OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2011年7月21日木曜日
朝日新聞の連載、「平和利用 潜む核武装論」を読んで
中曽根前首相を大きく取り上げ、彼の主張への反論を展開しなかった朝日新聞の報道の姿勢に疑問を感じましたが(「原発推進は既定路線か?-朝日新聞の報道に疑問。韓国の宗教界への問題提起」http://www.oklos-che.com/2011/04/blog-post_26.html)、このところ朝日は中曽根についての連載を始め、彼の過去の言動を批判的に報道しています。
中曽根は「能力はあるが、(核を)つくらない」という考えの下でアメリカにすり寄り、最終的にはレーガン米大統領から核燃料サイクルによってプルトニュームを「2018年まで・・大量保有する資格を得た」とあります。核兵器用にプルトニュームを使わず平和利用のためにという建前を通すためには、高速増殖炉「もんじゅ」を作り、MOX燃料として軽水炉の原子炉に使うしかなかったのでしょう。しかし「もんじゅ」のめどが立たず、増えるばかりの使用済み核燃料、フランスと英国で再処理してもらって日本に戻されてくるプルトニュームは数10トンに及び、これからの日本の原発体制を決断するのに残された時間は多くありません。
朝日の今日の一面は、「膨大な経費がかかることや日本の核武装に対する国際社会の警戒感を招くことを理由に(プルトニュームの大量保有に関して、旧通商産業省や科学技術庁の幹部たちが、「もんじゅ」の事故前に)慎重論を唱えていた」と報じています。このような話が今になって出てくるのは、「政府内には核燃料サイクルからの撤退論」が出てきているという背景と関係があるのでしょう。
しかしながら脱原発は個人的な見解と釈明し、原発の輸出を是と公言する菅には「核燃料サイクル」の撤退を決める力はもはや残っていないでしょう。浜岡原発の一時停止を勝ち取った後、逆に再稼働を求める動きは大きく、ストレステスト(耐性検査)の結果がどう出るか、全く楽観は許されないと思われます。ストレステストの結果に従うということ自体が、客観的であるようでいながら結論を先延ばししただけなのでしょう。この先延ばしが「脱原発」に向かうことなのか、これからの世論次第であるような気がします。
私の周辺は原発に批判的な人が多いのですが、FaceBookや教会のHPには原発の再稼働を求める声があり、多くは無関心であることに驚かされます。一部を紹介しましょう。被災地への支援を強調するこのような「善意なキリスト者」が原発問題についてはむしろ肯定したり、関心を示さないということに心は重くなりますが、ここは説得を続けなきゃ!しかし以下のようなことを自信ありげに話す人にどう話しかければいいのでしょうか?
「ただでさえ日本はバブル崩壊後のグローバル化への対応に失敗し国として衰退してるのに今止めてしまったら企業は海外へ行く、雇用も激減する、生活レベルも落ちる・・・。日本はマジで終わりが早くなりますよ!」
「連日の猛暑で熱中症で、救急車による搬送者が続出している問題を受け。私は原発のありがたさ、原発の必要性を再認識しました。原発はクリーンで、資源が乏しい日本のような国にはなくてはならない発電システムです。電気にも質があります。非常に質の高い電気を原発は生み出している現実を見過ごしてはいけません。原子力発電を神様が大いに祝してくださり、今、止まっている原発が速やかに再稼動することを僕は神に祈ります。神は僕の祈りに耳を傾け、原発の再稼動という形で、この日本の切迫した電力需給事情が改善されることを願います。」
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