2011年8月14日日曜日

反原発運動のリーダの遺書、『原発事故はなぜくりかえすのか』高木仁三郎を読んで

岩波新書から出されたこの本は、1999年の9月30日に東海村での臨界事故が起こりどうしても「書き残したい」と2000年の夏、高木仁三郎が「死期を意識しつつ最後の力をふりしぼって」録音した、文字通りの「遺言」です。高木さんは、「偲ぶ会」で友へ送った最後のメッセージを書いています。この本には「あとがきにかえて」のところで、そのメッセージが記されています。

高木さんは、3・11を予言するかのようにそのメッセージの中で「原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになって行くのではないかということに対する危惧の念」を表明しています。

この本は小出裕章や広瀬隆、また内橋克人とまったく違うトーンで書かれています。原子力の危険性、技術や政策の問題点の指摘ではなく、どうしてこの日本社会は原発事故を繰り返し起こすのか、その根本的な原因は何かを考察したものです。末期がんで苦しく声も出なかった病床で、これだけは言っておかなければとこれまで考えてきたことを話したのでしょう。そういう意味ではご本人も話しているように、日本人(社会)の文化論になっています。小手先の、気の利いたことやどこかから借りてきたものではなく、高木さんの魂の叫び、人格そのものを言い表したものと私は受け留めました。是非、お読みください。

核分裂という爆発現象が起きて光った<青い光>によってもたらされた広島・長崎・第五福竜丸そして東海村での臨界事故、そこに通底する「核の持つ潜在的な破壊性、暴力性、その恐ろしさ」に触れながら、高木さんは、「我々がこの五十年間をいったいどのように過ごしてきたのか、何がこの五十年前の青い閃光を再び生むような事態をつくりだしたか」という根本原因を突き詰めてみたいという動機からこの本は出版されました。

彼の言いたいことは、見出しを見ればよくわかりますので列記しましょう。1.議論なし、批判なし、思想なし 2.押し付けられた運命共同体 3.放射能を知らない原子力屋さん 4.個人の中に見る「公」のなさ 5.自己検証のなさ 6.隠蔽から改ざんへ 7.技術者像の変貌 8.技術の向かうべきところ

日本の技術者は論文の中で「我が国」(My Country)という単語をよく使うそうで、海外では見られないそのような意識を高木さんは、それはどこかで原子力政策や議論なし、相互批判なし、思想なしの「三ない主義」と関係しているというのです。

多くの官僚は「公益性」についてそれは国が決めること、国家の法律の中でどう定義し誰が守るのかは国の決定事項であり、人々が求めるものは何かということから出発せず、政府の原子力政策に反対するような機関にNPO法人を認める訳にはいかないと言っていたそうです。彼はまた、「公共性」「普遍性」という概念を自分の価値観にせず、ひたすら与えられた分野の研究に没頭する技術者の倫理性のなさに対しても危機感を表明します。それは政府のアカウンタビィリティの欠如だけでなく、技術者のそれにもつながり、データの改ざん・情報の隠ぺいは言うに及ばず、自分のデーターに「命をかける」ような技術者としての倫理性の確立への期待へとつながります。

意外なことに高木さんは本の最後においても「脱原発・反原発」を強調しません。むしろ何かに備えて人為的に外付けの大掛かりな装置を考えるのでなく、「技術の中に本来内蔵している」、「本来的に備わった安全性ーパッシブ・セーフティと言われていますーによって暴走を止めるようなあり方」を強調するのです。それは「反原発の市民科学者」として生き切った、死ぬことができる喜びから発した、彼の技術者としての本音であったのかもしれません。

何よりも自分の死後もたれる「偲ぶ会」用に準備したメッセージがこの本のあとがきに収録されており、既に読まれた方も多いでしょうが、そのメッセージを皆さんに紹介します。彼の人柄、想いがすべて凝縮されています。

友へ   高木仁三郎からの最後のメッセージ
皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差し伸べて鍛え直してくれました。それによって、とにかくも、「反原発の市民学者」としての一生を貫徹することができました。
反原発に生きるとことは、苦しいこともありましたが、全国・全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。・・・・
残念ながら、原子力最後の日を見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プラトニュム最後の日」くらいは、目にしたかったです。でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。ICO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってします人間の心を最も悩ますものです。
後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一国も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な英知を結果されることを願ってやみません。私はどこかで、その皆様の活動を見守っていることでしょう。
いつまでも皆さんとともに      高木仁三郎

高木さんありがとう、この最後のメッセージ、しかと受け留めました。ご冥福を祈ります。

1 件のコメント:

  1. 守秘義務の壁を越えて:今回の原発事故においても「実際の原発稼動に係るマニュアル類」は一切公開されていません。そこには「日本人技術者の陥りやすい陥穽」や「錯覚・驕り」などが歴然としているはずですが。多くの技術者は専門バカとよくいわれるように、素人でもすぐわかる当たり前のことを見落としています。ネットの時代、内部からの告発を期待したいところです。
    ネットの時代、一方では外交上の密約なども次第に明らかになってきています。歴史を遡って検証する機会が訪れたと思います。(一科学技術翻訳者)

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