2011年8月5日金曜日

投稿:横浜市教科書採択を傍聴してー兵庫貴宏

横浜市教育委員会は、来春から市内の私立中学校で使う歴史と公民の教科書に「新しい歴教科書をつくる会」系の育鵬社版を採用しました。全国最大の採択地区で、114校(在校生徒数約8万人)が対象になります。

6名の委員のうち4名の賛成で決定されたのですが、その4名はいずれも前中田市長が任命した人たちです。富国強兵政策による植民地支配の歴史記述は、「自虐的」とする彼らの思惑通りということになりました。外国人の参政権を否定しアジアの侵略という表現を一方的とする教育員会の判断は、この災害にあたって「がんばれ日本」を連発してナショナリズムの高揚を謳う昨今の動向、今後の日本社会の進む道と関係するでしょう。教育において教科書がすべてではないとしても、ゆゆしき事態と認識すべきだと思います。今後の地方自治のあり方、外国人との関係、ひいては原発問題にも大きな影響をもつようになるでしょう。

その決定に立ち会った兵庫貴宏は、横浜国大の4年生で、500名の希望者の中から20名の傍聴者に選ばれ、今回の決定の過程をつぶさに目撃しその感想を書いてくれました。感謝します。

崔 勝久
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横浜市教科書採択を傍聴して
横浜国立大学 教育人間科学部国際共生社会課程4年 兵庫貴宏

昨日8月4日に、来年度から横浜市の市立中学校で使用される教科書の採択が横浜市教育委員会で行われました。私は教科書採択審議を傍聴することが出来ましたので、そこで感じたことを述べたいと思います。
 
9時から9時半までが傍聴受付時間でしたが、私が到着したころには受付会場の教育文化センターにすでに多くの人が並んでおりました。9時になったところで開場され大ホールに移動したのですが、定員は512名ということで約200名の人々が大ホールには入れてもらえず会場の外で待つ他ない状況でした。もちろん、その人達に対する横浜市教育委員会の配慮はありません。そうして大ホールに集まった512名の中から教科書採択を傍聴することが出来るのは20名であり、くじ引きの結果、私は幸運にも選ばれました。私を含めた20名が移動したのは小さなビルの一室であり、そこで教科書採択が行われたのです。会場には教育委員が約20名、さらには記者が10名、傍聴者が20名といった感じでした。教科書採択の模様は音声のみが教育文化センターの大ホールに中継されていたようです。
 
私は歴史教科書・公民教科書の採択に注目していました。ちまたで言われているように教科書の内容どうのこうのではなく、私が多くの「新しい教科書をつくる会」の集会に参加しながら彼らの思想・考え方に気持ち悪さを覚えていたためです。偏狭なナルチシズムとでも言いましょうか、集会では毎度のように中国・韓国の名を挙げながら「彼らの侵略は気をつけなくてはならない」とか「彼らは野蛮である」などという発言を平気で行うのです。「つくる会」が言いたいのは結局のところ、「日本はそうした国に比べて素晴らしい国だ」ということでしょう。他者を攻撃しながら自らを規定していくような、子供じみたことを行っているのです。それも50、60歳の“立派な”大人たちが。あまりに呆れてしまい集会に行くといつも笑ってしまうのですが、問題はそうした子供じみた思想を持った団体がつくる教科書が実際に公に認可され使用されるような雰囲気・社会背景にあると思われるのです。このような関心から私は「つくる会」系教科書である自由社・育鵬社出版の教科書採択に反対の意を持ち傍聴しました。ここで自由社・育鵬社が採択されるようでは世の中狂ってるな、と。

教科書採択にあたってはじめに採択の観点が提示され、各教科で審議員の議論が進められます。そこでも気になった発言が多々ありましたのでそれについて考えていきたいと思います。小濱逸朗氏は「子供を健全な国民にしたい」とたびたび発言していました。それに付随して「今の若者は覇気がない」とも述べておりました。教科書採択中に居眠りする教育委員、今田教育委員会委員長にビクビクしながら円滑に採択を進めようと右往左往する教育委員を見ていると果たして大人は覇気があるのか、と思いました。「大人に覇気がないから若者に覇気がない」だったらわかるのですが。さらには、どの審議委員も「子供の将来のために」と連呼するのですが、その後に来るのは決まって「将来の日本のために」という文言です。このように言い換えたらどうでしょう。「将来の日本のために、今の若者を教育して良い国をつくる」。結局のところ彼らが言う「若者」というのは、「日本」の未来像であって自らの希望を若者に押しつけているだけではないでしょうか。

