2011年5月20日金曜日

投稿:飯館村の方からのメッセージ他・深刻な事態

昨日、衆議院第1議員会館ホールにて第2回のエネルギー政策転換に向けた議員セミナーがありました。内容はとても濃かったのですが、議員はほとんど来ないのが残念でした。飯館村からお2人、いわき市市議会議員も1人駈け付けてくれたのにもかかわらずです。

飯館村は車内でも場所によっては10マイクロシーベルトもあり、ホットスポット的な所では、500マイクロシーベルトもあるそうです。10マイクロシーベルトとしても年間被爆量は外部からだけでも、85ミリシーベルト、年間の許容限度1ミリシーベルトの85倍です。

計画避難は進んでおらず、普通に暮らしているそうです。震災のあと、放射能の事は何も知らずに暮らしていた中、長崎大学の山下教授が来て、「みなさん、何も心配はありません。」と云っていったそうです。他にも何人かそのような先生が来て話していったので、皆信じてしまったそうです。そして仮に逃げようにも震災後3万円しかもらっておらず、もともと現金がそんなに必要な村ではないので、引越すお金などないと・・・。

100人位の子どもがまだ住んでいて、近くの学校に通っているとの事です。国からもなんの指示もないので、福島市よりもっと放射線量が高いのに、普通に外で遊んでいるのです。ただ、さすがに以前は、皆野菜を買うこともなく、近隣で出来たのを分け合って食べていたけれど、野菜は買うようになりましたと。

飯館村は高い放射能が残ってしまったホットスポットとして、もう誰もが知っている村かと思いますが、人命救済の観点からすると実情は恐るべきものです。飯館村の人は言います。もう僕らは内部被爆もしています。だから、ホールボディカウンターで、被爆量をはかりたいが、政府が要請していないので、福島県立医科大学では出来ませんと言われているそうです。

ttp://blog.goo.ne.jp/fukushima311/e/1d3e46f1128c12d49c0c1ad07f2944f3
飯館村に今、住んでいる人達有志が「負げねど飯館!」というブログを作られました。どうぞ是非見てみてください。ホールボディカウンターに関する情報をお持ちの方は、連絡をいれてくだされば幸いです。

飯館村の若い青年は、村の美しい四季の写真を見せてくれました。そこはまだこのような美しい村が残っていたのかというような日本人の原点のような村でした。家の前では春になると様々な山菜がとれ、今年もたくさんのふきのとうが顔を出しましたが、一切食べれなくなりましたと・・・・。原発からは今まで何の交付金ももらっていない・・・関係のない村でした。

何十年も原発の反対を言ってこられたいわき市市議会員の方は、福島県民は原発難民から、原発棄民にされ、今は緩慢な死=被爆をさせ、あきらめさせよう・・・とされている。被爆者手帳を申請していくつもりだとおっしゃっておられました。

http://kofdomofukushima.at.webry.info/201105/article_18.html
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
くる23日(月)には福島から100人以上の方がバスにのって、文部科学省前(旧館側)に来られます。早期な子ども達の避難(20MS撤回)を求めに来られます。福島から来られた女性は、もう子ども達に鼻血や下痢の症状が見られているので、子ども達の尿検査のために最採集した尿をしてドイツに送る予定との事です。(政府は何もしないので・・・。)

事態は本当に深刻です。23日御都合がつく方はどうか共に応援をお願いします。その他の応援方法は、上記ブログに記載されています。 どうぞ宜しくお願いします。

追記:皆様の御尽力で横浜でも6月11日アクションに参加できるようになり良かったです。ありがとうございます。
                                                                      佐藤八重子

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