2011年6月24日金曜日

投稿:空の空なるかなー、池谷彰

はじめに

「伝道者曰く 空の空 空の空なる哉 すべて空なり 日の下に人の労して為すところの諸々のはたらきは その身に何の益かあらん。」 
 
これは旧約聖書の「コヘレトの言葉」からの引用です。私は今回の津波で家が流され、人々が流されて行くのを見たときこの言葉が真っ先に浮かびました。経済優先・実利讃迎の日本は及ばず多くのいわゆる先進国の社会風潮が一瞬のうちに打ち砕かれたと思いました。したがってこの期にあたって、物事の根本に立ち帰って(これが英語のradical の本来の意味です)考えてみるつもりです。

私はすでに「剣をかえて鋤となす」と題する小文で、今回の災害に関して「言葉を失った」と書きましたが、考えてみると私たちはこの時に当たって、言葉を失ってはいけないと思います。今だからこそ明瞭で真実のこもった言葉で私たちの歩んできた過去を振り返り、現状を見据え、将来の見通しを立てるべきでしょう。というわけで私は私なりの言葉で考えて見ました。以下少し長いですが、お読みいただければ幸甚です。ただし、読んでいただく方の立場に立って、適宜にコーヒーブレイクの項を随時設けて、余計なおしゃべりをする機会を設けました。 肩の力を抜いてお楽しみください。
 
 ジョン・ダウアーと言う日本研究史家、かれは「敗北を抱きしめて」という名著の著者ですが、次のように言っています。「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故は災害で何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかしもたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。」

彼の言うことは正しいと思います。私はここで3.11の悲劇は単に「日本という国や社会の歴史」の問題ではなく世界全体の歴史規模の視野をもってみるべきだと思います。この災害を日本のみならず、世界全体が我々の未来にどう向き合うべきかを考える、見返り地点と考えたいのです。つまり、世界とそこに住む人間のあり方、さらに言うと、人間の幸福とは何かという哲学的・倫理的・形而上学的問題にも関係している問題であると思っています。

1. 日本人の思考パターン
私が経験した卑近な問題からはじめましょう。私が東京学芸大学に勤めていたときのことです。大学が発行しているキャンパス通信に「国旗掲揚について考える」という題で投稿しました。しかし内容が「過激」であると言う理由で没にされました。しかし、心ある有志の強力な支援により、日の目を見ることが出来ました。これは編集委員の過大ともいえる文科省への気配りが働いた結果であると思います。私は文科省の言うなりにならず、日の丸掲揚・君が代斉唱を法律化するのはなぜ反対であるかということをA4の用紙4枚に相当する論文にまとめたのでした。この事件を通して分かったことは、大学という学問の自由を守るべき府においてさえも、少数意見・耳障りな意見はなるべく排除すると言う体質でした。

まさに同じことが今年の5月30日の最高裁第一小法廷の判決でみられました。ご承知のように君が代起立命令は「合憲」であると言う最高裁の判断です。これを読んだ時に「あーまたか」という全く絶望的な気持ちに襲われました。しかし、一縷の希望を与えたのは宮川光治裁判官の次のような反対意見です。「憲法は少数者の思想・良心を多数者のそれと等しく尊重し、その思想・良心の核心に反する行為を強制することを許容していない」しかし、最高裁の判断が下された以上、この付帯的少数意見にもかかわらず、君が代起立命令は「合憲」であると言う最高裁の判断は今後まかり通ってしまうのでしょう。
  
今回生じた原発事故を省みるにこの少数意見を全く許容しない日本人の思考パターンが大いに関係していると思えてなりません。それを明らかにするために原子力発電の由来にさかのぼって考えてみることにします。

==== コーヒーブレイク ====
 重い問題から始めて、書いている方も疲れましたが、お読みになっておられる方も固い話題なのでお疲れになったかと思います。この辺でコーヒーブレイクといたします。
 私は紅茶よりもコーヒーが好きです。特にエスプレッソが。コーヒーと言えばあのバッハ大先生がコーヒーカンタータという世俗カンタータ作曲しています。コーヒーに夢中になった娘ルースヒェンに対して頭の固いおやじシュレンドリアンがお説教を垂れるのですが、娘はこういって反抗します。
ああ!千回の接吻よりも素晴らしく、
マスカットのワインよりもかぐわしい。
ああ、ああ、コーヒーに賛美を、
ああ、ああ、無上の幸福。
ああ、コーヒー、ああ、かぐわしいコーヒー。
コーヒーを飲めば、元気付けられるわ。
機会がおありでしたら、いちどお聞きになったら如何がと思います。

2.原子力発電建設の経緯
戦後、CIAは正力松太郎と協力して日本での原子力の平和利用キャンペーンを推進しました。これは1953年の国連総会で行ったアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」演説が大きなきっかけでした。ソ連との冷戦で優位に立つため、関連技術を他国に供与して自らの陣営に取り込む必要があったからです。1954年に時の首相中曽根康弘が日本初の原子力予算を要求し、その予算が衆院を通過したのはビキニ環礁でのアメリカが行った核実験で「第五福竜丸事件」が明るみに出る、2週間前の3月4日でした。中曽根康弘は原発関連法案を矢継ぎ早に提案し、原子力事業を推進しました。次に田中角栄は1969年に東電柏崎刈羽原原発の建設誘致に動きます。74年に田中角栄は原発立地支援のための交付金などを決めた電源3法を成立させ、そこから土建業界・電力業界・官僚・学会ががっちりスクラムを組み始めます。いわゆる原子村といわれる日本特有の集団です。この同族集団は少数意見を許容しない日本特有のむら集団です。 

京都大学名誉教授の入倉幸次郎氏の次のような証言があります。地震学者の彼は90年代の初め頃、青森県六ヶ所村の核燃料サイクル施設の安全審査に呼ばれて「隠れた活断層も考慮すべきだ」と主張しましたが受け入れられず、以後審査にはお呼びがかからなかったそうです。同様のことが東大原子力学科のある教授の話が朝日新聞に載っていました。彼は原子力の危険性についてはっきりと意見を述べたために定年まで助手にとどめ置かれ、学生も寄り付かず、定年になって始めて関西のある大学に教授として招聘されたそうです。ひょっとして朝日新聞でこの記事をお読みになった方もおられるかとおもいますが。

