2011年6月2日木曜日

原発と原爆は同じなんです

原発と原爆は自分にとっては同じなんです、私はこの衝撃的な言葉を長崎で被爆した牧師から聞きました。放射線の被害を受けた民衆にとっては確かに、原爆も原発事故も同じです。しかしこのことは何を意味するのでしょうか。

広島・長崎の原爆投下は戦争終結という建前でアメリカが実行したものです。しかし戦争終結のためというのは口実で、実は、ドイツの原発開発に負けてはとアメリカで莫大な予算をかけて開発された原爆は、戦後の世界における支配力を誇示するにはなくてはならないものと判断されたのでしょう。アメリカは日本の無条件降伏を先延ばしさせる工作をして、原爆実験を敢行したとみるべきでしょう(鈴木真奈美『核大国化する日本ー平和利用と核武装論』平凡社新書 2006)。

被爆国の日本には核アレルギーがあったし、今でもあるのですが、アイゼンハワーの国連での「原子力の平和利用」の演説がきっかけになって、正力松太郎や中曽根前首相が先頭に立ち、「原子力の平和利用」の徹底的なキャンペーンを展開しました。しかしその底にいつか日本も核兵器(原発)の持つという強い意志があったかもしれないというのは誰も否定できないことでしょう。事実、ロケットの開発と核燃料のプラトニュームを作り出す原子力発電には長年、莫大な予算がつけられてきたのです。

3・11の地震によって原発の安全神話は完全に崩れました。原発事故が日本の国策による、意図せぬ原発投下と同じものであると仮定することは実に恐ろしいことですが、放射線の被害者の立場に立てばそうとしか言いようはないのでしょう。しかし敗戦による焼け野原から復興してきた戦後日本のあり方の象徴が原発であり、意図せぬ「原爆投下」であったのなら、そのような社会をつくり、それを容認してきた者、無関心で会った者にも責任がないとどうして言えるのでしょうか。

実はドイツにおいては、教会が第二次世界対戦のような社会悪を容認するばかりか自ら協力・推進してきたことを神の意志に反するとするキリスト者の真摯な自己批判(=「悔い改め」)があり、日本の教会もまたそれよりかなり遅れたとは言え、1966年に真摯な「戦争責任告白」をしました。そのような歴史をもつ日本の教会が、3・11という事態を目撃して、どうして徹底した自己批判と信仰的決断による「脱原発」の動きを全教会的に起こすことができないのでしょうか。

しかし、4月23日(土)、日本キリスト教会館で、宗教者による原発事故を知るフォーラムが開催され、それがきっかけになり、有志によって「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(仮称)の組織化がはじまりました(「脱原発フォーラム「原発事故について、テレビが教えてくれないこと」に参加して」)http://www.oklos-che.com/2011/04/blog-post_3425.html。私も参加しました。その流れがどのような質を獲得するのか、心したいと思います。

「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(仮称)を立ち上げることの意味について以下のような論議がなされています。

「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」を立ち上げるに際しての基本的な見解(草案)
1.日本社会の中では圧倒的に少数者であるキリスト者ではあるが、信仰によって歴史・現実社会の中で生起した問題の意味を問い、集団のあり方とその中の個人の生き方を根底的に探り、求め、虐げられた人に寄り添われたイエスの視座と生き方に従う。

2.3・11福島原発事故に対する私たちの捉え方:戦後の日本社会は工業化と生活の豊かさを求め、戦前と同じく地下資源がないことを理由にして、平和利用なる美名の下で核兵器につながる原発の開発と貧しい地域に照準をしぼった建設を進めてきたが、その実現のために政財界、学界、マスコミを通じてのキャンペーンによって人心を惑わし、人間の手では使用済核燃料を最終処理できないにも拘らず、多くの現場労働者に被曝の犠牲を強いながら原発を建設し続けたことは、地域間格差、人間性の荒廃をもたらし、今回取り返しのつかない、いつ解決するかわからない大きな悲劇をもたらした、と私たちは今回の原発事故を捉える。

3.私たちは、福島の原発事故は地震国である日本においては全国どこにおいても起こる可能性があり、放射能汚染によって住民に大きな犠牲を強いることになることを憂う。私たちは日本政府が早急に「脱原発」の方針を定め、新規の原発建設の中止、40年経った原子炉の廃止を求めるが、同時に、原発を平和利用なる名目で海外に輸出し、使用済核燃料を海外で破棄したり、ウラン鉱山の発掘で地元住民への加害者になっている現実を前世界に訴える。

4.戦後日本社会の政治・経済・文化のあり方を根底から問う福島原発事故を目撃した私たちキリスト者は、何よりも自分たちも一緒になってそのような社会を作り出したこと、海外の人たちに犠牲を強いる加害者の立場になっていることを認め、神に許しを乞い、悔い改め、新たな信仰的決断によって、イエスがそうであったように、いと小さき者への関心を持ち続けまた寄り添い、日本社会の「復興」に取り組むことを決意する。そして被曝国であり、原発事故の当事者として世界に「脱原発」のメッセージを発信し、隣国韓国にも原発輸出によってアジアの加害者にならないように呼びかける。

5.このネットワーク参加の呼びかけに応じてくれる人は、教団・教派・組織の代表ではなく、あくまでも個人の信仰において参加するものとする。参加者の国籍は問わない。

(文責 崔 勝久)

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