2011年5月17日火曜日

被災地で考えたことー日本の加害者性について

今回、被災地で興味深いことを知りました。キリスト教会に属さない人はよくおわかりにならないかもしれませんが、実は日本で最大の日本基督教団は戦争中、政府が「戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請」し、「当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり」成立したものです。そのことに対して1967年、いわゆる「第二次世界大戦における日本基督教団の責任についての告白」を議長名でだしました。少し長くなりますが、最後の部分を紹介します。

「「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。
1967年3月26日 復活主日 日本基督教団総会議長  鈴木正久 」

ドイツでは戦後間もなく戦争責任告白をしているのですが、遅かったとは言え、日本の教会がこのような真摯な姿勢を内外に公表したことは注目されるべきでありましょう。私は、そのことを最大限評価しながらも、この告白が各個教会の、実際に戦争に苦しんできた人や、海外に行き殺戮を実際に行ってきた人(それを命令した人、傍観した人を含めて)たちを交えて徹底的な議論をすべきであったと考えています。そのことによって、日本人は戦争の被害者であるだけでなく、アジアの国々を侵略した加害者であることの意味を徹底して深めるべきであったのです。

予想された通り、このような社会的な発言に対して反発が起こり、キリスト者というのはそのような社会問題に直接関与すべきではなかったという声があがりました。これがいわゆる、社会派と福音派の対立と呼ばれるもので現在にまで大きな影響が残っています。

しかし今回私が目撃したのは、日本基督教団ではないのですが、文字通り、福音を正面から掲げるキリスト者たちの献身的な働きでした。むしろ福音主義を掲げるキリスト者たちが信仰と実践の一致を掲げて具体的な奉仕活動をしていたのです。その流れは、アメリカにおける福音主義派教会の流れと関係するのかどうか、私にはわかりません。このような福音主義的な流れは実際に助けを求める被災者の声を前にして、大きな潮流になりこれまでの観念的で不毛な対立から、一致して行動をとるという方向に行くのは望ましいことだと思われます。

しかし問題は、「戦争責任告白」にある「わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。」という箇所の解釈でしょう。何故ならば、原子力発電というのは実は核兵器製造と表裏一体だからです。これを原子力の平和利用と名づけた人はよっぽど悪賢い人であったと感心します(聞くところによると、アイゼンハワー米大統領が国連で演説したことがその始まりだそうです)。

それを日本で最も早く精力的に動き原発を実現させた人物はあの、故正力松太郎と中曽根前首相でした。彼らは核武装はしないまでも、ロケットと核燃料の確保だけは周到に準備してきたのです。その実現のために、政財界・学界・マスコミを動員して「絶対安全神話」をまき散らし、反対する地元住民をお金で釣り、貧しく産業のない地域に新たな仕事ができると説得してきたのです。しかし福島原発事故でその「安全神話」は完全に崩れました。

地震と津波、そして原発事故によって傷つき困り果てた住民にできるだけの助けの手を差し伸べる、このことは無条件に奨励されるべきですし、どのような教会も援助すべきでありましょう。私もまた被災地に行くつもりです。しかし今困っている人への援助だけでなく、今後そのような被害をださせないという主張もまた、奉仕活動と同じく重要なキリスト者の使命であるはずです。この二つは元来、二項対立的なものではないはずだからです。

「反原発」「脱原発」運動が空前の広がりを見せていますが、それはまだ原発の「被害」を蒙るのはまっぴらだという域でとどまっているのではないでしょうか。そうでなく、日本は世界最大の原発輸出国であり、モンゴルなどへ使用済み核燃料を送りそこで何万年も埋めようとしているのです。そういう意味では、日本という国は今また、加害者の立場になっているということをしっかりと見極めるべきでありましょう。そして韓国で始まるであろう「脱原発」の動きと協働して、「脱原発」を実現すべきでありましょう。その動きは世界中の人々とのつながりをもたらすと私は確信します。

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