同じことを明治大学特任教授ローレンス・レペタ氏は次のように言っています。長きを厭わず引用します。
「外国人の日本研究者は「鉄の三角形」と言う言葉で日本の統治体制を表現してきた。大企業と官庁、自民党有力政治家の緊密すぎる関係を指している。 日本の原子力産業を表現するのにふさわしい言葉だ。電力会社と官僚は「安全だ」と国民に言い含めて原発を増やすことを共通の目標に掲げ、緊密に協力してきた。日本の原子力政策の決定過程を「集団思考」の例として考えると、津波の危険についての警告が何度も無視されたのは驚きではない。集団思考の論理では、総意に反する意見は押さえつけられるからだ。」毎日新聞
5月28日)

私は外国人が言ったことを有難がる一部の日本人であると見られたら心外です。同様の発言を池澤夏樹氏も次のように述べています。
「(東電は)うまくいかないのではないかと指摘する研究者・技術者は全部外に追い出してしまって、中枢部をイエスマンだけで固めた。イエスマンは無能だ。無能だからイエスといえるのだ。〔中略〕 無能な技術者が自分たちの都合のいい計画を立てて、官僚がそれを認める。政治家はそれを利用して、選挙区、原発立地地域に巨額のお金を誘導する。しかも、電力会社は独占企業だから勝手に高い値段をつけて、電気を国民に売ることができる。」

(朝日ジャーナル6月5日号)
ドイツに在住しているフリー翻訳者梶川ゆうと言う方も「ドイツからみる福島原発事故」という中で次のように言っています。 
  
「外国人やフリーの記者を記者会見から締め出す様子を見ても、今の日本は孤立して戦時体制に突入していったかの姿と重なって見える。」
「日本には過去の汚点、罪などを「水に流す」、都合の悪いことは忘れ、歴史の教科書からも消してしまう「伝統」があるが、今度は放射能汚染水まで本当に「海にながして」しまった。」
「ジャーナリズムとは恥しくて呼べない日本の報道を目のあたりにして、独裁国家から敗戦後同じように経済成長を果たしたドイツが、なぜこれだけ日本と異なる民主主義を実現できたか、考えずにはいられない。ここに西洋ロゴスの伝統を継ぐドイツ人の合理的論理展開、批判の精神が反映されているのは確かだ。日本との大きな違いは、言葉による意思表示と意見交換を人間としての基本的な行為だとする認識が備わっていることだろう。日本では「話さなくても分かりあえる」のが人間関係の理想のようだが、西洋では基本的に他者を疑ってかかるのが普通だ。」
「意見の違いや批判が、相手の人格を否定することにはならず、多種多様な人間のあり方を尊重することが社会の基本だと言う意識が浸透している。 これは先ず教育の問題である。大人の日本人がまともに「話ができない」理由をドイツ人に説明するのはほぼ不可能だが、今度こそ、健全な「不信感」こそ日本人に欠けている要素だと思うに至った。日本人は小さいときから身分・年齢をわきまえ、めだたず右にならうように躾けられ、「誰か上の人がうまくやってくれる」ことを想定して生活している。大勢に従っていれば自分で意見を表現する必要はないし、責任を担うこともない。しかし、それこそ民主主義を阻む構造だ。(「市民の意見」NO.162号、2011・6・1)

以上、ローレンス・レペタ氏、池澤夏樹氏、梶川ゆう氏の三人の方が異口同音に主張していることは「赤信号、皆で渡ればこわくない」式の全体思考の型が我々日本人に染み付いて離れないということだろうと思います。この3氏の見方からすれば、口をパクパクして歌っているかを監視するための見張りを立て、君が代を斉唱し、国旗に向かって敬礼することを拒んだ教員を処分することを決めたヒットラーにも似た石原慎太郎の配下にある東京都の教育委員、橋下徹の配下にある「大阪維新の会」などは狂気の沙汰しか思えないでしょう。先に私は例のキャンパス通信のなかで国旗を焼き捨てると言う事件があり、「それに対して、アメリカの最高裁は国旗対する冒涜行為は不快感を与えはするが、合衆国憲法修正一条が保障する表現の自由の一形態と見なすべきだという判決を五対四の多数意見として下した。この多数意見の支持者の一人である、ウィリアム・プレナン判事は「自由があるからこそ、人々の星条旗に敬意に価するものだと考えている。この象徴への冒涜行為を罰すれば、自由の意味は希薄になる。と述べている」と書きました。

もう一つ忘れてはならないのは山本太郎と言う俳優が原発反対の意見を表明したために、今夏の役を降ろされ、プロダクションにも迷惑がかかると言う配慮からそこからの離脱をきめたようです。このように、芸能の世界でも、異なった小数意見を述べるとその世界に居ずらくなるという現象があります。

同様のことが官庁でも生じています。民主党の公務委員制度を批判したために閑職に一年もとどめ置かれている経済産業省の古賀茂明氏が原発は人災と断じて「日本中枢の崩壊」と言う本を出版したと新聞が報じていますが、ここでも少数意見は封殺されています。


&&&& コーヒーブレイク &&&&
 コーヒーのことを書いたついでに神田神保町にある古めかしい喫茶店をご紹介しましょう。 三省堂の裏にある狭い小路を入った所に「ラドリオ」(瓦というスペイン語だとか聞きましたが)と言う古めかしい喫茶店があります。私が学生時代から愛用している店です。買った本をコーヒーを飲みながらぱらぱらとめくる一時はまさに至福の時です。神保町といえば私は岩波ホールによく行きます。この前も「木洩れ日の家で」というポーランド映画をみました。人生の最後をどう締めくくるのかを教えられました。岩波ホールといえば、私の住む小田急新百合ヶ丘の駅から歩いて5分くらいのところにアルテリオという川崎市立の映画館がありますが、ここは岩波ホール級の映画を上映しますので、愛用しています。 今度、ここで「ヤコブへの手紙」(フィンランド映画)を上映します。一遍見たのですが、また見ようと思っています。                                       

3.原発の危険性
私は原子力については全くの素人ですので、この問題については私見をのべることを差し控えます。したがって、『麻生9条の会』に載せられた小西邦弘と言う薬学専門の方の報告と、ビッグイッシュー169号の載せられた、小出裕章氏にしたがってこの問題を追ってみます。

