2011年5月31日火曜日

日本YWCAの「核」否定思想の紹介と、ブログ閉鎖の御案内

キリスト者平和ネット事務局代表の鈴木伶子さんからメールをいただきました。YWCAの一貫して「核」否定を主張されてきた歴史の一端を御紹介くださったものです。その日本YWCA100年史の主題が「女性の自立を求めて」であることに改めて納得しました。

原発は、形骸化した平和・民主主義、格差・差別の拡大、経済優先による環境破壊をもたらした戦後日本社会の象徴です。私は、「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(仮称)を提案しましたが、それに誰よりも敏感に反応したのは鈴木さんをはじめとする女性でした。それがどうしてなのか、わかるような気がします。このネットワークについては改めて詳しく新たなブログで報告いたします。

2007年から続けてきました「共生批判」のブログは今日でもって閉めます。「多文化共生」が外国人との絆を強調しながら、実態としては、外国人住民の政治参加を認めず、地域社会をよくしていくパートナーとして受け入れずに「二級市民化」するものであるという私たちの指摘は続きます。上野千鶴子さんたちと一緒にだした『日本における多文化共生とは何か―在日の経験から』(新曜社 2008)や公にした諸論文、ブログの内容で、その点は十分に展開されたと自負します。

私のブログは全文日本語で書かれているにもかかわらず、世界20カ国以上で読まれていることを知り驚愕しました。通信とTwitter、Facebookで更新の知らせをしていることもあるのでしょうが、ブログを見て下さる方が広がり、勇気づけられました。感謝します。

しかし私は3・11以降、この日本社会のもつ脆弱性が誰の目にも明らかなように可視化されたと考えます。「多文化共生」批判のレベルではなく、マイノリティであるが故に感じ取れた視点を大切にしながら、改めて「原発体制」をつくりあげてきたこの戦後日本社会をどのように変革すべきなのか、それを地域社会での実践を続けながら思索を深め、今後は韓国との「脱原発」の連帯運動を模索しつつ、新たなブログを立ち上げます。勿論、これまでのバックナンバーは新しいブログで読むことができます。

新しいブログのタイトルは、オクロス(民衆)です。乞うご期待!

ながらくの御愛読、ありがとうございました。明日からは新しいブログでおめにかかります。 謝謝、再見。

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崔様

昨日、簡単にお話しした、日本YWCAが1070年から運動の強調点として展開した「『核』否定の思想に立つ」について、興味がおありかと思い、100年史の該当部分を切り張りしてお送りします。いま、新しい文章を書く気力がないのですが、私は関屋綾子さんの影響を受け、この核否定が自分の言葉になってきたと思います。

ただ、先輩たちが70年から声をあげていながら、今回の悲惨な事故に至るまで原発を食い止められなかったことは、本当に取り返しのつかない罪だと思います。

鈴木伶子 

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日本YWCA100年史―女性の自立を求めて 
第9章「『核』否定の思想に立つ (1971~1984)より

「核」否定の意味するもの1970年の全国総会で運動の強調点に掲げられた「『核』否定の思想に立つ」は、その後のYWCA 運動の象徴ともなる言葉であった1)。

強調点に「『核』否定の思想に立つ」を提案するときの趣旨説明2)は、人間の作り出した「核」エネルギーは、ひたすら軍事目的に利用され、強大な国が核を敵の絶滅を目的に、あらゆる知識と技術とを集約的に投入していると指摘し、「そのことに目をつぶって、原子力の将来を夢見ることはできない。それでは核問題の本質を理解することはできない」と核の本質に疑念を投げかけ、「人間の良心、人間を尊重する立場に立って、『核』を否定する一人ひとりの思想に立つ以外ない」と説明した。

日本YWCA は、現代文明全体が自分だけの強さや豊かさを求めて、人間を、地球を踏みつけ、大きな破局に至らしめる道を歩んでいるのではないかと考え、それをカッコつきの「核」として表現した。それゆえ、「『核』否定の思想に立つ」とは、「核」を頂点とした現代文明に否を言うことであり、自分たちの生き方を問い直す問題であった。その中には、当然、原子力発電が含まれていた。当時、「平和利用」の名でもてはやされていた原子力発電にも反対したことは、一般社会の認識を超えるもので、「YWCA の人は原爆と原発の違いが分かっていない」とも言われたという。

(略)

 「『核』否定の思想に立つ」という表現が分かりにくいため、1971年には学習が始まった。機関紙『YWCA』1971年5月号には、「人類は1日も早く『戦争の論理』を廃絶し、歴史の歯車を『平和の論理』によって動かさねばならない」(坂田昌一)、「核兵器を頂点とする種々の近代兵器の存在だけでなく、人間の生み出した科学・技術に立脚する文明がさまざまなマイナス面をあらわにし、それらが人類の伝統と繁栄を危うくしようとしていることが明白になった」(豊田利幸)などの文章が紹介された。6月号では、ヒロシマ・ナガサキをどう受け止めるかが特集された。

(略)

 1975年の時点では、「『核』否定の思想に立つ」を強調点として掲げつつ、具体的活動が展開できていないという報告が寄せられていたが、1976年には全国幹事会が、なぜ私たちは「『核』否定の思想に立つ」のかについて討議をし、各地YWCA でも取り組みが始まった。全国に先駆けて湘南YWCAは、市長選に積極的にかかわると同時に『ひろしま』副読本を市内小中学校に贈り、その後の活用状態調べも行った。

強調点「『核』否定の思想に立つ」の目指すものが明確になるにつれ、全国運動の展開も広がっていった。それは「ひろしまを考える旅」を手始めに、核実験・ベトナム戦争北爆・沖縄返還協定など、戦争につながるものへの抗議であり、自らを問い直す「私の履歴書運動」であり、憲法の理念、特に思想信教の自由を侵す違憲訴訟の支援であった。さらに、人間を非人間化する現代文明に抵抗し、弱い立場に置かれた人の人権の問題に取り組むことでもあった。

(略)

強調点委員会は、「『核』否定の思想に立つ」の展開として、核災害を起こす恐れのある原発に反対するためには、会員一人ひとりが、身の回りの小さなことから省エネルギー生活の実践が必要だと考え、自分のライフスタイルを問い直そうと呼びかけた。同時に電力消費量が急激に増大する日本社会に警告の声を発し、電力会社に原発停止を訴えた。また、「『核』否定の思想に立つ」は強さや力を目指す現代文明に抗することであると考え、弱者の立場に立とうとした。折から、靖国神社問題や教育の問題が起こってきていた。

しかし、信教・思想の自由や天皇制については、会員の考え方に幅があり、一致した行動は無理であった。そこで強調点委員会は、資料を提供し会員に学習を呼びかけた。また、強調点とキリスト教基盤の関連を繰り返し確認していく必要があると考え、キリスト教基盤委員会との合同委員会も開いた。

   日本YWCA100年史―女性の自立を求めて 

第9章「『核』否定の思想に立つ (1971~1984)より

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