2011年9月17日土曜日

釜ヶ崎の本田哲郎さんとの対談ー(その4)行政と一体化するNPOと運動体の位置

ー(崔)奥田さんの話がでましたが、彼の本はご存知ですか。交流はありますか。
(奥田知志 『もう、ひとりにさせない』(いのちのことば社)の著者 バプテスト連盟牧師 NPO北九州ホームレス支援機構代表 http://www.h3.dion.ne.jp/~ettou/npo/top.htm NHK2009年3月10日「プロフェショナル」で紹介され大きな反響を呼ぶ)
(本田)一時期はありました。釜ヶ崎の金井牧師のところにいらして炊き出しや夏祭りなんかに参加されていたそうですね。私はちょっとずれて彼がいるときにはまだ釜におりませんでした。
釜はNPOを設立してその後に奥田さんたちは九州でNPOを作られ、全国組織になりそのとき一緒に議論などをしていたんですが、東京の山谷の動きというか山谷に限らないのですが、支援運動が貧困ビジネスまがいの支援の仕方に流れていきがちになり、そういうことが話題になったときに奥田さんが、我々のNPOも貧困ビジネスのようなものであっていいんじゃないのという発言があり、この人とは路線が違うな、一緒に手を組めないなという思いがあって、私の方からそういうホームレスネットワークみたいなところから釜が崎の「反失連」(反失業連絡会の略、キリスト教関係者、新左翼のセクト、組合も入るし、医療連も加入する団体で、「反失連」が中心となって釜ヶ崎のNPOを立ち上げるー崔)としては会議をもって脱退しました。
山谷や釜ヶ崎や奥田さんの九州のNPOが一緒になってホームレス全国ネットワークというものを作ったんですよ。そこから釜が崎の「反失連」としては身を引きましょうということになりました。2,3年前ですかね。文献や声明文のようなものは何も残っていません。ただメールを送っただけです。釜の「反失連」とは路線が違うなということを確認して脱退しました。全部取り込まれた状態だと運動体として運動も何もできなくなるということを危惧しました。文句も言えなくなる、ということですね。別だということを論議しました。

ー「別だという意味」は、穏健派のグループや急進的なグループがひとつの組織の中にあって、NPOというのは行政と一緒にやっていくわけですから、行政に強く言う部分と、まあまあという部分があって違ったことを言っているようでいながら裏ではしっかりと手をつなぎあっているということもあり得ますよね。
(本田)勿論、「反失連」の中にも行動的な人もいれば、穏健派というものがひとつの運動体の中ではありなんですよね。だけどNPOということになれば、結局行政の下請けですよね。丸抱えの予算は行政から来ますから、そういうなかで貧困ビジネスだっていいじゃないのということになると、そういうところに流れてしまうんじゃあ、何のためにやるのということになりますね。そう、そこは本質的な問題ですね。だからそこは我慢できないというかね。

ー「反失連」はNPOじゃないですよね。
「反失連」が母体になって、NPOを設立して、NPOはNPOとしての活動をする、「反失連」は一歩行政から引いて運動をするということです。私が初代の理事長をしてたんですよ。組合の委員長が副理事長でした。私は半年たったらもうすぐに理事長を辞めました。

ー運動としては随分としたたかですね。NPOで行政と組み金をとっていきながら、それだけじゃだめだ、いざというときには違うんだから、運動は運動として人脈があってもしっかりと闘うぞということですよね。
(本田)そうです。ただね、「反失連」がNPOを設立してNPOといえども単なる下請けであるはずがないと、政治的な批判的な行動もできるのがNPOのはずだからということで一緒にやろうとしていたわけです。だけど結局、いろんなしばりがかかってきて、ああ、これは無理だなということになってね。
ー「これは無理だな」という判断は運動をしている人の感性というか、中心がしっかりとしていますよね。普通はそこで全的に行政の方に流れてしまいがちですよね。
(本田)まあ、そうですね。釜日労の組合の何人かのメインメンバーは、NPOに雇われて、まあ日雇いの位置づけなんですけどね、職員としてその場にはいるわけなんですよね。そこから給料をもらいますから。だけど、路線は違うという。同時に「反失連」の活動家でもあるわけですよ。
ーそれは行政の方はわかっていて黙認ということですか。
(本田)NPO釜ヶ崎の事務局長はどうしても行政寄りのスタンスですよ。だから行政はわれわれ「反失連」を相手にしないんです。
ー内部的に緊張は結構ありますね。
(本田)そうですね(笑)。緊張があって余分なエネルギを消耗しますね。

ー緊張は必要ですよね。とてもいいお話を伺いましたね。そういうことが可能だとは。今のNPOはおっしゃった点が突破できないでいるんですよ。川崎でも私たちが日立闘争以降、地域の「在日」の運動をする中で、「民族差別と闘う砦づくり」を提唱して、結局最終的には私たちはそこから出るわけですよ。その後、故李仁夏牧師が中心となって一挙に「ふれあい館」 http://www.seikyu-sha.com/fureai/ という形で行政と組んでいくわけですね。それは完全なNPOです。そこがすべての代弁者になって上から下への代弁者であり、下から上への代弁者になりますから、そこが段々と力をもつんだけど、民衆の運動はどこに行くんだということになりますよね。彼らは行政を批判しないということになりますし。
(本田)その辺はやっぱり、しっかりと線を引いていますね。だけどもかつて一緒にやっていた仲間がNPOのスタッフになり、事務局長がそういう風に行政寄りの立場を強くするということになりますから、いろいろとむつかしいですね。事務局長は行政の指名ではなくて、こちら側の選出です。やっぱりなんというか、役職が人を変えてしまうということがありますね。そういう模範みたいなものですね。
ーそれはよくわかるなあ。それは緊張が続きますね。もともと矛盾しているわけですから。
(本田)絶えずどっかで煮えくりかえっているという状態ですね。仲間のはずなのに、どうしてそんな、というようにね。
ー事務局長も苦しいところですよね。
(本田)どうかな(笑)。
ー奥田さんはそういうところにはいかなくて、NPOとして活動して国にも働きかけ、変えればいいと思っているわけですね。実をとればいいと。
(本田)その辺はよくわからない。

ー今のお話を伺っていろんなことが見えたのですが (続く)

1 件のコメント:

  1. 奥田知志です。私は、「貧困ビジネスでいい」などと発言した覚えてはりません。本田先生の記憶違いだと思います。ただ、本田先生がホームレス支援における事業化をすべて貧困ビジネスだと断じる、あるいは行政との協働なども貧困ビジネスだと断じておられるのなら、それは全く別の議論だと思います。
    繰り返しますが、いわゆる貧困ビジネスを「いい」と言ったことはありませんし、全国ネットはそのようなスタンスはとっていません。いずれにしても本田先生の発言に大変衝撃を受けていますし「運動」とは何かを考えています。「その辺は良く分からない」で済むでしょうか。真偽不明の一方的な情報が垂れ流されることはホームレス支援全体にとってどうでしょうか。

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