小西邦弘氏によると、先ず第一に今回の事故は人災であること。その理由は2007年の新潟中越地震の際の柏崎刈羽原子力発電所の事故をうけて、耐震基準の見直しが行われたにもかかわらず、原子力安全・保安院は2009年に「福島第一原子力発電所は大丈夫だ」と言うお墨付きを与えてしまったこと。第二に、福島第一原子力発電所は地震地帯の海岸線に建設されているのに、巨大津波を想定してこなかったこと。第三に、国会における「全電源喪失時の対応の想定はどうなっているのか」と言う質問にたいしても「日本の原発は安全です」と言う回答のみであったこと。電気事業連合会は、原発の安全神話を作り上げるため、学校の教育現場での「エネルギー・環境教育」と言う名の原発礼賛教育を実施してきたこと。第四に、東電、国の隠蔽体質。第五に、事故が多発している。89年には福島ではポンプがばらばらになる大事故が発生したこと。第六に、放射能を無害化する技術はないこと。日本だけでも、すでに広島原発120万発の核分裂生成物を生み出してしまった。廃炉後の膨大な放射能汚染物質の安全管理のめどが立っていないこと。第七に、原発による電気代は割高であること:原子力が10.68円、火力9・9円、水力7・28円。 第八に、原発はいわば「トイレのないマンション」である。原子力発電の際に高濃度の放射性物質が生ずる。1966年から69年まではこれをドラム缶に入れて海に捨てていた。現在青森の六ヶ所村に300万本のドラム缶を300年間保存するという。
 以上が小西邦弘氏の「福島第一原子力発電所の事故に思う』の紹介です。

%%%%%   コーヒーブレイク   %%%%
 私は1983年にソウルで開かれた言語学会議以来、韓国の学者と付き合ってきました。以来、韓国と日本で学会を交互に開いてきましたが、この2国間の会議が香港・台湾・シンガポール・フィリピン・中国・ベトナムと広がり、いまではPacific Asia Conference on Language, information and Computation という大きな国際的学会になりました。昨年11月には仙台の東北大学で24回目の会議が開かれ、私も癌の後遺症でのしびれを耐えて杖をつきながら参加し,旧友と再会し、大歓迎を受け、無事を喜び合いました。私が70歳のとき、つまり2005年から一年間韓国語を学ぶべく、ソウル或る大学に語学留学しました。一年お世話になったホームステイ先の李さんのご家族とはそれ以来、親類付き合いをしており、李家のお嬢さんが結婚される時には招待されました。今日つまり、2011年6月17日に発ってソウルに行き李さんのお宅に泊まります。というのは旧友チャン先生の息子さんの結婚式によばれたからです。今まで、韓国での結婚式には2回参加しましたが、旧友・チャン先生の息子さんの結婚式がどんなものか、いまから楽しみにしています。多分これが最後の韓国行きになるだろうかと思いますが、旧友が日曜日の午後に6人集まってくれてランチを共にする予定です。

もう一つ小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)が「事故が起これば、国が破産する。今、考える! 人間にとっての原子力とは」と言う題でThe Big Issue 6 月15日号に書いておられますが、その要点を拾って、紹介いたします。 (なお、このThe Big Issue と言う雑誌はホームレスを助けるために世界規模で発売されている小雑誌で300円のうち200円が販売者の手元に残る雑誌です。 盛り場で売っていますので、見かけたら買ってあげてください。ホームレスの人たちの自立の助けになりますので。内容の濃い雑誌で、私は愛読者です。)

「東電はこの間までは原子炉の中にまだ水があり、原子炉全体が溶け落ちる状態にはなかったと言っていたのに、5月13日を境にデータが間違っていました。実は原子炉の中には水がありませんでしたと言い出しました。水がないと溶けて2800度にならないと溶けない二酸化ウランが溶け始め、鉄の原子炉圧力容器内に落ちてしまったのです。溶けたウランの塊は地中に落ち、地下水に流れ込みます。。。。
3月11日以降、1号機、3号機と次々に水素爆発をして大量の放射性物質が空中に飛び出し、それが遠くまで風に乗って遠くまで汚染を広げることになってしまいました。。。。。

今の日本の法律では、一年に一ミリシートベルト以上の被爆はいけないのに決っています。それを厳密に適用すると、殆ど福島県に匹敵する面積から人々を避難させなければなりません。しかし、政府は緊急時として、被爆線量を決めて、一年間に20シートベルトまでの被爆をうけるところだけを避難区域にしましたが、それでも、避難区域は琵琶湖の2倍くらいの広さになります。。。。。
とにかく、子供達や若い人には避難してもらいたい。20シートベルトという価は普通時であれば、放射線業務従業者にだけ許される、被爆限度なのです。。。。。原爆の場合はキノコ雲が上がり放射性物質は殆ど成層圏に吹き上げられ地球全体に降りました。原発事故の場合は地面を汚染するのですから、原爆よりはるかに濃密な汚染を残します。。。。

原発で核分裂させるウランやプルトニウムの量は原爆の比ではない。100万キロワットの標準的な原発を一年運転させるためには、1トンのウランを燃やします。原発とは、毎日原爆3発ぐらいを爆発させ、その一部のエネルギーを電気に変える装置なのです。ウランを燃やして核分裂させると、核分裂生成物という毒物がでてしまい、途方もない被害が出るのは誰が考えても明らかでした。しかし、日本の政府はそんな原発を何が何でもつくりたかった。。。。。。。

原発でウランを燃やすと、その過程で核分裂生成物という核のごみと同時に、プルトニウムという物質が自動的にできる。原子炉は実は米国の原爆製造計画(マンハッタン計画)のなかで作られた道具で、もともとプルトニウムを作る技術・装置なんです。原発は核分裂反応で生じるエネルギーで蒸気を発生させタービンを回す蒸気機関なので、エネルギー効率は33%しかない。100万キロワットのみが電気になり、200万キロワット分が海に捨てられ、1秒間に70トンの海水の温度を上げます。。。。。

日本は使用済み核燃料を英国とフランスの再処理工場に送ってプルトニウムを取り出してもらっていますが、それがすでに45トンになっているそうです。長崎型の原爆だと4千発作れてしまうほどの量です。日本の建前は高速増殖炉「もんじゅ」の燃料としてそれを再使用するというものです。しかし、「もんじゅ」は相次ぐトラブルで停止状態です。日本はとうとう、使い道のないプルトニウムは持たないと国際公約させられました。そこで、苦肉の策として、ウランを燃やすために設計された既存の原発でプルトニウムを燃やすことにしたのが、プルサーマル計画なのです。それは非常に危険で、灯油の石油ストーブで、ガソリンを燃やすようなものです。

