2011年6月25日土曜日

広瀬隆の『原子炉時限爆弾ー大地震におびえる日本列島』を読んで


広瀬隆『原子炉時限爆弾ー大地震におびえる日本列島』(2001 ダイヤモンド社)を読んで、彼の心の底から湧きあがる怒りがよくわかりました。10年前に書かれたものですから、今回の3・11の大震災のことを彼が知るはずもありません。しかしまるで、今回の原発事故が彼の預言のようにぴったりと当たっているのを見て、私は驚きを隠すことができませんでした。

私自身、今回の大震災の実際の姿を見ていなかったら、広瀬隆の本を読んでも、なんと一方的で、極端なことを書いているとしか読めなかったでしょう。しかし3・11で日本の歴史はすっかりと変わったと私は見ています。戦争を放棄し、主権在民を謳い新しく出発した戦後日本とは一体なんであったのか、その実態がすべて明らかにされたと私は考えています。原発は、形骸化された平和・民主主義、経済優先の自然破壊、差別・格差の拡大の象徴です。

広瀬隆は決してアジっているわけであはりません。かくも問題が多い原発をどうして政府は強引に開発・運営してきたのか、その答えを彼は口にしません。数行、原爆を持ちたがっている政治家がいることを匂わしますが、そのことですべてが説明できるわけではないでしょう。科学的に、冷静に、地球物理学のイロハから語るのですが、その中には怒りを通り越して、半ば諦念、どうしてこんなことをやるのかという彼の思いを私は読み取りました。勿論、運動として特に若い人に目覚めてほしい、この本をよく読んでわかってほしいという強い願望は感じます。

序章で、日本が商業用の原子力発電を始めることを決定した翌年の1960年4月に、科学技術庁の委託を受けて、日本原子力産業会議が科学原子力局に提出した極秘文書の内容を明らかにします。勿論、極秘ですから、沖縄の秘密外交文書と同じで、政府はその存在を否定しています。表題は「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」です。解析の対象になったのは出力16.5万キロワットの東海原発で、「わずか2%の放射能が放出された場合を想定して、日本全土が壊滅するという結論」であったそうです。原発事故は起こりうる、大事故がおこれば日本は壊滅する、その可能性が最も高いのが地震である、本当に原発震災はおこるのだろうか、間違いなく起こる、これが広瀬隆の結論です。

広瀬は、浜岡原発と柏崎原発の問題点を詳しく例を挙げて説明し、これまで無事であったことが不思議なくらいで、どうしてそんなに危険であったのかを実際の地震の被害と今後起こりうる大地震の予想を地球の構造、大陸の移動説、そして地球の歴史の中では飛びぬけて若い日本列島の成り立ちから説き起こすのです。

それはある意味、広瀬独自の理論でもなんでもなく、むしろ中高生生の科学の常識の範疇のもので、すでに地球物理学の学界では常識になっているものばかりだと言って過言ではないでしょう。しかしその常識と、原発の実際の構造、立地条件、既にこれまで起こった原発事故を総合的に合わせ説明されると、とても説得力があるのです。どうしてこれまで電力会社や政府がマスコミを通して安全だと言ってきたのがまるが嘘のように思えます。どうして学者や評論家がこぞって安全だと言えたのか、それが明らかにおかしく思えるほど、とんでもない立地の上で、とんでもない思い込みで、とんでもない方法で実行されたとしか言いようがありません。

政財界、教育界、マスコミ、司法がグルになり、一般市民・国民をだましてきた、私たちは時間をかけてだまされてきた、このように思うほかありません。そして最後に広瀬が取り上げるのが、「現在も全国び原子炉で発生中の使用済み核燃に含まれる膨大な量の高レベル廃棄物をどうするのか」という人類が解決できない問題なのです。廃棄物を入れる容器そのものの問題、地下深く埋めることの問題、広瀬が言う、たかがお湯を沸かして電気をつくるために何故、これほど危険で処理できない複雑なことをしなければならないのか、それに二酸化炭素だ温暖化だ、資源問題だ、などと原発を正当化する論理をもちだすのですが、今はそれらはすべて胡散臭く思えてきました。

しかしそれでも現実の政治は、国策として原発を推進しようとしています。先進国のみならず、後発国もまた資金から人材、教育すべてを先進国に依存して原発を受け入れようとしています。もっとも許し難いのは、被爆国で今回のメルトダウンした原発事故の当事者である日本が、それでも脱原発を宣言できず、福島の解決のめどが見えない今の時点でも安全宣言を政府がしていることです。このままいくと間違いなく、高レベル廃棄物を受け入れる地方がなくなれば日本は、貧しい外国に、札束でほほを叩くように(これまで貧しい地方にやってきた方法で)、押し付けるに違いありません。そうすると日本は戦前と同じく、継続して他国への加害者になり続けるのです。

先進国でもドイツとイタリアだけが「脱原発」宣言をしたのですが、キャッチアップを国策とする韓国は猛然と原発の開発・建設、輸出に取り組む宣言をしています。広瀬は外国のことにはあまり触れませんが、それでも輸出先がいかに危険なのかということはしっかりと書いています。韓国は大陸プレートに乗っているので安全だと言う御用学者が出てくるかもしれませんが、この地球上で、地球の内部構造を知れば知るほど、地震の起こる可能性のないところはどこもないということがわかってきます。

人間とはなんと馬鹿な生物なのかとつくづく思い知らされます。福島の事故を知ってもまだ「安全な原発」と宣伝し、海外に輸出しようというのですから、一体、何のために、誰のためにそんな馬鹿なことをするのか、私の理解を越えます。しかしこれもまた現実です。国民国家が国民のしあわせのためにある、主権在民という建前は完全に機能せず、化けの皮がはがれたと思います。原発ほどもうかるビジネスはそれほどありません。だからビル・ゲイツが東芝に個人資産数千億円を投資するのです。

しかし私は子供のために立ち上がり、20ミリシーベルトを撤回させた福島のお母さんたちの行動に期待をします。自分の足元から始めるしか手はありません。地域もまたいろんな意味で毒されていますが、そこから始めるしかないと強く思います。

今日の午後から、「脱原発 川崎市民」の学習会があります。自然発生的にできてきたものですが、私はここに、新しい川崎の芽を見るのです。この怒り、実感を未来への展望に結び付ける冷静な視点を持ち、多くの人の共感を得るような動きになっていくことを願ってやみません。

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