2011年5月31日火曜日

追加:川崎の研究用原子炉、大丈夫? 市民、隠せぬ不安 /毎日新聞神奈川版



「多文化共生」批判のブログの最後の記事を追加します。

ちょっぴり、自慢話。ブログの力もまんざらではないようです。臨海部にある東芝の原子炉のことを
伝えた内容が、週刊プレイボーイと週刊ポストの記者の目に入り報道されました(後者は未確認)。
毎日新聞川崎版も市民フォーラムの翌日、取り上げています。「川崎市地震防災戦略」への疑問ー
完全な危機意識の欠如」http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/05/blog-post_4823.html

それはそれでいいのですが、いずれも市民の不安に足して情報開示が必要というところで終っています。しかしその東芝にビルゲイツが莫大な私財を投資し、日本は国策として、原発輸出の方針を変更しておらず、日本にあっては困る、市民が不安がる代物を海外に売ること、また使用済み核燃料を海外に持って行って埋めることに何ら言及していないのは、マスコミの姿勢として不十分だと
思います。「福島原発事故の後は、世界は新たな原子炉に代るのか、それとも「凍結」するのか?」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_03.html


また川崎直下型の地震を3・11以前のデータから想定して川崎の被害状況予想とその対策を行政側が発表したことに対する批判がありません。直下型と言っても、その起点を東京に置いていたことも明らかになったのに、問題にしていません。その点については、「新しい川崎をつくる市民の会」は危機管理室課長あてに質問書を送っています。どのような回答がくるのか、それは新しいブログで公開します。「東芝「原発は経営の柱」(日経)、原発「なお有力な選択肢」(朝日)―これは許せない」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_15.html







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川崎の研究用原子炉、大丈夫? 市民、隠せぬ不安 /神奈川


 ◇市「安全問題ない」討論会で繰り返す、東芝に稼働連絡依頼

 東京電力福島第1原発の事故を受け、国の原子力政策への不信感が高まる中、川崎市にある研究用原子炉にも市民が不安を隠せないでいる。市は原発との規模の違いなどを説明して不安解消に努める一方で、施設側に対しては一層の情報開示を依頼。専門家も、その重要性を指摘している。【高橋直純】

 ◇臨界実験装置、年間60日稼働

 「東日本大震災級の地震があったら、東芝の原子力研究所はどうなるんですか?」。26日夜、川崎区の市労働会館。市の防災対策をテーマに、市民団体が緊急討論会を開催した。出席した市危機管理室の職員に対し、市民が相次いでマイクを握り、不安を訴えた。

川崎区浮島町にある東芝原子力技術研究所の臨界実験装置(NCA)では、原子力プラント用燃料の特性などを調べるための実験が行われている。1963年から運転を開始し、最大熱出力は200ワット。国の指針で、防災対策を重点的に充実すべき地域(EPZ)は半径100メートルのエリアで、研究所の敷地内に収まる。稼働日数は年間60日程度とされる。

3月11日の地震発生時は運転停止中で、その日のうちに東芝から市に「異常はない」という電話連絡があった。一方で、福島の原発事故が報じられる中、市民から「川崎の施設は大丈夫なのか」といった問い合わせが市に寄せられた。市危機管理室は今月18日、同研究所の立ち入り検査を実施。建物などに損傷がないことを確認したという。

「安全性に問題はありません」。26日の討論会で同室の職員は、NCAの出力が小さいことや、川崎で想定される津波が1・5メートルにとどまることを踏まえ、市民の不安を払拭(ふっしょく)するための言葉を繰り返した。

◇原子力防災専門官が常駐

 茨城県東海村のJCO臨界事故(99年)を受けて制定された原子力災害対策特別措置法に基づき、県は01年、防災拠点となるオフサイトセンターを川崎区日ノ出町に設置。緊急時の情報収集などにあたる国の原子力防災専門官が常駐する。

市はNCAから6キロ離れた市立川崎病院に、健康被害を抑えるための安定ヨウ素剤2500錠を用意。放射能汚染が起きた場合には同病院などで1次除染をすることになっており、事故を想定した訓練も実施している。

また、「原子力施設安全対策協議会」が年1回開催され、研究所の所長らが出席。市は施設の更新状況や実施実験などについて説明を受けている。

ただ、NCA稼働に際して事前連絡の取り決めはなく、大震災後の市民の不安を受け、市は東芝に対し、稼働前の連絡の可否について、検討を求めた。東芝広報部は毎日新聞の取材に「稼働時期は決まっていないが、する時には連絡したいと思う」と説明している。

麻生区出身の吉沢剛・東京大学公共政策大学院特任講師(科学技術社会論)は、かつて武蔵工業大などが同区内に研究用原子炉を設置していた当時を振り返り「研究所が何をしているかわからず不安に思う近隣住民もいた。施設側が積極的に情報を開示していくことが必要だ」と話している。

他の4施設は廃炉

 川崎市内では、東芝原子力技術研究所以外にも研究用原子炉が稼働していた。武蔵工業大(現・東京都市大)が59年に麻生区王禅寺に設置して以降、60年代に入ると日立製作所が同地区に2基、東芝が自社の工場が建ち並ぶ川崎区の沿岸部に、NCAを含め2基を設置した。原子力発電所建造のためのデータ採取やがん治療の研究などに使われてきた。

89年に武蔵工業大の原子炉で炉心タンクから冷却水漏れなどがあり、この年に運転を休止したまま03年に廃炉を決め、06年には使用済み核燃料の搬出を終えた。人口の増加に伴って不安感を訴える住民の声が強まる中、研究の目的も達したとして、東芝のNCAを除く他の3施設も廃炉を決定、07年までに核燃料の搬出を終えている。


毎日新聞 2011年5月28日 地方版

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