原子力からは簡単に足を洗えます。日本の発電所の設備能力をみると、原子力は18%しかないんです。原子力分を全部火力で賄ったとしても、火力の設備の7割の利用ですむはずです。過去の最大電力需要をみても火力と水力合計以上になったことはありません。だから原発なんか即刻やめても停電はしない。しかも電気事業法に守られた日本の電力会社は、原発の費用を電気代に含めた世界一高い電気料を国民に押しつけていて、たとえば世界一の技術を誇っていた日本のアルミ精錬産業は高額の電気料金のせいで壊滅しました。
ものすごい誤解をさせられたまま、日本人は原子力は必要だとおもっているのです。」



 $$$$ コーヒーブレイク $$$$
 これを読んでくださっている方は先日NHKで放映された佐渡裕氏のベルリンフィルのリハーサルをご覧になりましたか? 私は一つの曲としての音楽が作られる過程を見るのが大好きですので、一時間半の放映を飽きることなく見ていました。汗びっしょりになりながら細かい指示をドイツ語で与えている姿は感嘆に価するものでした。コンサートマスターのバイオリニストがなんと、樫本大進という日本人でしたので、嬉しく、同時に誇らしい気持ちになりました。世界的に有名なバッハコレギウム ジャパンのコンサートマスターがあるところに書いていたのですが、コンサートマスターは指揮者さえ見ていれば良いので楽ですといっていました。他の団員はコンサートマスターと指揮者を見なければならないから大変だそうです。へーそうなのかと思った次第です。


以上、小出氏の論説の要点を長きをいとわず、紹介いたしました。なお、この方は伊方原原発訴訟住民側証人であり、11年5月23日国会で参考人として証言されたとありますが、氏の主張が取り入れられたことは不覚ながらきいておりません。形式的に呼んだだけで、無視されたのでしょう。
さらに或る文献によると、使用済み核燃料は使用前よりもはるかに危険なものになっており、冷却し続けないと再び「暴走」する恐れがあるそうです。放熱レベルが下がっても放射線を出し続けるから、何万年も人間界から隔離しておかねばなりません。さらに、放射性物質に汚染された瓦礫の処理の問題が深刻になっています。焼いても放射性物質は消えないのです。

さらに付け加えると、放射能が怖いのは人間のDNAを傷つけるからだと柳沢桂子氏は言っています。そして事故が絶対おこらない施設を作ることは納得できないと、続けておられます。
ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック氏を引用しましょう。「日本では、多くの政治家や経済人が、あれは想定をこえた規模の天災が原因だ、といっています。間違った考え方です。地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ、企業であれ、人間の決めたことです。自然が決めたわけではありません。」
「昨年の秋、私は広島の平和記念資料館を訪れ感銘を受けました。原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心の声となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が、原子力に投資し原発を建設してきたのか。疑問に思いました。」(朝日新聞 5月13日朝刊)

このように国の政策を遂行するために都合のいいご用学者のみの意見を採用し、疑義をさしはさむ学者の少数意見を封殺してきた例は沢山あります。
水俣病は、熊本大学の研究班が1956年に有機水銀と水俣病の因果関係を指摘したにもかかわらず、国はその因果関係を全く無視して、多数の人々が未だに苦しんでいます。65年には新潟の昭和電工の廃水による「第二水俣病」が発見され、1968年にやっと国はその原因を有機水銀と認めましたが、その4ヶ月前までに、国内の同型工場は全て生産を終えていました。

アスベスト問題に関しても、環境庁が設けた健康被害検討会の座長が、日本石綿教会の顧問を13年間務めた人であることが発覚しました。 
長良川河口堰や諫早干拓事業などの大型プロジェクトにはこれまた「環境に与える被害は微少」という国の都合のいいご用学者の意見のみを採用し環境破壊が深刻化したのです。

@@@@ コーヒーブレイク @@@@
 私は60歳の歳(ところで、私は今年の2月で77歳になりましたが)になって渓流釣りに凝り始め、現在は釣りキチの領域に達しています。
一人で渓流に入り、鳥の鳴き声を聞きながら釣り糸を垂れる瞬間はこれまた、コーヒーを飲みながら本をめくるとは違った、至福のときです。
自宅からバスで20分の近いところにある「フィシュ オン 王禅寺」という釣り場にもフライフィッシングをやるために行きますが、そこはなんと東電が経営しているのです。先日行きましたら、節電のため放流が、一週間に一度であるとか、さっぱり釣れませんでした。(こんなところまで、原発の余波が押し寄せているのです。)
しかし、二人の名人の友人が釣った鱒を全部自宅の庭で燻製にして、友人達にわけました。私の燻製作りは名人の域(!!??)に達しています。

4..原発の背後にある「政治」
東電は1962年以来切れ目なく経産省(元通産省)から天下りを受け入れ、6人の副社長のポストの一つは経産省の指定席化していたそうです。自民党も東電から献金を受けて、立地自治体に補助金を出しやすい制度を整えてきたと河野太郎氏は告発しています。(「世界」6月号) さらに新聞報道によると、東電幹部が07年から09年真で2000万円自民党に寄付しています。(4月20日毎日新聞)。そして電力業界団体は大手町の経団連会館に収まっています。(日本工業新聞社編集「隠された原発データ」)。

斑目春樹という原子力学者はついこの間まで保安院の新潟中越沖地震の事故調査委員会で委員長を務めていました。ところが、今は保安院を監視する立場ある原子力安全委員会の委員長をやっています。組織として監督者の立場にある側と監督される側がはっきり分離していない馴れ合いの原子力村が存在しているのです。田中秀征氏は「今回の原発事故は東電・関係官僚・原子力学者などを中心に構成される”原子力村”の組織犯罪の色合いが強い」といみじくも看破しています(「世界」7月号)。このように、私が東京学芸大学の「キャンパス通信」を通して経験した少数意見を排除する論理、ヒットラーにも似た石原慎太郎を頂点とする東京都教育委員会の「君が代斉唱」強制の論理、原子力村での異なった小数意見排除の論理、これら全ては我々日本人の血に脈々と流れているものなのです。
 
ニーチェは以下のように言っています。
 「キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、繁殖する。 同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。 批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。 だから批判は、どんどん聞いたほうがいい。」

 もう一つの要因は日本社会にある無責任体制です。IAEA の報告を読みますと東電を初めとして事故対応の当事者間で、責任の所在などの共通認識が欠けているという分析がでています(6月1日朝日新聞)。全く恥しい限りです。しかし、これは今に始まったことではありません。敗戦前の帝国軍隊のように、精神主義一徹の『挙国一致体制』が原発政策に関してとられました。政・官・民・学が一致して「原子力の時代」に突っ走り批判的意見には全く耳を貸さなかったのです。そして、マスメディアは無批判に報道を行い、芸能人やいわゆる文化人がそれに乗せられ、一翼を担ったのです。

