2011年5月19日木曜日

原発を「あいまいなまま続けさせるな」-大江健三郎に共鳴する

私は今日の朝日新聞で菅首相の「原発被災者は国策の被害者」発言を知り、これは原発を継続するという意思表明と読みました。事故への対応を国として責任を持つと言いながら、「原子力政策は資源の乏しい我が国が国策として進めてきた」のだから事故に対しては国家として責任をとり、原発はこれまで通り(資源が乏しい状況は続くので)国策として続けるという宣言と理解しました。

使用済み核燃料の再処理は青森の六ヶ所村で進めていますが、それでは急増する廃棄物を処理できず、他の地方は地元の反対で簡単に進めることは叶わず(もう受けるところはないでしょう)、フランスと英国に依頼してきたのですがそれも期限があり、以前は南太平に放棄する馬鹿な計画をしたことがありますがこれも地元の反対でできなくなりました。そこで、経済産業省はアメリカのエネルギー省と組み、「使用済み核燃料などの世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに極秘に進めている」(毎日JP)とのことです。まさに恥を知れですね。
http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20110509k0000m040142000c.html

18日の記者会見で菅首相は、電力会社の発送電分離と、「長年の原子力行政を根本的に見直さなければならない」ということで経済産業省から原子力安全・保安院を分離することを発表しました。しかし私には、これは「根本的に見直す」という単語の使い方を間違えているように思えます。これまで通り原発を続け、輸出にも力を入れるが、その管理・運営をしっかりする、即ちこれまでのあり方を改善するということであって、原発そのものを見直すということではありません。しかしこの処置そのものが一歩前進であり、これまで自民党政権ではできなかったということは認めるべきでしょう。

同じく浜岡原発の2年間停止するという決断も評価をすべきだと思います。しかし私には、浜岡には大きな地震が起こる確率が高いからという理由を付け、福島と浜岡を切り捨てることで逆に、全ての原発に影響がいかないように処置をしたのではないかと思えるのです。勿論、それも一歩前進であるということは間違いないでしょう。今後,使用済み核燃の問題をどうするのか、現場の被曝を前提に働く労働者の人権問題をどのように扱うのか、菅首相の判断を見守りたいと思います。同時に、先に記した、海外への原子力の平和利用という名目の原発輸出、使用済核燃料の海外での埋め立てに関しては厳しく制限・禁止することを要求する必要があるでしょう。

今日の朝日新聞の文化面で大江健三郎さんが興味ある文書を載せています。「あいまいなままつづけさせるな」「核の時代の混乱と霧どこへ」というタイトルで、チェルノブイリの時の東独の作家の小説に触れながら最後に、「福島原発で、チェルノブイリと同じ大きさの事故が起こったのです」と記して日本の状況を述べていきます。

自民党総裁は震災直後の「それ(原発)を続けるのは難しい状況だ」と言いながら一週間も経つと、「安定的な電力供給ができないと製造業などが維持できるかという問題がある」と企業の立場に立つのです。次に自民党の原発推進派の議員が集まって「反原発」の世論に対抗すべく、新しい政策会議が始まります。

菅首相については、浜岡原発の全停止要請しながら、それは浜岡が大きな地震が発生する可能性が高いからと具体的な数字をあげて説明し、その後、浜岡以外の原発には要請をしないこと、及び「脱原発」路線には踏みこまないと表明したことを記します。

最後に、「まだ収束もおぼつかないフクシマを過去の出来事とし、これまでの原子力計画を続けるとすれば、そのあいまいな日本の、次の私たちに、はたして未来はあるのでしょうか?」と問題を投げかけます。これは私が冒頭に記した、浜岡と福島を例外として切り捨てて他の原発を活かし、同時に国策として原発の輸出を続け、日本では困難な使用済み核燃料の貯蔵・処分を国外でやるということ対する批判と通底していると思いました。

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