告されました。「多文化共生」という標語は、日本社会に多様化をもたらすものともてはやされ、川崎はそのモデルケースとみなされてきましたが、臨海部開発など、韓国併合(1910)後の川崎の歩みを外国人市民として直視すれば、多文化共生は、植民地主義を精算しきれない日本社会においては、外国人を二級市民化し、日本のナショナリズムを無批判的に肯定するものにすぎないというのが崔さんの結論です。

在日外国人の人権を「マイノリティ問題」として設定するかぎり、いかなる善意からする多文化共生の試みも、結局はパターナリズムの罠から抜けだすことはできないだろうと崔さんは指摘しています。またマイノリティ問題とは、マジョリティ社会によって作りだされた社会構造によって生みだされた社会現象であると自覚しないかぎり、日本社会は外国人を地域社会のパートナーとして受け入れることはできないのではないか、と問題提起もしています。

しかし報告の最後で、「在日」として地域に生きる生活者の立場から、国籍・民族を越えた〈協働〉によってマジョリティ社会そのものを変革していこうと唱えたとき、崔さんのブログにどのような侮蔑と中傷と攻撃が加えられたかが実例として提示されました。それは、マジョリティ社会側の拒否感情がいかに根強いものであるかを示すものであり、私たちはこの「憎しみ」にどのように対処したら良いのだろうか、という問いかけで報告は結ばれました。

討論:まず討論者の吉澤会員から日本社会の「マジョリティ」のあり方について三点コメントがありました。第一に、関東大震災(1923)、広島・長崎(1945)、阪神淡路大震災(1995)の際の在日外国人をめぐる状況が簡潔に述べられました。第二に、最高裁による君が代起立命令「合憲」判決について、現在日本の公立学校には多数の外国籍児童・生徒が在籍しているという事実が指摘されました。そして第三に、この判決の論理、とりわけ学校の式典での起立斉唱を「慣例上の儀礼的な所作」にすぎないとする判断が、戦前の神社参拝の正当化の論法に酷似している点が確認されました。

いずれも、マジョリティ社会側の想像力のあり方におけるきわめて深刻な病理を明らかにするものです。続いてこの研究会に参加した15名の会員から、主に崔報告の最後で示されたマジョリティ社会側の拒否感情について多様な意見が提示され、とりわけ自身のブログへの攻撃に対しては「侮蔑罪」による裁判も考えているとの崔さんの発言をめぐって、参加者からは訴訟技術上の問題、裁判の費用対効果の問題、この種の「ヘイトクライム」に関しては司法だけではなく立法措置も重要、等の意見がだされました。以上の報告と討論を通して、日本のマジョリティ社会を蝕む不遜と傲慢が浮き彫りにされ、3・11後の復興の道筋を平和と人権の観点から考察する厳しくも価値ある機会となりました。(文責:くろだとしろう)

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