週刊金曜日の4月26日号にはこれらの人々の実名が載っています。茂木健一郎、養老孟司、勝間和代、荻野アンナ、北野武、大前研一等の名前をみると、「ブルータス、お前もか」といいたくなります。ついでに付け加えますと、最初に原発導入に旗を振った中曽根康弘はさしずめA級戦犯というべきでしょう。引退しても偉そうなツラをして、ご託宣を時々のたまっていますが、今何を考えているのか知りたいし、国民に土下座して謝罪すべきです。そしてその配下にあって与党のうまみを50年にわたって味わってきた自民党は今、何を考えているのでしょうか? 谷垣自民党総裁や石原慎太郎の息子石原某等は聞くに堪えない口汚い言葉で菅首相を罵る資格はあるのでしょうか? 負の遺産を日本だけでなく、世界に残した自民党が民主党を攻撃する資格があるのでしょうか? 自民党の河野太郎氏は「自民党がやるべきことは謝罪だ。利権で原子力行政をゆがめたのだから」とはっきり言っています。自民党で今回はっきりものを言っているのは河野太郎氏だけです。石破はこの頃黙っていると思ったら、息子が東電に入社したからだそうです。
  
そして戦前と同じようなエリート官僚達の根拠のない自己過信と失敗した時の甚だしい無責任さが3.11の悲劇を招いたと言わざるを得ません。


%%%% コーヒーブレイク %%%%
  先日、奥能登半島に新幹線とバスで行ってきました。バスで700キロ走りました。途中で輪島塗り工房を見学しました。Japanという英語 が「漆」の意味であることが良くわかりました。そして今更ながら、日本人の繊細さが身にしみてよく分りました。世界農業遺産に登録されたその当日に「白米(しろよね)千枚田」をみたことは幸運でした。世界文化遺産に登録されている五箇山合掌集落も訪れました。日本の自然はなんと美しいのだろうかと改めて分かった次第です。そこと同じく美しいはずの福島もひょっとすると汚染で住めなくなる恐れがあるとある学者は警告していますが、なんとも悲しいことです。

5.  脱原発
 先日、友人から東大の地震研究所がだしている「世界の震源分布」という世界地図を貰いました。日本列島は真っ赤に塗られています。これをみるとぞっとします。石橋克彦神戸大学名誉教授も、国の地震調査委員会・阿部勝征東大名誉教授も口をそろえて日本列島全体が不安定な状態にあると指摘しています。しかも日本全体に54基の原発があるのです。
 
浜岡原発について静岡地裁から東海地震に耐えられると言う判決が出されましたが、原告側証人の石橋克彦氏(神戸大学・地震学)は次のように言っておられます。「必ず起こる巨大地震の断層面の真上で原発を運転していること自体、根本的に異常で危険なのに、原発推進の国策に配慮した判決で全く不当だ。柏崎刈羽根原発の被害以来、地震国日本のあり方に注目している世界に対し、恥しい。10年前の警告した『浜岡原発震災』をふせぐためには、4基とも止めるしかない。 判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っている恐れがつよい」(毎日新聞2007年10月26日 「危険でも動かす原発」よりの引用)
  
まさに「判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っている恐れがつよい」という石橋教授の言われたとおりのことが起きてしまいました。なんたることでしょうか。このような真摯な証言に耳を傾けなかった判事達・裁判官は厳しく弾劾さるべきでしょう。
ちなみに世界規模で見てみましょうか。 原発保有国を多い順から並べてみましょう。
アメリカ104、フランス57、日本54、ロシア32、韓国21、インド20、イギリス 19、カナダ18、ドイツ17、 ウクライナ15、中国13、スウェーデン10、スペイン8、ベルギー7、台湾6です。
 
では原子力発電にかわるものはあるのでしょうか? 原発関係者のおごりは二酸化炭素をださないで電気を供給できるものが他にないという点です。しかし、おどろくべきことに、二酸化炭素と温暖化の因果関係は未だはっきりしていないのです。

原子力に頼らない方法としては太陽光発電、バイオマス、地熱発電、天然ガスなどの分散型発電システムがありえます。そのうち太陽光発電について言うと、日本はソーラー発電先進国で、京セラや三菱電機はソーラーパネルを大量に海外に輸出しているほどだそうです。国内への普及を潰したのは多分東電であろうと池澤夏樹氏は推察しています。詳しくは「朝日ジャーナル」6月5日版と「世界」6月号をご覧下さい。
  
ここまでお読みくださった方は、私の激しい体制批判にいささかたじろがれたのではないかと思います。大学の教師であったからそんな勝手なことを言ってこられたのだと思われる方がおられるかもしれません。そうかもしれません。もし小・中・高の教師であったら、必ず、君が代斉唱の問題で首になっていただろうと思います。

それはともかく、私は77歳にいたるまで体制批判をさまざまな具体的な形で、一生続けてまいりました。ギュンター・グラスと言うドイツの作家は以下にように書いています。
「私たち二人は(大江健三郎と彼のこと)オフサイドの位置にたち、つまり局外者として、いわゆる身内の悪口をいう自由業という肩書きで生計をたてることには慣れています。しかし、批判的な視線は、私たちの国に対する愛情の最も正確な表現です。)(「暴力に逆らって書く」大江健三郎。) これは私の気持ちをよく表しています。
 
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 6月17日から20日まで友人の息子さんの結婚式に参加するためにソウルに行ってきました。なんだか旅行ばっかり行っているではないかと思われる方が居られるかと思いますが、偶々6月に重なってしまったのです。土曜日17日が結婚式でした。ルネッサンスホテルと言うところが、式場でした。行って腰を抜かしそうになったのですが、なんと600人以上が呼ばれたそうです。日本の結婚式と違うところは新郎と新婦の客席が左右に分かれているだけで、日本のように席が決ってはいません。適当に座ればいいのです。なぜこんな盛大な結婚式かと言うと新郎の父親がソウル大学の名誉教授・学士院会院で母親がさる有名な大学の教授で、当の新郎はソウル大学医学部出身のお医者さん、新婦も医学部のクラスメイトという組み合わせだからでしょう。偶々隣の席にいたご婦人に「我々は日本から来ました」といって自己紹介を韓国語でしましたら、その婦人は新婦の母親の友人だそうで、「私は日本語を習っています」と日本語で答えが返ってきました。やっぱり、話かけてよかったと思いました。 最後に父親つまり、私の友人の挨拶があり、その中で、「日本から池谷彰夫妻も来ています。」といったので、感激しました。そこだけ分かりました。


