2011年5月21日土曜日

被災地の現場をどのように捉えたのかー地域経済学のN教授の見解

N教授は今期の地域経済学の授業を始めるにあたって、2回にわたって今回の震災の意味することは何かを話されました。東北地方が蒙った大震災(地震、津波、原発)の意味するところを話しておかないことには授業なんかやれないとばかり。そして1週置いた先日(私がボランティアで仙台に行って欠席したため)、また授業の初めに、東北地方を回ってきたということで、自分が撮った写真を学生に見せながら、現地の感想を話されました。


その写真にあったのはなんと、私が東松島の新東名で観た光景でした。一階が津波で海水に浸りヘドロが床下にたまっている新興住宅地、そして線路がまるで飴かなんかのようにまがりくねり、地面に垂直に立ち、一見、壁のように見えるところでした。そしてそこから北に上がり、石巻の「水産産業クラスター」ともいうべき水産加工、缶詰工場、ジーゼル工場などの実態を見せ、最後は牡鹿半島の女川の原発の遠景が映し出されていました。

遠景で観る女川の原発工場は、いくら大きなものであってもリアス式海岸の自然の中では大変小さく見え、人間が想定する津波の高さなど全く意味がないことがよくわかります。N教授が語る現地の感想を紹介します。

1.まず石巻、女川の住宅、倉庫、船は立派なものが多かったそうです。それは原発のおかげで、原発建設の対価としての賠償金がその地方に流れたからだと思われます。またそれらの地方は電気代金も安いそうです。住民の反対運動に政治家が介入し、賠償金が連れあがります。それは経費とされ、かかったコストに一定のマージンが掛けられるので、コストがかかればかかるほど電力会社の利益は多くなるという構造です。

2.福島に比べ実際の事故が発生しなかった女川では、「想定外」の大きさの津波は来ず、原子炉を冷却する電源さえあれば福島のような事故は起こらないというストーリーの中で、原発をストップさせてはいけないという流れになってきています。朝日新聞のアンケート調査でも、地方選挙の結果でも(福島、浜岡を例外として切り捨てるー崔)同じ傾向が見られます。

しかし、福島より10年遅く始められた女川の原子炉は実は福島と同じ年代のもので(反対運動で工期がずれただけ)、毎年強化される基準をクリアしているから安全というわけではないのです。(40年前に造られた原子炉は現在の基準では同じものの建設は絶対に認められないと言われています。では古いものをどう管理・補修するのかという明確な基準さえなく運用が認めれているのです。田中三彦『原発はなぜ危険か』(岩波新書)参照、-崔)。女川原発がたまたま事故にならなかったのは、安全対策の根拠があるからではないのです。

3.そもそも世界的に一時、チェルノブイリ、スリーマイル事故で下火になった原発が復興したのは、二酸化炭素を減らす運動が高まり、安く安全で環境にいいというキャンペーンがあったからなのですが、しかし地球温暖化は炭酸ガスと関係はあるのは事実だとしてもそれが決定的、絶対的な条件と証明されたのではなくあくまでも仮説なのです。ながい地球の歴史では周期的に寒暖が見られ太陽との関係でそのようになったという説もあるほどですから。またオゾン層を壊すので使用禁止になったフロンガスは、脱フロンの開発を終えていた(また原発開発と関係の深いー崔)デュポン社だった事実もあったそうです。

一方日本では、第五福竜丸の被曝事故があり、そのときにその悲劇を逆手に取った原子力平和利用という一大キャンペーンが正力松太郎の読売新聞によってなされ、中曽根元首相と組み、(核武装はしないまでもロケットと各兵器の燃料をつくるー崔)原発の法制化が始まったのです(それ以来、過疎地帯が狙われ金がばらまかれ安全神話で原発が続けられましたー崔)。学問をする者は社会的な背景をもつ戦略的な大キャンペーンに惑わされず、自分で考える(判断力をもつ)ことをしければならないですね。

4.N教授が東北地方の視察で感じられた具体的なことは以下の3点です。

①(原発を前提にしないでー崔)エネルギー政策を根本的に見直す。

②東京一極集中型から自立した経済圏で成り立つ分散型に変更する。

③物質的な豊かさを基準にせず、「生活の質」を高め「仕事能力の開発」を進めるように重点戦略をたてる。

この説明の中で、中国の地震に破壊した四川省の都市では、「ムダ金」になる復旧より復興に力を注ぎ高層マンションを建てているが、そこに入れる人はコネとカネがある人が優先され、弱い者が犠牲になっているという指摘があり、高台に高層住宅を計画するような、今ささやかれている日本のプランでは、高齢者や生活基盤を無くしお金を払えない人はどうなっていくのか危惧されます。

また復興の要になる地方自治の強化という点では、この間、地方自治体の統合が進められて職員の数が大幅に減り、住民サービスという点では大きな阻害要因になっているという指摘もありました。私見では、住民主権の要とも言うべき、住民が地方自治に関わり自分たちで課題を担うということがこのままでは期待できないのではないのかと憂慮されます。

参考までに

★「東日本大震災(巨大地震、巨大津波、原発危機の多重災害)」の影響と「復興」を考える

http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/04/blog-post_28.html)

★過疎地で原発が集積する構造ー地域の「発展」は経済だけで解決できるのか

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