よく「子供は未来の担い手」などと言われますが、それは大人の社会的な責任を放棄しているようにしか私には考えられないのです。自分はもう出来ないから後は任せた、というのはあまりに無責任でしょう。私も若者の一人としてたまったものではありません。確かに子供は成長過程であり、定まった未来がないいわば白紙の状態かもしれませんが、それをいいことに大人の理想を押し付けられてはあまりにも暴力的でしょう。教育を考える上で、将来の見取り図が必要なのはわかりますが、子供や若者も今現在を生きる一人の人間なのですからもう少し対話をして一方的な押し付けは慎むべきではないでしょうか。もし本当に「お国」の事を考えどうにかしていきたいと思うならば、このとき必要な言葉や姿勢は「俺も頑張るから、君たちも一緒に頑張ろう」でしょう。
 
教科書採択の議論を聞きながら強く感じたのは、授業で子供の人格が形成されるという前提を皆が持っているということでした。たしかに、学校教育は子供の生活の中で大きなウェイトを占めるでしょうが、授業は子供本人にとっては些細な一部分でしかないでしょう。私の経験に照らし合わせたとき、人格が形成されたのは授業ではなく授業外の友人との交流だったり家族生活だったりする訳です。決して椅子に座って授業を聞くだけで、子供の人格が形成されるわけではありません。教育委員は想像力が欠如しているのか、それとも自分たちが唯一介入できる授業という場で人格形成がなされると思いたいのかわかりませんが子供の事を話し合うならばもう少し実情を見て、そこから考えるべきでしょう。
 
結局、採択の結果歴史教科書・公民教科書共に育鵬社の教科書に決定しました。審議員のやり取りから判断するにおそらく出来レースだったのでしょう。傍聴していたことがくだらなく思えるような審議の内容と結果でした。しかしながら、「つくる会」の集会から教科書採択の傍聴を行う中でわかったこともあります。それは他者とのコミュニケーションの欠如です。そもそも、コミュニケーションを取る気もないのかも知れませんが。自分ではない、他者である「外国人」「外国」「子供」などと対話を図ろうともせずに、自らに都合のよいように解釈し、結局は自らが気持ちのいいように他者像をつくる姿勢は共通していました。そして、これは「自由社・育鵬社の教科書採択に反対する」側にも言えることでしょう。

戦後民主主義教育を守り子供を守るとかは言いながらも、他者である子供と対話しながらそれを言っているのかは疑問なのです。様々な有名知識人がこの教科書論争に言及し自由社・育鵬社の教科書に反対するとか言いながらもそこに彼らの中に子供の顔は本当にあったのでしょうか。私は疑問に思います。私は小さな学習塾で小学生・中学生・高校生を相手に現在まで3年間アルバイトをしてきましたが、日常的に関わる中でちまたで言われている若者像とは全く違う姿が見えてきました。大学生の私よりも物事を深く考え、個々の様々な事情で苦しんでいる子の姿が見えてきました。それにはやはり時間がかかりましたし、根気も必要でしたがじっくりコミュニケーションをとる中で見えてきたものでした。

 今必要なことは「だれのための、なんのための」という根底から物事を考える姿勢を持ち、自分じゃない他者・自分より未熟だと思われる他者と対話しながら共に考えていくことではないでしょうか。それは歴史を考えるにも、教育を考えるにもこれから皆が持たなくてはいけない姿勢だと思います。それなしには、これからの新しい在り方を考えることが出来ず、安易に過去の遺物を持ってくることが繰り返されるでしょう。物事を根底から思考する作業が必要だと私は考えます。

1 件のコメント:

  1. 佐藤和之さんからのコメントです。

    佐藤(佼成学園教職組・川崎から「慰安婦」問題を解決する会)です。
    本日、川崎市教育委員会・教科用図書採択会議がありました。時差ボケでw大幅に遅刻しましたが、ロビーで傍聴することができました。注目の中学歴史と公民の教科書ですが、自由社版も育鵬社版も採択されず、教育出版版になりました。

    私は一部しか聞いてませんが、教科書のいわば内容的な議論はほとんどなく、生徒を主体にし生徒に発見させる授業展開にとって、教育出版の教科書が資料も多くて使いやすい構成である、という議論がなされていました。換言すれば、教師主導で教科書の知識を生徒に詰め込むという、古典的なスタイルの授業は否定されたということです。

    戦後民主教育・平和教育の現場で、先輩教師らが積み上げてきた実践的研究的成果が、いまだ川崎では生きているということでしょう。また、日立闘争が教科書や資料集に掲載されていることを、崔勝久さんが驚いていますがw、良心的な教科書編集者も常に存在します。

    北谷先生はじめ、川崎の公立学校関係者に敬意を表します。

    11/08/07
    佐藤和之    

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