2011年8月13日土曜日

『日本の原発、どこで間違えたのか』内橋克人を読んで

朝日新聞から今年の4月30日に出版されたこの本は、1986年8月に『原発への警鐘』に出された本の一部とこの間に著者が記した論文を合わせて作られています。ただし記事の初出が明記されておらず、彼の理解の変遷が定かではありません。しかし読み進むうちに、当初原発賛成でも反対でもない「ただ原発をめぐってごく自然に湧いてくる素朴な疑問への回答を求めて、根気よく取材と分析を積み重ねているだけ」の動機であったものが、後半では明確に原発の問題点を指摘、批判するようになっていくのがはっきりとわかります。氏は「脱原発1000万人署名運動」に大江健三郎や鶴見俊輔など著名人と一緒に呼びかけ人に名を連ねており、私たちは川崎の街頭でその署名を集めています。

第2章の「東京電力と原発」では、福島第一原発をつくるときに原子炉の専門家が現場に誰もいなかったとき、技術者がどのようにしてGEから丸投げされて買った原子炉のスタンレスの配管にひびが入ったことをきっかけに、その原因を探り新たなステンレスの素材を開発し、それが結局世界標準になったのかという話や、パイプを切断せずとも熱処理で配管を活かす方法を見つけ出した現場技術者の話が盛り込まれていて、まるで氏の『匠の時代』の世界になっています。このようなエピソードは氏でなければ誰も書かなかったでしょう。被曝労働者の問題や、使用済み核燃料の問題にそれら最初に関わり始めた技術者は気が付かなかったのかと言いたい気持ちもありますが、これはこれでいいでしょう。

広島原発の20倍の放射性物質を放出している福島事故によって今、例え微量なものであってもそれが人にどのような影響を与えるのかという点が愁眉の問題になっていますが、第3章 人工放射能の恐怖「放射線はスロー・デスを招く」は注目すべき論文です。

内橋氏は原発が安全というのはいかなる根拠か、ここまでは安全という基準があるのかということから、その推定値は1965年に設けられたアメリカのT65D(Tentative 65 Dose)でありそれは広島・長崎での原爆被曝線量を推定したものでしかないという背景説明をします。現在でもICRPはそれを基準にし日本政府はその推定値を根拠にして政策を決定しています。それを科学的な方法で根底から覆した学者に内橋氏は出会います。原発は「殺人産業」とするアメリカのマンクーゾ博士で、24,939名の原子力施設で働いていた人の死亡実態を調べ上げ、わずかな放射線が癌を誘発するということを疫学的に明らかにした人物です。

氏の主張では、T65Dに比してリスク評価で50倍もの差があります。この数値を基準にして安全性を確保しようとすれば現存の原発産業は成り立たないと言われています。アメリカが博士を危険人物とした所以でしょう。よくレントゲンや自然界の放射線量と同じと言う人がいますが、自然界にある放射能と原発によって人工的に作られた放射能は根本的に質が違い、後者は植物や生物の体内に蓄積・濃縮されていくのです。呼吸や飲料水・植物から放射能が体内に残る体内被曝が特に細胞分裂の活発な子供や若い人、妊婦にとって致命的な影響を与えます。放射能はSlow Deathを招く、これが博士の研究の結論です。学問的・方法論の過ちを指摘し博士の研究成果を無視しようとする御用学者が日本にも多いらしいのですが、博士の研究を実証的に覆す人がいるのかと、内橋氏は博士の研究成果を受け留めます。「いま、T65Dの「仮説」は崩れ始めているのではあるまいか」。

第4章 「安全」は無視され続けた、「公開ヒアリング」という名の儀式は、氏の「渾身のルポルタージュ」です。今ではもうなくなっている原発予定地でのヒアリングの実態を記します。まったく「木で鼻をくくる」というか、住民との対話ではなく、一方的に住民の話を聞き置き、一度決めた国策は変えないという確固たる意志をもって住民に接する官僚の非人間的な対応をあますことなく明らかにしていきます。そして最後は、なぜ原発を作り続けるのかについて記します。電力会社の金を儲ける構造を説明しますが、なんといっても、原発銀座と言われている福井県敦賀市の市長の描写は圧巻です。原発推進派の人間はいかに目の前のカネに目がくらんでいるのかを内橋氏は容赦なくその実態を暴きます。

市長は原発をやればいくらでも金は入ってくるという考えでそれを実行し「成果」をあげてきた男です。若狭湾のわかめが原子炉から放射能が漏れて全く売れなくなったとき、それを「嬉しいこと」だとみんなが思喜んだというのです。売れなかったわかめや魚を全量電力会社が市場価格より高く買い取らせたことを言っているのです。そういうことが1年に1回あればいいと市長が言いだし、会場に集まった住民も拍手をするのを内橋氏は冷静な目で見ます。地方自治は死に、職業人としての倫理を喪失し、いくらカネが地方自治体や住民に入ってもこれでは将来の夢を持てる訳はありません。原発は人と地域社会を崩壊させたのです。後は「もんじゅ」が稼働すればもっとカネがはいると笑いをとります。

彼らは原発の恐ろしさは知らないのか、いや、知っているのです、事故が起こればもう助からないと思っているのです。市長の最後の言葉と拍手の音がテープから消え去ることは、永遠にないだろうと内橋氏は怒り
をかみしめて記します。

「えー、その代わりに百年たって片輪が生まれてくるやら、五十年後に生まれた子どもが全部、片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、いまの段階ではおやりになったほうがよいのではなかろうか・・・。こういう風に思ております。どうもありがとうございました」(会場に大拍手)

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