2011年6月25日土曜日

「浜岡原発は解決したのかー終焉に向かう原子力」、内藤新吾さんのお話し

本日、「脱原発 かわさき市民」の学習会として、内藤新吾さんをお呼びして、溝の口教会のご厚意で礼拝堂を使わせていただき、70名弱の参加者が集いました。2時半から始まった講演は90分で、質疑応答を終えたのは5時になっていました。

なおこの講演は、ネット配信をしたのですが、録画としてご覧いただくことが可能です。どうぞ多くの方にご紹介ください。地域においては何よりも学習会が大切です。北本さんが思い機具を持ち込み中継の作業をしてくださいました。感謝です。どうぞ各現場で学習用としてご利用ください。

前半(講演)
http://www.ustream.tv/recorded/15603301

後半(質疑応答)
http://www.ustream.tv/recorded/15605077

内藤さんは、20年前、名古屋で知り合ったの野宿労働者が被曝労働者であることがわかり、その人の経験談を聞くも他の人には言わないでほしいということから、被曝労働者の苦しみや悲しみを一緒に背負っていこうと思ったということからお話を始められました。

その後静岡に移られて、浜岡原発に関わるようになるのですが、地域の人が原発の反対運動に関わったり、そのような話をすることで「村八分」に遭い、仕事に差し支えるような環境だったそうです。内藤さんは原発絶対反対論者ではなく、あくまでも、住民の不安を取り除くための当たり前の議論をしようとしただけで、敵・味方の二項対立的な「闘争」を自分は好まない、どんな人でも不安なく生きていけるようにしたいということを強調されていました。

しかし原発のあるところは、ある意味、完全に電力会社のお金の力が支配しており、会社に関わる人が民宿や食堂を使いお金をおとしている現実があるので、住民は原発がなくなることに不安を感じ、また被曝労働者によって原発が成り立っているという現実を知らず(知らされず)、町の仕組みとして予算の大半を原発関係が占めることから、住民は積極的な反原発の立場に立つのが難しいということでした。

内藤さんの立場は明確で、被曝労働者の犠牲の上に成り立ち、使用済核燃料の処理ができないということからしても、原発はやめるべきだということを強く話されていました。また、原発は貧しい地方、貧しい労働者を必要としており、差別構造を作り出すことで成り立っている、原発は差別社会の反映であるという指摘もされていました。

プロジェクターを使ったお話は、豊富な資料を使い、ご自身のご経験を交えたもので、90分はあっという間に過ぎました。専門家ではないと謙遜されるのですが(職業としてはルーテル教会の牧師ですが)、大変な勉強家で、いろんな面での政策にも通じ、代替エネルギーや地震の起こるメカや、実際の原発がその上に建てられた岩石(それは世界的にはとても岩石とよべる代物ではないとのことですが)がどのようなものか、核燃料の熱を冷ますのになくてはならない海水を取り入れるところが、電力会社が説明することではいざ津波が起こった場合、全く役にたたないということを自ら現場で知り、電力会社の嘘を暴き出すことさえされていました。

私は内藤さんのお話を伺い、是非、韓国で講演していただきたいと強く思いました。韓国は大陸プレート上にあり日本のようにプレートが複雑に絡み合っていないので地震がないと思われるきらいがあるようですが、この地球上で地震の起こる可能性のないところはないのです。ましてや日本海(=東海)は大陸側からみると内海のようなもので、新潟や若狭で地震が起こった場合、津波の影響を受けざるをえないのです。ましてや九州は玄界灘をはさみ、目と鼻の先です。それは堤防を高くするとか、訓練をすれば大事故は防げるというものではありません。独裁に対して民主化闘争を担った教会がこのまま原発について沈黙を守るとは思えません。そういう意味では日本のキリスト者との交流、連帯というのは必ず実現されなければならないものでしょう。

そのとき、20年にわたり原発の何が問題かを知り尽くした彼の経験が韓国の人の心を打つでしょう。はやくそのようなときがくることを願ってやみません。

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