2011年7月19日火曜日

投稿:中部電力「浜岡原発」の廃炉を求める全国集会へ参加しました(その2)ー伊藤英雄


---------第2日(17日)--------------

1.朝、宿舎を出発し、御前崎海岸に建つ「浜岡原子力発電所」へ。

宣伝施設「原子力館」に入る。三号炉の実物大模型があり、無数の配管が走る巨大な原子炉の断面を、首を反らせて見上げる。 原子力に託した期待の大きさ。 未来は明るい、バラ色だ。何も心配ない、と言って来た経過を、自省 も籠めて見る。原発の原理、炉の内部構造、発電に至る核分裂のシステム、「安全対策」まで分かるようになっている。 放射能の事は、しかし危険性の説明が詳しくない。ただ「安全」の強調は丹念だ。例えばコンクリ―ト壁の厚さは一般マンションの10倍もあり頑丈、など。 殆ど心配な欠点など無さそうに、明るく説明してある。

だが、この大規模な構造物が、フクシマでは大地震と津波であっけなく壊滅した事実を知ったうえで見ると、これらの安全策は、そもそも破壊など起きないと言う「安全神話」、過信の上に作られたフィクションだと分かる。 しかもフクシマ後、どれ程の対策を見直し積み上げたか、ここでは分からない。

2.次いで、発電所全景を見渡す高い「展望台」にエレベータで上る。御前崎海岸は、やや波高し。波打ち際から、およそ20メートル程の「砂浜」に建つ五基の原発群。取水塔は、岸辺から15メートル離れたあたりの波間に五つ見える。
 

歩いて海岸の土手へ行く。波しぶきが眼鏡に飛ん見辛くなる。小高い「砂丘」海抜で約12メートルが原発の手前に盛り上がって見える。この「自然堤防」程度の高さでは、台風の時にやすやすと丘を超えて海水が溢れ、建屋まで来るだろう。 この低い「波止め」の砂丘が、危険防止の防波堤とは、信じられない。何処にでもある海岸の砂岩、砂利、砂粒の小山に過ぎない土手には、背の低い松がちらほら群生している。 ちょっとした風しか防げない。

「フクシマ」後、中部電力は砂丘と建屋のあいだに「防潮堤」を築く、と言っているが、実際には建てるに必要な敷地空間は狭く、強固な厚みの堤は、そもそも築けないそうで、何の効果もない気休めだと、浜ネットのガイドさんが言っていた。 誠に恐るべき、うわべを取り繕うだけのアリバイ「安全」対策。

3.午後の集会へ参加するため、静岡市へ取って返す。酷暑のなか全国から700名余が、常盤(ときわ)公園に集まる。あまりに暑いので、日陰に待機して開始を待ち、午後一時から集会ー写真は、畏友・谷田部君が編集して、メーリング広場に送信してくれましたので、それをご覧くださいー。

「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」、反原発自治体議員・市民連盟、及び全労協の共催する集会は、各活動報告と、廃炉まで闘い抜こうと意気上がる。近隣自治体の「脱原発」首長から頼もしい檄が飛ぶ。”浜岡原発は停まっただけ、まだ活きている” 社民党・福島みずほ党首の挨拶。次に佐藤栄佐久・元福島県知事の挨拶。諸団体の発表に続き「集会決議」を採択し、市内繁華街を歩く、一時間余のデモ行進。 熱中症になりそうに暑い。 身体から塩が噴き出して来る。
 
練り歩きながらのシュプレヒコールに聞き入っていた沿道の女の子(小学生)が「もう原発いらない」とはっきり言う。 みな喜ぶ!何も言わないが、うなづくひとも居る。全体におとなしい感じだが、関心は持っている表情だ。それでも照れくさそうな若者。 無関心を装っているオトナ。 (東京での準備集会で浜ネット曰く、「静岡の人間はおとなしいから、喝を入れに大勢で来て欲しい」。)

4.午後4時、市内周回式のデモを貫徹して、散会。 麦茶がふるまわれ生き返る。!
静岡の皆さん、二日間アリガトウ。 バスで参加した80余名の東京組の皆さん、お疲れさま。企画した「たんぽぽ舎」スタッフの尽力に感謝します。

これからも、二日間の行動・交流を活かし、尚一層知恵と力を結集して、「廃炉」まで共に闘おう!廃炉を追求する裁判は、しっかり受理され、安全面の審議を尽くす見通しとの報告もある。ひるまず、あきらめず、危険をまき散らす原発が廃炉になる迄、共に闘おう!

川崎帰着は、午後九時を廻っていました。お疲れさま。

   ★ 伊藤英雄 ★

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