2011年6月6日月曜日

日本平和学会の分科会で発題した感想

                                    新潟のホテルオークラでの懇親会
「東アジア<共生>の条件ー『安全保障』の越境と転換」のパネラー        

6月4-5日の二日間にわたって新潟で日本平和学会が開催されました。200名くらいの参加者で、多くは研究者ですが、その開催場所の市民たちが参加するようになっているようです。学生が場内整理をしたり分科会に参加もしていました。アカデミックな雰囲気ですが、実践的な活動の報告があり、私がこれまで観た学会とはかなり趣が違っていました。知人も何人か参加しており、また多くの人の紹介を受け、懇談会でおいしい日本酒をいただきながら話しこみ名刺交換するという風情で、大変楽しい学会にださせていただき感謝です。

そもそも私を呼んでくれたのは佐々木さんという研究者で、彼は私の「在日」の生き方と地域社会との関わりを説いた論文を読み、心に留めてくれたようです。私は、初日の午後の分科会の発題者になり、<「在日」は今回の震災をどのように受けとめるのか><日本社会は外国人を地域社会のパートナーとして受け入れるのか>というタイトルで、1時間話をしました。プロジェクターで資料などを見せながら、準備した原稿に沿って話をする予定でしたが、もうのっけから原稿なしでスライドを見ながらの話しで1時間になってしまいました。

私が発題をした分科会には20名弱くらいの方が来てくれたのですが、どんな人が私の話を聞きに来てくれたのか確認をしたいと思い、全員のお名前となさっていることをお聞きし、それを頭にいれて話をはじめました。研究者が三分の二という感じでしたね。予定が狂ったのは、「日立闘争」と「川崎のふれあい館」を知らない人が多かったということです。その説明を始めるうちに予定が狂いだしました。

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」代表の望月さんが私の20代から現在の65歳になるまでの原稿をデータ化してくださっていたので、それを10年ごとに分け、その時の私の問題意識と生活環境を説明することにしました。メカに弱い私がそのようなツールを使いながら説明できたのも、隣人の元SEがつきっきりで新しいブログ制作に関わってくれたので可能になったことです。本当にありがたいことです。

本名の読み方もわからなかった私が「在日朝鮮人としてどのように生きればいいのか」と問い、その答えを求めてきたのですが、整理してみると20代のころに書いたものと、今とほぼ変わらないことを書いていることがわかりました。その時は必死になって実感として感じたことを言葉にしていたのですが、実際の生活やさまざまな経験を通して、その言葉が自分のものとなるのに、40年かかったということでしょうか。大学生のころのもっとも生意気で、差別を研ぎ澄まされた感性でかぎ分けていたころを知る内海愛子さんには、昔の「迫力」がなくなっていると映ったようです(笑い)。

質疑応答の1時間は、私が民族や国籍を越えて、<協働>で日本社会を変革しようとよびかけたところ、ツィターで強烈な拒絶反応があり、「クソ朝鮮人!日本から出ていけ」と書かれたのですが、そのことについての感想をのべていただきました。詳しいことはまた報告します。懇談会で分科会に参加した人に感想をお聞きしたのですが、私の問題意識を正確に理解し、それをどのように受けとめればいいのかと考えていらっしゃるかたが大部分で、安心した次第です。

参加者の一人からこのようなメールをいただきました。
「崔さんのお話しを聞いていて、「共生」であれ、「協働」であれ、民族や性や 障害などを乗り越えて、住民一人ひとりが参画して政治を作り上げると いうこ とについて、理解が足らなかったなと思いました。例えば、君が代起立をめぐる問題であれば、「外国人がいるから君が代強制は いけない」ということだけでは、「日本人だけなら君が代強制してもよ い」と いう言説と親和性をもってしまうのではないかと思いました。もちろん、私はそ うは思っていないのですが、他民族との共生という課題が、自民族のあり方そのものを問う契機とならねばならないということを考えました。そういうわけ で、「一応」ではありましたが、討論者として分科会に参加 できてよかったです。ありがとうございました。」。
分科会に参加してくださった皆さんに感謝です。

後、二日間の学会で強く印象に残った点を紹介します。
1.自衛隊は11万人近く丸腰で被災地行っており、これは実説的な「軍縮」状態であるが、もっと人員を増やしてほしいという地元の要望にも拘らず、それは自衛隊の本来の任務ではなく、そのことを認めることは自衛隊のレーゾンデートルに係ることになり、自衛隊内部のフラストレーションはかなり高く、自衛隊の本来の業務が必要と国民に思わせるなにかが起こるかもしれない(沖縄大 前田哲男氏、私の質問に答えて)。

2.柏埼原発反対運動に40年以上関わっている矢部忠夫さんは、福島原発の事故があり、何が問題かということは明確になってきたのに、住民が変わらないのはなぜかわからない、という応えられたことに私は言葉を失いました。鎌田慧さんはカネの所為と話され、原発以外の「重ね合わせ」で地域の経済発展を求める「発想の転換」の必要性を最後に少し話されましたが、本当にこれはむつかしい問題だと、感じました。ウム、自立・自己責任ということもむなしいし、社会学的な説明をして提案はできてもそれを担う制度がなく、コミュニティが分断されていることを考えると、本当にむつかしい・・・

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