2011年6月17日金曜日

宮城県の小さな漁村での経験

津波で設置網が絡まっています

これが網の中の泥、セメント、木材あらゆるものを取り除いた後のもの

昼休みの休憩、この日は3人のボランティアでした

私たちは川崎の教会から仙台にボランティア活動として行き、そこから宮城県の小さな魚村である亘理(わたり)町に送られました。車で仙台から30分の距離です。亘理町は人口4万人弱の漁港です。仙台イチゴとしても有名ですが、イチゴは津波で壊滅で、生産開始までに何年もかかるそうです。亘理の海岸は荒浜と呼ばれ、阿武隈川を遡って行く鮭を設置網で獲るそうです。養殖海苔の産業もあります。再開するのに何億円もかかると、77歳の海男は話していました。

しかしその設置網が写真のように流され団子のようにからまってごみ置き場に捨てられていました。船も流され、漁港は製氷機の会社、市場、組合事務所がすべて壊され、魚を捕獲してもそれを市場に流通させるようにするにはいくつものトンネルをくぐらなければなりません。

私たちが浜の現場で網ほぐしのお手伝いをした現地の森さんは、兄さんが船を失い漁師
をやめるというので、自分が残った一艘の船と網から猟師を通ける決意をした人です。無口でほとんど何も話しません。気の遠くなるような漁業再開の道も、まずはこのからみにからんだ網をほぐすことから始めるしかないのです。

何人もの人が網と格闘して、網の中の泥、木材、コンクリートを取り出し、何重にも絡みあっているところをほぐしていきます。そうしてほぐされた網が写真に写されています。漁師さんたちはその網を今度は広げ、切ったり縫ったりしながら使える網にしていくのです。設置網の錨もこれからまた設置しなおさなければなりません。漁師たちは私たちの弁当と飲料水を買ってきてくれます。漁がはじまったら、たらふく魚を食わしてやっからなと言ってました。

町の復興はどのようになされるのか、行政はどのようなプランをもっているのか、組合は何を求めるのか、家を失って九死に一生を得た彼らは、心折れず、漁を再開できるのでしょうか。亘理町は、福島原発から50キロくらいのところにあります。原発事故が自分たちにどのような影響を及ぼすのか、考えないようにしているようでした。放射能に汚染された水を海に流したとき、魚が死んで浮いていたと猟師仲間では話し合っていたそうです。

私は昨日、ボランティア最後の日、その漁師から一杯やろうと招待を受けました。一応、ボランティアのリーダーたちに承諾を得て、私は仙台駅の居酒屋まで行きました。そこでは森さんの親戚になる、私と同い年の漁師夫婦がおり、私を迎えてくれました。冷酒を飲み干しながら、その猟師は、心臓を病みあと何年も生きれねえと言って笑ってました。私と同い年なのに入れ歯で、目も不自由なようでした。

彼は飲みながら指輪をはずし、私の指にうまく入ったら私にくれてやるというのです。冗談と思い私の薬指にはめたらすっぽりと入りました。抜こうとすると、そのままやっとれ、やっからと言うのです。小さなハートが入った白い部分はプラチナで、残りのリングは金だと言ってました。奥さんに、お母さん、あんなこと言ってるぞといったのですが、知らん、もらっておけ、と笑い飛ばしていました。

翌日、二人で1升飲み、酒が残っているせいもあったのでしょうが、私は帰りの車の中で何も話せず、考え込んでいました。指輪がやけに重いのです。ボランティアとして現場を手助けする段階から、その小さな漁村の復興に教会がコミットしていけるのか。私は教会が何もできないと言ったら、自分ひとりでも関わるしかないなと思い、同行した若い伝道師に、教会として牧師が話していた中長期にわたって関わるということを、この亘理でやろうではないかと話しました。

もうこの指輪をはずしてやっぱり返すと私は死んでも言えません。みなさん、ご助言、ご協力をお願いしますね。改めて詳しく状況を説明します。

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