6 .日本人の隠れた姿があらわに
日本と言う国は芸術面では一流でも、政治的には3流の国だと長い間思われてきたのですが、今回の悲劇で世界の、わが国を見る目が一変してしまいました。ニューヨーク・タイムズの元日本支局長の「罹災しても日本社会は整然としていて秩序に乱れがない。日本人と回復力尊い。」という言葉を「ザ・コラム」という朝日新聞の欄で中山季広氏は紹介しています。友人から貰った3月26日付けの同じくニューヨーク・タイムズでも第一面で日本人の示したストイシズムと自己犠牲の精神、落ち着いた勇気に感嘆の驚きをもって賞賛しています。辻井喬氏も毎日新聞の5月13日の2面で、「権力に従順で忍耐強く、努力家で,コミュ二ティを大事にする。だから日本には変革が起きないのでダメだと、今まで私は認識していました。でも、そうした伝統的美徳は弱さや欠点ばかりではなく、反転しうる強さだったと震災で気付かされ反省しました。」と書いています。

私もこういう災害が起きると潜在的な国民性が顕在化するのかとつくづく思いました。
そして、今度の災害をとおおして単に国内だけでなく世界の隅々から援助が寄せられたことは驚異です。アメリカ・中国・韓国・ロシアと言うような近隣の大国のみならず、西アフリカ・シエラレオネという世界最貧国の学校生徒2600人から4万円の義捐金が届けられたと、朝日新聞の投書欄に報告されていましたし、ビルマ(「ミャンマー」と言う言葉は使いたくありませんが)アウンサンスーチさんからは「私たちは貧しいので詩をささげます」といって美しい詩を贈って下さったのです。(毎日新聞 4月23日)そしてベルリンフィルは日本人佐渡裕氏を指揮者として美しい楽の音をとどけてくださいました。

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私たちを泊めてくださったのは上に述べたように李さんの一家でした。そこで面白いことを聞きました。 日本にもお母さんと我が家にも泊まりにきたお嬢さんが結婚してお子さんができました。6ヶ月の女の子ですが、その子の使っているおむつが日本製だそうです。吸湿性がとてもいいのです。ただし、福島原発以来買うのを止めたそうです。それから、乳母車も日本製を使っていました。とても良質だからです。このように日本製は家庭の隅々まで信頼できるものとして浸透していることが分かりました。同様に、私も原発についてなんとなしに信頼できるものだとばかり思っていました。その信頼が今回全く裏切られたのです。

7.我々はどうあるべきなのでしょうか?
  以上、私は自分なりに文献をしらべて到達した結論は今回の原発事故は人災以外のものではけっしてないということです。それは日本人の少数意見を排除する精神構造が大いに関係しているということを、丁寧に述べました。さらに「福島第一原発事故はけっして”想定外“ではない」と言う題の田中三彦氏の論文をよむと、それが技術的な面から見ても自己過信の果てに今にいったことが詳しく説明されています。(「世界」5月号 2011年)

では次に、このような事態に直面して我々はどうあるべきかと言う最も重要な問題に入ります。本題に入る前に村上春樹氏がスペインのカタルーニャで人文科学分野で功績の人に贈られるカタルーニャ国際賞受賞のスピーチを紹介いたします。極めて優れた格調の高いスピーチです。毎日新聞に載っていました。(6月14日・15日・16日)
  「日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。。。。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在を許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも糾弾しなくてはならないのでしょう。今回の事態は我々の倫理や規範に深く関わる問題であるからです。。。。
  
原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、3ヶ月にわたって放射能を撒き散らしています。。。。。。 今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
  なぜそんなことになったのか?。。。。。理由は簡単です。「効率」です。。。。。

核と言う圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威荷さらされているという点においては、我々は全て被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々は全て加害者でもあります。。。。。
 効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような無惨な状態に陥っています。それが現実です。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 
れは日本が長きにわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に我々は自らを告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に加害者でもあるのです。そんことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り代えされるでしょう。。。。。
   我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本をつぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を国家レベル追求すべきだったのです。。。。。我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを妥協することなく持ち続けるべきだった。。。。。。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方になったはずです。。。。。。しかし、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され,その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。。。。。我々は新しい倫理や規範と新しい言葉を連結させなくてはならなりません。。。。。
   
我々は(カタルーニアの人々と)同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民でもあります。。。。。。国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティ」を形作ることができたら、どんな素敵だろうと思います。」

  
#####  コーヒーブレイク    #####
私はこの1月に一年かかってギリシャ悲劇の「イリアッド」と「オデッセイヤ」、と日本の古典「平家物語」を読み上げる決心をしました。しかし、前者の2冊は難しく、まず高津春繁氏の『ホメ-ロスの英雄叙事詩』という解説から始めています。「平家物語」は現代語付きのものです。 私はこの7年間加藤周一に傾倒してきました。「加藤周一自選集」10巻と「加藤周一セレクション」をすべて揃え片っ端から読んでいます。彼は憲法9条を守るための精神的支柱となっています。
それと「須賀敦子全集」を忘れてはなりません。彼女は彗星のごとく文壇に現れ、彗星のごとく天国に旅立ちました。日本やイタリアで出会った人々を丁寧に語りながら彼女作品に通奏低音のごとく流れる死の予感が痛ましくもあり、それが読む人々の心を打ちます。それと内心忸怩たるものがあるのですが、漫画は手にしたことがありません。先般のソウル訪問の際にも漫画を読んで日本語教師になることを決心した若い韓国の女性に出会いました。どうもそれほど魅力があるようです。
本とともに忘れてはならないのは落語です。志ん朝の大ファンです。彼の艶のある声で語る古典落語はこたえられません。


私は村上春樹氏のスピーチになにも付け加えることはありません。村上春樹氏の言うように福島の原発で作られた電力を主に消費してきたのは東京の企業であり、東京に住む人たちです。原発の受益者は福島から離れたところに住んでいて、地元に暮らす人たちを有無言わせずに犠牲にしてしまいました。彼がいみじくも言うように我々は被害者でもあり加害者でもあります。「効率」、「能率」「生産性」を第一義的なものとして、ひたすら走ってきた日本人のあり方自体が問われているのです。そして自分の国土を滅茶苦茶にしてしまいました。ひょっとするとチェリノブイルよりも深刻な事態になってしまうかもしれません。

今回の人災で改めて問われているのは決して東電や国の責任だけではありません。便利で快適な生活をひたすら追い求め、原発に依存してきた一人一人の責任が問われているのだと思います。こういう私も漠然と原発を支える日本の技術力に信頼してきました。それが裏切られた悲しみと怒りは言い表すことができない程です。

6月4日の朝日新聞の「さざえさんをさがして」という欄に1957年8月27日「原子の火」がともったのですが、その日の「サザエさん」が話題となっています。「原子時代』の到来と喜ぶ波平とマスオ。波平は七輪を旧式なものと言って切り捨てますが、サザエは七輪を「原始炉」と呼んで擁護します。ところが、サザエさんの躊躇する気持ちに逆らって電化が急速に進みます。1957年に電気座布団、58年に電気ストーブ、61年に電気アンカ、65年に電気ゴタツが登場します。そして68年にはセントラルヒーティングで完全電化した家が登場すると朝日新聞は伝えています。そして、一連の作品で:作者の長谷川町子さんが言いたかったのは「本当の暖かさとは何だろう」「何のために発展するのか」と言うと問いかけであろうと記事は結ばれています。

丁度同じ日の朝日新聞の「99歳私の証 あるがまま行く」という欄で日野原重明氏が「人の幸せの指標」と言う題で同じテーマで書いておられたのを見て吃驚しました。氏は次のように書いておられます。
「日本はかって国内総生産(GDP)が世界トップクラスでした。経済が豊かで文化的生活ができるということを、国民の殆どが幸福の指標と思っていたのです。ところが、日本のGDPは下がっていきました。世界には内的な面で幸福度をはかる国があります。ブータン共和国では、「国民一人ひとりがこの国に生まれて良かったと感じてくれれば、私はそれを喜ぶ」という声明を1972年に国王が出し、各家庭がだんらんできる生活を重視し、国民が満足感を得られるような政策をとりました。」

先日、民放でパプアニューギニアの奥地から夫婦と息子2人を呼んで横浜のある家がホストファミリーになって一週間生活してもらうと言う番組をみました。かの地では勿論電気・ガス・水道もない家に住んでいました。日本の生活を見て別に腰を抜かすと言う態度は見せず、淡々と受け止めていました。それはそれ、これはこれと言う受け入れ方でした。つまり、帰って寝る所があり、3度の食事があり、顔を合わせる家族があることが幸せなのだと自信を持って受け止めていました。

数年前にSMAPという歌手達が(今でも活躍しているのでしょうか)『世界に一つだけの花』と言う歌を歌って紅白歌合戦で歌ったそうです。『人間はナンバーワンにならなくてもいい。それぞれオンリーワンのかけがえのない存在なんだ』と言う内容です。
 
同様に国についても同じことが言えそうです。作家の高橋源一郎さんも「世界に冠たる国を作るとか、新しい歴史を作るとか、安保理の常任理事国になるとか、そんなよけいなことはしなくても結構。そんなことより、小さくて、静かで、たそがれた国を目指す方がなんだか楽しそうではないか」と言っています。全くそのとおりだと思います。
 
≒===   コーヒーブレイク  ≒===
 私は当年77歳です。75歳の11月に悪性リンパ腫の宣告を医者から受けました。そして76歳の1月に6時間にわたる手術を受けました。両親と弟が同じ病に倒れましたので、そのショックは小さいものではありませんでした。遺書も書き、葬儀全般の次第も決めました。ところが昨年7月に退院して以来、何とか杖をつきながら、正常な生活に戻りました。毎日プールで500メートル泳いでいます。親しい友人からは「遺言を早く書き過ぎたね」とからかわれていますが、今でも死を背負って生きているという感がします。
 憲法9条を守る会の運営委員会を勤めており、それが生きがいになっています。ぼけている暇などはありません。ちょっとコーヒーブレイクには相応しくない話題ですがご容赦下さい。

 「世界」7月号に面白い投書が載っていました。反原発デモに参加した女性がアメリカ人記者の取材を受けて、「原発をなくして、電力不足が起きたらどうするのか」と問われて「1960年代に戻る」ととっさの答えをしたというのです。若い方は1960年代の生活がどんなものであったかご存知ないと思いますので、私の体験を申します。1960年に秋田大学に赴任しましたが、そこで、研究室に行く前に事務所で種火を貰ってきて研究室でだるまストーブに薪に点火するのです。体の芯まで温まりました。教室では教師である私が火をくべる役でした。7年後に東北大学に赴任した時も事情は余り変わらず、薪が石炭に変わっていましたが、相変わらず火夫の役割を務めました。しかし、午後の4時ごろになると冷え込み、教室の後に席を取っている学生は震えていました。それに比べて今の大学生は恵まれています。授業中に「先生、冷房がきつすぎます」時々学生に注意され、隔世の感がしたものです。
 
その投書者は「いまとわれているのは、放射能と共存していきるか、それとも、今まで手にしてきた安楽な生活を捨てる覚悟で、心の平和をとりもどすのか、だと思います」と結んでいます。確かに例えば、自販機が500万台必要なのか、そして、新型の携帯電話が毎月発売され、毎年新しいビールの銘柄が必要なのかと自問自答したくなります。夏には冷房の温度を高めに、冬には暖房の温度を低めに設定し、被害者の苦しみに思いをはせたいと思います。
  
私はこの章を「我々はどうあるべきなのでしょうか?」と言う問いをもって始めました。結論は明らかです。もっと貧しい時代に勇気をもって帰ろうではありませんか?そうすることが、若い世代に対する責任なのです。オール電化住宅など止めようではありませんか? 政治家のみならず、国民の一人一人に国づくりのありかたが問われ、生活のありかた、価値観の転換の必要性が問われています。

最初に引用したジョン・ダウアーの言葉をもう一度引用しますと、「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故は災害で何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかしもたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。」

近頃の政治を見ていますと、被災した人々の苦しみなどを忘れ去った醜い政争に明け暮れています。ジョン・ダウアー氏のいうようにもたもたしているうちに創造的な方法で考え直す時間が失われてしまうかもしれません。

8. 我々は何をすべきなのでしょうか?
私は3・11以来、必死になって文献を集め読み、考えてきました。そして達した結論は脱原発ということです。こんな短い期間に自分の考えがこれほど急展開する経験は77歳の生涯において初めてです。村上春樹氏がいうように「日本が長きにわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に我々は自らを告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に加害者でもあるのです。そんなことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り代えされるでしょう」

達はもっと早くに企業や大学での地位を捨て、反原発の立場を貫かれた在野の核学者高木仁三郎氏に耳を傾けるべきでした。氏の書かれた「原発事故はなぜくりかえすのか」とか「食卓に上がった放射能」などの本をなぜいままで、読まなかったのか、私自身の知的怠慢をはずかしく思います。

大江健三郎氏はル・モンド紙の記者に求められて「私らは犠牲者に見つめられている」という題でエッセーを「世界」5月号に書いています。ここでの「犠牲者」とは原爆犠牲者のことです。さらに氏は以下のように言っています。「敗戦から60年以上が経過し、日本は当時の約束を忘れつつあるようです。憲法のうたう恒久平和、軍事力放棄、非核三原則、などです。 原子力の雲が漂う現在の状況は、日本人の良識を取り戻すきっかけとなるでしょうか?」
 
私の立場を一言で述べると、「反原発」です。というと電力不足はどうしてくれるのだ、という反論が必ずかえってきます。産業界も我々の家庭でも不便を我慢しようではないかと言うことです。 我々の子孫に災いを残すより、輸出力が弱まってもいいではありませんか。発想の転換をこの際しようではありませんか。わが国土は地震列島なのです。今朝つまり、2011年6月22日にも、岩手地方に震度6.7の地震が起こっています。

原子力に頼らない太陽光発電、バイオマス、地熱発電、天然ガスなどの分散型発電システムを日本の総力をあげて研究すべきです。6月15日付けのニューズウィークにも地震国日本は火山国でもあるので、地熱資源が世界第3位であり、降雨量世界6位であるので水力発電がもっと可能であると書いてあります。

飯田哲也氏は「日本のエネルギー政策  失敗の本質」(朝日ジャーナル6月5日号)で「水俣病でも見られたように、大衆的な異議申し立てを徹底的に無視し、却下し、異端視する政治文化が、日本の「大きな政治」の側にあることだ」と述べています。それで思い出されるのは1960年安保闘争です。1960年岸信介の率いる自民党は日米安保条約を5月19日に強行採決しました。岸信介は戦争中の東條内閣の商工大臣を務め戦後はA 級戦犯容疑者として追放されていた男です。6月4日には全国で560万人のデモがありました。しかし、5月19日には右翼児玉誉士夫ややくざの親分尾津喜之助1万8千人、テキヤ1万人や暴力団を動員し、これらのデモ隊を蹴散らしました。これから以後自民党とこのような黒い影に常に付きまとわれることになります。自民党にはまさに大衆的な異議申し立てを暴力団で蹴散らしたと言う恥ずべき歴史があるのです。

上で引用したウルリッヒ・ベック氏は以下のように述べられています。「ドイツには環境問題について強い市民社会、市民運動があります。緑の党もそこから生まれました。近代テクノロジーがもたらす問題を広く見える形にするためには民主主義が必要だけど、市民運動がないと、産業界と政府の間に強い結びつきができる。そこには市民は不在で透明性にも欠け、意思決定は両者の密接な連携のもとに行われてしまします。しかし、市民社会が関われば政治を開放できます。」(朝日新聞5月13日)
 
つまり、これを一言で言うと、デモに行こうということです。私は杖をついていますが、デモに参加するつもりです。たとえ機動隊にぱくられても。( と、書くのが私の悪い癖です。)これをここまで、読んで下さった方は多分、反原発デモが全国規模で行われてきたことをご存知ないかもしれません。落合恵子氏はメディアは殆ど報道しないと批判しています。(週刊金曜日6.17日号) 3ヶ月たった6・11日に新宿では2万人集まったそうです。フランス・パリ、メルボルン、香港、台北でも。 (ただし、朝日新聞だけは6・12日付けの第1面で報道していますが)そしてイタリアが行ったように原発が是か非かの国民投票に持ち込もうではありませんか。またはわが国の首相をして、ドイツのメルケル首相がしたように、2022年よりはやい時期に脱原発を決意して貰おうではありませんか。ドイツとはちがって我々の目と鼻の先で人類が経験したことのない悲劇が起こっているのです。

終わりに

 マイケル・サンデル教授は「私たちどう生きるのか」と言う大地震特別講義のなかで、「グローバルなコミュニティ」の再構築する機会を今度の震災は与えたと言っておられますが、これはダンテについての世界的学者今道友信氏の世界市民の考えに通じています。つまり、国・民族の違いを超えた連携の可能性を提案されているのです。

私はこの文章を『空の空なるかな』と言う引用で始めました。しかし預言者はそれで終わってはいません。「世は去り世は来る。地はとこしえに保つなり。日は出で日は入り。。」と続いています。まさに日本だけでなく全世界において日は再びいずる事を心から願ってやみません。これで終わりとします。

自己紹介
  ここまで、私に付き合って読んで下さったことを衷心より感謝いたします。私がどういう人間であるのか、ご存知ない方のために自己紹介をいたします。
1934年生まれ。当年77歳です。戦争が小学校2年生の時に始まり、6年生の時に敗戦を迎えました。5年生から6年生の半ばまで集団疎開を経験し、そこで陰惨ないじめにあいました。中村馨というガキ大将は弱い者から少ない雑炊をたかりました。献上しないとリンチにあうのです。子供は純真だということは全く信じません。私はそこで、生まれつきのどうしようもない悪者がいるものだということを知りました。それに加えて吉野という欺瞞きわまる教師がいました。セクハラを繰り返していました。その男が敗戦後は社会科の教師となって民主主義を教えたのですから、子供心にもはらわたが煮えくり返る思いでした。

つまり、楽しかるべき子供時代はなかったということです。中・高・大と暖房は皆無でした。いくら東京でも寒い思いをしました。上に述べましたように1960年安保の年に秋田大学に職を得ました。1968年に東北大に転任。5年いましたが、その間に学生紛争にあいました。それから東工大に転じ、3年在職し、東京学芸大学に60歳までいました。なお、68歳まで20年間、上智大学大学院で教えましたが、そこでの若い友人とは今でも、夏・冬には一同集まり、酒を飲む事にしています。70歳まで、東洋学園大学という私立大学に10年いて、70歳で定年を迎え、その歳の夏から1年間ソウルのある大学に語学留学しました。帰国後は生田9条の会に属し、護憲運動に生きがいを見出し、余暇は渓流釣りと読書にと残照の時をすごしています。

参考文献
(書くにあたって煽情的な発言は避け、データに基づいて書いたつもりです。)
1. 川崎昭一郎「第五福竜丸』   岩波書店  2004年
2.「隠された原発データ」東電事件の教訓  日本工業新聞社編集部編 2005年
3.内藤新吾 「危険でも動かす原発」-国策のもとに隠される核兵器開発 稔台教会
    2008年
4.「超訳  ニーチェの言葉」 フリードリッヒ・ニーチェ 白取春彦訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン社 2010年
5. マイケル・サンデル 「大震災特別講義」私たちはどう生きるのか NHK出版 
2011年
5.週刊金曜日  2011年4・26日号、6・17日号
6.「世界」岩波出版  2011年 5,6,7月号
7.市民の意見」NO.162号、2011・6・1
8.「週刊朝日」 2011年 6月24日号 
9.ビッグイッシュー169号 6月15日号 2011年
10. 朝日新聞、毎日新聞  2011年

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